バイカル湖(バイカルこ、、、「自然の湖」の意、、; )は、ロシア南東部のシベリア連邦管区のブリヤート共和国とイルクーツク州・チタ州に挟まれた三日月型の湖である。「シベリアの真珠」とも、ガラパゴス諸島と並ぶ「生物進化の博物館」とも称される。南北680km×東西幅約40-50km(最大幅80km)に及ぶ湖水面の面積は31,494 km²(琵琶湖のおよそ46倍)。カスピ海(塩湖)や20世紀後半から急速に面積を縮小しているアラル海を除くとアジア最大である。淡水湖で比較した場合、面積は世界最大のスペリオル湖には及ばないものの、最大水深が1,634 - 1,741mと世界で最も深い。湖面は標高456mにある。なお、1956年初頭にアンガラ川に建設されたの影響で水位は1.4m上昇した。貯水量 23 × 10 km³も世界最大であり、世界中の淡水の17-20%がここにあるとされる。水質も日本の摩周湖に代わり世界最高の透明度を誇る湖であり、1996年に世界遺産に登録された。セレンガ川、バルグジン川、上アンガラ川など336本の河川が流入するが、流出する河川は南西端に近いアンガラ川のみである。そのため、水量が常に豊富である。湖には最大のオリホン島(面積730km²、奄美大島に匹敵)を初め22の島々がある。湖内部にはアカデミシャンリッジ(湖嶺)があり、これとセレンガデルタによって大きく3つの地質構造に区分される。それぞれ「北湖盆」「中央湖」「南湖盆」であり、このうち中央湖が最も深いが、北・南湖盆も1km前後の水深を持つ。世界で最も古い古代湖でもある。元々は海溝であったとされ、約3,000万年前に海から孤立、その後長い期間をかけて徐々に淡水化していった。一般的な湖沼は流入し堆積する土砂などによって数万年もすれば埋まってしまい姿を消す。しかしバイカル湖は、インド亜大陸がユーラシア大陸に食い込み、これを北東と南西を結ぶ線で引き裂くユーラシアプレートとアムールプレートの境界に当たる地溝(バイカルリフト)の陥没部にあり、現在でも年に幅2cm、深さ6mmずつ広がっているため、長大な時間を経ても湖であり続けている。この沈降によって将来バイカル湖は再び北極海と繋がるという説もある。人類は少なくとも2万年前頃にバイカル湖周辺に到達しており、湖の西にあるアフォントヴァ山遺跡からは人骨が発掘された。ここで寒冷な気候に適応し北アジア人(北方モンゴロイド)的な特徴を獲得して5000-3000年前頃にはここから南下し、中国東北部、朝鮮半島、黄河流域、江南地区そして一部は日本列島へ渡来したと考えられる。これらの考察は、日本人を軸に形態や遺伝子などを調査解析して得られた。湖の周辺には古くからブリヤート人が居住している。彼らは出土した弓の形式などからスキタイとの関係が示唆されていたが、11-12世紀頃にはモンゴル族の影響を強く受け、次第にモンゴル化されていった。バイカル湖のシャーマン岩(オリホン島)の頂には釜と五徳があり、これらはチンギス・カンに縁付くものという逸話も残されている。17世紀中頃、帝政ロシアがバイカル湖周辺へ進出し、1628-1658年頃に周辺を支配下に置いた。最初にバイカル湖に到達したロシア人は1643年のクーバット・イワノフ (Kurbat Ivanov) と言われる。 シベリア鉄道は1904年に完成した。しかしバイカル湖周辺は敷設が難しい箇所が多かったため、開通時には一部の軌道を氷の上に敷いて間に合わせていた。1991年にソ連が崩壊し、また1997年に世界遺産へ登録されてからは、諸外国からも訪問が容易となった。特殊な生物層や景勝、またブリヤートなど多様な諸文化に触れることができるため、観光客も増加した。湖および周辺には天然ガスなど豊富な地下資源があり、またブリヤート共和国の経済成長などを目指す開発が志向されているが、これらが及ぼす環境負荷の懸念も高い。バイカル湖は寒冷で栄養素に乏しいにもかかわらず、世界屈指の生物多様性を持つ場所である。チョウザメ、オームリ(バイカル・オームリ)や、サケ科などの魚類、バイカルアザラシ(淡水のみに生息する種としてはアザラシ科では唯一。サイマー湖、ラドガ湖のワモンアザラシは海水と淡水の両方に生息。)など約355属1334種が生息する。うち1017種は固有種であり、全体の70%、生物量では80-90%が相当する。鳥類も、2種の固有種が存在する。本格的な調査は1980年代後期に始まったばかりであり、未確認の固有種も少なくないと予想される。淡水ヨコエビ類の端脚類が適応放散で多数の種になっていることが知られ、全1000種相当のうち259種が棲み、その中の98%が固有種に当たる。カジカなど魚類は29種がおり、このうち27種が固有種である。ほとんどの種は海から孤立した際に取り残された海生生物が淡水に適応したものであると見られ、安定した気象条件や深部まで溶在酸素があること、湖底の複雑な構造などが生存に寄与し、またそれぞれの深度に適応したヨコエビ類とこれを捕食するカジカが多様な種の分岐を果たしたものと考えられる。このような中、一部のカジカは遊泳性を強めた生態を持つようになり、かえってバイカル湖生態系の頂点に当たるバイカルアザラシに捕食されやすくなったものもいる。バイカルアザラシも海生から淡水に順応したもので、その起源には2つの説がある。一つは1000-1200万年前に南西ヨーロッパから続くパラテチス海盆を辿って棲み付いたものがその後に陸封されて適応したとするもの。もう一つは250-300万年前に地球が温暖化した影響から北極海が北緯61度程度まで海進したと考えられ、その時にアザラシの亜種が分布したという説である。微生物(原生生物)の中にも固有種がおり、ペリディウム、ギムノディニウム、アステリオネラ、タベラリアなどは水質を浄化させる。バクテリア・プランクトンはバイカル湖の透明性に寄与している可能性が指摘されるが、そのメカニズム解明には至っていない。バイカル湖の周辺は針葉樹の森林が広がる。湖底の花粉調査から、1万8千年前頃にはヤナギ属が繁殖し、続いてハンノキ属、カバノキ属の卓越が見られた後、約1万年前頃からマツ属の針葉樹が広がるようになったことが分かる。花の種類も多く、ハマアザミの東限にも当たる。近年では周辺にある製紙工場からの工業排水流入や、森林への殺虫剤散布の影響による水質汚染が顕著化しており、バイカル湖固有種の中には絶滅に瀕しているものもある。特に有機系塩素殺虫剤であるPCBやDDTなどを処分する際、バイカル湖に大量投棄されたということもあった。1987年から翌年にかけ、バイカルアザラシの大量死が発生したが、これは水質低下による免疫力低下を起こしているところに犬由来のジステンパーに近い病気に感染し引き起こされたものと推察された。湖の汚染はやはり深刻な北海やバルト海に相当する。バイカル湖には流出河川がアンガラ川1本しか無く、その排水量は湖水の0.26%に過ぎない。そのため水の交換率が低い上に、近隣諸国から流入する川の汚染や低緯度地域から流れ込む大気がもたらす物質なども汚染の原因に挙げられ、一度水質が低下すると回復が難しい。さらに最近では腫瘍など形態異常を来たしたアザラシの報告などもある。バイカル湖はユーラシア大陸中央部に位置するため、周辺は大陸気候を特徴とする。1月-5月には湖面が凍結し、氷厚70-115cmに達する。冬季には、自動車で走行しオリホン島に渡るために氷の上に交通標識が立てられる。気候は冬に最低-19°Cまで下がり、夏には14°Cまで上昇する。また、バイカル湖周辺は日本や中国など東アジアに影響を与える持続性が高いブロッキング高気圧が発生する3箇所の一つである。年間降水量は400mmであり、これは盛夏から秋にかけて降る雨が大部分を占める。積雪は必ずしも多くない。近年では地球温暖化により水温が上昇しており、氷が張る期間も短くなり、その厚さも薄くなっている。また、周辺地域も含め降水量は増加傾向にある。沿岸ではオームリやチョウザメを対象とした漁業が古くから盛んであり、ソ連崩壊後も地域住民の栄養源また現金収入の手段となっている一方、乱獲の影響も懸念される。湖の周辺ではブリヤート人によるヤギ・ラクダ・牛・羊等の牧畜や農業を見られる。工業では製紙業が発達している。特に豊かな森林資源を利用したパルプ製造は盛んで、バイカルスクは製紙コンビナート建設に伴い造られた町であり、加工処理される木材は年間5000tに達した。1966年創業のバイカルスク紙パルプ工場 (Baykalsk Pulp and Paper Mill, BPPM) は湖畔に工場を構え、漂白用の塩素を含む排水をバイカル湖に排出し、また硫黄化合物系の悪臭が問題視されていた。10年以上の抗議活動の末、利益が出ないとして2008年10月に閉鎖され工場で働いていた数千人の雇用が失われた。しかし2010年1月4日に操業が再開され、同月13日にはウラジミール・プーチン首相(当時)がそれを合法化する法改正を行った。環境活動家からは抗議が巻き起こったが、プーチンは「私自身の目で見て、そして科学者たちの確認も得た結果、バイカル湖の環境は良好で、汚染は全く無い」と声明を出した。2006年にロシア政府は、湖から95km離れた地に世界初の国際ウラニウム濃縮センター建設を発表した。ここで濃縮されたウランの90%はバイカル湖地域に格納されることになり、評論家の中には放射能などによる環境への悪影響が懸念されるとして、計画は再考すべしと主張する者もいる。バイカル湖は観光業も盛んである。リストビャンカを観光の足場に、遊覧船や冬でもホバークラフトで湖上を周遊できる。近郊には博物館タリツィがあり、古民家や少数民族の家屋など歴史的建築を見学できる。バイカル湖南端に位置するスリュジャンカ駅からバイカル湖岸に沿って走るバイカル湖岸鉄道は観光路線としても利用されている。バイカル湖は主に3つの都市からアクセスできる。北アジアの代表的な湖であるバイカルは、いくつかのロシア民謡に歌われてきた。そのうちの2曲はロシアだけでなく、日本などの近隣諸国でもよく知られている。民謡であるが、歌詞を書きとめ整理した意味での「作詞者」がいるので、歌詞は一部のみを以下に書き留めておく。これら2曲はいまでも、「ロシア民謡集」などのCDによく含まれている。バイカル湖では数々の国際的研究や調査が行われている。特徴的な生態系の研究は1988年11月に当時のソ連科学アカデミーが「バイカル湖国際生態学研究センター」(BICER) を開設し、バイカル湖周辺を世界中の研究者に向けて門戸を開くとともに科学発展と環境および生態系保全への取り組みを始めた。これはロシア政府が引き継ぎ、日本やアメリカなど5カ国が参加した設立運営委員会の運営の下、バイカルアザラシの生態や予想外に進行していた環境汚染問題などに取り組んでいる。1997年にバイカル湖底の堆積土からメタンハイドレートが発見された。これは淡水湖としては唯一である。その後の調査で、土中深さ数m程度の浅い部分に分布する「表層型」が多く見つかり、南海トラフのような海底から250m以上深い場所にある「深層型」よりも採取が容易と期待される。バイカル湖の湖底掘削では、一方で過去数万年分のユーラシア大陸で起こった気候の変動を知る土壌サンプルを入手することができる。これらは、ドリルで採取したコアをその層ごとに年代測定し、各層における高分子炭化水素類やバクテリア由来の炭素内に含有する同位体比などを分析して考察される。透明度が高く不純物が少ない水を利用し、バイカル湖ではニュートリノの観測も行われている。1993年に設置された水深500m以上の湖底に沈めた検出器を使い、主に湖表が凍結する冬季に観測が行われる。将来には、高エネルギーニュートリノを観測可能な、沿岸から3.6km離れた深さ1.1kmの地点に192個の光学モジュールを設置する「NT200」計画が予定されている。2008年、ロシア政府は地質学および生物学的調査のために深海探査船ミール2機をバイカル湖の湖底まで潜水させた。水面下1,592mにまで到達した調査は成功したが、元々目指していなかったこともあり淡水湖潜水の世界記録(が1990年にバイカル湖で達成した1,637m)更新とはならなかった。本脚注は、出典・脚注内で提示されている「出典」を示しています。
出典:wikipedia
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