LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

南海高野線

高野線(こうやせん)は、大阪府大阪市浪速区の汐見橋駅から和歌山県伊都郡高野町の極楽橋駅までを結ぶ南海電気鉄道の鉄道路線である。一般的には、帝塚山駅以南発着の列車がすべて乗り入れる南海本線難波駅から極楽橋駅までの運行系統を指す(運行形態を参照)。汐見橋駅 - 岸里玉出駅間には汐見橋線(しおみばしせん)という通称がある。路線シンボルマークは、高野杉の林をイメージしたもの()で、ラインカラーは緑。橋本駅 - 鋼索線高野山駅間にはこうや花鉄道という名称を付けて、観光列車「天空」を運行するなど様々な取り組みが行われている。日本有数の宗教都市・霊場である高野山への参詣輸送路線であり、終点の極楽橋駅からは鋼索線に連絡している。加えて、大阪府南河内地域・和歌山県伊都地域から大阪市内への通勤・通学路線でもある。かつては南海本線に対して支線的な存在だったが、宅地開発による沿線人口の急増、さらには泉北高速鉄道との相互直通運転により、現在は南海の中心路線となっている。全線でPiTaPaおよびICOCAなどPiTaPaと相互利用可能なIC乗車カードが利用できる。ただし、乗車回数に応じて割引が適用されるサービスはPiTaPaのみが対象となる。1995年から2008年まで難波駅 - 橋本駅間には「りんかんサンライン」の愛称が付けられていた。「りんかん」は、澄んだ空気と豊かな自然とが調和するさわやかな街並みのイメージ、「サンライン」は太陽 (Sun) の明るさと暖かさ、さんさんと降り注ぐ陽光の輝きを意味している。1994年12月14日、当時の社長川勝泰司が「田舎臭いイメージを変えたい」と発言したのがきっかけで岸里玉出駅 - 橋本駅間の名称を社内公募で選定し、1995年9月1日のダイヤ改正時から使用したいと発表。社長案として「南海山の手線」を提唱した。高級感のある名称で当時沿線開発をしていた美加の台などの高野線沿線の住宅販売に好影響が出るはずとコメントしたが、南海沿線の住民からは好意的な意見は少なかった。また、高野山を総本山とする真言宗からの反発も強く、難波駅 - 橋本駅間を「りんかんサンライン」、橋本駅 - 極楽橋駅間を「高野線」とイラストの路線図では区別していたが、沿線住民の間では“高野線”の名称で定着しており、“りんかんサンライン”と呼ぶ人は皆無に等しかった。難波駅 - 橋本駅間については真言宗への配慮から「高野線りんかんサンライン」両名併記とした案内も一部で見られた。車内放送では、南海本線側からの乗換案内などで「高野線りんかんサンラインはお乗り換えです」と案内されていた。なお「山手線」の名称は、南海電気鉄道の前身である南海鉄道が1940年に統合した阪和電気鉄道の路線、すなわち後に西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線となる路線の呼称として、戦時買収によって同線が国有化される1944年まで用いていたことがあった。2008年の高野線ダイヤ変更より案内上でもほとんど「りんかんサンライン」の愛称が使われなくなり、2009年3月20日の阪神なんば線の開業とともに、車内路線図から「りんかんサンライン」の表示が消去され、乗換案内の車内放送からも「りんかんサンライン」は使われなくなった。また公式ホームページからも「りんかんサンライン」は削除されている。愛称使用終了前に印刷された駅配布の時刻表などもそのまま配布されていたが、2013年10月に行われたダイヤ改正に発行された時刻表および駅掲出の時刻表には記載されていない。しかし2015年2月現在でも、新今宮駅の改札内行先案内表示器には、1番線(高野線極楽橋方面)の表示器に「りんかんサンライン」が撤去されないままで残っているほか、美加の台駅の新しい駅掲出の時刻表に記載があるなど、必ずしも削除が徹底されているわけではない。難波駅 - 橋本駅間は沿線に住宅地が多く、20m級の4扉大型車両を運行し通勤客を捌いている。大阪市内の住吉東駅 - 我孫子前駅間を中心に大きな幹線道路と平面交差になるところもあり、『開かずの踏切』が点在する。沿線住民から高架化工事の要望もあるが、地形的な問題や線路と隣接して住宅などがあるため具体的な構想にまでは至っていない(なお堺市広報によると、浅香山駅および堺東駅の両駅周辺で高架化に着手する動きが出ている)。またカーブが多いため難波駅 - 堺東駅間は南海本線の難波駅 - 堺駅間よりも所要時間が幾分長い。また堺東駅 - 住吉東駅間は先行の各駅停車の後続を運転し、ラッシュ時を中心にのろのろ運転となっている。しかし日中の優等列車の運行頻度は南海本線の毎時8本(有料特急2本、一部座席指定特急2本を含む)に対し、高野線は毎時9 - 10本(うち有料特急は0 - 1本)であり(2015年12月時点)、高野線の方がわずかながら高い。堺東駅から千代田駅にかけては国道310号、河内長野駅から橋本駅にかけては国道371号、紀伊清水駅から紀伊細川駅手前付近までは国道370号がほぼ同じ経路を併走している。難波駅 - 岸里玉出駅間は、路線名称上は南海本線である。線路別複々線のうち、東側の複線は高野線列車専用となっており、高野線の帝塚山駅方面の全列車が岸里玉出駅から難波駅まで乗り入れる。運行系統上、難波駅から記することとする。9面8線の構造をもつ始発の難波駅を出てすぐ右にカーブし、右手になんばパークス(旧大阪球場跡地)、ヤマダ電機なんばLABI、左手に今宮戎神社を見ながら、阪神高速1号環状線を潜って、高野線の各駅停車のみが停車する今宮戎駅を通り、国道25号を乗り越え、左手に通天閣が見えると程なくJRとの接続駅である新今宮駅に着く。この駅の下を通るJRの大阪環状線・関西本線(いずれも高架線)を高々架で跨ぎ、左右に釜ヶ崎あるいはあいりん地区と称されるドヤ街を、また左手遠方には高さ日本一のビル・あべのハルカスなどの高層ビル群を見ながらやはり高野線の各駅停車のみが停車する萩ノ茶屋駅を過ぎると天下茶屋駅。かつてはこの駅から天王寺支線が分岐していたが、現在は大阪市営地下鉄堺筋線の一部区間が代わってその役割を担っている。1980年までは南海の車両工場もあったが、同年高野線千代田に移転し、跡地には大阪フィルハーモニー交響楽団の練習場やスーパーマーケットが建っている。なお泉北高速線直通の特急「泉北ライナー」は当駅以南は高野線内の停車駅がなく、直通先の泉北線泉ケ丘駅まで停車しない。天下茶屋を出て程なく左にカーブして南海本線系統の線路と別れ、「汐見橋線」との接続駅である岸里玉出駅を過ぎ、同時に阪堺線を超えると上町台地にさしかかり、線路は掘割の中を右カーブしながら南進を始める。掘割を抜けて上町台地に上ると帝塚山学院帝塚山学舎の最寄り駅でホーム幅の狭い帝塚山駅、すぐに阪堺上町線を潜り待避線ホームのある住吉東駅を過ぎると大和川を渡るまでカーブや開かずの踏切が連続する。大阪内環状線(国道479号)の踏切を過ぎて沢ノ町駅、続いてあべの筋(府道大阪和泉泉南線)と斜めに平面交差して我孫子前駅を過ぎると、大和川を渡って堺市に入る。関西大学堺学舎、ツツジの見所である浅香山浄水場の最寄り駅の浅香山駅を過ぎて、府道堺大和高田線の高架をくぐると、堺市役所などの所在地で堺市の中心駅である堺東駅に着く。かつては堺東検車区などがあり運行の拠点だったが、現在は検車区は小原田検車区および同検車区千代田支区に移行し、跡地には高層マンションが建っている。準急行はこの駅からは各駅に停車する。また泉北線直通の区間急行は直通先の泉北線深井駅まで停車しない。堺東駅を過ぎると大きく左カーブをして南東に進路を変え、掘割区間に入って府道大阪中央環状線をくぐると、右側には仁徳天皇陵が垣間見える。すぐ下の掘割を通って交差するJR阪和線との接続駅の三国ヶ丘駅、百舌鳥八幡駅を過ぎると、大阪府立大学中百舌鳥キャンパスの最寄り駅で大阪市営地下鉄御堂筋線、泉北高速線との接続駅である中百舌鳥駅に着く。中百舌鳥駅は区間急行以上の優等列車は通過するものの堺市北東部の中心駅であるために乗降者数はかなり多い。またこの駅から一部の列車は泉北高速線に直通運転を行っている。中百舌鳥を出ると泉北高速線は上下線に挟まれた地下トンネルに入っていき、一方の高野線は線路容量に若干余裕が出ることや、線形がやや良くなることもあって、日中時間帯を中心に優等列車はこの付近から少し速度を上げて運転することが多い。線路は住宅地の間を通りながら、程なく待避設備のある白鷺駅、続いて2面2線の初芝駅に至る。緩やかに右にカーブしながら萩原天神駅を過ぎて阪和自動車道・府道泉大津美原線バイパスをくぐると一旦周囲には田園風景が見えるようになるが、すぐに近代的な住宅街や商業地などが整備された堺市東区の中心駅・北野田駅に着く。区間急行はこの駅より各駅に停車する。北野田駅を出ると線路は西除川を渡りながら緩やかに左にカーブをしてすぐに大阪狭山市に入り、狭山駅を過ぎると、車窓右側には住宅街の向こうに日本最古の灌漑用溜池である広大な狭山池の堤防が、左手遠方にはパーフェクト リバティー教団(PL教団)の大平和祈念塔(PL塔)がそれぞれ見えるようになる。右にカーブをすると、かつて南海が経営していた遊園地「さやま遊園」(2000年閉園)の最寄り駅であった大阪狭山市駅に至る。周辺には大規模なニュータウンが見え始め、府道森屋狭山線の跨線橋をくぐると、全列車停車駅である2面4線の金剛駅に着く。これら大阪狭山市内の駅は毎年8月1日の教祖祭PL花火芸術の日には、周辺に眺望を妨げるものが少ないために多数の観客が訪れ激しく混雑するが、それ以外の日でも、大規模なニュータウンを周囲にもつ金剛駅は南海電鉄全体での乗降客数の上位に入る駅となっている。金剛駅を出ると次第に起伏の多い地形が目立ち始め、富田林市に入って滝谷駅を過ぎるが、すぐに線路は河内長野市に入り、千代田駅を過ぎると、車両工場を併設する小原田検車区千代田検車支区が広がる。この千代田検車支区、高野線、さらには国道310号を大きく越える高架橋が国道170号(大阪外環状線)であり、このガードをくぐると住宅街の広がる丘陵を開削した区間となる。左後方から単線の近鉄長野線が近づいてきて並走し、国道170号の旧道と国道310号の重複区間となっている道路(東高野街道)を越えると、駅ビルのノバティながのを携える全列車停車駅の河内長野駅に着く。同駅は南海が2面4線、近鉄が頭端式1面1線の駅構造となっており、利用者数・利便性ともに南海の方が優位に立っている。またこの駅より急行は各駅に停車するため、各駅停車の多くはこの駅で折り返す。河内長野駅を過ぎると車窓の雰囲気は一変して新興住宅地が広がる山並みの裾を河岸段丘に沿って走る区間となり、石川やその支流の天見川が線路沿いを蛇行するように流れる。左右にカーブをするとすぐにフォレスト三日市と直結する三日市町駅に達するが、これより先は急勾配区間となり、南海本線所属列車など一部の列車は、ブレーキ性能等の関係でこの駅より先には入線できない。この駅を出て引き上げ線を上下線の間に挟みながら大きく左へカーブすると高架区間となり、新興住宅街・南海美加の台の最寄り駅で、高野線で最も新しい美加の台駅に達する。ここから先は山々がせり出し農村地帯を通る区間となり、かつて単線であった頃は山の谷間を縫うように線路が通っていたが、複線化工事の完成後は美加の台駅 - 千早口駅 - 天見駅の駅間に1本ずつトンネルが貫通している。また三日市町 - 美加の台間から並走してきた国道371号の石仏バイパスは、千早口付近(車窓左側から見上げることができる)で供用区間が途切れて、旧道とを結ぶ取付道路と交差する。天見を出た線路はなおも大小3か所のトンネルを通過した後、いよいよ紀見峠を貫く紀見トンネルに入っていく。トンネル内に大阪府と和歌山県の府県境があり、同県橋本市に入る。この峠からは橋本駅手前まで約7キロにわたり急な下り勾配が続くようになる。トンネルを出るとすぐ紀見峠駅、続く大きな右カーブを通過する頃から周辺は車窓左側を中心に徐々に開けてくる。このカーブを抜けると、南海が開発したニュータウン「南海橋本林間田園都市」の最寄り駅であり、2面3線の構造をもつ林間田園都市駅に着く。区間急行は最長でもこの駅までの運転となり、また快速急行はこの駅より各駅に停車する。続いてニュータウン内のメインストリートであるバイパス道路のガードをくぐってさらに勾配を下ると御幸辻駅に達する。やがて車窓の右側に小原田検車区の本区が見え、左後方からは国道371号の高架橋が立体交差し、さらに京奈和自動車道バイパスの高架橋をくぐり、住宅地の真下の短いトンネルをくぐると、線路は大きく左にカーブをして下り勾配が終了し、右後方から近づいてくるJR和歌山線と並走を始めたところで、同線との乗り換え駅であり、橋本市の中心駅でもある橋本駅に到達する。20m級4扉車や特急「りんかん」専用車両である11000系は、車両限界の関係でこの駅までの運転となる。橋本駅 - 極楽橋駅間は山岳路線であり、特に高野下駅以南は50‰の勾配や、制限速度33km/h、半径100m以下の急カーブが続く登山鉄道となっているため、この区間に乗り入れる列車にはズームカーと呼ばれる17m級の中型車両が専用車両として使用されている。山岳区間、とりわけ高野下駅 - 極楽橋駅間においては完全に線路が山の中に入るために、途中にある駅へは幹線道路からすれ違いの困難な狭い道路や林道があり、車で辿り着くのは容易でない。各駅の周辺の山間部は民家が少なく利用客もきわめて少ないが、すべての駅に簡易型の自動改札が完備され、駅員も夜間には無人になるが橋本駅と、上古沢駅から極楽橋駅のすべての駅に配置されている。上古沢駅と下古沢駅の間には、鉄道橋としては日本で10箇所だけで供用されているトレッスル橋(全長67.6m、高さ33.4m)の中古沢橋梁があり、南海電鉄が2010年2月25日にみずから設置した観光用の展望デッキと電車の通過時刻を記した時刻表を備え、トレッスル橋を下から見上げられる。展望デッキまでは上古沢駅・下古沢駅から徒歩20分の道のりである。九度山駅 - 極楽橋駅間には、もっとも長い「椎出トンネル」(九度山駅 - 高野下駅間、399m)をはじめ、大小24箇所のトンネルがあり、このうち高野下駅 - 極楽橋駅間の23箇所には坑口に番号が振られている。橋本駅を出ると線路は単線となり、すぐ緩やかに左カーブをして和歌山線は見えなくなるが、やがて大きく右にカーブをして南進を始め、同線および国道24号のガードをくぐると線路は紀の川を渡る。ここからしばらくは車窓左側には田園地帯の奥に山々が、右側には住宅地と田園地帯の錯雑が見られるようになる。続いてさらに大きく右カーブをして南西方向にしばらく進み、国道371号と平面交差すると紀伊清水駅。この付近から右側に国道370号が並走を始める。車窓左側に学文路天満宮、かむろ大師奥之院が見えると学文路駅。この駅の入場券は、毎年受験シーズンが近づくと、学文路天満宮の祈祷を受けた5枚セットが縁起物として販売される。線路はなおも西進して九度山町に入り、右側に丹生川が近づくと九度山駅である。この駅の近くには戦国武将の真田信繁(幸村)が潜伏していた真田庵があり、九度山駅の駅舎も2015年にそれにちなんだデザインにリニューアルされた。やがて左に大きくカーブをして南進を始める頃から、車窓左側は終点までほぼ完全に山に覆われてしまう。丹生川橋梁で国道370号と美しい渓流の景観が見える丹生川を渡り、椎出トンネルを抜けるとすぐ高野下駅に着く。この駅から先は各駅停車の本数がさらに半減する。ここから先は急カーブやトンネルの連続区間となり、車窓右側もいくつかの集落が見えるほかは山々に覆われた光景となる。下古沢駅は現在は行き違い設備が撤去され、右側にのみホームをもつ棒線駅となっているが、使われなくなった反対側のホームや構内踏切は残されており、花壇が設置されている。やがて中古沢橋梁に差し掛かるあたりからは周辺の集落もほぼ見えなくなり、さながら秘境の様相を呈してくる。続く上古沢駅を出て4か所のトンネルを通過し、笠木橋梁を渡って1本目のトンネルを抜けた付近で高野町に入り、さらにトンネルを1か所通過すると紀伊細川駅、続く7本のトンネルを経て紀伊神谷駅に至る。最終の4か所のトンネルを抜けて、右側に朱塗りの極楽橋が見えると、鋼索線(高野山ケーブル)との接続駅である終点の極楽橋駅に到着する。ケーブルカーのりばは列車を降りて車止め方向に歩いて突き当たった右側にあり、およそ5分で高野山駅とを結んでいる。汐見橋 - 岸里玉出間も後述する通りあくまで正式には高野線の一部であるが、1985年の線路分断後は事実上孤立した支線となっており、最大でも1時間に2本の各駅停車が往復するだけの、いわば下町のローカル線の様相を呈している。以下、汐見橋から岸里玉出に向かって記述する。駅舎にかつてのターミナル駅であった頃の面影を残す、頭端式1面2線の汐見橋駅を出発すると、しばらくは車窓左側に高架の阪神高速15号堺線および新なにわ筋(府道大阪臨海線)が並走する。JR大阪環状線の高架をくぐる地点で同時に新なにわ筋が左前方に別れて芦原町駅に着く。同駅下りホームの裏にあるランプウェイは阪神高速の芦原出口である。緩やかに右カーブをすると阪神高速も一旦左に別れ、かつての貨物取扱駅の面影を偲ばせる木津川駅に達する。阪神高速17号西大阪線および国道43号の高架をくぐり、大きく左にカーブをして、右側に西成高校や西成公園が見えると津守駅に至る。津守を出てすぐ新なにわ筋と阪神高速15号堺線の高架をくぐるが、新なにわ筋の高架橋(鶴見橋跨線橋)は1968年に廃線となった大阪市電阪堺線の路盤をそのまま道路に転用したものであり、廃線から半世紀近くたった後も架線柱の切断痕などが見られる。線路は下町の住宅地を直線状に進んで西天下茶屋駅、そのまま高架を上がって国道26号をオーバークロスすると線路は単線となって、左後方から右前方に向かって南海本線が、前方の延長線上から高野線の帝塚山以南に通じる路線がそれぞれ近づき、汐見橋線は南海本線に沿う形で右にカーブをすると岸里玉出駅に到着する。高野線の起点は汐見橋駅だが、現在は高野山方面へ行くすべての列車が難波駅から発着し岸里玉出駅から高野線に入る。汐見橋駅 - 岸里玉出駅間の通称汐見橋線は、この区間を往復する各駅停車だけが運行されている。難波駅 - 極楽橋駅間に特急「こうや」、難波駅 - 橋本駅間に特急「りんかん」が運行されている。特急のほか、快速急行、急行、区間急行、準急、各駅停車が運行されている。橋本駅 - 極楽橋駅間では観光列車「天空」が運行されている。また、泉北ニュータウンの足として泉北高速鉄道と相互直通運転を行っており、特急「泉北ライナー」などの直通列車がある。難波駅から高野山方面へ直通する列車をかつては「大運転」と称したが、特急「こうや」や日中運行される快速急行など一部の列車をのぞき大運転自体が減少したこともあって、近年はあまり用いられていない。大運転の高野山方面列車の行先案内は、高野線の実際の終着駅である極楽橋ではなく、鋼索線を経た「高野山」と表示されていた。また、方向幕を持たない21000系などの場合は、「急」という方向板を掲げるだけで行き先は表示されていなかった。表示方法の見直しが進んだ現在では、「高野山」(ただし英語表記は「KŌYASAN」のみ)と表示されるようになっている。方向幕は南海本線と異なり、1000系や2000系をのぞく従来型通勤車はCI導入後も白地の英文なし幕を使用し続けていたが、2000年11月ごろから南海本線と同じタイプの黒地の英文入り幕に交換され始めた。これは同年12月23日のダイヤ改正で難波駅 - 三日市町駅間系統の急行を新設することになったものの、従来からの方向幕には「急|三日市町」の表示が入っていなかったためである。特急は南海本線の「サザン」とは異なり全車両座席指定であり、通常ダイヤにおいて通勤型車両を用いる全車両自由席の特急や「サザン」のような一部座席指定列車は存在しない。以下に特急以外の種別の運行概況を示す。特急「こうや」「りんかん」および「泉北ライナー」については当該項目を参照のこと。また各種別の現行の停車駅は下図および「駅一覧」を参照。日中の大部分と下りのみ平日夕方ラッシュ時に難波駅 - 橋本駅間、日中の一部列車は難波駅 - 極楽橋駅間で運行されている。停車駅は千早口駅・天見駅・紀見峠駅を通過するほかは急行と同じである。河内長野駅 - 橋本駅間の各駅のうち特に利用客数が少ない前述の3駅を通過することで遠距離のスピードアップを狙うべく2003年5月31日に登場した。難波駅 - 極楽橋駅間の直通列車は橋本駅で増解結作業を行う。上下列車とも行き先駅まで原則先着する。難波駅 - 橋本駅間の列車は下りの一部をのぞき、橋本駅で高野山方面発着列車と接続する。2013年10月25日まで日中に難波駅 - 極楽橋駅間で、平日夕方ラッシュ時に下りのみ難波発橋本行きで運行されていた。当時の最速列車は難波駅10時02分発の列車で、難波駅 - 極楽橋駅間を1時間28分で駆け抜けており、この区間では特別料金不要列車にして1時間30分を切っている。これは最も所要時間がかかる特急「こうや」(平日の2号・休日の6号)と同じ所要時間である。しかし、快速急行の最速列車の表定速度も高野下駅 - 極楽橋駅間が山岳地帯で最高速度が33km/hまでしか出せないため、全区間での表定速度は43.4km/hと遅く、平坦区間にあたる難波駅 - 橋本駅間も線形の悪い箇所が多いため、表定速度は60km/h前後に留まる。平日夕方の難波発橋本行きの列車は2008年11月1日にJR和歌山線との接続を考慮して下り急行2本(現在は1本のみ)を格上げして設定されたもので、すべて4扉大型車両8両編成で運行される。2013年10月26日のダイヤ変更で難波駅 - 極楽橋駅間の列車は大幅に削減され、特に土曜・休日ダイヤで下りはすべて橋本止まりとなった。案内放送では「快速急行」であるが、時刻表や方向幕での表記は「快急」、英語表記は“Rapid Express”である。また2008年10月31日まで、平日ダイヤに橋本駅 - 極楽橋駅間でワンマン運転を行う難波発極楽橋行き快速急行もあり、その車両側の種別幕は「快急」と「ワンマン」の二段表記となっていた。なお、この快速急行の前部の極楽橋行き車両は2300系2両で運行されていたが、ダイヤ変更後最初の平日ダイヤ実施日となる11月4日からは、再び2000系4両に戻され、併せて難波から橋本を跨いで運行する料金不要列車はすべて2000系に再び統一された。ただし、夏季などには2300系も4両以上で難波直通列車に入ることがある。初代の快速急行は1958年に登場したが1968年には一度急行に統合されて消滅しており、35年ぶりに復活したことになる。その当時の停車駅は新今宮駅(1966年から)・堺東駅・北野田駅と河内長野以南の各駅だった。なお初代快速急行は日本で初めての「快速急行」と名乗る種別であった。難波駅 - 三日市町駅・林間田園都市駅・橋本駅・極楽橋駅間で運行されている。2005年10月16日の改正で極楽橋方面への列車は系統分割が行なわれ基本的に橋本駅折り返しとなった。難波駅 - 林間田園都市駅・橋本駅間の列車が中心で極楽橋駅発着は一部のみである。橋本駅で橋本駅 - 高野下駅・極楽橋駅間に運行されるワンマン運転の各駅停車やJR和歌山線に接続している。なお難波駅 - 極楽橋駅間の直通列車は早朝時間帯を除いて快速急行同様に橋本駅で増解結作業を行う。前節の快速急行と同様に上下列車とも行き先駅まで原則先着するが、時間帯によっては河内長野駅で特急に追い抜かれる列車もある。2000年のダイヤ改正までは橋本駅で特急に追い抜かれる列車もあった。平日に残されていた難波発の高野下行きは2015年のダイヤ改正で廃止された。2000年12月23日のダイヤ改正前の急行はズームカーで運行される難波駅 - 極楽橋駅間直通の列車が中心で難波駅の発車時刻が原則として0分・30分だった。それゆえ特に深夜の下り急行に関しては激しい混雑が常態化していた。現行のダイヤでは大半が大型車両に置き換えられたが、ズームカーの運用はまだ残っていて、早朝には難波駅 - 橋本駅・極楽橋駅間の急行において4両編成で運行される列車が残っている。また日中以降でも難波駅 - 河内長野・橋本方面の系統の優等列車(急行・区間急行)を中心に6・8両で運用されている。朝ラッシュ時、橋本駅・林間田園都市駅を始発駅とするズームカーを除く8両編成で運転する上り列車は、橋本駅 - 天下茶屋駅間で、難波寄りから4両目が女性専用車両としている。英語表記は“Express”である。なお、橋本駅で極楽橋行(高野下行)の列車と接続する場合は「高野山・極楽橋(高野下)連絡、急行 橋本行」となり、接続のない急行橋本行とは明確に区別されている。自動放送もこの表現で統一されているが、難波駅のみこの表現が用いられず、「橋本で高野山極楽橋行(高野下行)に接続いたします」と放送される。2007年8月25日のダイヤ変更からは、方向幕にも小ぶりながら「高野山連絡(高野下連絡)」の表記が追記され、より区別が明確になっている。さらにこれに合わせて主要駅に備え付けの時刻表では本来のスペースに加え、直通列車のほか橋本駅で極楽橋行への接続がある列車用の時刻表(いわゆる「高野山極楽橋行専用時刻表」のこと)も別に掲載されるようになり、利便性が増した。加えて、2008年10月31日まで極楽橋駅 - 橋本駅間でワンマン運転を行う極楽橋発難波行き急行もあり、その車両側の種別幕は「急行」と「ワンマン」の二段表記となっていた。1968年までは、現在の急行は「快速急行」として運行され、これとはまた別に住吉東駅・三国ヶ丘駅・初芝駅にも停車する急行が設定されていた。現行ダイヤでは河内長野駅以南で各駅に停車するにもかかわらず難波駅 - 橋本駅間を快速急行と同じ所要時間(48分)で運行される列車もある。難波駅 - 河内長野駅・三日市町駅・林間田園都市駅間で運行されているほか、泉北高速鉄道に直通する難波駅 - 和泉中央駅間の列車も運行されている(詳しくは「泉北高速鉄道線」も参照)。河内長野・三日市町・林間田園都市方面は2000年12月23日の改正で朝・夜のみの運転となっていたが、2005年10月16日の改正で再び終日運転となった。また、2013年10月26日のダイヤ変更で日中の1時間あたりの運転本数が2本から3本に増便された(河内長野・三日市町・林間田園都市行きが1本ずつ)。2015年12月5日のダイヤ改正では平日朝上りのみの運転だった泉北高速線直通列車が毎日日中に毎時上下2本設定された一方、高野線系統の列車が日中は再度毎時上下2本に減便されているほか、平日夕方以降も上り列車の大半が急行に格上げされている。夕方、夜間の下りにおいては一部の列車が河内長野駅で特急に追い抜かれることがある。原則として快速急行や急行と同様に、上下列車とも行き先駅まで原則先着する。2015年12月5日のダイヤ改正から区間急行も平日の朝ラッシュ時に女性専用車両が導入されている(泉北高速線直通列車を含む)。案内放送では「区間急行」であるが、時刻表や案内板の表記は「区急」、英語表記は“Sub Express”である。1995年4月ごろ(泉北高速線和泉中央駅開業時に変更)まで、種別幕の色は急行と同様に赤色(時刻表での表記は赤字に▲印)であったが、混乱を招きやすいためか、関西国際空港開港後の南海本線系統に合わせて緑色に変更し、さらなる区別を明確にしている。しかも旧幕のまま実施された。なお、区間急行は関西国際空港開港前は高野線のみの種別であった。1999年11月11日には、縁起の良い"11づくし"という南海独自の企画で、難波を11時11分に出発する列車に「平成11年11月11日 11時11分 難波駅発車」と記した記念のヘッドマークを掲げ、林間田園都市駅まで1往復した。かつての泉北高速鉄道直通列車では10両編成運転が多数あったが、乗客減により減少し、2012年11月23日の泉北高速線のダイヤ変更で消滅した。難波駅から主に泉北高速鉄道直通列車として終日運行され、河内長野方面は長らく平日朝の三日市町駅・河内長野駅・千代田駅を始発駅とする難波行き上りのみの運行だったが、2013年10月26日のダイヤ改正より平日深夜に難波発三日市町行きの列車が設定され、久々に下り列車の運行が復活した。一時は平日朝ラッシュ時に10両編成運転が多数あったが、乗客減により減少し、2013年7月22日の泉北高速線の列車編成両数変更で消滅、これにより南海の10両編成列車は全廃された。昼間は6両編成で運転される列車が多いが、夕方ラッシュ時以降は8両編成で運転される列車が大半となり、半分以上が泉北車での運用となる。土休日ダイヤは6両編成が多いが朝晩を中心に一部の列車が8両編成で運転されている。2015年12月5日のダイヤ改正では一部列車が区間急行に格上げされている。かつては大運転の準急行としてごく一部に極楽橋発着も設定されていたが、1968年頃のダイヤ改正で廃止されている。案内放送では「準急行」であるが、時刻表や案内板の表記は「準急」である。自動放送更新前の泉北高速鉄道線内各駅における自動放送では「準急」と案内されていた。なお英語表記は“Semi Express”である。難波駅 - 堺東駅・北野田駅・金剛駅・千代田駅・河内長野駅・三日市町駅・林間田園都市駅・橋本駅間で運行されているが、大半が難波駅 - 金剛駅・河内長野駅・三日市町駅間の運転で、堺東駅発着は始発難波行き・最終堺東行きのみ、北野田発着は平日朝のみ、ほかも一部のみとなっている。このほか河内長野駅 - 橋本駅間、橋本駅 - 高野下駅・極楽橋駅間にも運行されている。昼間以降、なんば駅 - 河内長野駅間(一部は三日市町駅まで)の運転にほぼ統一されていた時期もあったが、一部の急行が区間急行に格下げされた関係で金剛駅・千代田駅発着の列車も増えている。泉北高速線の直通列車は昼間時間帯(始発駅基準で12時から15時まで)運転される。平日深夜に和泉中央発難波行きが1本運行されている。6両編成での運転が基本だが、2005年10月16日の改正で十数年ぶりに昼間の大型車両での4両編成運転が復活した。昼間はほとんど4両編成だが、それ以外の時間帯は6両編成での運転が中心になる。2012年11月から2013年10月26日までは夜間にも4両編成の列車が運行されていた。一方で河内長野駅 - 橋本駅間運転の一部列車や泉北高速線内のみで完結する列車は8両編成もある。基本的に下りは住吉東駅で泉北高速線直通の準急を待避し、堺東駅で快速急行か急行か区間急行のいずれか、北野田駅(昼間時間帯は金剛駅)で快速急行または急行とそれぞれ緩急接続を行い、上りは北野田駅(昼間時間帯は金剛駅)で快速急行か急行か区間急行のいずれか、堺東駅で準急と快速急行か急行か区間急行のいずれか、またその後、時間帯によっては特急とそれぞれ緩急接続を行う。ラッシュ時には上りも住吉東駅で待避する。また、白鷺駅で待避する列車もある。また中百舌鳥駅で泉北高速線の各駅停車(折り返し)と接続する列車もある。山岳路線である橋本駅 - 高野下駅・極楽橋駅間の系統のうち、2両編成のものはワンマン運転(4両編成には車掌乗務)である。なお、ワンマン対応車両は現在のところ2300系のみとなっている。橋本駅で難波駅 - 橋本駅間の急行と相互接続を行い、橋本駅では基本的に高野山寄りから発車する。この区間の列車は全区間先着する。案内放送では「各駅停車」であるが、時刻表や案内板の表記は「各停」である。また、南海本線の「普通(普通車)」と同様に、英語表記は“Local”である。1970年11月23日に岸ノ里駅の難波直通列車ホームが使用開始されるまでは、難波駅発着列車は堺東駅折り返しの列車が「各駅停車」(ただし岸ノ里駅は配線上の都合で通過)として、堺東より南の北野田・河内長野方面に直通する列車が今宮戎駅・萩ノ茶屋駅・岸ノ里駅を通過する「普通」として運行されていた。また、汐見橋発の列車も「各駅停車」として住吉東駅まで運行されていた。南海本線にも高野線の列車が走行する難波駅 - 岸ノ里駅間の複々線の東側2線を走行して今宮戎駅・萩ノ茶屋駅にも停車する「各駅停車」が難波駅 - 住吉公園駅(現在の住吉大社駅)間で運行され、両線で「普通」と「各駅停車」が共存していた。橋本駅 - 極楽橋駅間に運行される展望列車。途中停車駅は学文路駅・九度山駅のみ。3月 - 11月は水曜・木曜をのぞく毎日運転、12月 - 2月は土曜・休日のみ運転。運行回数は1日2往復。編成は極楽橋寄りに2200系改造の展望車2両、橋本寄りに自由席車の2300系または2000系2両を連結した4両編成。展望車については座席指定料金(おとな510円、こども260円)が必要。なお、車両検査時は代用できる車両がないため運休する。指定席券については南海の「天空予約センター」で電話予約の上、乗車当日に引き渡しとなる。予約は乗車日の10日前に受付を開始する。南海が推進する「こうや花鉄道プロジェクト」の一環として導入されることとなり、2008年9月 - 10月に愛称を一般公募し、同年12月15日にこの愛称と2009年7月3日の運行開始が発表された。運行開始に先立ち、2009年4月29日 - 6月20日の間の土曜・休日に7回、ほぼ本運行のものと同様のダイヤでプレ運行が実施されている。2013年10月26日のダイヤ変更から、土曜・休日に限り朝に1往復追加された(12月 - 2月はのぞく)。汐見橋線とも呼ばれるこの区間は、平日も土曜・休日も同ダイヤの30分間隔(夜間は35 - 40分間隔)で運行されており、これは2013年現在大阪市内で最も本数が少ない。終日ワンマン運転を行っている。初電は6時前後(岸里玉出発5時55分、汐見橋発6時10分)と遅く、終電は22時台とかなり早い部類になる(岸里玉出発22時25分、汐見橋発22時45分)。複線区間ではあるが、2008年11月時点のダイヤでは終日2両1編成のみで運用されており、ゆえに過疎ダイヤであることから汐見橋線内での上下列車の行き違いはない。こちらのダイヤは、南海本線の支線と同様に上下列車とも先発先着である。1985年以前は、高野線岸ノ里駅以南と線路がつながっており、出入庫のため住吉東駅や堺東駅発着の列車も存在(ただし、1970年改正以降は早朝・深夜の出入庫列車および臨時列車が時折運転される程度に激減)したが、同年以後は線路が分断され、汐見橋線から高野線帝塚山方面へ直通は不可能となったため、岸里玉出駅 - 汐見橋駅間の運転のみとなり完全に支線運用扱いとなった(のちに設定された駅ナンバリングでも、岸里玉出駅からの枝番となっている)。汐見橋駅では阪神なんば線・大阪市営地下鉄千日前線の桜川駅と徒歩接続しているが、両線との連絡運輸は設定されておらず、孤立した存在になっている。なお、阪神桜川駅は南海汐見橋駅の真下に駅が設置されており、計画段階では汐見橋駅を名乗る予定であったが、乗降客数の多い大阪市営地下鉄に駅名を合わせた。南海本線とは高野線分断前から線路が繋がっており、車両は南海線住ノ江検車区所属の2200系・2230系が充当されているが、あくまで正式に、同区間は高野線の一部として扱われているため、乗務員も高野線側が担当しており、列車種別も「普通」ではなく「各停」としている。高野線本体と分断される1985年以前は、高野線所属の主に6000系ステンレスカー2両編成で運行されていた。1985年から1995年までは南海本線の他の支線と同様に1521系が使われた。1995年の2200系・2230系化により、南海本線所属ではあるものの、再び高野線出自の車両に戻ったことになる。岸里玉出駅における接続だが、先述の通り基本的に30分間隔の運転で、15分間隔で運転している南海本線普通との接続時分はほぼ一定しているものの、高野線各停は7 - 16分間隔のため、相互間の接続時分にバラつきが生じている。1990年代前半までは学校の夏休み期間中、大阪市・堺市など沿線にある公立小学校児童の高野山林間学校団体輸送用として、21000系・22000系による専用の臨時列車が多数運行されていたが、1990年代後半以降、少子化や林間学校の目的地の多様化、貸切バス利用への転移などによって高野線を利用する林間学校の小学生の団体は大幅に減少したため、現在は小学生団体専用の極楽橋直通臨時列車はほとんど見られなくなっている。お盆期間における高野山への参拝客・観光客・墓参り客への対応については、特急は「こうや」とは別に、一般車(近年は2000系の4両編成が多く、2300系が連結されることもある)の自由席特急が運行される。停車駅は「こうや」と同じだが、全車自由席のため特急券は必要ない。ただ、お盆期間の平日はほかの関西私鉄とは異なり平日ダイヤによる運転となっている。なお、お盆以外にも特急用車両の事故や故障などの緊急時に、一般車による自由席特急が代走することもある。このほか、難波駅 - 高野下駅間の急行や橋本駅 - 高野下駅間の各駅停車が高野下駅 - 極楽橋駅間を延長運行したり、急行や各駅停車に接続する形で高野下駅 - 極楽橋駅間を往復する列車が運行されたりする。いずれの場合も高野下駅 - 極楽橋駅間はノンストップであり、この区間は「臨時」の幕が表示される。また、橋本駅 - 極楽橋駅間運転の自由席特急や各駅停車が増発される場合もある。この特急は全線通しの特急と停車駅が異なり、途中学文路駅と九度山駅に停車する(即ち「天空」と同じ停車駅で運転される)。また、高野下駅 - 極楽橋駅間をノンストップで走る列車は、全区間で「臨時」幕を出すこともある。臨時列車が運行される場合、前述の観光列車「天空」は運休する予定になっている。毎年8月1日の「教祖祭PL花火芸術」開催時には、大阪狭山市駅や金剛駅が花火会場への最寄り駅となるため、一部列車の両数と発着時刻の変更と臨時列車が運行される。具体的には花火終了後、三日市町・河内長野・千代田発の準急・区急難波行きの臨時列車を数本程度運行している。2008年度までは花火開始前に難波発準急河内長野・三日市町行きを運行していた。また、花火開始前と終了後に運行している4両編成の一部各停が6両編成に増車される。毎年大晦日から元日早朝にかけて終夜運転が行われている。各駅停車のみの運転で、全列車中百舌鳥駅で泉北高速鉄道の列車と接続する。2009年までの元日早朝は難波駅 - 河内長野駅間のみにおいて40分間隔で運行されていたが、2010年から元日早朝は難波駅 - 北野田駅間のみにおいて40分 - 60分間隔で終夜運転、北野田駅 - 河内長野駅間は午前2時台までの運転となる。河内長野駅 - 極楽橋駅間と汐見橋線は終夜運転を行わない。2015年4月2日から5月21日にかけては「高野山開創1200年記念大法会」が執り行われるため、概ね以下のような施策を行う。特筆すべき点として、4扉車については1992年に1000系が導入されて以来、高野線に新型車両が全く直接投入されていない(1000系は南海線・高野線共通仕様という考え方を取り入れたため、一部が高野線配属となった)。これは高野線の車両の老朽化が目立っていないことや、南海線で7000系・7100系が塩害などにより老朽化が進行しているために、同線への新型車両導入を優先させているためである。ただし、接客サービス向上や省エネルギー推進のため6200系や8200系でVVVFインバータ制御への更新を進めている。南海線に比べ制約が多く、20m級の大型車両(現用車両では11000系・1000系・6000系・6200系・6300系・8200系)は橋本以南へ入線できず、また同じ20m級の大型車両でも南海線や泉北高速線所属車両は三日市町以南へ入線できない(かつては河内長野が20m車両の南限で、1963年に三日市町まで入線可能になった。1971年に開業した泉北高速線の所属車両による高野線運用も三日市町まで設定されていたが、1989年9月3日のダイヤ改正以降は相互直通区間となる難波 - 中百舌鳥間の運用となった)。南海線所属車両のうち1000系は南海線・高野線共通仕様のため抑速ブレーキなどの設備が追加されている。またイベント時に入線した実績のある50000系と代走時に南海線より借り入れて運用する12000系には落成当初より取り付けている。堺から西高野街道に沿って高野山を目指し、高野鉄道が1898年に大小路駅(現在の堺東駅) - 狭山駅間を開業。その後、長野駅(現在の河内長野駅)まで延びた。当初の計画では大小路駅から南海鉄道の堺駅に接続する予定だったが、住吉大社や我孫子観音への参詣客が見込めることから方針を転換。大小路駅から北上して住吉東駅を起点に狭山・長野方面、さらには和歌山県橋本への延伸を目論む。だが高野鉄道の経営は思わしくなく、高野杉や吉野杉を水運の拠点だった木津川口まで輸送することを企図することと、難波延長は、当時の南海鉄道と並行するため、監督官庁の許可が下りず、道頓堀駅(現在の汐見橋駅)まで延伸して自力で大阪市内へ乗り入れた。それでも日清戦争後の不況で業績は好転せず、高野鉄道は長野 - 橋本間の延伸を断念。終には根津嘉一郎の出資によって設立された高野登山鉄道が事業を継承して、路線延長が図られることになった(この時に高野登山鉄道の現地支配人として根津によって送り込まれたのが、のちに東京地下鉄道を開業する早川徳次である)。高野登山鉄道は、1915年に汐見橋駅 - 橋本駅間を開通させ大阪高野鉄道と社名変更。その後、和歌山水力電気が保有していた橋本 - 高野山大門間の免許を買収し、高野大師鉄道を設立して、このうち橋本 - 椎出(高野下)間の工事を着工する。1922年に大阪高野鉄道・高野大師鉄道はともに南海鉄道と合併し、高野大師鉄道によって着手していた橋本駅 - 高野山駅(現在の高野下駅)間は1925年に開通した。だが南海鉄道との合併の際に、椎出(高野下)以南の免許は和歌山水力電気に返還。さらに和歌山水力電気も京阪電気鉄道に買収され、結局南海は別会社として高野山電気鉄道を設立。京阪から路線免許を再度買収の上で建設し、1928年高野下駅 - 神谷駅(現在の紀伊神谷駅)間が開業、翌年極楽橋駅まで開業し全通した。南海鉄道は1944年に関西急行鉄道に合併し近畿日本鉄道となったが、この高野山電気鉄道は戦後、南海が分離独立する際の受け皿会社となった。1960年代ごろから沿線の宅地開発が進み、南海も美加の台住宅地や南海橋本林間田園都市を建設する。その通勤輸送増加に対応するため、列車編成増強や河内長野以南の線路改良を進め、1995年には橋本駅までの複線化を完成させた。この結果、1980年代前半までは三日市町以北に限られていた20m級車体の大型車両の運行区間が、1984年に林間田園都市まで、1995年には橋本駅まで延長された。なお、全通当初の路線距離は汐見橋駅 - 極楽橋駅間で65.1kmであったが、河内長野駅 - 橋本駅間の線路改良で、1995年に河内長野駅 - 極楽橋駅間で0.6km短縮されている。その反面、橋本駅 - 極楽橋駅間の乗客数は減少の一途を辿り、2000年12月のダイヤ改正で高野下駅 - 極楽橋駅間において日中の運転本数の削減が行われ(1時間に2本→1本)、さらに2005年10月のダイヤ改正では同区間を運行する列車が4両編成の直通急行から2両編成・ワンマン運転の各停が中心となるダイヤに変更された。一方、事実上支線化された汐見橋駅 - 岸里玉出駅間(汐見橋線)は乗客が減少し減便されながらも、将来建設が計画されているなにわ筋線との接続路線になる構想がある。しかし、現在なにわ筋線の建設計画は事業主体が決まらず、頓挫している状態である。2009年4月に地元首長や経済界・鉄道会社幹部が集まって開かれた「関西活性化に向けた今後の鉄道ネットワークのあり方に関する懇談会」では「建設が必要」という意見で一致したが、同時に起点を難波駅とする意見も示されており、仮になにわ筋線の着工が決まっても当区間が利用されるかどうかは流動的な情勢となっている。2011年に発表された近畿運輸局の調査結果では、汐見橋駅接続では黒字化が望めないのに対し、難波駅接続では最短で24年目に黒字化が望めるとして、難波駅接続ルートが有力となっている。駅名は最終のもの。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。