大隅国(おおすみのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。西海道に属する。和銅6年(713年)4月3日に、日向国の肝杯郡、囎唹郡、大隅郡、姶羅郡の四郡を分けて設けられた。この姶羅郡は、現在の鹿屋市周辺を指し、後に肝属郡に編入された。現在の姶良郡は、始羅(しら)郡がこの姶羅と混同されたための名称である。また、菱苅郡(現在の伊佐市周辺)・桑原郡(姶良郡湧水町周辺)・始羅郡(姶良市周辺)は、成立当初の囎唹郡に含まれる。天長元年(824年)10月1日に、現在の屋久島と種子島にあたる多禰国をあわせた。明治12年(1879年)、奄美群島(大島郡)を編入した。明治30年(1897年)には、現在の三島村、十島村地域が薩摩国川辺郡から大島郡に編入された。(以下は令制国が現在でも法的に廃止されていないと解した場合の記述である)太平洋戦争後、大島郡(三島村地域を除く)はアメリカ統治下に置かれたが、昭和27年(1952年)には十島村(トカラ列島)が、次いで昭和28年(1953年)に残る奄美群島地域が日本に返還されたことにより、大隅国に復帰した。しかし昭和48年(1973年)には、三島村、十島村が鹿児島郡(旧薩摩国)へ移行離脱した。もっとも現在における令制国の扱いは法令上不明確なため、北海道の上川郡のように鹿児島郡が2つの令制国にまたがる郡の扱いであった可能性もある。この場合、大隅国鹿児島郡と薩摩国鹿児島郡が存在していたことになり、現在薩摩国鹿児島郡は消滅して大隅国鹿児島郡ということになる。国府は『色葉字類抄』によると、桑原郡。『拾芥抄』および易林本の『節用集』では、贈於郡とある。現在の霧島市国分府中にあったと推測されているが、遺跡はまだ見つかっていない。
出典:wikipedia
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