矢板線(やいたせん)は、栃木県塩谷郡藤原町(現・日光市)の新高徳駅と同県矢板市の矢板駅間を結んでいた東武鉄道の鉄道路線である。矢板線は、現東武鬼怒川線を開通させた下野電気鉄道によって、高原山麓沿線の木材や鉱物資源を搬送するために開発された鉄道路線である。今でも、駅跡近くには製材所の面影を残す構造物が見られる。下野電気鉄道は太平洋戦争中の1943年(昭和18年)5月1日に陸上交通事業調整法に基づき東武鉄道に買収され、矢板線も鬼怒川線とともに東武鉄道の路線となった。しかし、鬼怒川線が日光線と接続して浅草駅からの直通列車が走るようになったのに対し、メインルートから外れた矢板線は近代化も行われず、1959年(昭和34年)6月30日をもって廃止された。最後まで蒸気機関車が混合列車を牽く昔ながらの運行形態が続いており、矢板線の廃止をもって、東武鉄道から蒸気機関車による旅客列車が消えた。新高徳駅 - 西船生駅(にしふにゅう) - 船生駅(ふにゅう) - 長峰(ながみね)荷扱所- 天頂駅(てんちょう) - 芦場駅(よしば) - 玉生駅(たまにゅう) - 柄堀駅(からほり) - 幸岡駅(こうおか) - 矢板駅事業者名は東武矢板線廃止時点のもの晩年は5往復(うち2往復は新高徳 - 玉生間)。明治生まれの古典蒸気機関車(ピーコック)を使用していたため、矢板より幸岡に向かう旧国道4号(現県道30号)越えの高架橋の坂、幸岡の丘陵越えの坂にさしかかると止まりそうなスピードになり、乗客が降りて列車を後押ししたという。地元では下電の「ポッポ汽車」と呼び親しまれていた。矢板線廃止にあたっては、同線が塩谷町の主要生活路線としての機能も一部有しているとして、東武バスが転換バスを矢板 - 新高徳、日光、今市、鬼怒川温泉間で運行させることとなった。しかし、採算性が悪かったため後に撤退し、その後は東野交通、さらに塩谷町代替バス(関東自動車委託)に引き継がれるも2003年3月で撤退した。2003年4月からは藤田合同タクシーが一般路線バス事業に参入する形で、矢板 - 新高徳間を受託運行していた。主に国道461号を経由している。しかし、 同路線の矢板 - 矢板高校間にしおや交通が無料バスを運行させるなど(矢板無料バス事件)したこともあり経営が悪化、2014年5月21日に全線運休。12日間の空白期間の後、6月2日から5日まで日光市と塩谷町が運行し、6月6日以降はしおや交通が運行している。
出典:wikipedia
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