保谷車両管理所(ほうやしゃりょうかんりしょ)は、かつて東京都西東京市に存在した西武鉄道の車両基地である。2000年(平成12年)3月の組織変更に伴って車両管理業務を武蔵丘車両管理所へ移管し、保谷電留線(ほうやでんりゅうせん)と改称された。電留線への格下げ後は主に保谷駅を始発・終着とする列車の留置線として用いられ、夜間早朝には小手指車両基地より係員2名が派遣されラッシュ時営業線対応に当たっている。上り本線沿いに10両編成が3編成収容できる留置線(1・2・3番線)があり、夜間はそれぞれ翌日に使用する車両が留置されている。なお、事故などでダイヤが乱れた場合、当駅止まりの列車がここに一旦収容されて、折り返し運用に入ることもある。2008年10月現在、4・5・6・7番線とピット内12・13・14番線、および保谷駅ホーム2番線北側の引き上げ線は、使用停止となっている。また電留線の入口付近の踏切横に西武鉄道保谷総合事務所ビルが建設され、検修棟・管理棟も撤去されピット線も使用停止となっている。以前は敷地裏手に鉄道職員への専門教育(動力車操縦者の習得など)を行うための養成所が設けられていたが、現在は東村山市秋津町に移転された。また、同所にはE11形電気機関車12号機と5形蒸気機関車5号機が静態保存されている。1922年(大正11年)10月に西武鉄道の前身事業者である武蔵野鉄道によって保谷電車庫として開設された。戦後は保谷車両工場(復興社保谷車両工場)として車両の検査・修繕ならびに製造業務を担当したが、1950年(昭和25年)にそれらの業務は復興社所沢車両工場へ集約された。その後保谷車両管理所への改称が行なわれ、池袋線の車両管理を担ったが、車両の増備や編成の長大化に伴って敷地が手狭となったことから、前述の通り2000年(平成12年)3月に埼玉県飯能市に新設された武蔵丘車両管理所(現・武蔵丘車両基地)へ組織を移管、当所は車両配置のない電留線へ格下げされた。
出典:wikipedia
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