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日光 (列車)

日光(にっこう)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)および東武鉄道が新宿駅 - 東武日光駅間を山手線、東北本線(宇都宮線)、東武日光線経由で運行している特急列車である。本項では、同じくJR東日本と東武鉄道が新宿駅 - 鬼怒川温泉駅間を山手線、東北本線(宇都宮線)、東武日光線、東武鬼怒川線経由で運行する特急「きぬがわ」について記載するとともに、東北本線および日光線経由で東京方面と日光線方面を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)・JR東日本の準急列車や急行列車「日光」などの優等列車の沿革についても記述する。「日光」および「きぬがわ」は、JR東日本および東武鉄道が2006年(平成18年)3月18日から運行を開始し、新宿駅から山手線、宇都宮線、東武日光線、東武鬼怒川線経由で栃木県西部地域(日光例幣使街道沿線)を縦貫し東武日光駅または鬼怒川温泉駅を結ぶ特急列車で、東京方面と栃木県西部地域間の中距離輸送を担っている。日本有数の国際観光都市である栃木県日光市を訪れる観光客を対象とする一方、早朝に日光方面を出発する列車、および夕方日光方面に戻る列車も設定されており、栃木県内沿線住民の東京方面への足としても機能している。運行開始以来、JR東日本大宮支社小山車両センター所属の485系(普通車のみの6両編成、G55+G58編成)と東武鉄道南栗橋車両管区春日部支所所属の100系電車「スペーシア」(4人個室車1両を含む6両編成)により運行されてきたが、2011年(平成23年)6月4日にJR東日本大宮支社大宮総合車両センター所属の253系電車1000番台(普通車のみ6両編成、OM-N01およびOM-N02編成)が投入され485系の定期運用を受け継いだ。従前はJR東日本の485系がG55+G58編成1本のみであったため、G55+G58編成が定期検査で運用離脱する際の定期列車と臨時列車は、東武鉄道の100系電車「スペーシア」およびJR東日本の189系電車「彩野」(普通車のみの6両編成、OM201編成)が充当されてきた。今後は、JR東日本も253系1000番台の2編成体制となったことから、これらの運用にも定期列車と全く同じ編成を充当することが可能となった。運行開始後、多客期には横浜駅・品川駅などを発着する臨時列車も設定されているが、この東海道本線沿線と日光方面間では、かつて1960年代に国鉄が「湘南日光」(伊東線伊東駅 - 日光線日光駅間)や「特別日光」(東海道本線横浜駅 - 日光線日光駅)をいずれも品川駅、東京駅、上野駅、宇都宮駅経由で運行したことがあり、1964年東京オリンピックの需要により人気を博した実績がある。JR移行後も平塚駅や藤沢駅を始発・終着とし新宿駅(または武蔵野線)、宇都宮線、宇都宮駅、日光線経由で日光駅まで結ぶ臨時列車が運行されてきたほか、東海道本線や横須賀線、南武線の神奈川県内各駅と日光駅を結ぶ修学旅行列車がシーズン毎日運転されている。「日光」「にっこう」の名称については、かつて以下の列車がこの名称を冠して運転されていた。運行経路は異なるが、ともに東京方面と日光方面を結ぶ列車である点では共通している。「日光」「きぬがわ」ともに、目的地の地理名に由来している。なお両列車ともに、東武鉄道が保有する100系電車「スペーシア」で運行される列車については、列車名に「スペーシア」が冠されている。2006年3月18日の運行開始以来、定期列車の運転本数は以下のとおりとなっている。これらの定期列車のほか、多客期には大船駅・八王子駅・千葉駅・品川駅・新宿駅 - 東武日光駅間、新宿駅 - 鬼怒川温泉駅間に臨時の「日光」(「スペーシア日光」)号や「きぬがわ」(「スペーシアきぬがわ」)号、「はちおうじ日光」号が運行されている。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)および東京電力・福島第一原子力発電所での事故による電力事情悪化の影響により、「日光」「きぬがわ」「スペーシアきぬがわ」の全定期列車が同年4月28日まで運休したほか、臨時列車も同年7月15日運行分までが全列車運休となった。定期列車は4月29日より運行再開され、臨時列車については同年7月16日より253系1000番台で運行される「日光」23・24号(新宿駅 - 東武日光駅間、7月の海の日3連休と8月以降の土曜休日に運行)をもって運行が再開された。新宿駅 - 池袋駅 - 浦和駅 - 大宮駅 - 栃木駅 - 新鹿沼駅 - 下今市駅 - 東武日光駅・鬼怒川温泉駅JR東日本の車両は、大宮総合車両センターに所属する、かつて特急「成田エクスプレス」で運用されていた253系のうち、サッカーワールドカップ開催に伴い増備された200番台6両編成2本(12両)の走行機器や内装を改造した253系1000番台(OM-N01編成およびOM-N02編成、各6両編成)が使用されている。東武の車両は、2006年の運転開始以来、南栗橋車両管区春日部支所に所属する100系「スペーシア」が使用されている。当初JR東日本は定期運用編成として485系を1本のみ配置していたため、485系の車両検査時などはJR東日本189系「彩野」よりむしろ東武100系「スペーシア」で運行されることが多かった。計画検査に伴う代走日は時刻表に明記され、「スペーシア」で運行される列車には列車名に「スペーシア」が冠された。後継車である253系1000番台(6両)は2編成が配置されている。「スペーシア」の新宿寄り先頭車(6号車)は4人個室座席のみとなっており、この車両はグリーン車扱いとなっている。JR編成は全車普通車でグリーン車の連結はない。全席座席指定席である。特急券は通年同額で、JR線内での通常期、繁忙期、閑散期による料金変動や、東武線の各種特急割引料金は設定されていない。東武100系「スペーシア」の個室(グリーン4人用個室扱い)を利用する場合は、JR線および東武線各線内ごとに定められるグリーン個室料金(それぞれ3,090円、両社に跨って利用する場合は6,180円)のほか、実際に個室を利用する人数分の特急料金(JR線の駅を発着駅とする場合、乗車区間の特急料金から大人520円、小児260円を引いた金額)が必要となる。JR・東武直通特急の特急券・グリーン券は、JR東日本の主な駅のみどりの窓口または東武鉄道の主な駅のほか、JTBや東武トップツアーズなどの主な旅行会社(日本旅行・近畿日本ツーリスト・・名鉄観光・京王観光・西鉄旅行・農協観光など)で発売されている。なお、東武鉄道の自動券売機では購入できない。JR東日本のえきねっとでも、個室を除きJR・東武直通特急の予約・購入が可能である。えきねっとで予約購入した際の特急券受け取り箇所は、JR東日本の駅の指定席券売機、みどりの窓口、びゅうプラザとなっており、東武線内各駅はこれに含まれていない。東武鉄道は特急券の電話予約およびインターネット予約を行っているが、いずれもJR・東武直通特急については取り扱っていない。同じく携帯電話の「チケットレスサービス」においても、JR・東武直通特急は不可となっている。JR・東武直通特急が発着するJR線および東武線は、すべて首都圏における交通系ICカード乗車券のSuica・PASMO(及び相互利用が可能なICカード乗車券)の利用可能駅であるが、当列車はICカード乗車券での乗車が認められておらず、乗車区間の乗車券を購入する必要がある。東武線内、JR線内ともに、定期券による乗車は認められていない。多客期には189系「彩野」や東武100系スペーシアを用いて横浜駅・新宿駅 - 東武日光駅・鬼怒川温泉駅間で臨時特急「(スペーシア)日光」「(スペーシア)きぬがわ」が運行されてきた。2009年夏には、特急「はちおうじ日光」が中央本線八王子駅 - 東武日光駅間で初めて運転され、以後、多客期週末を中心に同列車が設定されている。2011年秋には千葉駅・品川駅・大船駅を発着とする臨時列車が運転された。253系は千葉駅・品川駅・大船駅まで乗り入れ、東武100系は品川駅まで乗り入れた。東武日光線は、開業時から現在のJR東日本東北本線(宇都宮線)(あるいは東北新幹線)・日光線と並走しており、戦前から昭和40年代は国鉄東北本線経由で国鉄日光線に直通する複数の優等列車が設定されたが、東北新幹線の開業に伴い東京方面と日光方面を直通する国鉄の優等列車は消滅し、東京と日光方面間の鉄道移動については、東武浅草駅と東武日光駅・鬼怒川温泉駅・鬼怒川公園駅を発着する特急または快速列車のみとなった。その後、観光シーズンを中心に臨時特急などがJR東北本線(宇都宮線)- JR日光線で運行されたこともあったが、JRで日光に入る利用者は宇都宮駅でJR東北新幹線(あるいは東北本線)とJR日光線を乗り継いで利用する場合が多く、とくに外国人観光客が国際観光都市の日光を訪問する場合は、ジャパンレールパスが利用可能かつ広く周知されている後者がメインルートとなっていた。さらに、1970年代以降は高速道路網の整備が進み、1972年の東北自動車道岩槻IC - 宇都宮ICの開通を皮切りとして、1976年に日光宇都宮道路、1980年に東北自動車道浦和IC - 岩槻IC間と立て続けに開通した。そして1987年に東北自動車道川口JCT - 浦和ICが開通して首都高速道路川口線と直結して首都圏の各地と高速道路で直接結ばれるようになると、家族連れの行楽客を中心に鉄道利用から自家用車・観光バス利用への転移も顕著に現れるようになった。こうした中、相互直通特急の導入は、JR東日本と東武鉄道に次のようなメリットがあったといわれている。一部報道ではバブル崩壊後に団体客が中心であった鬼怒川温泉の観光産業自体が以前に比べて衰退しているとされ、縮小していくパイを奪い合うよりは両者が協調して需要を再開拓する方が望ましいと判断したのではないか、とも言われている。東武ではこの構想以前、同じ会社ながら日光方面への利用が少なかった東上線の客を取り込む目的で1967年9月に池袋駅 - 東武日光駅間を同線・秩父鉄道線・伊勢崎線・日光線経由で直通する団体列車が6000系で運行されたことがある。さらに1979年には日光線開通50周年記念展を東武百貨店池袋店で開催するなど以前から同店や東上線の車内広告でキャンペーンを行っていたこともある。また、かつて大宮市(現在のさいたま市大宮区)より「大宮駅から野田線を経由して日光・鬼怒川への直通特急の新設を」という要望書が出され続けたことがあり、1990年8月28日と29日に1720系「DRC」を使用して大宮駅 - 東武日光駅間に「市制施行50周年記念大宮市民号」という団体列車を運行した。その際はかつて1969年9月 - 1972年11月に同じような試みで季節急行列車の「きりふり」「りゅうおう」が5700系で設定されたが利用状況が芳しくなく廃止されたことから、直通特急の設定は利用が見込めないとして続かなかったが、この直通運転列車はその変形的な再現とも言える。さいたま市ではその後も野田線経由の直通列車再開の要望を申し入れていたが、JR直通特急の新設が発表されると「事実上の再開」として要望を取り下げるに至った。東武では駅や車内での広告の掲出、パンフレットの配布およびテレビコマーシャルを流して利用客の誘致に努めている。JR東日本側もコマーシャルを流していた時期があったが、現在は駅や車内での広告の掲出とパンフレットの配布を行っている。東北新幹線の開業に伴い急行「日光」が廃止されて以降、日光線には定期優等列車が設定されていないが、国鉄時代には準急列車・急行列車などが東武特急・急行などと同様に設定されており、昭和30年代・40年代には特急並みの設備を持った列車も設定され、湘南・東京方面や新宿方面から日光方面の旅客利便性に貢献していた。国有鉄道の日光線は、1890年(明治23年)8月に半官半民ではあるが日本初の私鉄である日本鉄道によって開通した。その後、1906年(明治39年)3月公布の「鉄道国有法」に基づき同年11月に日本鉄道の国有化によって国有鉄道の一路線となった。大正までは日本各地から日光へ行く最速でほとんど唯一の交通路であったことから独占的な活況を収めていたが、1929年(昭和4年)10月に東武日光線が全線電化で開通すると大きな脅威となった。そのため、当時の国有鉄道の経営母体だった鉄道省(通称:省線)は、東武に対抗すべく、1930年(昭和5年)から準急という料金不要だが急行と同じ速度か、またはそれより速い列車を東北本線・日光線の上野駅 - 日光駅間に設定した。同年10月の時刻表によると、上野駅 - 日光駅間直通の普通列車が3時間40分を要していたのに対し、準急は同区間を2時間30分で結んでおり、当時の東武の電車特急が浅草雷門(のちの浅草駅) - 東武日光駅間(約135km)を2時間24分で結んでおり、省線の非電化客車列車が宇都宮駅での折り返しが必要な上野駅 - 日光駅間(約145km)をほぼ同等の所要時間で結んでいたのは善戦していたと言える。太平洋戦争の戦況も悪化した1943年2月には準急列車が全廃され、上野駅 - 日光駅間の直通列車も消滅していた。戦後は、石炭などの動力、そして線路や車両といった整備の状況は戦時中以上に悪化し、1947年には省線から一時急行列車が消滅するといった日本の鉄道史上最悪の事態を迎えた。1949年に国有鉄道は公共法人である日本国有鉄道(国鉄)に移管されるが、このあたりからようやく「観光旅行」などを楽しむ余裕が国民や鉄道の方にも出て来たのか、各地で「観光列車」といえるような列車が設定されるようになり、日光行列車への復活の期待も次第に高まった。(五十音順)

出典:wikipedia

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