南海本線(なんかいほんせん)は、大阪府大阪市中央区の難波駅から和歌山県和歌山市の和歌山市駅までを結ぶ南海電気鉄道の鉄道路線。「本線」という路線名ではなく、社名略称を冠した「南海本線」が正式な路線名である。南海本線自体を指して、または南海本線に接続する各路線(高野線・汐見橋線・空港線をのぞく)を含めて通称南海線と呼称される。路線シンボルマークは、波しぶきをイメージしたもの()で、ラインカラーは青。南海本線単体としては大阪市 - 和歌山市間の都市間輸送を担う路線であるが、空港線を経由する関西国際空港へのアクセス路線、さらには、和歌山港線を経由する和歌山港へのアクセス路線の性格も帯びており、和歌山港 - 徳島港間を運航する南海フェリーと本州四国連絡ルートを形成している。大阪平野では南海本線の山側に競合路線の西日本旅客鉄道(JR西日本)阪和線が並走しているが、府県境付近の経路は大きく異なっており、距離は短くなるが山岳区間が長い雄ノ山峠越えの阪和線に対して、南海本線は距離は長くなるが山岳区間が短い孝子峠越えで和歌山市へ至る。全線でPiTaPaおよびICOCAなどPiTaPaと相互利用可能なIC乗車カードが利用できる。ただし、乗車回数に応じて割引が適用されるサービスはPiTaPaのみが対象となる。難波駅 - 住ノ江駅間は複々線で、難波駅 - 岸里玉出駅間の東側2線は高野線の列車が使用している。今宮戎駅と萩ノ茶屋駅は西側2線にホームがなく、南海本線の列車はすべてこの2駅を通過する。そのため、高野線の最下位種別の列車は「各駅停車」と呼ぶのに対し、南海本線の最下位種別の列車は「普通」あるいは「普通車」と呼んでいる(「普通(普通車)」の解説も参照)。立体交差化については、難波駅 - 石津川間、松ノ浜駅 - 大津川間、岸和田駅周辺、貝塚駅 - 二色浜駅間の近木川周辺、泉佐野駅周辺で既に高架化が完成している。2015年4月時点では、石津川 - 高石駅南側の堺泉北有料道路手前までの区間で高架化工事を進めている。このうち、石津川 - 羽衣間は2027年度末に、羽衣 - 高石間は2019年春にそれぞれ完了する予定となっている。高野線や、南海本線と併走するJR阪和線と比較しても相当進んでおり、いわゆる「開かずの踏切」の問題や、それに起因する交通渋滞についても、先述の周辺路線と比べてかなり解消されてきている。以下に示す記述はすべて難波→和歌山市方向における記述であり、逆方向に関しては順序が逆で、その風景が見える方向も左右逆となる。9面8線の構造をもつ始発の難波駅を出てすぐ右にカーブし、右手になんばパークス(旧大阪球場跡地)、ヤマダ電機なんばLABI、左手に今宮戎神社を見ながら、阪神高速1号環状線をくぐって、高野線の各駅停車のみが停車する今宮戎駅を通過し、国道25号を乗り越え、左手に通天閣が見えると程なくJRとの接続駅である新今宮駅に着く。この駅の下を通るJRの大阪環状線・関西本線(いずれも高架線)を高々架で跨ぎ、左右に釜ヶ崎あるいはあいりん地区と称されるドヤ街を、また左手遠方には高さ日本一のビル・あべのハルカスなどの高層ビル群を見ながらやはり高野線の各駅停車のみが停車する萩ノ茶屋駅を通過すると天下茶屋駅。かつてはこの駅から天王寺支線が分岐していたが、現在は大阪市営地下鉄堺筋線の一部区間が代わってその役割を担っている。1982年までは南海の車両工場もあったが、現在は高野線千代田に移転し、跡地には大阪フィルハーモニー交響楽団の練習場やスーパーマーケットが建っている。天下茶屋を出て高野線の事実上の本線が左に別れると同時に、右側から「汐見橋線」と通称される同線の事実上の支線が近づいてくると岸里玉出駅。この駅を境に線路は線路別複々線から方向別複々線となり、緩急分離運転が行われる。粉浜駅を過ぎて左側に住吉大社の社地が、右側に住吉公園が見えると住吉大社駅、国道479号(大阪内環状線)を乗り越えながら右にカーブをすると右側に住ノ江検車区を併設する住ノ江駅。複々線区間はここで終了し、右から近づいてくる阪神高速15号堺線を斜めにくぐりながら大和川橋りょうを渡って堺市に入り、右にカーブをすると七道駅に至る。駅手前の右カーブの内側にはイオンモール堺鉄砲町があるが、この場所は富士フイルムホールディングスの源流でもあるダイセル化学工業(撤退当時の名称。現在の「ダイセル」)の発祥の地である同社本社・大阪製造所堺工場の跡地であり、旧社屋にあった「堺セルロイド」時代からの赤レンガ建築の古い建物がモニュメントとして残っている。また同地周辺の地下では阪神高速6号大和川線の建設が進んでいる。七道を出て、ほぼ直線状にしばらく進むと最初の緩急接続駅である堺駅に着く。堺駅を過ぎると周辺には住宅地や商業地のほかに、阪神高速4号湾岸線や、堺泉北臨海工業地帯の工場群が右側の車窓に近づいてくる。堺市の目抜き通りの一つであるフェニックス通り(国道26号。大阪中央環状線とも重複)を乗り越えた後、湊駅、石津川駅を過ぎて石津川を渡ると、線路は難波からここまで続いてきた高架を下りて地上に移る。上下ホームが千鳥式に配置された諏訪ノ森駅に近づく頃から、あたかも阪神間モダニズムを想わせるような高級住宅街が線路の周辺に見え始める。右側に浜寺公園が見えると阪堺電気軌道阪堺線をくぐって浜寺公園駅。この駅と諏訪ノ森駅上りホームの駅舎は国の登録有形文化財に登録されている。線路はその後下り線のみ高架に切り替わる。高石市に入り、程なく高師浜線・JR羽衣線(阪和線支線)との乗り換え駅である羽衣駅に着く。この駅手前左側の高架上に、JR羽衣線の東羽衣駅がある。かつてこの周辺が海水浴場などを有する行楽地であったことから、1990年代まで、羽衣駅の周辺には大規模な観光旅館がいくつか存在したが、現在はいずれも廃業し、姿を消している。またこの駅付近の踏切は、JR阪和線を建設した阪和電気鉄道と南海との熾烈な競争の象徴でもあったが、南海の連続立体交差事業(高架化)に伴い、2016年に下り線側の踏切が廃止された。上り線側についても先述の通り2019年春頃廃止される予定である。高師浜線の線路はしばらく右側を並走するが、やがて同線は高架に上がりながら右側に別れる。新興住宅街の間をしばらく進むと待避線のある高石駅。下り線の線路はその後地上に降り、堺泉北有料道路をくぐると線路は泉大津市に入って北助松駅。府道富田林泉大津線の跨線橋をくぐった後すぐに高架に上がり、松ノ浜駅、続いて島式2面4線の泉大津駅に至る。泉大津駅は急行以下の種別の停車駅であるが、例年夏期に周辺で大規模な野外ロック・フェスティバルが開かれるため、当日には一部の特急列車が臨時停車するほどの賑わいを見せる。泉大津を出ると線路は左にカーブをする。大津川を渡ると線路は地上に下り、忠岡町に入ると同町唯一の駅である忠岡駅に達する。すぐに岸和田市に入り、府道岸和田牛滝山貝塚線の跨線橋をくぐりながら右にカーブをすると、右側に岸和田競輪場が見えて春木駅に至る。かつて春木駅は春木競馬場の最寄り駅でもあったが、現在は岸和田市中央公園となっている。和泉大宮駅を過ぎて高架を上がり、右にカーブをすると、岸和田だんじり祭の時期に大きな賑わいを見せる岸和田駅に着く。岸和田を出ると再び右にカーブをして、右側に岸和田城を見ながら高架を下りると蛸地蔵駅、さらにカーブを繰り返しながら貝塚市に入ると、水間鉄道水間線との乗り換え駅である貝塚駅に至る。水間線が左に別れた後、南海の線路はやがて高架に上がるが、府道岸和田牛滝山貝塚線を乗り越えて左右にカーブをすると程なく地上に下りる。このあたりから徐々に住宅地のほかに田園地帯が広がり始める。二色浜駅を過ぎると線路はその後しばらくの間ほぼ直線状になり、関西国際空港の玄関口である泉佐野市に入って鶴原駅、井原里駅と続く。その間に、右前方にはりんくうゲートタワービルやりんくうプレジャータウンSEACLEの大観覧車が見え始める。線路は程なく高架を上がり、右にカーブをすると、空港線との乗り換え駅であり、また大阪市内駅をのぞく南海本線唯一の全種別停車駅でもある泉佐野駅に着く。この駅は待避設備のほかに乗り換え専用ホームを有する島式3面4線の構造となっており、ダイヤ上も和歌山市方面と関西空港方面の列車が容易に対面乗り換えできるように配慮されている。泉佐野駅を出ると、空港線としばらく線路を共用するが、左にカーブするとすぐに空港線は右側に別れる。高々架のJR関西空港線・関西空港自動車道、地上を通る国道481号と立体交差すると線路は地上に下り、住ノ江検車区羽倉崎検車支区を併設する羽倉崎駅。ここからはラッシュ時を中心に本数が減少する。左側には同検車区、右側にはかつての巨大な紡績工場(阪本紡績)の跡地に建つ高層マンション群や商業地を見ながら田尻町に入る。泉佐野岩出線と重複する堺阪南線(旧国道26号)の跨線橋をくぐると吉見ノ里駅。樫井川を渡り泉南市に入ると岡田浦駅。ここから樽井駅までの区間はかつて右側の車窓から大阪湾を間近で見ることができたが、現在は埋め立てが進み、りんくうタウンが造成され、車窓からはイオンモールりんくう泉南などの商業施設やいくつかの工場などが見えるようになっている。2か所の道路橋をくぐり、樽井駅を過ぎて泉佐野岩出線のバイパスの跨線橋をくぐってから男里川を渡ると阪南市に入り、同市の中心駅で特急サザンも停車する尾崎駅に着く。尾崎を出て左右にカーブし、鳥取ノ荘駅を過ぎると右側の車窓に大阪湾の海岸線が間近に迫り、遠くには関西国際空港や空港連絡橋も望むことができる。また左側には国道26号の旧路線も並走する。一旦海岸線から離れ、阪南スカイタウンなど周辺の住宅開発がめざましい箱作駅に至る。ここから先はカーブの連続区間となり、優等列車も若干速度を落として運転を行う。再び海岸線が見え始め、箱作海水浴場(ぴちぴちビーチ)やせんなん里海公園が連なる。途中、階段を伴った空き地が線路両脇にあるが、これはかつて計画されていた箱の浦駅の建設を途中で断念した名残である。再び海岸線から離れると線路は岬町に入り、周辺に古墳が点在する淡輪駅を過ぎると、右前方に遊園地「みさき公園」のアトラクションが見え始め、程なく同遊園地の最寄り駅であり、また多奈川線の乗り換え駅でもあるみさき公園駅に着く。みさき公園駅は、盛土上にホームをもつ構造となっており、その直下を国道26号がアンダークロスする。多奈川線は同駅を出た後しばらく右側を並走するが、やがて同線が大きく右に別れると同時に南海本線も大きく左にカーブをする。ここからは雰囲気が一変して山間の区間となって駅間距離も長くなり、国道26号がすぐ右側を並走するようになる。途中、右側の車窓から煉瓦造の建造物(深日変電所)が見えるが、この場所にはかつて深日駅があった(1944年休止、1958年廃止。現在もホームの跡が残る)。いくつかのカーブを経て孝子駅を過ぎるといよいよ上りの急勾配区間に差し掛かり、孝子峠を越える孝子トンネル内で大阪府と和歌山県の府県境を通過し、同県和歌山市に入る。トンネルを抜け下り勾配に差し掛かり、国道26号のガードをくぐると、南海で最も新しい駅で「ふじと台」の副駅名を持つ和歌山大学前駅に着く。イオンモール和歌山が当駅の左側すぐ掘割上にあり、周辺は週末を中心ににぎわいを見せる。沿線は徐々に開けてきて、左側にふじと台の住宅地や和歌山大学のキャンパス群、右側には「ノーリツプレシジョン」(旧ノーリツ鋼機の写真処理機器関連部門。同事業譲渡前の同社本社)や「NKアグリ」(ノーリツ鋼機グループの生鮮野菜製造業者)の本社工場などを見ることができる。やがて2本の短いトンネルをくぐりながら大きく左にカーブをして国道26号と別れ、住宅地の中を通りながら県道粉河加太線の跨線橋をくぐると、右側から加太線が近づいてきて、同線との乗り換え駅である紀ノ川駅に至る。ゆるやかに右にカーブしながらさらにしばらく進むと、紀の川に架かる紀ノ川橋梁を渡り、築堤を下りながら右にカーブをする。右側に和歌山競輪場が見え、左側から近づいてくるJR紀勢本線と並走を始めると、右側に住ノ江検車区和歌山出張場を併設する終点の和歌山市駅に到着する。同駅は和歌山駅と並び、和歌山市を代表する駅の一つである。和歌山市駅の手前には非電化の国社分岐線があり、かつてはこの分岐線を通って紀勢本線への直通列車が走っていた。線路は一部ののりばをのぞいて、その先にある単線の和歌山港線へと続いていく。都市間および四国連絡特急として難波駅 - 和歌山市駅・和歌山港駅間で特急「サザン」が運転されているほか、関西国際空港が開港した1994年からは空港線に直通する空港アクセス列車として難波駅 - 関西空港駅間に特急「ラピート」および空港急行が運転されている。このほか、急行・空港急行・区間急行・準急・普通が運転されている。日中の1時間ごとの運行本数(岸里玉出駅以北の高野線列車は除外、空港線を含む)をまとめると以下のようになる。以下に特急「ラピート」「サザン」をのぞいた種別の運行概況を示す。「ラピート」および「サザン」については当該項目を参照。また各種別の現行の停車駅は下図および「駅一覧」を参照。平日の早朝から朝ラッシュ時・夕ラッシュ時と、土曜・休日の朝に、難波駅 - 和歌山市駅・和歌山港駅間で運転されている。英語表記は"Express"。6両編成と8両編成の運用があり、朝ラッシュ時の8両編成の上り列車に限り、和歌山市駅 → 天下茶屋駅間で、難波寄りから4両目には女性専用車両になる。現在、女性専用車両は2000系以外の車両に設定している(1000系は2010年1月より一時的ではあるが設定されていた)。2005年11月27日のダイヤ改正で昼間・土休日の列車が実質上特急に格上げされ、難波駅 - 泉佐野駅間の急行停車駅の乗客の輸送は空港急行と区間急行が1時間あたり2本ずつ交互に担うこととなった。また、平日夕方ラッシュ時以降の一部列車は区間急行に格下げ、あるいは特急「サザン」に格上げされた。そのため、泉佐野駅 - 和歌山市駅間では特急「サザン」と停車駅が全く同一である。かつては終日運転で、2001年3月23日以前は日中に1時間あたり3本、翌24日以降は1時間あたり2本設定されていた。白地幕時代の車両の種別方向幕には「急」と表示されていた。現行のダイヤでは下りは朝ラッシュ時を除いて特急に追い抜かれる列車はない。上りは岸和田駅で「ラピート」に抜かれる列車がある。関西国際空港開港時の1994年9月4日のダイヤ改正時では日中時間帯に岸和田駅または泉大津駅で「ラピートα」の通過待ちを行う列車もあった。2012年4月のダイヤ改正まで深夜時間帯(始発駅22時台の列車、下り(平日のみ)は区間急行に格下げ、上りは特急「サザン」に格上げ)での運転が存在した。初代1000系の現役時代は、特急列車と同じく急行にも運用されていたが、現在は原則として特急用車両での急行の運用はない。ただ、2004年1月に人身事故の発生でダイヤが乱れた影響により、特急「サザン」(一部指定)を急行に変更のうえ10000系で運用したことがある(種別表示は前面が白線急行、側面が非表示だった)。終日、空港線に直通して難波駅 - 関西空港駅間で、日中は1時間あたり4本運転されている。急行の停車駅(泉佐野駅以北)に春木駅が追加されている。後述の春木駅停車の急行(白線急行)を前身とした種別であり、1994年6月18日の空港線開業と同時に新設された。空港線内は各駅停車で、泉佐野駅を境に各駅停車となる点で、実質停車駅は区間急行と同じである。6両編成の運用と8両編成の運用があり、朝ラッシュ時の8両編成の上り列車に限り、関西空港駅 - 天下茶屋駅間で、難波寄りから4両目には女性専用車両になる。現在、女性専用車両は2000系以外の車両に設定している。英語表記は"Airport Express"。種別を表す色は急行は方向幕が全面朱色、行先案内表示機がオレンジ色であるのに対し、空港急行は黒地に朱色またはオレンジ色のアンダーラインが入り(日本語部分が黒地で朱色部分に「Airport Exp.」の英語表記種別が入る。なお、8000系・8300系のフルカラーLED表示では日本語では普通と同じく灰色に白字、英字ではオレンジ色に白字で表示)、また日本語部分に少々小さい上付き文字で「空港」の文字が入った「急行」という表記となっているなどの違いがあり、急行とは区別された扱いとなっている。また、関西空港行に限り種別・行先が一体となった幕式では朱色のアンダーラインの左側に、種別・行先幕が別々の1000系では行先幕の灰色のアンダーラインの左側に、8000系・8300系では種別と行き先の間に飛行機マーク()がある。2005年11月27日のダイヤ改正で日中1時間3本から2本に、また夕方以降においても減便されたが、代わりに関西空港駅発着の普通が1時間あたり2本新設され、夕方においては和歌山市駅発着の区間急行が泉佐野駅で関西空港駅発着の普通と接続を取ってフォローし、日中(土休日は終日)は泉佐野駅で和歌山市駅行きの普通と相互接続して、泉佐野駅 - 和歌山市駅間での特急「サザン」や区間急行の補完的役割も担うこととなった。2014年10月18日のダイヤ変更では日中のみさき公園駅(一部和歌山市駅)発着の区間急行が空港急行に変更になり、さらにはそれまで土休日や日中を中心に上下ともに行われていた岸和田駅での特急「サザン」の待避がなくなり所要時間が短縮された。また日中以外でも大幅に増え、さらにほとんどの列車が終着駅まで先着している。関西国際空港への空港連絡列車であるため、長期休暇期間・大型連休・盆・正月など、日本の海外・国内旅行シーズンの利用客が特に多い傾向がある。空港に接続する特急「ラピート」の補完にもなっている。ただ泉佐野駅 - 関西空港駅間に限れば朝の上り、夜間の下りはほぼ空気輸送状態になっている。朝と夕方以降に難波駅 - 羽倉崎駅・樽井駅・みさき公園駅・和歌山市駅間で運転されている。難波駅 - 泉佐野駅間は空港急行と同じ停車駅で、泉佐野駅 - 和歌山市駅間は各駅に停車する。朝ラッシュ時や、深夜(深夜は下りのみ)には羽倉崎駅始発・終着のものもあり、羽倉崎検車区への引き上げも兼ねた存在の速達種別といえる。平日夕方ラッシュ時には泉大津駅・泉佐野駅・尾崎駅・みさき公園駅のいずれかで特急「ラピート」・「サザン」および急行に追い抜かれることが多く、終着駅まで先着する列車は少ない。羽倉崎駅以南(特急・急行停車駅をのぞく)のホーム有効長から原則として6両編成で運転されるが、羽倉崎駅発着の列車は8両編成で運転される列車もある。案内放送では「区間急行」であるが、時刻表や案内板の表記は「区急」である。英語表記は“Sub Express”。かつては朝と深夜のみの運転であったが、2005年11月のダイヤ改正より泉佐野駅 - 和歌山市駅間の乗客減に伴い、大半の急行が特急に格上げされたために日中にも難波駅 - みさき公園駅間で運転され、急行の代替的な役割も担った。これにより泉佐野駅以南の急行通過駅でも利便性が向上し、泉佐野駅で難波駅 - 関西空港駅間の普通と接続することにより、空港輸送もフォローした。しかし、2014年10月18日のダイヤ変更で日中の列車が空港急行に置き換えられ、同時間帯の泉佐野駅以南では特急「サザン」と全区間通しの普通車のみになり、さらに上り(難波行き)に関しては朝と平日の夕方時間帯のみとなったため、本数は大幅に減少している。関西国際空港開港以前は区間急行は高野線のみに存在する種別であったが開港時のダイヤ改正で種別変更等により本線にも登場した。種別色は高野線では長らく赤であったが本線では当初から緑色である。平日朝ラッシュ時の上りのみ運転されており、羽倉崎発が2本、春木発が1本設定されている。羽倉崎駅 - 堺駅間は各駅に停車する。なお、構内アナウンスや車掌放送では「準急行」と案内されるが、時刻表や案内板の表記は「準急」である。英語表記は“Semi Express”。南海線では最も本数の少ない種別である。6両編成で運転され、すべての列車が泉大津駅で急行系と接続し、浜寺公園駅で後続の急行(または特急)の通過待ちを行う。そのため、泉大津駅と浜寺公園駅の3番線に停車する準急は存在しない。2005年11月26日以前は高石発の上り難波行きもあった。2001年のダイヤ改正までは岸和田発難波行きならびに下りに難波発高石行きの設定もあった。2005年11月26日ダイヤ改正から2009年10月3日までは4本(羽倉崎駅から3本、春木駅から1本)あった。終日、難波駅 - 和歌山市駅間(区間運転あり)と空港線直通の難波駅 - 関西空港駅間で運転されている。駅の放送では、空港線関西空港駅の自動放送をのぞき「普通車」と案内されている。高野線の「各駅停車」と名称を区別しているのは、南海線用のホームのない今宮戎駅と萩ノ茶屋駅に停車しないためである。駅での停車駅の表示は難波発が「新今宮・天下茶屋 以遠各駅(難波駅の場合)」「天下茶屋 以遠各駅にとまります(新今宮駅の場合)」、難波行が「天下茶屋までの各駅・新今宮」となっている。なお、かつては岸ノ里駅・玉出駅・粉浜駅も通過していて、現在の準急に近いような停車駅であった(当時は岸ノ里駅と玉出駅が統合されて岸里玉出駅となる前)。そして普通とは別に1970年11月22日まで難波駅 - 住吉公園駅(現在の住吉大社駅)間に運転されていた岸ノ里駅まで現在高野線専用の東側2線を経由し今宮戎駅・萩ノ茶屋駅および前記の普通が通過する岸ノ里駅・玉出駅・粉浜駅にも停車する「各駅停車」が存在した。日中は和歌山市駅発着系統が1時間あたり4本運転される。ラッシュ時、夜間には関西空港駅や羽倉崎駅・樽井駅・みさき公園駅で折り返す列車もある。また早朝には初発列車として泉佐野発和歌山市行きと高石(かつては浜寺公園発だった)・住ノ江発難波行きが、深夜には和歌山市発泉佐野行きや羽倉崎行きの列車も存在する。いずれも上り列車では唯一の存在であり、泉佐野行きは泉佐野駅で関西空港発の最終の難波行きに接続する。過去には昼間時間帯でも高石駅で折り返す列車があったり、早朝のみだが住ノ江発の下り泉佐野行き(のちに関西空港行き)も存在していた。また2005年11月のダイヤ改正までは関西空港発の普通は原則としてなかった。2005年11月から2014年10月までは昼間を中心に多く存在していたが、2014年10月のダイヤ改正でほとんどの列車が空港急行に格上げされた。そのために関西空港行きの列車は原則として6両編成で運転される。下り列車では泉佐野駅発車後4本のうち2本が和歌山市駅まで先着している。2014年10月のダイヤ改正以降、日中の列車は堺駅・高石駅・岸和田駅・尾崎駅(毎時2本のみ)で特急と、堺駅・泉大津駅・泉佐野駅で空港急行と、それぞれ接続または待避を行う。ラッシュ時は貝塚駅、みさき公園駅(下りのみ)での接続や、岸里玉出駅(上りのみ)、粉浜駅 - 住ノ江駅間、浜寺公園駅で待避する列車も存在する。ほとんどは4両または6両編成で運行されているが、土休日は6両編成での運用が多くなる。6両編成で運用される列車は朝または夕方に一部の区間急行・空港急行運用に入るものが多いのに対し、4両編成は普通車限定運用である。また朝には8両編成で運行される泉佐野発関西空港行きもある。2007年8月11日のダイヤ変更から南海本線と空港線の列車で2000系(ズームカー)の運用も始まった。なおズームカーの運用は繁忙期(正月三が日や岸和田だんじり祭・春木だんじり祭の開催日など)には通常の20m車での運用に変更される。英語表記は各駅停車と同じく“Local”である。毎年大晦日から元日早朝にかけて難波駅 - 住ノ江駅間が15分間隔、住ノ江駅 - 羽倉崎駅間が30分間隔で、普通のみの終夜運転が行われている。なお、羽倉崎駅 - 和歌山市駅間は終夜運転を行わない。関西国際空港開港後数年間は難波駅 - 関西空港駅間で終夜運転を行っていた時期があった。正月三が日は原則として土休日ダイヤで運転され、空港急行と区間急行が昼間時間帯に住吉大社駅に臨時停車する。そのため2 - 3分ほど運転時分がずれる。2004年度(2005年正月)までは急行と空港急行が停車し、2005年度(2006年正月)から2007年度(2008年正月)までは「ラピート」以外の全列車が停車していたが、2008年度(2009年正月)以降は再び特急「サザン」・自由席特急は通過となる。臨時列車は運転されないが普通車は2ドア車が運用から外れ4ドア車による代走となる。また、一部の列車では編成両数が変更される。関西国際空港開港以前は、昼間の急行(和歌山市行き・泉佐野または羽倉崎行き)・普通の本数が必ず6本となり、昼間のみ正月ダイヤを組んでいた経緯がある。また大晦日の深夜には住吉大社の参拝客のために住ノ江検車区への入庫回送列車を臨時の普通に仕立てて運転していた時期もあった。また、1998年の明石海峡大橋開通以前には、四国方面の帰省ラッシュ対策で急行が和歌山港駅まで臨時延長運転されたり、臨時の自由席特急が運転される時期もあった。2012年3月31日まで、特急「サザン」「ラピート」とは別に、座席指定料金不要で乗車券のみで乗ることができる全車自由席の特急が設定されていた。停車駅パターンは「サザン」と同一であるが、全車自由席のため、「サザン」の愛称はなく、車両の種別表示幕では「特急」とのみ記載されていた。すべて6両編成で、通称「自由席特急」とも呼ばれている。英語表記は"Ltd. Express"である。2005年11月27日のダイヤ改正前は朝のみ数本の運転であった。同改正で日中に運転されるようになったが、2009年10月4日のダイヤ改正以降は平日・土休日とも難波発14時15分、16時45分と和歌山市発13時、15時30分の2往復しか運転されておらず、残りはすべて一部座席指定特急「サザン」として運転されていた。難波駅 - 和歌山港駅間往復に必要な所要本数は6本で、「サザン」用編成は7本、うち1本が予備編成となっているが、フェリーとの連絡の都合上昼間に和歌山港駅で停泊する編成が1編成生じてしまう。自由席特急はこれを補完するために運転されていた。1968年3月から1985年10月までの間は、新今宮駅・堺駅・岸和田駅の3駅のみ停車の速達性を重視した列車でさらには四国徳島港接続や、南紀(紀勢本線)直通といった長距離輸送の役割も担っていた(詳細は「歴史」の節を参照)。1968年3月以前の和歌山市駅発着の特急は泉佐野駅以北が現在の急行に近く、堺駅 - 泉佐野駅間は現在の急行停車駅から羽衣駅を除いたものと同じであったが、逆に泉佐野駅 - 和歌山市駅はノンストップであった。これは、1954年の登場時に市制を施行していた沿線の7市に1駅ずつ停車するパターンである。なお、末期の1966年には新今宮駅に停車するようになったが、同年に市制を施行した高石市の羽衣駅に停車することはなかった。2005年11月のダイヤ改正で昼間時間帯(土休日は一部時間帯をのぞく終日)において急行停車駅(羽衣駅・泉大津駅・貝塚駅)から和歌山市駅へ行く優等列車がなくなった。このため前述の3駅から和歌山市駅へ行くには岸和田駅かみさき公園駅での乗り継ぎが強いられている。1968年3月に特急は四国連絡・南紀直通だけとなって泉大津駅・貝塚駅・泉佐野駅の3駅は通過となり、1973年に和歌山市駅発着の自由席特急が復活した後も、停車駅は当時の「四国号」と同じであった。その後の度重なる停車駅の追加により、現在では泉佐野駅を境に、北部は特急、南部はかつての急行の役割を担う性格の列車となっており、難波駅 - 和歌山市駅間で最も速い急行との所要時間差は3分程度でしかなくなっていた(一部自由席連結の「サザン」も同様である)。2012年の7月2日から9月7日まで夏季の電力事情に対応するため、お盆期間(8月13日-15日)をのぞく平日の日中に特急「サザン」4本を自由席特急に変更して運行した。一時的であるが、同年3月に廃止されて以来約3か月ぶりに復活した。なお、事故などでダイヤが乱れた場合に「サザン」が自由席特急に差し替えられる場合がある。1994年以前に運転されていた、通常の急行停車駅に加え春木駅に停車する急行。車両の種別表示幕に、朱地に白線を加えた白文字で「」(旧式の表示幕の場合は「」)と記載されていたために、鉄道ファンなどの間では「白線急行」または「春木ライン」と形容されていた。定期列車としては空港急行および羽倉崎駅発着の区間急行の事実上の前身で、難波駅 - 泉佐野駅・羽倉崎駅間で運転されていた。また、難波駅 - 多奈川駅間で運転された多奈川線直通の淡路航路連絡急行「淡路号」もこれに含まれていた。春秋の行楽シーズンや夏の海水浴シーズンには和歌山市駅まで延長運転され、盆や年末年始の帰省シーズンには特急運転時間帯以外に和歌山港駅まで延長運転された。なお、単なる「急行」として運転される春木駅通過の和歌山市駅発着の急行は、岸和田競輪開催時には春木駅に臨時停車するが「─急行─」としては運転されず、あくまで春木駅に臨時停車する「急行」として運転された。1993年に多奈川直通急行が廃止。1994年6月の空港線開業に伴う種別整理により「空港急行」に名称を変更して運行区間を現在の難波駅 - 関西空港駅間に変更、その後9月の関西国際空港開港に伴うダイヤ改正で羽倉崎駅発着(車庫引き上げをかねて運転されるもの)は区間急行に統合され、定期列車としての運転は消滅。その後は岸和田競輪開催時の春木駅臨時停車の急行が「─急行─」表示を掲げ運転されていたが、それも2005年の昼間時の急行廃止により姿を消した。ただし、その後岸和田競輪開催による春木発の臨時急行が運転されたため復活している。また空港急行が強風などの影響により空港線に入線できず泉佐野止まりとなった場合は白線急行(「─急行─ 泉佐野」表示)となることもある。なお、車両に種別表示幕が装備される以前は、先頭車に掲出されていた種別表示の丸い標識板が赤色で縁取りされたものであったため「赤丸急行」とも呼ばれていた。ちなみに空港急行がこの急行を継承した列車であるため、方向幕故障時などに使われる「空港急 難波 - 関西空港」の標識板にも同様に赤い縁取りが施されている。1994年以前は現行の停車駅の準急(当時は難波駅 - 高石駅・岸和田駅間で運転)に加え、朝ラッシュ時や早朝・深夜を中心に樽井駅・みさき公園駅・和歌山市駅発着の準急もあった。1968年に列車系統が再編されるまでは日中にも和歌山市駅発着の準急が運転されていた。これは現在の区間急行の前身にあたり、停車駅も設定当初の区間急行と全く同じであった(天下茶屋駅は通過)。また、種別表示幕が赤で「」となっており、「赤準急」とも呼ばれた(ただし特急に使われている「赤色」よりはむしろ「朱色」に近い。停車駅案内表では急行と同じオレンジ)。なお、青で「」と表示されている現行の停車駅の準急は「青準急」と呼ばれていた。両者を区別する必要がなくなった現在でもこの青準急は、車内放送で「堺まで各駅停車の準急行」と案内されることがある。1994年の空港線開通に伴う種別整理の際に、「青準急」との区別を明確にするため、羽倉崎発着の「─急行─」を統合した上で「区間急行」に名称を変更した。かつては「普通」とは別に、難波駅 - 住吉公園駅(現在の住吉大社駅)間に、現在は高野線専用となっている東線を走行し、今宮戎駅・萩ノ茶屋駅にも停車する「各駅停車」が運転されていた。一方、高野線の難波駅発着列車は、堺東折り返しの列車が「各駅停車」(ただし岸ノ里駅は配線上の都合で通過)として、それ以南に直通する列車が今宮戎駅・萩ノ茶屋駅を通過する「普通」として運転され、さらに汐見橋発の「各駅停車」も住吉東駅まで直通していた。その後、泉北高速鉄道の開業を控え、高野線の線路容量を確保するため、岸ノ里駅の高野線と連絡線との合流点上にホームが設けられ、高野線の「普通」を「各駅停車」に一本化したため、1970年11月23日の改正で廃止された。難波駅 - 堺駅間は、1885年に難波駅 - 大和川駅(のちに廃止)間を開業した阪堺鉄道が開通させたもの、堺駅 - 和歌山市駅間は南海鉄道が開通させたものである。阪堺鉄道は1898年に南海鉄道に事業を譲渡した。阪堺鉄道は、1883年に廃止された工部省釜石鉱山鉄道の車両やレールの払い下げを受けて建設されたため、開業当初は838mmという日本では特異な軌間の鉄道であった。また鉄道国有化前は、1984年 - 1993年に順次廃止された天王寺支線(天下茶屋駅 - 天王寺駅)を用いて、大阪鉄道(初代) - 関西鉄道の保有する今の大阪環状線に乗り入れ、大阪駅 - 住吉駅間の直通運転を行っていたこともあった。大和田建樹作詞の鉄道唱歌第五集で当路線が歌われている(和歌山北口駅 - 難波駅)。当時は民鉄が多かったが、鉄道唱歌に登場する路線で国有化されず民営のままなのは南海本線のみである。1929年から1930年に当路線全線と並行して阪和電気鉄道が開通すると、南海鉄道との間で列車のスピードアップや割引切符による運賃のダンピングなど、激しい競争が繰りひろげられることになる。対抗のため、日本初の冷房電車(2001形を参照)を1936年から1937年まで走らせたりした。同社は1940年に南海へ合併して山手線となり、1944年には戦時買収によって国有化され、阪和線となった。また1934年には、競合する阪和電気鉄道とともに「黒潮号」・「土曜列車」など紀勢西線(現在の紀勢本線)への直通運転も開始し、1940年から1951年の中断期を経て、1985年の紀勢本線における急行列車廃止に伴う「きのくに」消滅まで続けられた。末期の「きのくに」に使用されていた車両は自社所有の気動車(キハ5501、キハ5551形)で、和歌山市駅から紀勢本線に乗り入れ(紀和駅にも停車)、和歌山駅で天王寺駅発着の「きのくに」と分割・併合を行っていた。なお、種別は紀勢本線直通の急行であったが南海本線内の停車駅は当時の特急と同じ新今宮駅(1966年12月1日より)・堺駅・岸和田駅の3駅に絞られていた(1968年9月30日までは客車列車に限り泉大津駅・貝塚駅・泉佐野駅にも停車)。旅客案内上は誤乗車を避けるため南海線内においては「特急」と案内されていた。2005年11月のダイヤ改正以降の運行本数は日中・土日においては関西空港開業直後のダイヤと比べて約2割削減されている(基本・優等列車9本→8本、普通6本→4本)。駅名は最終のもの。住吉駅・大和川駅は阪堺電気軌道、高師ノ浜駅は高師浜線の駅とは別の駅。※:路線自体は接続しなくなったものの、加太線の列車は紀ノ川駅から南海本線を経由して和歌山市駅に乗り入れるため、実質的には現在も接続している。
出典:wikipedia
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