涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。松戸市立寒風台小学校時代はソフトボールをしており(寒風台ソフトボールチームに所属)、野球は松戸市立第六中学校に進学後のシニアリーグ(松戸シニア)で始めた。その後横浜高等学校に進学。入学時から松坂大輔二世と呼ばれていた。高校2年春に第75回選抜高等学校野球大会に1学年上のエース成瀬善久らと共に出場。準決勝までは成瀬のリリーフとして登板。決勝戦では先発したが、広陵高の打線につかまり3-15と大敗した。第85回全国高等学校野球選手権大会神奈川大会では3回戦の港北高戦で成瀬に代わり先発を務めたが、ノーシード高相手にリードを許す苦しい展開となり成瀬の休養に失敗。9回逆転で辛くも勝ち上がる。チームは決勝進出を果たし、3年生エース給前信吾、2年生の田澤純一を擁する横浜商大高校と対戦するが、肩を痛めていた成瀬が1回で降板し、2番手として登板したものの失点を重ね、打線も奮わず敗れ春夏連続出場を逃した。3年夏には第86回全国高等学校野球選手権大会1回戦の報徳学園戦では完投勝利。打撃でも本塁打を含む2安打を記録した。2回戦の京都外大西戦では延長戦にもつれ込んだが完封勝利した。3回戦の明徳義塾戦は5点を失うも完投勝利。準々決勝の駒大苫小牧戦では7回5失点を喫しチームも1-6で敗れた。第59回国民体育大会決勝戦では東北相手に14奪三振を記録し完投勝利した。2004年ドラフトで西武ライオンズから、単独で1巡目指名を受けた。2013年11月19日に千葉ロッテマリーンズと初交渉し、12月18日に球団は契約合意したと発表した。12月25日に入団会見を行い、背番号は西武入団時と同じ16と発表された。球持ちが良くバランスの取れたフォームからキレのよい速球と多彩な変化球を投げる本格派右腕。豊富な走り込み量によって培われた強靭な足腰を持ち、9回でも140km/hを越える球速を計測するスタミナを備える。江夏豊は「フォームのバランスの良さでは涌井は今の日本球界において3指に入るだろう。他の投手と比べても、打者寄りでボールを離しているように見える。(中略)下半身の粘りがなければあれだけ長くボールを持った投球というのは難しいものだ」と述べている。スリークォーターから投じる平均球速約142km/h、最速151km/hのストレートは、普段は140km/h程度に抑えているが、ここぞの場面では140km/h後半を記録するように全力投球し、2012年にクローザーとして起用された際には平均球速約145km/hを記録した。このような投球スタイルについて投手コーチだった潮崎哲也は「先発して初回から普通に投げている時は(中略)力の入れ具合という部分で余裕を持って投げている。その代わりここ一番という所では全力で勝負できます」と証言している。また、リリースポイントが普通の投手より前にあることで、スピード表示より体感速度が速いと言われ、松沼雅之によると「涌井投手のフォームの特徴は、ロスがなく全ての力を一点に、つまりボールに伝えて投げていること。そのため実際のボールのスピードよりバッターには速く見える」と言う。変化球は縦横のスライダー、120km/h前後のカーブ、100km/h前後のスローカーブ、フォーク、チェンジアップ、シュートを投げ、「どの球種でもストライクが取れ、勝負できるため、バッターからは絞り辛い」と言われる反面「空振りを取れる決め球がないため、一試合の球数が増える傾向にある」とも指摘されており、実際に奪三振率は2015年までの通算で6.59、キャリアハイ(2009年)でも8.46と高くはない。2010年は前年に被打率.115を記録していたフォークが変化しなくなったことに苦しみ、渡辺久信は「2007年まで決め球だったフォークの復活が今後の課題」と述べた。潮崎は特徴のひとつとして試合中の修正力、アレンジ力に優れていることを挙げている。江夏も「その日の調子を早い段階で読み取り、投球の軸に調子の良い球を据える。それを自分の判断で出来るというか勝負のポイントで使っている涌井の姿をよく見る、感心するほどだ」と評している。フィールディングも上手く、バントの打球を素早く処理し、一塁走者を二塁で封殺することも多い“最後の夏”の結末は…渡辺監督率いる横浜が勝ち続けてきたワケSponichi Annex 2015年8月31日閲覧。。牽制の技術も秀でており、2011年には両リーグ最多の5度の牽制アウトを記録した。毎年、独自練習のメニューを作成している大迫幸一は「フィジカル面で彼(涌井)の陰の努力は半端ではない」と舌を巻く。特に走り込み量の多さは球界有数で、下半身が大きくなり、オフに買ったジーンズの膝が座ったと同時に破けたこともある。潮崎哲也も「野球に対する取り組みは真剣で真面目、自分の置かれている立場を理解して、周りにも良い影響を与えている」と高く評価している。落合博満は涌井の印象を「ポーカーフェイスでマウンドに立ち、1人で投げきった。ストライクをボールと判定されても顔には出さず、自分の中にしまい込んでいた。最近は喜怒哀楽を表に出す選手が多い。その中で、まだこういう選手がいたのかと、ちょっと嬉しかった」と書いている。プレー中だけでなく写真撮影で笑顔になることも苦手で、雑誌の取材は苦労するという。しかしとても涙もろい一面があり、石井貴の引退試合、赤田将吾のトレード発表の際には、人目もはばからず号泣する姿が報道された。漫画やゲームが大好きで、帆足和幸と「ONE PIECE会」を結成し、ONE PIECE好きが講じて漫道コバヤシ「映画ONE PIECE FILM Z公開記念特番」(2012年12月14日)にも出演した。さらに西武時代には、チームで流行していた「ボンバーマン」は一番の腕前であった。炭谷銀仁朗は「涌井さんが一番強いんで、みんなチームを組みたがるんです」と語っている。銀仁朗とゲームで親交を深めた結果、最優秀バッテリー賞を受賞した。苦手な取材も、終わると笑顔になるという。試合中と普段のギャップの激しさから、文化放送ライオンズナイターでは「ピッチングは大人、言動は子供」と評され、潮崎からも「まだまだ、おこちゃまなところがある」と言われる。チームメートは涌井を「不思議ちゃん」と評し、雑誌では「ツンデレ系」とも評された。「エース」と呼ばれることに違和感を持っており「(エースと呼ばれることに)拘りはありません。二番手・三番手とか順番を付けるのもいらないと思います。マウンドにあがった投手全員で勝ちにいくのが、強いチームだと思う」という持論を持っている。幼少時は偏食だったが現在は野菜中心の食生活を心がける。キャンプ中に鳩サブレーばかり食べていたことを帆足から暴露された。▪ 「AMBITIONS JAPAN」 TOKIO(2015年)▪「Anniversary!!」 E-girls◾「every little thing every precious thing」 LINDBERG▪「くるみ」 Mr.Children▪「The One」 ビーグルクルー
出典:wikipedia
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