『寄生獣』(きせいじゅう)は、岩明均による日本の漫画。『モーニングオープン増刊』(講談社)にてF号(1988年)からH号(1989年)まで全3話の中編作品として連載された後、続きの第4話以降が『月刊アフタヌーン』(同)に1990年1月号から1995年2月号にかけて連載された。全64話。単行本はアフタヌーンKCより全10巻が発行された。2003年には連載時のカラーページを収録した完全版全8巻がKCデラックスで新しく発売され、その後も新装版、文庫版などが発売されている。謎の寄生生物と共生することになった、平凡な高校生・新一の数奇な運命を描く。物語の構図は人間の頭に寄生して人間を食べる「寄生生物」側、最初は捕食されるがままであったが後に反撃に転ずる「人間」側、そしてその中間者として存在する「新一とミギー」側という三者によって成立しているが、話の焦点は新一に置かれている。表題の「寄生獣」とは、劇中においては寄生生物の呼称ではなく、地球環境に害をなす人間を意味する単語として物語の終盤に登場する。人間がむごたらしく食い殺されるなど、過激な描写もある一方で、物語の軸には哲学的な主題があり、テーマ性の高さや、意外性のある劇的な展開、物語の世界観などが評価されて熱心なファンを獲得した。高い評価を獲得しながらも映像化権にまつわる事情のため、連載の完結から約20年間はメディアミックス化が行えずにいたが、2014年になってから映像化が行われている。2014年10月から2015年3月にかけて日本テレビ他にてテレビアニメ版が放送されたほか、2014年11月および2015年4月には山崎貴監督により2部構成の映画として実写映画化された。ある日突然、空から人知れず多数の正体不明の生物が飛来する。その生物は鼻腔や耳介から人間の頭に侵入し、脳を含めた頭部全体と置き換わる形で寄生して全身を支配し、超人的な戦闘能力で他の人間を捕食するという性質を持っていた。寄生後の頭部はもはや人間の物ではないが、自在に変形して人間そっくりに擬態する。彼ら「パラサイト(寄生生物)」は高い学習能力で急速に知識や言葉を獲得し、人間社会に紛れ込んでいった。その日まで平凡な高校生であった泉新一は、1匹のパラサイトに襲撃されるが、間一髪で脳の乗っ取りだけは免れる。パラサイトは新一の右腕に寄生して同化し、右手にちなんで「ミギー」を名乗るようになり、新一とミギーの共生生活が始まる。それと同時期に、他のパラサイトによるミンチ殺人事件が世界中で頻発し始めるが、犯人は不明とされていた。新一は世間に対して真実を明かさなくても良いのかと葛藤するが、ミギーは自己保身のみを考えており宿主である新一以外の人命には興味がないとし、自らの正体を露見させようとするなら新一に危害を加えることもいとわないと主張する。その一方で、新一が死ねば自分も生きられないミギーは、必要であれば新一を他のパラサイトから守るために同類と殺し合うことにも葛藤を抱かない。しかし、そうした新一とミギーの特殊な関係は他のパラサイトから警戒される。高校教師のパラサイト「田宮良子」や彼女の仲間と敵対することになった新一は、両親が戦いに巻き込まれないことを願うが、彼の母親は新しい宿主を探していたパラサイトに遭遇し、殺害される。新一はパラサイトとなって自宅に現れた母に動揺し、手出しのできないまま心臓を刺し貫かれて致命傷を負うが、ミギーが新一の体内に入って心臓を動かしながら修復することで心肺停止状態から蘇生する。その際、ミギーの寄生細胞が体内へ拡散した影響で超人的な身体能力を獲得した新一は、母親を乗っ取ったパラサイトと再会して復讐を遂げる。しかし、融合による変化は新一の精神面にも現れ、彼を悩ませるようになる。その一方、ミギーも新一との交流を通じて次第に人間の価値観を理解していく。新一のガールフレンドである村野里美は、彼の劇的な変化と変わらない優しさに困惑する。その頃、新一の住む地域の隣町では、パラサイトこそが地球の環境に調和をもたらす救世主と考える政治家の広川剛志が市長に当選し、不完全ながらも社会性を獲得したパラサイトたちが秘密裏に集まるようになる。学校を去り「田村玲子」と名を変えていた「田宮良子」は広川の試みに協力しつつも、生物学的には普通の人間でしかない赤ん坊を妊娠・出産し、生殖能力を持たないパラサイトのアイデンティティーについて思索を重ねる。「田村玲子」は新一とミギーの存在を、パラサイトたちの今後にとって指針となると考え、他のパラサイトや人間を調査のために差し向けるが、行き違いを経て新一は幾度となくパラサイトと戦うこととなる。その結果、新一の周辺の人々が巻き込まれて犠牲となっていき、新一は広川のグループと対決する決意を固めていく。また、「田村玲子」も独自の思想を他のパラサイトから警戒され、仲間割れによって広川のグループを追われる。「田村玲子」を敵とみなしたパラサイトたちは彼女の策略によって返り討ちにされるが、彼女もまた一連の事件に巻き込んだ人間から復讐されて命を落とすこととなり、育ててきた赤ん坊と思索の末に出した結論を新一に託す。一連の事件を経て、すでにパラサイトの存在は警察や自衛隊の知るところとなっており、広川たちの拠点である市庁舎への掃討作戦が計画されていた。新一は自分がミギーに寄生されていることを隠しつつも、パラサイトと遭遇してきた経歴を買われ、さらにもうひとりの協力者で、快楽殺人者として警察に拘留されつつもその経歴から人間とパラサイトを判別する超能力を持った浦上と共に作戦に同行する。周到な準備と人間としての組織力、そして一般人の犠牲をいとわない作戦によって、市庁舎にいたパラサイトたちの大半は駆除される。広川は敗北を悟ると、突入してきた自衛隊員たちに対し、地球環境を汚染する人間は万物の霊長などではなく、地球を食い物にする「寄生獣」であると演説するが、彼らに射殺される。自衛隊員たちは、パラサイトの首魁とみなしていた広川が人間だったことに気がついて困惑するが、その直後、頭と四肢に合計5体が融合したパラサイト「後藤」に襲撃されて全滅する。「後藤」は以前から因縁のあった新一とミギーを宿敵と見なし、再戦を宣言する。また、浦上は混乱に乗じて監視役を殺害し、現場から逃走する。新一とミギーは「後藤」から勝ち目のない戦いを挑まれて逃げ回ることになり、乾坤一擲の策にも失敗した結果、ミギーは新一を逃走させるための犠牲となって「後藤」に取り込まれてしまう。新一は失ったミギーの存在の大きさと友情から失意に暮れるが、逃走先で見ず知らずの他人に助けられ、再戦を決意する。新一は半ば自暴自棄になっていたために苦戦するが、不法投棄されていた有毒な産業廃棄物に助けられる形で勝機を掴み、ミギーを取り戻して逆転する。勝利した新一は、必死に生き延びようとする「後藤」の姿に心を動かされてとどめを躊躇するが、最終的には手を下す。広川の一件をきっかけにパラサイトたちが表立った行動を控えるようになると、ミギーは「後藤」との一時的な融合で得た経験を糧に思索のための長い眠りにつくことを宣言し、普通の右手に戻る。1年後、新一は戦いの中で精神的な支えとなった里美との交際を続けながら平穏な日常を取り戻していたが、彼らの前に逃走していた浦上が再び現れる。新一がパラサイトと共生していることを最初から見抜いていた浦上は、里美を人質に新一を呼び寄せ、自分のような快楽殺人者こそ人間の本質であると主張し、人間とパラサイトの中間的存在と見込んだ新一の見地からの同意を求める。新一は言い淀むが、里美は浦上の主張を一蹴する。新一は里美を救出するために反撃し、一歩及ばなかったものの、里美は助かる。眠っていたはずのミギーが助けてくれたと新一が思いを馳せる中、物語は幕を下ろす。著者の岩明は本作を執筆するに当たって、先に結末までのプロットを決めてから登場人物を作っていく形で本作を執筆した。岩明にとっては初めての試みであったが、そうした作り方は自分に合っていたと述懐している。ただし当初の想定よりも連載が長期に及び、一部の登場人物の末路やテーマ性などには変遷もあったとされる。以下では原作の登場人物について説明し、特にパラサイトであると注記していない人物は、いずれもパラサイトに寄生されていない人間とする。パラサイトに対抗する人間の勢力。広川集団との対決において新一と協力関係にあるが、ミギーの事情を自ら明かすまでには至らない。新一とミギーに敵対的な立場で登場するパラサイトと、その協力者たち。人間に擬態している時のパラサイトの多くは無表情に描かれ、いずれもやや据わった三白眼のキャラクターとして描かれるが、擬態を解いた際にはむしろ表情豊かに表現される。またパラサイトの共通点として「名前に無頓着」という設定がされており、「田宮良子」「三木」については名前の由来が劇中で説明されている。他のパラサイトについては、「島田秀雄」が実体のない偽名であることが語られているのみで、名前の由来は明言されていない。なお「田宮良子」のように宿主の社会的立場を引き継ぐことはパラサイトにとって困難とされる。市長となった広川を中心に組織されたパラサイト集団で、ミギーからは「広川集団」と呼ばれている。しかし一枚岩というわけではなく、当初は田村玲子と協力関係にあったが、後に草野らの独断を発端として袂を分かつことになる。本作の連載と同時代、1980年代末から1990年代初頭が舞台となっている。不良生徒の描かれ方には当時の時代感が反映されており、学生服のスカート丈を長くした女子生徒や、パンチパーマをかけた前髪を高く盛り上げた髪型の男子生徒などが描かれている。物語に登場する地名には主に架空の市町村名が用いられているが、物語冒頭でパラサイトに捕食された一家は主人公の自宅から約10キロメートル先に所在しているとされ、その後に同名の家族がいる一家が「神奈川県××市」の自宅で惨殺されたと言及されている。また劇中で主人公の通う学校に駆けつけた救急車に、書き文字で「相模原(数文字不明)局」という実在の地名が書かれているのを判読できる場面がある。主人公の住む地域と隣接する自治体名として「東福山市」という架空の地名が登場しており、物語後半で主人公らの敵となる広川が市長として就任するほか、登場人物のひとりである加奈の自宅や、クライマックスの舞台となる市役所が所在していると言及されている。また、主人公の母親が旅行先で殺害され復讐の戦いの舞台となる地名として「桜崎」という架空の地名が登場するが、劇中では静岡県の伊豆に所在しているとされ、主人公の家から向かうにはJR沼津駅から高速船で向かうのが最短で、三島駅からバスで向かうのが次善であると言及されている。主人公たちが通っている高校は「西校」と呼ばれており、主要登場人物らの学生生活が描かれているが、原作中では正式な学校名は明かされていない。他には加奈や光夫が通っている「北高」という名の隣町の高校や、「田村玲子」が講義を受けていた「東南大学」という名の大学が登場する。元来の「パラサイト」とは寄生生物全般を表す英語parasiteである。それから転じて、人間に寄生して脳を食べて体を乗っ取ってしまう謎の生命体を、劇中における日本政府・日本人が「パラサイト」と呼称している。劇中では「寄生生物」や「バケモノ」とも呼ばれており、「寄生生物」にルビで「パラサイト」と表記される場合もある。パラサイト自身が自分たちを指してパラサイトと自称する場面は少なく、劇中では単に「我々」または「仲間」などと呼んでおり、「寄生生物」にルビで「われわれ」「仲間」などと表記される場合もある。パラサイトには細かい設定やルール付けがなされており、それらが複雑に絡み合っている。身体的な特徴として、パラサイトは基本的に物を考える「寄生部分」と、元の人間や生物の肉体である「宿主」に分かれる。本来この生物は、本能的に「人間の体内に潜り込んで脳を奪って寄生すること」が目的だが、様々な理由から「寄生失敗」となることがある。失敗したパラサイトは本能的に「人間の脳を乗っ取って寄生できず、失敗した」という認識を持っている。新一は物語の途中で母の体を乗っ取ったパラサイトに胸部を貫かれ、心臓への直撃により客観的には「即死」と形容されるようなダメージを受ける。しかし脳死に至る前にミギーが新一の体内に潜り込んで一時的に心臓と一体化し、蘇生を行いながら損傷を修復したことにより一命を取り留めた。その際、ミギーの体組織が心臓から拡散し、ミギーの細胞と新一の細胞が完全に結びつき、変質化したことによる影響(副作用)が起きている。本作を連載していた当時の『月刊アフタヌーン』は、本流から外れた独創的な漫画作品を掲載している雑誌の中では最も著名と言える位置づけの雑誌であった。本作が連載されていた1990年代半ば頃は、漫画の売れ行きがピークを迎えると同時に「近頃の漫画はつまらない」という言説が取りざたされるようになった時期でもあり、本作はそうした言説の中にあって例外として評価された作品でもある。連載当時における本作は、藤島康介の『ああっ女神さまっ』と並び立つ『アフタヌーン』の看板的な作品であり、雑誌編集部はもっと連載を続けさせたい意向であったともいわれ、1995年に連載を終了した後も、『アフタヌーン』のコラボレーション企画では比較的大きな扱いを受けているのを見て取ることができる。なお本作は根強い人気を持ちながらも知名度の低い作品という印象で語られがちであるものの、単行本はロングセラーとなっており累計発行部数は多い。本作の連載中は環境問題が大きなブームとなっていった頃でもあり、また連載が終了した1995年初頭は阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件の影響もあって社会に終末的な空気が漂っていた時代でもあった。本作は普遍的な題材を扱いつつも、連載当時の時代性や風潮、若者の言葉遣いなどが色濃く反映された作品でもある。本作のように人間以外の生態系の側から環境問題を問う形で物語が始まるものの、物語の途中でそれが否定されて異なる結論に到達する構造は、宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』や、楳図かずおの『14歳』といった同時代の漫画にも見ることができる。特に漫画版『風の谷のナウシカ』と本作は、いずれも連載当時の環境問題ブームと関連づけられて評価されながらも、著者がそのブームに対して否定的な見解を述べていることや、隣人的な存在が敵となるという他者感覚、人類が罪を背負って生きていくという結末などの点で共通点がある。作者の岩明によれば、本作の元となる作品の構想を思いついたのは漫画家としてプロデビューする前のことであるという。最初から「主人公の手が意思を持って動き出す」という状況に「環境問題」を絡めて描くというところまでは決まっていたものの、当初はラブコメディー的な内容の投稿作品を想定していたとされる。当初はお蔵入りのアイディアとなっていたものの、岩明にとって最初の連載長編作品であった『風子のいる店』における反省点を活かせる題材として日の目を見ることとなった。連載開始時は読者に訴えるような強いメッセージ性を込める意図はなく、「嫌な理屈で来る新型生物を読者に紹介する」という程度の気構えであったと述懐しているが、連載を終える頃までには何事もテーマと結びつけて深く考えるのが日課となっていたという。当初は全3話完結の予定で、当初の掲載誌であった『モーニングオープン増刊』で発表された第3話まででまとまった話になっており、この序盤において既に物語全体のテーマが縮図として提示される形となっている。その後『月刊アフタヌーン』へ移籍してから最初のエピソードとなる第4話では、『アフタヌーン』からの読者に向けた仕切り直しのプロローグが描かれた。岩明は、基本的な構想自体は連載初期から大きく変わることはなかったとしており、物語終盤における最大の敵となるパラサイト「後藤」との対決も、最終的にはその結末が変更されたものの、連載初期から予定されていたと語っている。岩明が得意としているのは伝統的なストーリーテリングの技法に則って計算し尽くされたドラマツルギーであり、本作もまた1928年にウラジーミル・プロップが分類したストーリー類型「昔話の構造31の機能分類」に沿った構造となっているのが見て取れ、物語全体に程良く張り巡らされた伏線の回収は巧妙かつ模範的なものとなっている。特に、表題の「寄生獣」という単語の意味が明かされる第55話の展開(「#概要」を参照)は、劇中における人間とパラサイトの関係を反転させるどんでん返しになっているが、この展開は第1話の最初のページから周到な伏線が張られており、連載開始から約6年越しの伏線の回収で読者を驚かせる仕掛けになっている。一方、テーマには変遷もあったという。当初は「愚かな人間どもに対する警鐘」的な結末が構想されていたが、本作の連載が進むにつれて類似のテーマが世間で流行して陳腐化していくようになると、そのことに疑問を感じた作者が方向性を転換した。最終的に当初のテーマは、主人公たちの敵となる登場人物・広川個人の思想として引き継がれ、イデオロギーとしては否定的に描かれつつもその後の展開に影響を及ぼす軸となっていく。結果として物語は単なる環境問題の啓発や、環境問題を掲げて人間を批判する広川との対決で終わることはなく、人間とパラサイト、主人公自らの存在意義を追求するSFとして奥行きを持った展開が描かれていく。作者の岩明は、登場人物の容姿を設定するに当たって、身近な人物をモデルとすることは避けていたが、その数少ない例外として、鏡に映してミギーのモデルにしていた自身の左手を挙げている。また、最終話で殺人鬼・浦上が武器として用いた肉厚のナイフのモデルは、資料として購入した実在のナイフであるという。更に岩明は最終巻のあとがきで以下のような余談を明かしている。岩明は連載の最終話を脱稿した後、友人との酒の席で、酔った勢いで「浦上のナイフ」を弄び、誤って左手の親指を爪先ごと切り落とす怪我を負った。しかし指先は2か月後には元通りに再生し、「まるでミギー」という感慨を抱くと同時に、それ以上に人間の身体が大自然に支配され生かされていることを改めて思い知ったという。岩明の作品の特徴として、刃物による殺傷表現といった「切断」のシチュエーションへの執着を指摘する意見もある。特に本作の場合、人間の頭部に擬態したパラサイトが触手を刃物に変形させ、攻撃態勢を取る際には、あたかも人間の頭部が切り刻まれるかのように裂け、頭の断面が露出するような形態となる。この予備動作は同時にパラサイトの刃物によって犠牲者が切り刻まれる様子と対比されるものとなっており、加害者と犠牲者の双方で人体損壊の様子を見せる効果を生んでいる。岩明が手掛ける他の作品同様、パラサイトに切り刻まれて補食される犠牲者の死は即物的に描写されており、具体的でありながらも簡潔かつ象徴主義的で、本能的な行動として捕食するパラサイトと状況を理解できないまま殺される犠牲者といった図式を淡々と描くような、徹底的にドライな描写がされている。遺体は写生画のように描かれる。一方で、人間側に与するパラサイトであるミギーとジョーには、攻撃の際に内部構造が露出する表現が用いられない。岩明の画風は流行からかけ離れており、作画の技巧という面ではあまり高くは評価されていないものの、岩明は大学で美術を学んでおり、本作の連載初期には美術の技法を応用した独特の線や面の表現を見ることができる。ただし本作の連載が長期に及ぶにつれて絵柄の変遷もあり、物語か終盤に差し掛かる頃には、岩明の画風に漫画的な記号表現が取り入れられていくのを見て取ることかできる。人間に擬態するパラサイトの設定、特に物語序盤にイヌに寄生したパラサイトは、1982年のアメリカ映画『遊星からの物体X』から影響を受けたとも言われる。ただし『遊星からの物体X』は人間に擬態した地球外生物への恐怖で仲間同士が疑心暗鬼に陥るという典型的な「エイリアン侵略もの」の作品だが、『寄生獣』は同作のような「エイリアン侵略もの」の類型には収まらない展開となっている。また1972年の永井豪による漫画『デビルマン』との様々な側面での近しさもしばしば指摘され、本作の作者である岩明もそのことに自覚的であることは、『デビルマン』へのトリビュート企画として発表されたアンソロジーコミック『ネオデビルマン』でも示唆されている。一方で、本作に登場するパラサイトの描かれ方は、1991年のアメリカ映画『ターミネーター2』にも影響を与えたといわれ、具体的には同作で敵として登場し、液体金属によって自在に姿を変化させる人造人間「T-1000」の動きは本作の影響を受けているとも言われる。映画関係者の間に広まっている都市伝説として、本作の存在を知っていた同作の監督ジェームズ・キャメロンが、権利関係のトラブルを避けるために『寄生獣』の映像化権を買い取り、映像化しないままお蔵入りさせたという噂もあるが、あくまで都市伝説であり、そうした事実は発表されていない。早稲田大学教授・文芸評論家の加藤典洋は「文学を含め、戦後のベストテンに入る」としている。また「進路選択に迷ったとき、あるいは大学の授業がつまらないと感じたとき、異性にふられて悲しいときに読んでみることを薦める」としている。評論家・哲学者の鶴見俊輔はこの作品を「人生、2度目の衝撃でした」、「生涯に読んだもっともおもしろい本のひとつ」と評しており、夕食後読み始めて全巻を読了したときには夜が明けていたという。竹田青嗣も当作品を薦められた際に徹夜したが、その結果喀血し、結核の疑いで約1か月病臥した。心理学研究家の山竹伸二は書評“親殺しの文学”において「誰かが救うのではなく、自分自身で救う」という、外側からの救出ではない内側からの自己救出の物語として、村上春樹の『海辺のカフカ』と共に『寄生獣』を挙げている。福本伸行はお勧めの漫画のベスト3を挙げるよう求められた時、その中の一つに挙げている。以下には単行本における漫画の各話ナンバリングおよびサブタイトルを示す。本作は『モーニングオープン増刊』に全3話の短期連載作品として掲載された後、その続編となる内容が『月刊アフタヌーン』で連載されたが、『月刊アフタヌーン』掲載時には話数のナンバリングが一時的にリセットされており、後の単行本では第4話から第12話として掲載されているエピソードが、連載時には第1話から第9話として掲載された。しかし単行本では『モーニングオープン増刊』第1話から数えた通算話数が振られており、連載時のナンバリングも通算第13話以降では、単行本に合わせる形で通算での話数に統一されている。実写映画化およびテレビアニメ化が発表された2013年時点での累計部数は1100万部で、ベストセラーとなっている。メディアミックス化されていない漫画作品が完結後20年近くも売れ続けて1000万部を突破するのは希なことである。実写映画版が公開された2014年時点の累計部数は1300万部となっている。完全版では連載当時のカラー原稿がカラーページとして収録されているほか、連載時に掲載誌上で読者と交わされた一問一答やアフタヌーンKC版のあとがきの再録、鶴見俊輔による解説文が収録されている。表紙を変更した新装版が発売されている。ISBNがアフタヌーンKC版と異なる。完全版と異なりカラーページはない。2003年の『寄生獣(完全版)』に準じた内容を文庫サイズに縮小して発売された。完全版と異なりカラーページはない。実写映画版の公開に合わせる形で、コンビニエンスストアを通して流通する形態の廉価版がコンビニコミックとして発売された。ペーパーバックの装丁で、アフタヌーンKC版の単行本全10巻分の内容を全3冊に収録しており、表紙には実写映画版の写真が用いられている。アフタヌーンKC版では最終巻巻末に収録されていた付記(作者あとがき)は収録されていない。本作の電子書籍版は、アフタヌーンKC版の単行本に準じた内容の通常版のほかに、連載当時にはモノクロであったページにも彩色を施した全10巻の『寄生獣 フルカラー版』が、2014年2月21日から2014年5月9日にかけて発売されている。以下の6か国語に翻訳されている。(2015年6月現在)『寄生獣 セイの格率』(きせいじゅう セイのかくりつ)のタイトルで、2014年10月より2015年3月まで日本テレビほかで放送された。全24話。副題のうち「セイ」にはさまざまな同音異義語を含んだ多義的な意味づけがなされ、また「格率」はイマヌエル・カントによる哲学用語に由来するとされる。テレビアニメ化の発表は、同年の実写映画版の発表と同時に行われた。テレビアニメ化が発表された2013年頃における映画・放送業界では、実写映画とテレビアニメの企画を同時進行させることが多く行われており、本作の同時映像化もその流れに沿ったものである。こうした商業展開には、原作に準拠した内容のテレビアニメ版で原作の世界観を視聴者の間に浸透させた上で、原作とは別物という認識が一般的となっている実写映画版へと繋げるという意図が込められている。原作漫画が連載当時の時代を舞台としており、不良生徒の描かれ方などに当時の時代性を感じさせる描写がされていたのに対し、物語の舞台が21世紀に変更されており、登場人物がインターネットを利用する様子が描写されたり、登場人物が所持している小道具類がスマートフォンなどのデジタル機器に変更されたりするなど、放送開始時点における世相を反映させた日常風景が描写されている。また多くの登場人物の外見は、原作者である岩明の了承を受けた上で変更されている。これについてプロデューサーの中谷敏夫や、キャラクターデザインを務めた平松禎史は、原作における普遍的な部分は連載開始から26年が経過した現在においても変わっていないとし、これを現代の出来事として視聴者に見せるためのアレンジだったとしており、物語の舞台となる時代は置き換えつつ、変更は表層的な部分のみに留めるようにするという意識が制作スタッフの間で共有されていたとしている。制作スタッフの間には原作ファンも多く、展開の都合で原作にあった台詞を削ると不満の声を寄せる者もいたという。放送前にキャラクターデザインや出演声優が発表された際には原作読者の間で賛否両論を起こしたが、本編の内容は原作の台詞や伏線を忠実に拾ったものとなっており、放送開始後は出演声優やキャラクターデザインに対する批判は沈静化していった。パラサイトが人間を殺戮する場面の残酷表現は、闇雲に除外してしまっては原作の持つ哲学を表現できないという考えから、細部に渡って検討を重ねることで、表現規制や視聴者層との折り合いをつけることが試みられた。Ken Araiによる劇伴は、一般的なテレビアニメのセオリーに反して自己主張の激しいダブステップ風のエレクトロニック・ダンス・ミュージックを用いる挑戦的な作風となっており、放送開始直後から視聴者の間で賛否両論を呼んだ。原作とはサブタイトルが異なる。第1話から第21話までのサブタイトルは書籍の題名から採られている。第22話と第23話のサブタイトルは第21話のサブタイトルをもじったもの。2部構成の実写映画作品として第1部が『寄生獣』のタイトルで2014年に公開され、第2部『寄生獣 完結編』が2015年に公開された。監督・山崎貴により、主演の染谷将太が新一を演じ、画面上はCGで表現されるミギーの声とパフォーマンスキャプチャーとして阿部サダヲ、そのほか主要キャストとして深津絵里、橋本愛らが出演した。脚本は山崎と古沢良太の共同により、原作にあったモチーフを強調する形で設定を変更し、一部の人物を省き、時代設定を公開当時の現代に合わせるなどのアレンジが行われた。製作に至るまでにはハリウッドのニュー・ライン・シネマが映画化権を10年近くにわたり保持していたが、製作されないまま契約期間が終了し、その直後より日本国内数十社による争奪戦の末東宝が権利を獲得し映画化された。第1部公開後、島田秀雄を演じた東出昌大が『クローズEXPLODE』の演技と合わせ日刊スポーツ映画大賞・石原裕次郎新人賞を受賞している。原作漫画にセリフ・サウンドを加えたもの。2014年11月20日よりNTTドコモの動画配信サービス「dビデオ powered by BeeTV」にて配信中。第2話以降は毎週月曜日更新。全35話。なお主題歌はテレビアニメ版のエンディングテーマ「IT’S THE RIGHT TIME」を使用する。各話サブタイトルは原作漫画と同一。『月刊アフタヌーン』2003年5月号では、ミギーのフィギュアが付録化された。その後、同誌では2014年の映画公開に合わせ、2014年12月号(2014年10月25日発売)にて再びフィギュアの付録を予告していたが、フィギュアの一部に不具合があったため、直前になって本誌の発売そのものが中止。本誌自体は10月30日に付録抜きで発売されたが、フィギュアはお蔵入りとなった。2014年にはタカラトミーアーツより、ミギーのソフトビニール製のフィギュアやぬいぐるみが発売されている。2015年には『「新装版」刊行記念!』と題して新装版の1 - 10巻を購入して帯の応募券を葉書に貼って送ると海洋堂謹製のミギーフィギュアが1000名に当たる(全員サービスではない)プレゼントキャンペーンが行われた。
出典:wikipedia
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