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高槻市交通部

高槻市交通部(たかつきしこうつうぶ)は、大阪府高槻市の行政組織のひとつで、自動車運送事業を運営する部署(公営企業)である。一般に高槻市営バスと呼ばれる。全国で44の自治体が市営バスを運行させているが、大阪府下では2012年現在、大阪市と高槻市の2つの自治体しか市営バスを運行していない。1954年に民営の日の出バスを市が買収し、市営バスとなった。高齢者への無料パス等の配布等により、昼間人口の大半を占める人々らの足として、市の活性化と社会福祉の一環として見かけ以上に重要な部門となっている。営業区域がJR東海道本線(JR京都線)を境に南北地域に分かれており、原則、南地域は芝生営業所、北地域は緑が丘営業所の管轄となっており、JR線を境にそれぞれの営業所ごとに独立した運行形態となっている。このため、管轄営業所が重複している路線や区間・停留所がほとんど見られない。現在、重複している区間・停留所は北地域の芝谷東 - 寺谷町間とJR富田駅、日吉台口の2ヶ所の停留所のみである。一部の時間帯(平日)で緑が丘営業所管轄の原大橋、上の口、寺谷町線の系統では芝生営業所所属の車両が走っている。これは、緑が丘営業所車庫が満車でバスの増車ができないため、余裕のある芝生営業所車庫で増車をして対応しているためである。主要ターミナルは、JR高槻駅南・JR高槻駅北・JR摂津富田駅・阪急高槻市駅・阪急富田駅(小寺池図書館横)の5つである。運賃は、均一運賃制だが、山間路線については対キロ運賃制("整理券車")となる。系統番号は無く、行き先番号を採用している。従って、JR高槻駅南行きのバスはすべて1番(または、柱本団地方面行き・復路に三島江経由便は1A)・JR高槻駅北行きは11番(宮田公民館経由は11A、郡家経由は11B)と表示される。高槻市北部の田能・杉生・二料・中畑とJR高槻駅北を結ぶ山間路線は道路の関係から1kmほど(空谷橋 - 出灰)京都市西京区を走る。空谷橋停留所は京都市西京区にある市営バス唯一の市外停留所である。また、萩谷総合公園・萩谷行きの路線は道路の関係から変電所前停留所付近で茨木市を跨いでいる部分もある。かつては京都府亀岡市や大阪府島本町・京都府大山崎町・長岡京市(柳谷)にも足を伸ばしていたが前者が1983年、後者が1975年ごろまでに廃止されている。近年、全国の公営バスで運営の合理化のため、路線の民間移譲や営業所ごとの民間委託が行われているが、高槻市営バスでは1980年に番田線が京阪バスに民間移譲された以外には路線移譲や民間委託等は行われていない。なお、JR高槻駅南22:45発のみ柱本団地止めで駅方面へ折り返し運行しない便として設定されており、柱本団地到着後は回送となり、車庫へと引き上げる(一部の停留所の時刻表においても、柱本団地止めであることを示す趣旨の記載がなされている)。※ 2009年3月31日までは、53番終点は原大橋であったが、厳密には原大橋の先、原大橋 - 三島の郷前間に「原大橋回転場(以降回転場と表記)」という旧国鉄で言う所の仮乗降場のような性格の停留所があり、53番は往路復路共にこの「回転場」を終起点としていた。この回転場は1983年まで、樫田地区の路線は原大橋を始終着としており、樫田地区路線はこの回転場で転回しており、この路線と接続する高槻発の系統についてはこの回転場に乗り入れていた。なお「回転場」は53番以外にも原大橋 - 三島の郷前間を運行する系統も停車していた。2009年4月1日より、「原大橋回転場」あとに新設の「原大橋」停留所が設置され、原大橋停留所が2つとなったが、現在は原大橋に集約されて回転場としての乗客扱いは廃止されている。※ 摂津峡への最寄りは50番下の口行の下の口停留所と54番終点の上の口停留所であるが、このうち50番の下の口行は平日の午前中に2本運行されているのみである。そのため土・休日に下の口側から摂津峡へ行く行楽客は51番塚脇行に乗車のうえ塚脇で下車し、摂津峡公園まで歩いて5分ほどの道のりを歩くことになる(前述の通り50・51番共に循環系統のため「塚脇」「下の口」は終点ではないことに注意されたい)。過去においては日・祝日の昼間時間帯は全て下の口まで乗り入れており、下の口停留所でUターン(当時は循環系統ではなかった)するために後方誘導の係員が配置されていたが塚脇 - 下の口間の道路拡張工事のため路線休止となり、工事が終わった後も日・祝日に復活することなく現在に至っている。かつて阪急大山崎駅 - 柳谷(長岡京市)間を毎月17日のみ運行する柳谷観音参拝バスの運行があった。当該路線は高槻市交通部の営業路線としてではなく、月に一度の祭りがある柳谷観音自らが運行する参拝バスという位置付けで、方向幕は「貸切」表示であった。1975年まで高槻市交通部が尺代・柳谷線として路線を持っていた関係で長年高槻市交通部が輸送を請け負っていたが(路線が廃止された後もしばらくは柳谷には高槻市営バスのバス停標柱が立っていた)、その後阪急バスによる運行に変更され、現在は京阪京都交通が請け負っている。国道170号線を南下、淀川手前の番田地区を結んだ。1980年に京阪バスに路線移譲(現在の5・5A号経路)。高槻市営バスでは唯一の民間移譲路線で、以降、市営バスで民間移譲された路線は存在しない。2017年に、この路線を再整備し、開通させる予定。本町・土橋町など旧高槻城址の城下町をゆく系統だった。のちに市役所前経由に経路変更(現在の1・4番系統富田南線)。なお、1979年頃までは市バス車内掲示の路線図には“田町 - 市民会館 - 本町 - 城西町間、休止中”の但書き入りで経路が記載されていた。現在の昭和台線の前身で、国鉄高槻西口 - 国鉄富田駅間を短縮、西町 - 富田団地・富田団地東間を延長(5・18・18A)均一運賃区間の最北点である原大橋から市北部の樫田地区方面への路線で、運行当時は原大橋停留所で市内方面からの系統と接続していた。亀岡系統はもっとも遅くまで残った市外系統であった。1983年にすべて国鉄高槻北口から直通運転に変更し、亀岡系統については府境にある杉生集落まで短縮、亀岡 - 杉生間は廃止(11・61番)。中畑系統は中畑 - 中畑回転場間を延長(11・63番)。二料系統は一時期二料山荘 - 二料間を休止したが復活、現在に至る(11・62番)。清水沢は現在の田能停留所で現在樫田方面系統の最終便として運行(60番)高槻市内から国道171号線を東進、市街を越えて京都府長岡京市のはずれの柳谷集落までの路線で、末期は阪急大山崎 - 尺代・柳谷間の運行。1975年に定期運行廃止(貸切運行については上記参照)平日最終便は入庫系統として【52】大蔵司止を運行していたが、JR高槻駅北まで延長運行され51番に統合する形で消滅。平安女学院大学停留所廃止に伴い68番に統合長らく市中部の郡家・二中・大蔵司方面の循環系統として運行。のちに南平台東線(平安女学院系統)・塚脇・下の口線の充実に伴い廃止通常は国道171号線野田経由の六中前・前島系統も昭和50年代ごろまでにはわずかながら北大塚線の天川町経由も存在した。前島系統は早期にすべて野田経由に統一されたが、六中前系統は昭和末期まで夜間の1本のみながら運行されていた。芝生営業所管轄の路線で唯一西口発着の系統だった。阪急高槻市駅付近高架化工事の推移に伴い、JR高槻駅南発春日町経由に変更(現16番)、城西町経由は廃止。朝ラッシュ時に運行されていた循環系統で、国鉄・阪急高槻駅には乗り入れなかった。上記下田部団地線の経路変更に伴い系統廃止。市内から府道大阪高槻線を唐崎西口まで南下茨木市に隣接する玉川橋団地への系統。府道十三高槻京都線の供用開始に伴い、下田部団地経由に変更(現16A)。大阪府立三島高等学校 開校時に通学用として朝ラッシュ時に高槻駅ゆきのみ2本運行。通学客とサンスター等に通う通勤客などが利用したが、その後大阪府立芥川高等学校 が開校し三島高校への通学客の減少に伴い緑ヶ丘経由JR高槻駅北着(11)に統合。朝ラッシュ時に高槻駅ゆきのみ運行。のちにJR高槻駅北着(11)に統合。上の口線の混雑緩和により廃止。富田方面の系統はすべて西口から発着していた。JR高槻駅北口再開発事業の完成に伴い、すべてJR高槻駅北(11)発着に変更。朝ラッシュ時に高槻駅のみ運行。のちに北大塚始発に変更。1980年代後半に存在、夕方に1回運行されていた。三島江線が柱本団地延長時には姿を消していた。夜間の車庫前ゆき1本のみ運行で駅には乗り入れなかった。のちに阪急高槻駅に乗り入れ、その後、系統を分割(道鵜町発はJR高槻駅南行きに、芝生車庫前ゆきはJR高槻駅南発に変更)。市北部の樫田地区にあった高槻花しょうぶ園開園時の休日に運行されていた系統だったが、同園閉鎖に伴い運行終了。その他多数あり。1982年から1993年にかけて工事が行われていた阪急京都線高槻市駅付近連続立体交差(高架)化事業では、阪急高槻駅へ乗り入れていた路線を中心に大幅な経路変更が行われた。経路変更の変遷は以下のとおりである。関西圏ではよく見られた、後乗り前降りのツーステップを採用していた(かつて中乗り前降りを導入していたこともある)。1996年にワンステップバスを導入(いすゞキュービック+西工)して以降は、すべてワンステップもしくはノンステップで導入している。いすゞ自動車・日野自動車のシャーシに西日本車体工業製のボディーを使用した車両が大半で、導入比としては7割がいすゞ+西工、三菱ふそうの純正車体が3割程度。スケルトン車体化から西工廃業までいすゞ純正の車体は存在せず、すべて西工車体が架装された。その後、西工廃業直前にスペースランナーA(三菱ふそうエアロスターのUDトラックス供給車)を導入し、長年購入し続けた西工製車体に終止符を打った。芝生営業所には前述したような大型車のほか、大型のCNGノンステップ車が2台、中型を10.5mに伸ばした日産ディーゼル・スペースランナーJP、その他狭隘路線用の小型車も在籍する。緑が丘営業所では山岳路線を担当しているため、高出力車も在籍する。基本的にワンステップ車は標準尺、ノンステップ車は短尺で購入している。かつてはクリームの車体に青線の入った車両を用い、ワンマンカーにはさらに赤線が入っていた。現在は白の車体に下半分濃緑の裾回り・黄線で上部に黄緑帯をU字状にデザイン化したもの。高齢者福祉バスに使用される貸切車(ことぶき号)にはさらに「寿」の文字をデザイン化したポイントを入れている。かつて運行されていたレトロバス「ふれあい号」は紺1色を基本に上部を赤白のラインを入れていた。大半が営業所ごとの共通運用だが、下記路線については車両が指定されている。※ 整理券対応車については特に1.の路線での運用に限定されているわけではなく、大型車両が運行可能な路線であれば均一運賃路線でも運行されている。よって、富田団地線や北大塚線・日吉台線などでも走っている姿が日常的に見られる。もちろん、均一運賃の路線では整理券は発行されない。ただし、外観上は他の車両と一緒のため見分けはつかない。かつて運行されていたレトロバス『ふれあい号』も整理券対応車であった。※なお、前島線・阪急富田発着系統については特に大型車が走れないほどの狭隘路線ではないため、車両運用の都合上、大型車で運行される場合があった。中型車登場まではこれらの路線でも大型車が使用されていた。梶原線・昭和台線についてもワンマン化前は通常の大型車での運行であった。高槻市は自動車NOx・PM法の適用区域ゆえに、初期に導入されたワンステップ車については一部が地方の事業者への譲渡が始まり、すでに広島県の呉市交通局(事業撤退後は広電バスに引継)のほか、八戸市営バス・南部バス・くしろバス・北海道中央バス・富山地方鉄道・熊本電気鉄道・南国交通・和歌山バス那賀などに譲渡されている。南国交通では同年春に開催されたイベント“花かごしま2011”の無料シャトルバスとして活躍、イベント終了後は鹿児島市内線等で活躍中である。このほか、レトロバス「ふれあい号」が福岡県の民間の温泉施設に譲渡され、送迎に使用されている。また、京都京阪バスでも譲渡されている。

出典:wikipedia

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