サンアントニオ・スパーズ(San Antonio Spurs)は、アメリカ合衆国テキサス州サンアントニオに本拠を置くプロバスケットボールチーム。チーム名のspurとはカウボーイがブーツの踵に付ける小さな鉄製拍車のこと。NBA(National Basketball Association)のウェスタン・カンファレンス、サウスウェスト・ディビジョン所属。AT&Tセンターがホームコート。ABAの消滅とともにNBAに加入した4チームの内の一つで、唯一NBAチャンピオンを獲得している。ボストン・セルティックスの17回、ロサンゼルス・レイカーズの16回、シカゴ・ブルズの6回に次ぐ5回の優勝を達成している。現在、既存のすべてのフランチャイズに対し勝ち越しており、NBAに於ける通算最高勝率を維持している。NBAに加入した1976–1977シーズンから通算38シーズンで、プレーオフ進出を逃したのは僅か4シーズンのみで、20回のディビジョンタイトルを勝ち得ている。1997年にティム・ダンカンが入団して以来、19シーズン連続でプレーオフに進出している。17シーズン連続で50勝以上を挙げており、ロックアウトで短縮されたシーズンに於いても50勝以上に相当する勝率を挙げており、これらを含めると19シーズン連続となるシーズン50勝以上に相当する勝率を維持し続けている。レギュラーシーズンのフランチャイズ記録は2015-16シーズンの67勝15敗で、このシーズンのホームコート41勝1敗はNBA記録である。1984-85シーズン後にガービンがシカゴ・ブルズに移籍した後は地区でも最下位になるなど低迷の時代となった。続く4シーズン(1988-89シーズンまで)の成績は115勝215敗となった。は、ヘッドコーチに、1988年にカンザス大学をNCAAチャンピオンに導いたラリー・ブラウンが就任し、後のヘッドコーチ、グレッグ・ポポヴィッチがブラウンにアシスタント・コーチとして招かれ、NBAでのキャリアをスタートさせた。当時、核となる選手が1986年にNBA最優秀守備選手賞に選ばれたアルヴィン・ロバートソンぐらいで、低迷していたスパーズは21勝61敗でシリーズを終えた。この年のチャンピオン、デトロイト・ピストンズは、アイザイア・トーマス、ビル・レインビアらのバッドボーイズが揃い、激しいディフェンス、ラフプレイお構いなしの凶暴なチームで、NBAの侵略者と自らを称し、最も嫌われた所謂ヒールチームであった。このチームは次シーズン連覇を果たしており、只の荒くれチームでは無いことを証明している。この状況が変わるのは、1987年にドラフト1位で指名された海軍兵学校のデビッド・ロビンソンが卒業後2年間海軍で兵役に就いた後1989年よりチームに加わってからだった。ロビンソンは海軍で軍役に就いていたため、提督(The Admiral)のニックネームでも呼ばれることになる。ブラウン体制の2年目の1989-90シーズンには大きく躍進し、ブラウンとポポヴィッチは見事にチームの再建を果たすこととなる。は、待ち望まれていたデビッド・ロビンソンがスパーズに合流し同じ年にドラフト全体3位で指名されたショーン・エリオットやテリー・カミングスの加入によってチームは盛り返し、前年に35勝上乗せした56勝26敗でシーズンを終えた。この年はクライド・ドレクスラーが主力となりウェスタンカンファレンスを制してファイナルに進出したポートランド・トレイルブレイザーズにカンファレンス準決勝で3勝4敗の末敗れた。ロビンソンは新人のセンターとして1試合平均24.3得点、12.0リバウンドをマーク、新人王を獲得した。は、55勝27敗でディビジョンを制してプレイオフに進出したが、1回戦でゴールデンステイト・ウォーリヤーズに1勝3敗で敗れた。このシーズンは、優勝を果たしたシカゴ・ブルズ、マイケル・ジョーダンの時代が始まったシーズンであった。は、47勝35敗と昨シーズンより成績を落とし、ディビジョンの覇権をジャズに奪われ2位となり第5シードでプレイオフに進出したが、プレイオフ1回戦でサンズにスィープされチームは、ラリー・ブラウンを1991-92シーズン終盤に解雇した。このシーズンは開幕直前にマジック・ジョンソンの引退がありウエスタンの勢力図が塗り替わったシーズンでもあった。もう一つの大きな出来事として、バルセロナ五輪代表のかつてない豪華な陣容である「ドリームチーム」結成があった。スパーズからはデビッド・ロビンソンが参加し、NBAの国際的な人気を決定付けると共に、バスケットボールブームを巻き起こした。、ラリー・ブラウンの解雇に伴いポポヴィッチがゴールデンステート・ウォリアーズに移り、こちらも名将の誉れ高いドン・ネルソンのもとでアシスタントコーチとなった。スパーズはカレッジのUNLVのヘッドコーチだったジェリー・ターカニアンと契約したが、序盤の20試合を9勝11敗となったところで解雇した。その後は1試合をおいて、ジョン・ルーカスが引き継ぎ残りシーズンを49勝33敗まで持ち直したものの、このシーズンはディビジョンの覇権をロケッツに奪われ、第5シードでプレイオフに進出、一回戦はブレーザーズを破ったが、またしても、チャールズ・バークレーの活躍で ファイナルに進出したフェニックス・サンズに敗れた。そのサンズもシカゴ・ブルズ、マイケル・ジョーダンの前には、力尽き3連覇を許している。スパーズはシーズン終了後に現在のオーナーグループがチームを購入し、新しく建設されたアラモドームに本拠地を移した。は、オフシーズンにショーン・エリオットとのトレードでデニス・ロッドマンを迎えて55勝27敗を記録したが、プレイオフ1回戦で、ジョン・ストックトンとカール・マローンの強力コンビを擁するユタ・ジャズに完敗し、ルーカスヘッドコーチはすぐに解雇された。に、ポポヴィッチが、スパーズのゼネラル・マネージャーに就任する。ポポヴィッチに求められたものはラリー・ブラウンの退任後、成長が横ばい状態にあるスパーズを優勝できるチームにすることだった。スパーズは新たにボブ・ヒルをヘッドコーチに迎え、さらにポポヴィッチがウォリアーズのアシスタントコーチをしていた頃から目を付けていたポイントガードのエイブリー・ジョンソンと契約。また、ショーン・エリオットが復帰して、これまでのチーム最高記録の62勝20敗を記録して、ロビンソンもシーズンMVPを受賞した。しかし、カンファレンス決勝でアキーム・オラジュワンのヒューストン・ロケッツに敗れてまたしてもファイナル進出はならなかった。シーズン中、そしてプレイオフでたびたび問題を起こしたロッドマンをこのシーズンでシカゴ・ブルズに殆ど無償で放出した。は59勝23敗でレギュラーシーズンを終え、カンファレンス準決勝まで進んだが、2シーズン前と同じく、ストックトン、マローンのユタ・ジャズに敗れた。この時点で誰も翌年の不調を予測するものはいなかった。、ロビンソンが背中を痛め、開幕から18試合を欠場し、6試合続けてプレイしただけで左足小指の中足骨を骨折した。手術は無事成功したものの、その後残り試合すべて出場できなかったこともあり、スパーズはチーム史上最低の20勝62敗と一気に凋落した。これはリーグで下から3番目の成績だった。ヒルヘッドコーチは18試合を3勝15敗で終わったところで解雇され、その後をGMであったグレッグ・ポポヴィッチが自ら引き継いだ。しかしこの成績がオフシーズンに幸運をもたらすこととなった。1997年のドラフト全体1位指名権を獲得、ウェイクフォレスト大学でオールアメリカンとなったティム・ダンカンを獲得した。、大学時代はセンターだったダンカンはパワーフォワードとして、ロビンソンとともに「ツインタワー」を形成した。ダンカンは1試合平均21.1得点、11.9リバウンドを記録して、新人ながらオールNBAファーストチームにも選ばれて新人王を獲得した。は、開幕前に経験豊富なベテランのマリオ・エリーとジェローム・カーシーを獲得し、ロックアウトで短縮されたシーズンをリーグ首位タイの37勝13敗で締め、プレイオフではウェスタンカンファレンスを11勝1敗の新記録で制覇して、NBAファイナルに初めて出場しニューヨーク・ニックス(イースタンカンファレンス第8シード)を4勝1敗で破り優勝した。ファイナルのMVPはダンカンが獲得した。スパーズはABAから参加したチームの中で最初のNBAファイナルを制覇したチームとなった。(ファイナル出場も初であった。)は、主力選手は皆30代半ばに入っており、チーム全体に疲弊が見られ、53勝29敗とチャンピオンチームとしてはやや物足りない成績に終わった。また、前シーズンが通常の82試合を戦い抜いた上での優勝ではないため「本物の優勝ではない」という声が周囲からあがっており、連覇の期待が掛かったが、ダンカンがレギュラーシーズン終盤で負った怪我が回復せず、プレーオフ全休という緊急事態に陥ったチャンピオンチーム、スパーズは、1回戦でフェニックス・サンズと対決。サンズもまたジェイソン・キッド不在という不幸に見舞われていたが、サンズはかつての先発ポイントガード、ケビン・ジョンソンに現役復帰を依頼し、ジョンソンはこれを受諾。サンズは3勝1敗で上位シードのスパーズを破るというアップセットを果たした。チャンピオンチームがファイナル連覇を果たせなかったのは、1986-87シーズン以来のことであった。は、58勝24敗を記録しプレーオフでは、ミネソタ・ティンバーウルブズ、ダラス・マーベリックスをそれぞれ1敗しただけで退け、カンファレンスファイナルに進んだが、このシーズンNBAチャンピオンとなったフィル・ジャクソン率いるロサンゼルス・レイカーズに、コービー・ブライアント、シャキール・オニールの活躍で、4連敗スイープで敗れた。は、トニー・パーカーが入団し、ポイントガードのスターターに定着し、オールルーキーファーストチームに選ばれる活躍を見せ、デビッド・ロビンソンが衰えを見せ始めたものの、ダンカンとのツイン・タワーは健在で、昨年同様58勝24敗を記録しディビジョン首位となった。プレーオフは、1回戦のスーパーソニックス戦で、第4戦をダンカンが身内の不幸で欠場したこともあり、ウエスタン1回戦では唯一第5戦まで縺れ、接戦の末、勝利したが、カンファレンス準決勝は、前季カンファレンス決勝の同カードとなったレイカーズとの対戦となり、故障でロビンソンを欠いたこともあり、昨シーズンに続きレイカーズに屈して、カンファレンス決勝に駒を進めることはできなかった。は開幕前にロビンソンがシーズン終了後の引退を表明、本拠地もアラモドームからSBCセンター(現AT&Tセンター)に移した。2年目のトニー・パーカー、新加入のエマヌエル・ジノビリやスティーブン・ジャクソン、ダニー・フェリー、ブルース・ボウエン、スティーブ・カー、スティーブ・スミスなど多くのシューターが前回優勝時のメンバーに代わって活躍した。インサイドのダンカンとロビンソンに加えて外からのシュート力も武器となって60勝22敗でプレイオフに進出、プレーオフではカンファレンス準決勝で仇敵レイカーズを破ると、カンファレンス決勝ではポポビッチの元上司であるドン・ネルソン率いるノビツキー、フィンリー&ナッシュのダラス・マーベリックスを退け、4シーズンぶりにファイナルに進出。司令塔ジェイソン・キッドに牽引され2年連続ファイナル進出のニュージャージー・ネッツを4勝2敗で降し、ポポヴィッチ指揮の下2度目の優勝を遂げた。「ロックアウトの短縮シーズンでたまたま優勝しただけのチーム」という悪評を見事に覆し黄金時代を築いていく。は、レギュラーシーズンを7割近い勝率で乗り切り、プレーオフへ進んだ。1st.ラウンドはグリズリーズを難なくスイープで下したが、カンファレンス準決勝でシャック&コービーの時代最後のシーズンとなり、何としてもチャンピオンリングを取りたいベテランのカール・マローン、ゲイリー・ペイトンと大物二人を加え「史上最強のチーム」とも呼ばれたロサンゼルス・レイカーズと対戦し、2勝0敗とリードしたものの、その後4連敗を喫して敗れた。この敗北でチームは大幅な改造をすることとなり、ブレント・バリー、ナジー・モハメド、グレン・ロビンソンを獲得した。このシーズンから、基本に忠実ではあるが、圧倒的な支配力を見せるプレースタイルからビッグ・ファンダメンタル(The Big Fundamental)の愛称を得たティム・ダンカンを中心としたチーム構築が始まる。は、新球団の新設に伴いリーグが再編成され、2カンファレンス4デビジョン制から2カンファレンス6ディヴィジョン制となり、スパーズはミッドウエスト・デビジョンから現在の、サウスウエスト・デビジョン所属となり開幕した。4年目パーカーが平均16.6得点、3年目のジノビリが平均16.0得点と、ダンカンの平均20.3得点に加わり、チームの主力としてビッグスリー誕生のシーズンと言える。大黒柱のティム・ダンカンとパーカー、ジノビリに牽引されたチームは、ウェスタンカンファレンス2位の59勝23敗でプレイオフに進出した。デンバー・ナゲッツ、シアトル・スーパーソニックス、スティーブ・ナッシュの活躍で一躍優勝候補に躍り出たフェニックス・サンズを下し、NBAファイナルへと進んだ。イースタン・カンファレンスを制して、2連覇に挑んだデトロイト・ピストンズを接戦の末4勝3敗で破り、2年ぶりの王座奪還、3度目の優勝を果たした。ファイナルMVPには大黒柱のティム・ダンカン(プレーオフ平均23.6得点、12.4リバウンド、2.7アシスト、2.3ブロック)が選ばれた。は、オフに獲得したベテラン、マイケル・フィンリーの活躍や、パーカーが、苦手だったロングレンジからのシュートを封印し、得意のペネトレイトからの得点に、より磨きをかけ、フィールドゴール成功率が急上昇し、PGとしては異例の54.8%を記録したことで、故障を抱え不調だったダンカン、ジノビリに代わりチームのリーディングスコアラーとして活躍し、スパーズはチーム記録となる63勝19敗の成績を残した。ウェスタンカンファレンス第1シードでプレイオフに臨み、一回戦ではキングスを危なげなく下し、カンファレンス準決勝で、かつてスパーズに所属し、ポポビッチの下で優勝を経験したエイブリー・ジョンソンがヘッドコーチのダラス・マーベリックスとの対決となった。このライバル対決は白熱したものとなり、ノヴィツキーとダンカンのエース対決も大いに盛り上がった。最終戦までもつれ、迎えた第7戦、試合終盤でスパーズは3点リードしていた。しかしノヴィツキーが巨体を躍らせながらゴール下に切み執念のダンクを決め、さらにジノビリからファウルを引き出し、ボーナススローも決めた。土壇場で追い付かれたスパーズは、オーバータイムで力尽きシーズンを終えた。は、ジノビリがシックスマンへと移向。スターター級のジノビリがベンチに控えることは相手チームにとっては脅威となり、「行き詰った試合の流れを変える」というシックスマンの仕事はうってつけであった。地味ではあるがファブリシオ・オベルト、マット・ボナーの加入も効果が現れ、7割以上の勝率でプレーオフに進出した。また、このシーズンで、10年間続けて50勝以上に相当する戦績(勝率61%以上)でプレーオフに進出した。1回戦のデンバー・ナゲッツとのシリーズ第5戦ではジノビリに替わりスターターとなったマイケル・フィンリーがスリーポイント9本のうち8本を決めるなど活躍。ナゲッツ、サンズ、ジャズを次々と下し、ウェスタンカンファレンス優勝を勝ち取った。ファイナルでは、レブロン・ジェームズ率いるイースタンカンファレンス優勝のクリーブランド・キャバリアーズを、02年のロサンゼルス・レイカーズ以来の四戦全勝で退け、2年ぶりの王座に返り咲いた。ファイナルでは、レブロン・ジェームズに、強固なディフェンダーであるブルース・ボーエンをマッチアップし、フィールドゴール成功率を35%に抑え込む一方、オフェンスでは、トニー・パーカーが独擅場とも言える働き振りを見せ、平均24.5得点5リバウンド3.3アシスト、フィールドゴール成功率は57%を記録し、ファイナルMVPを受賞した。欧州出身選手としては初受賞となった。これでスパーズは出場した4回のNBAファイナルですべて優勝を成し遂げている。また、4-0、4-1、4-2、4-3と勝利のすべてのケースを経験しており、通算16勝6敗(勝率72.7%)のファイナルに強いチームである。は、例年通りシーズンでは安定した戦いを見せ56勝をあげ、プレーオフに進み、フェニックス・サンズ、ニューオリンズ・ホーネッツを破り、カンファレンスファイナルへと駒を進めたが、このシーズン、シックスマン賞受賞のジノビリがプレーオフ一回戦のサンズ戦で左足首を負傷しており、カンファレンス決勝のロサンゼルス・レイカーズ戦ではその怪我の影響で力が出し切れず意外なほどあっさりと敗れ、またしても連覇を逃した。この年のプレーオフ時点でのロースターの平均年齢は32歳を超えており、チームの若返りがオフの課題となったが、主要な補強は、ロジャー・メイソンとの契約、ジョージ・ヒルのドラフトでの加入程度にとどまった。は、ジノビリが昨シーズンプレーオフで負傷し、北京オリンピックで、さらに悪化した左足首の関節鏡視下手術を9月に受け、チームは73年以来の開幕3連敗をしてしまう。しかし4戦目のウルブズ戦でパーカーがキャリアハイの55得点10アシストの大活躍で連敗を止めた。その後、ジノビリが右腓骨に疲労反応が出たことの影響などで出場試合は自己最低の44試合に終わり、新加入のロジャー・メイソンが71試合に先発、全試合出場し、キャリア最高の成績(平均11.8得点、3ポイント成功率42.1%)を残し、それを補ったものの、チームの勝利数は、昨年を下回り、ウェスタンカンファレンス第3シードでプレーオフに臨んだ。ここでも右の腓骨の疲労骨折で欠場したジノビリ不在が響き、2007-08シーズンに、ベテランPGのジェイソン・キッドを獲得したダラス・マーベリックスに破れ、2000年以来の1回戦敗退となった。
この年あたりから、衰えが見え始めたダンカン一人に頼るスタイルは、終わりを告げざるを得ず、パーカー、ジノビリとのビッグ3に、プラスアルファーを求めて、オフには、主力選手の負担軽減を目指し、主力級のリチャード・ジェファーソンをトレードで獲得した。このシーズンで、50勝以上を10年間続けたことになる。は、ディフェンスの要であるブルース・ボーエンの引退と、リチャード・ジェファーソンが、チームにマッチしきれず、期待した程の活躍ができず、またパーカーが怪我のため出場試合数が56に止まり、平均得点も前年より大きく下げた。パーカーの怪我により大幅に出場時間を増やしたジョージ・ヒルが期待を上回る活躍を見せたが、ダンカン時代を通じて最低の勝率に終わったが、なんとか50勝は確保し、50勝以上のシーズンの継続記録を11年に伸ばした。プレーオフには第7シードで進出し、豪華戦力補強を行ったダラス・マーベリックス戦でジノビリは鼻骨を骨折しながらもプレーを続け、スパーズを2回戦へと進めたものの、2回戦で、フェニックス・サンズにあっさりとスィープされシーズンを終えた。は、ジノビリを中心に据えてパーカー、ダンカンとまさにビッグスリー体制で臨んだ。ダンカンは負担軽減でプレー時間を減らし、平均得点・平均リバウンドも最少に終わったにも関わらず、結果的に61勝21敗と強さを見せつけウェスタンカンファレンス第1シードでプレイオフに突入した。この時点でのチーム状況は、アップテンポで攻撃的な試合展開を見せ、得点力は確実に上がった反面、スパーズの最大の強みである強固なディフェンスに隙が見えることも屡々あり、万全とは言い切れないものであった。ジノビリが、右肘を負傷しプレイオフ初戦を欠場し、次戦からも万全な状態でプレーすることができず、またリチャード・ジェファーソンの不振も響き、1戦目で、メンフィス・グリズリーズにグリズリーズ史上初めてのプレイオフでの勝利を許し、そのままグリズリーズの勢いを止められずに2勝4敗で一回戦敗退した。プレイオフで第1シードチームが8位チームに敗退することは、ファーストラウンドが7試合制になって以降としては史上2度目となる失態であった。中心メンバーがベテラン揃いになり、シーズンでは力を発揮するものの長いシーズン後のプレイオフでは疲労が取れずに力を発揮できないシーズンが多くなってきた事と本来のディフェンス力を取り戻すことが課題として残った。しかし、一方では、ジョージ・ヒル、デュワン・ブレア、ゲイリー・ニール、ダニー・グリーンなど他チームからさほど注目されなかった好選手を見い出し育てるスパーズの目利きぶりを発揮しつつ、若返りを進めてはいた。は、順調に成長を遂げてきたジョージ・ヒルの故郷インディアナでの更なる飛躍と、近年不安材料となっていたディフェンス力の立て直しを図るためインディアナ・ペイサーズの2011年ドラフト一巡目指名のカワイ・レナードとジョージ・ヒルとのトレードを敢行した。更に、カナダ人ポイントガードのコーリー・ジョセフを1巡目指名獲得した。補強ではパーカーの控えとなるポイントガードのT.J.フォードと契約した。
1998年以来のロックアウトでレギュラーシーズンは全66試合と短縮された。開幕後ジノビリの利き手左手の骨折と、古傷からT.J.フォード突然の引退などアクシデントはあったものの、ベテラン陣の安定した働きと、スプリッターを筆頭に若手も順調に実力を伸ばし、ルーキーレナードも経験不足ながら期待通りのディフェンス力を発揮し、序盤、中盤を勝率約7割で安定して乗り切った。更にシーズン途中のトレード・デッドライン直前には、総合的な貢献に限界が感じられたリチャード・ジェファーソンのトレードで、2002-2003シーズンチャンピオンメンバーのスティーブン・ジャクソンを獲得し、その後も、T.J.フォード引退により待ち望んでいた、控えポイントガードにパトリック・ミルズ、パーカーの旧知であり、リーグ屈指のユーティリティープレーヤーのボリス・ディアウと契約を結んだ。終盤、補強選手がチームにかみ合うと、シーズン途中42勝16敗となった時点で2年連続18度目のサウスウエスト地区優勝を飾り、残り2試合となった時点で48勝16敗でウエスタンカンファレンスのプレーオフ第1シード権を得た。最終的にレギュラーシーズンを50勝16敗で乗り切り、ロックアウトで短縮されたシーズンであったにもかかわらず50勝以上のシーズン継続記録を13年に伸ばした。また、前回のロックアウトシーズンも含め勝率61%以上(50勝以上相当)のシーズンと、プレーオフ進出は、15年連続となった。このシーズンでポポビッチは、11連勝後に、2度にわたりビッグスリーを一度に休ませる策に出て、連勝は伸ばせなくとも、選手全員が、良い体調を維持しプレーオフへ突入する体勢を作り、自身2度目の最優秀監督賞に輝いた。1回戦は、第8シードのユタ・ジャズとの対戦となったが、レギュラーシーズンを10連勝で終えた勢いのままに、4戦連勝し、難なくスイープし、続く2ndラウンドでは、クリス・ポールの加入と、ブレイク・グリフィンの成長により、2006年以来のカンファレンス・セミファイナルへ進出したロサンジェルスクリッパーズにも4連勝した。カンファレンス・ファイナルでは、オクラホマシティ・サンダーとの対戦となり、ホームコートで、幸先良く連勝し、連勝を20に延ばした。しかしながらアウェイでの3戦目を、サンダーのフィジカルなディフェンスにオフェンスリズムを狂わせ大差で落とすと、波に乗ったサンダーの勢いを止める事が出来ず、そのまま4連敗し、2007年以来のカンファレンス優勝を果たすことは出来なかった。は、アシスタントコーチのジャック・ヴォーンが、オーランド・マジックのヘッドコーチとして転出するなど、コーチ陣に移籍があったが、新ロースターは、フランスナショナルチーム代表のナンド・デ・コロを加えた程度で、昨シーズンと殆ど変わりのない陣容で開幕を迎えた。その分、チームとしての完成度は高く、途中レナードとジャクソンの主力2名を故障で欠いたが、11月終わりまでの17試合を、13勝4敗の好成績でスタートをきった。11月下旬の長期ロードで、スパーズは、全米テレビ放送のあった29日のマイアミ・ヒート戦で、ダンカン、パーカー、ジノビリ、グリーンの主力4選手を遠征から一足先にホームに帰らせ休養を与えた件で、リーグから25万ドルの制裁金処分を受けた。試合はワンサイドゲームとなると予想されたが、主力計6人を欠いた9人編成のチームは、残り1分の時点まではリードし、昨年のチャンピオンを追い込み苦しめたが惜敗に終わった。ヘッドコーチのポポビッチは、予てから主力に休養を与える戦術を用いており、デビッド・スターンの決定については「残念」であるとしたが、テレビ放映権に関わる過密日程が問題視される中では、今後も選手を休養させる可能性のある事を示唆している。12月には、ボブキャッツ戦で19本、マーベリクス戦では、20本の3ポイントショットを決め、フランチャイズ記録を塗り替えるなど、中盤から終盤に掛けて、ジノビリ、パーカー、ディアウなど、主力に故障者が出たものの、総力戦で例年通りの安定した戦いを続け、50勝以上のシーズンを14年連続とした。58勝24敗と60勝には届かなかったが、ウェスタンカンファレンス第2シードで、16シーズン連続でプレーオフ進出を決めた。プレイオフ直前に、フィールドゴール成功率の低迷するスティーブン・ジャクソンを解雇し、前年夏のワークアウトに参加していたトレイシー・マグレディと契約を結びプレーオフに臨んだ。オールNBAファーストチームにダンカンが、2ndチームにパーカーが選出された。プレイオフは、1stラウンドで、コービー・ブライアント(アキレス腱断裂)を筆頭に、主力の故障による離脱が続いた第7シードのレイカーズとの対戦となり、労することなく4戦全勝でスイープした。このシーズン最大の注目トレードでレイカーズに加わったドワイト・ハワードも期待された活躍が出来ず、最終戦では2度のテクニカルファウルで、シーズンの終了を待たず退場となっている。
カンファレンス・セミファイナルは、第3シードのデンバー・ナゲッツをアップセットした第6シードのゴールデンステイト・ウォーリアーズとの対戦となった。第1戦では、ステフィン・カリーの爆発的な活躍で、4クォーター残り4分で16点差という大量リードを許していた展開から追いつき、2度の延長の末、残り数秒でのジノビリの3ポイントで逆転し、そのまま2点差で逃げ切った。残り4分で16点差からの逆転はプレーオフ史上、初めての出来事であった。次戦では、ウォリアーズ期待の若手クレイ・トンプソンの奮起で、ホームゲームを落としたが、ロードで1勝1敗と粘り、ホーム第5戦、ロード第6戦を連勝し突破した。
カンファレンス・ファイナルではサンダーをアップセットで倒したメンフィス・グリズリーズとの対戦となった。この年の最優秀ディフェンシブプレーヤーに選ばれたマーク・ガソルを擁し、強固なディフェンスで定評のあるグリズリーズとの第1戦は、泥臭い試合になると予想されたが、結果はスパーズの安定した試合運びで22点差のワンサイドゲームでスパーズが勝利した。第2戦は、最終クオーター残り26秒4点差で逃げ切りの展開から、ジノビリのトニー・アレンに対するフレグラント・ファウルに伴う2スロー、1ポゼッションで追いつかれ、オーバータイムへ入ったが、ダンカンの6得点で連勝を決めた。後日このフレグラントファールは、アレンのフロッピングと裁定され、5,000ドルの罰金が科された。第3戦は、開始直後からグリズリーズの激しいディフェンスで1stクオーターは、8ターンオーバー、13得点、29失点の16点ビハインドに追い込まれたが、2〜4クオーターで地道に追いつき2試合連続オーバータイムとなった。前戦同様ダンカンがゲームを支配し3連勝となった。この試合で、ダンカンはプレーオフでの通算ダブルダブルを144とし、143回のウィルト・チェンバレンを抜き、歴代2位となった。1位はマジック・ジョンソンの157回、4位はシャキール・オニールの142回、5位はビル・ラッセルの137回である。第4戦はパーカーのフィールドゴール成功率7割を超える37得点でグリズリーズを圧倒しスイープする結果となり、2007年以来久々のカンファレンス優勝を飾った。ファイナルを前に、ポポビッチの下で6年間第1アシスタントコーチを務めてきたマイク・バデンホルツァーが来期のアトランタ・ホークスのヘッドコーチに就任することが発表された。2013年NBAファイナルは、スパーズが対戦相手決定待ちの間、イースタンカンファレンス決勝は、ヒート対ペイサーズで7戦まで縺れたが、前年王座のヒートが対戦相手となった。レブロンとは7年ぶりのマッチアップとなる。最長と最短の休養での対戦となったアウェイでの第1戦は、ビッグスリーの安定した働きで勝利したが、第2戦は逆にビッグスリーが精彩を欠き、第3クオーターで突き放されるとそのまま敗戦した。ホームに戻った第3戦は、グリーンとニールを中心に、NBAファイナル新記録の3ポイント16本(32投)を決め、レナードのレブロンへのディフェンスも有効に機能しゴール成功率を33%、フリースローなしに抑え、37点差の大量リードで勝利した。第4戦は、ビッグスリーが、パーカーの右ハムストリングの故障とジノビリの長期スランプから、合計40得点に止まったのに反し、ヒートのビッグスリーには合計85得点を許し、16点差で敗れた。この試合では、ヒートのクリス・ボッシュにフロッピングの裁定が下り、ファイナルでは初の罰金が科された。ホームでの最終戦となる第5戦は、ジノビリがスターターで、センターなしのスモールラインアップで臨んだ。ジノビリがこれまでの不調を払拭し24得点10アシストの活躍を見せ、パーカーも故障を抱えながら26得点、ダンカンは安定して17得点、12リバウンドとビッグスリーが本来の姿を取り戻した上に、グリーンが24得点と、しぶといディフェンスで貢献し、対戦成績を3勝2敗とし優位に立った。この試合で6本のスリーポイントを決めたグリーンは、相手チームのレイ・アレンがセルティクスで2008年に記録したファイナル3ポイント総成功数記録22本を超え、更に25本まで記録を伸ばした。この時点で成功率は66%であった。第6戦は、前半はダンカンのハイパフォーマンスで優位にゲームを進め、このまま優勝するかとおもわれたが、グリーンの3ポイントが封じられたこと、ジノビリのターンオーバーの繰り返し、終盤のダンカン、パーカーの消耗が響き、勝利直前のレイ・アレンの劇的な同点3ポイントにより、オーバータイムに縺れた末に敗れ3勝3敗となった。最終戦は、近年希に見る接戦となったが、レブロン・ジェームズに本来の爆発力を取り戻されてしまい、スパーズは、これまで4度のファイナル進出ではすべて優勝していたが、初めてファイナル敗退を喫した。は、開幕前にFAのゲイリー・ニールがミルウォーキー・バックスへ、デュワン・ブレアが同地区のライバルダラス・マーベリックスに移籍し、主な補強は、マルコ・ベリネッリ(前ブルズ)、ジェフ・エイアーズ(前ペイサーズ)の入団となった。オールスター前までの前半戦は、レナード、グリーン、スプリッターなどの故障欠場で、スターターの変更を余儀なくされる中で、層の厚いベンチプレーヤーの活躍で、38勝15敗の成績で乗り切った。中でも、以前ユーロリーグでジノビリと同チームでプレーした経験のあるベリネリが当初からチームに馴染み、高確率で3ポイントを決め貢献した。またベリネリはオールスターのスリーポイントシュートアウトで24得点をあげ優勝した。オールスター明けの後半戦は、当初パーカーが体調万全まで回復するため数試合休養したが、チームは好調を維持した。3月15日のレーカーズ戦での勝利で後半戦を11勝1敗とし、この勝利で、スパーズビッグスリーである、ダンカン、パーカー、ジノビリ、トリオのレギュラーシーズンでの勝利数を491勝とし、ロサンゼルス・レーカーズの、マジック・ジョンソン、カリーム・アブドゥル=ジャバー、マイケル・クーパーを抜きNBA歴代2位となった。歴代首位540勝のトリオはボストン・セルティックスのラリー・バード、ケビン・マクヘイル、ロバート・パリッシュである。スパーズビッグスリーでの試合数は664試合で歴代3位であり、勝率は74%とポポビッチ時代の勝率68%の中でも群を抜いている。プレーオフ試合数は2014年5月6日時点で165試合で歴代1位である。2位はマジックらの157試合、3位はバードらの150試合である。また数あるビッグスリーの中でも、全員が異なる国籍であるのはスパーズビッグスリーのみである。従来から外国籍選手が多いスパーズではあるが、このシーズンはナンド・デ・コロがオースティン・デイと交換トレードされた後でも、フランス2名、オーストラリア2名、カナダ、アルゼンチン、イタリア、ブラジル各1名、合計8名が海外選手で占められた。このシーズン66試合目となるユタ・ジャズ戦を10連勝で勝利し、50勝以上のシーズンを15年連続とした。ここから連勝は更に続き、レギュラーシーズンのフランチャイズ新記録の19連勝まで到達した。ちなみに、レギュラーシーズンからプレーオフを合わせた連勝記録は前シーズンの20連勝である。4月12日、サンズ戦に勝利し、62勝18敗とし、プレイオフ全体の第1シードを確定した。続く2戦は主力を休養させ2敗し、62勝20敗でレギュラーシーズンを終えた。このシーズンのスパーズは従来にも増してチームプレー重視のスタイルが貫かれ、少しでもオープンな選手がいればパスを回し続ける(ワン・モア・パス)プレーで、アシスト数はポイントガードに偏らず、チームとして毎試合多くを記録した。また得点に関しても、スタープレーヤに偏るのではなくチームとして積み上げていく(アンセルフィッシュ)スタイルで強固なオフェンスを作り上げた。ロースターのうち9人が1試合平均8得点以上を記録するという、NBAの歴史でも希にしかない記録を作った。プレーオフ1stラウンドはダラス・マーベリックスとの対戦となった。ダラスヘッドコーチのカーライルは、通常のマッチアップでは勝算が薄いと踏んで、ピック・アンド・ロールディフェンスで、スイッチを多用し敢えてミスマッチを作り、スパーズのシステマチックなオフェンスに混乱を生じさせる策に出た。第2戦はこの戦術が当たりダラスが勝利し、第3戦ではヴィンス・カーターのブザービーターで逆転の連敗を喫し、第6戦では、元スパーズのデュワン・ブレアの10得点14リバウンド、4スティールのダブルダブルの活躍で敗れ、最終戦まで縺れたが、本来のリズムを取り戻し最終ゲームを大差で勝ち、4勝3敗で、対ポートランド・トレイルブレイザーズのカンファレンス・セミファイナルへ進んだ。カンファレンス・セミファイナルは、ホーム初戦から3戦まで圧勝し、4勝1敗でカンファレンスファイナルへ進んだ。オクラホマシティ・サンダーとのホームでの第1戦は、122-105で圧勝し、この勝利でスパーズビッグスリーのプレーオフでの勝利数は110となり、ショータイム時代のロサンゼルス・レイカーズの、ジョンソン、ジャバー、クーパートリオと並んだ。第2戦は112対77とさらに大勝し、勝利数を111として、歴代最高記録を達成した。ロードでの第3戦、第4戦は、欠場していたサージ・イバーカの突然の出場に撹乱され連敗を喫したが、第5戦から、イバーカ対策としてマット・ボナーをスターターに起用し、イバーカをペイントエリアからペリメーターに引き出し、ペイントエリアポイントを増やすことに成功し、勝利した。第6戦はオーバータイムまで縺れたが、連勝し2年連続でカンファレンス優勝を勝ち取った。今回から、ホーム・ホーム・アウェイ・アウェイ・ホーム・アウェイ・ホームにフォーマットが変更になり、移動の負担が増えるファイナルは2年連続ディフェンディングチャンピオンのマイアミ・ヒートとの対戦となった。ホームでの第1戦は、AT&Tセンターの空調設備が故障し、コートの温度が32℃を上回る過酷な条件でゲームが進んだ。終盤、レブロン・ジェームズが左足に痙攣を起こし途中退場すると、ヒートは完全に変調をきたし、スパーズの圧勝に終わった。後に「エアコンゲーム」と呼ばれた。第2戦は、レブロンが復活し、ゲームは接戦となったが、勝負どころでスパーズがパーカー、ダンカンと4連続でフリースローを外し、これまでのプレーオフで連敗のないヒートに僅差で逃げ切られた。アウェイのアメリカン・エアラインズ・アリーナに所を変えた第3戦は、センターの先発をティアゴ・スプリッターからボリス・ディアウに変更することを決断。するとスパーズの完成度の高いチームオフェンスが更に機能し、前半でフィールドゴール成功率75.8%というNBAファイナル記録をたたき出し、前半終了時で、71対50と21点差とし、後半も1、2戦、スランプ気味であったカワイ・レナードが、ディフェンス・オフェンス共に活躍し、キャリアハイの29得点をあげ、19点差で圧勝した。このゲームを期にレナードが攻守ともに好調を取り戻し、スパーズのベンチメンバーも含めた総力オフェンスに対し、ヒートはスパーズの "奇襲" に策を失い、クリス・ボッシュがディアウのディフェンスに手を焼き、平均12点台に抑え込まれ、トニー・パーカーとパティ・ミルズが繰り出す多彩なゲームメイクに対応出来なかったマリオ・チャルマーズも我を失ったかのようなプレーぶりに終始するなど連敗を喫し、ホームでの第5戦に向け王手をかけた。ファイナル3勝1敗から逆転したチームはないことを受け、ジェームズは歴史は自分たちが作ると、復活を誓った第5戦は、序盤のみレブロンの活躍があったが、その後はスパーズが総合力で凌駕し、圧勝で5度目となるチャンピオンを勝ち取った。ファイナルMVPはディフェンス・オフェンス共に活躍した成長著しいカワイ・レナードが受賞した。このシーズンのスパーズのプレーは、パスを中心においたボールムーブで、メディアから「ビューティフル・バスケットボール」などと表現されたように、チーム最優先のプレーが際立っており、他チームのプレーヤーもこれを賞賛した。合計70点差をつけての優勝は、1965年のファイナルでボストン・セルティックスがロサンゼルス・レイカーズを相手に合計63点差をつけて優勝した時の記録を抜き、ファイナル史上最大得点差での優勝となった。フィールドゴール成功率52.8%もファイナル新記録である。スパーズはこれまで奇数年のみ優勝(1999年、2003年、2005年、2007年)してきたが、初めて出場した偶数年のファイナル(2014年)を制し、優勝したことになる。は、チーム初となる連覇への挑戦のシーズンとなった。昨シーズンの優勝メンバー14人がチームに残り、2014年ドラフト1巡目30位指名のカイル・アンダーソンを新たに加えたロースターで、アシスタントコーチにイタリアの名将エットレ・メッシーナと、女性初のフルタイムアシスタントコーチとして、WNBAで活躍したベッキー・ハモンを迎え、開幕した。レナードの眼の感染症、スプリッターの脹脛の張り、ミルズの肩の回復待ちで、戦力の少ない中、開幕6戦目のクリッパーズ戦で、ビッグスリーが通算500勝を挙げ、第7戦のレイカーズ戦でダンカンがレギュラーシーズン通算25,000得点を超えた。序盤戦は、ミルズの欠場に加え、レナードの右手腱の損傷、パーカー、ベリネリ、スプリッターと故障欠場が相次ぎ、勝率6割前後で推移した。12月にミルズ、スプリッターが復帰し、1月にパーカー、レナードが復帰し、状況が上向きになる中、優勝メンバーのオースティン・デイをウェイブし、空きのできたロースターへ、シーズン前のNBAサマーリーグに参加しており、傘下のオースティンで好成績を続けていたジャマイカル・グリーンを加えたが、2回目の10日間契約には至らず、レジー・ウィリアムズと10日間契約を経て、シーズン終了までの契約を結んだ。このシーズンのロデオ・ロード・トリップの2戦目のインディアナ・ペイサーズ戦を4クオータで14点差から逆転勝利し、グレッグ・ポポビッチヘッドコーチのレギュラーシーズン通算1,000勝利目を飾った。ポポビッチの勝利数は、ホーネッツ、ウルブス、ラプターズ、グリズリーズ、ペリカンズ5チームのそれぞれのフランチャイズ勝利数を上回っている。この時点で、1,000勝以上しているのは、ドン・ネルソン(1,335)、レニー・ウィルケンス(1,332)、ジェリー・スローン(1,221)、パット・ライリー(1,210)、フィル・ジャクソン(1,155)、ジョージ・カール(1,131)、ラリー・ブラウン(1,098)、リック・アデルマン(1,042)、ポポビッチの9人だけである。1フランチャイズでの達成は、ポポビッチとジェリー・スローンの2名である。また、リーグすべてのチームに対し勝ち越しており、この1,000勝で出場した選手ではティム・ダンカンが929試合、トニー・パーカーが703試合、マヌ・ジノビリが607試合、ブルース・ボーエンが454試合、マット・ボナーが400試合である。トニー・パーカーが3月31日のマイアミ・ヒート戦で、NBA史上3番目の若さでレギュラーシーズン1,000試合出場を果たした。1000試合出場時点での勝利数(718)は、歴代1位の成績(2位はシカゴ・ブルズのスコッティ・ピッペンの715勝)、スパーズだけでの達成はダンカンに次ぐ2人目で、1チームでの達成は17人目である。4月1日、オーランド・マジック戦に勝利し、18年連続のプレーオフ進出と勝率6割以上を決めた。この時点の継続中では最長で、2位はアトランタ・ホークスの8年連続、歴代での記録は、シラキュース・ナショナルズ~フィラデルフィア・76サーズの22年、ポートランド・トレイルブレイザーズ21年、ユタ・ジャズ20年、ボストン・セルティックス19年に次ぐ記録である。4月3日のホームでのデンバー・ナゲッツ戦を30点の大差で勝利し、50勝以上が16シーズン連続となった。この時点でチーム勝率を.615(1934勝1210敗)まで上げ、ロサンゼルス・レイカーズの.610(3215勝2061敗)を抑えて勝率歴代1位チームとなった。このシーズンのウェスタンカンファレンスは、最終戦まで順位が、2位から6位まで決定していないという大混戦となった。スパーズも勝てば2位、負ければ6位となる最終戦を迎え、この試合に勝てばプレーオフ進出が決まるニューオーリンズ・ペリカンズと対戦し、なんとしても自身初のプレーオフに進出したいアンソニー・デイビスの思いのこもった活躍によってスパーズは敗れ、第6シードで、1st.ラウンドはロサンゼルス・クリッパーズとのマッチアップとなった。実力の拮抗する両チームによる1st.ラウンドの戦いは稀に見る大接戦となり、最終第7戦まで縺れ、クリッパーズホームコートアドバンテージの中、リーグを代表するポイントガードであり、ダンカンのウェイクフォレスト大学の後輩であるクリス・ポールが、左足ハムストリングの痛みを抱えながらも、卓越したゲームメーカー、クラッチプレーヤーぶりを発揮し、スパーズはクリッパーズに押し切られる結果に終わり、2011年にメンフィス・グリズリーズにアップセットで敗れて以来のファーストラウンド敗退となった。2015年7月4日、この年の注目フリーエージェントの一人であったラマーカス・オルドリッジ(前ポートランド・トレイルブレイザーズ)と4年8000万ドルのマックス契約を結ぶと報じられ、7月9日、契約が締結された。オルドリッジのこれまでの背番号12は、スパーズではブルース・ボーエンの永久欠番となっていたが、ボーエンの快諾により復活することとなった。オルドリッジ獲得に先立ちキャップスペースを空けるため、ティアゴ・スプリッターをアトランタ・ホークスにトレードしたが、オルドリッジ獲得に加え、優勝機会を求め強豪チーム移籍を希望してインディアナ・ペイサーズからオプト・アウトしたデビッド・ウェストをベテラン・ミニマム・サラリーで獲得し、引退の囁かれたダンカンとも更に1年契約を延長し、ユーロリーグで活躍していたセルビアのビッグマン、ボバン・マリヤノヴィッチと1年契約を結び、フロントコートの一大補強に成功した。は序盤から好調を維持し、勝率8割以上で迎えた、2015年12月7日のフィラデルフィア・セブンティシクサーズ戦では、フランチャイズ記録となる51点差を付けて、119対68で勝利した。12月14日のユタ・ジャズの勝利で、ポポビッチヘッドコーチの通算勝利数が1043勝となり、リック・アデルマンの記録を抜き、歴代8位となった。12月16日のワシントン・ウィザーズ戦の勝利で、開幕ホーム14連勝のフランチャイズ記録を達成した。ホーム連勝記録はその後も更新され、3月17日のポートランド・トレイルブレイザーズ戦に勝利し、1976年にNBAに加入以来、現在所属の全チームに対して勝ち越し、連勝を34に、更に、3月19日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦で、NBA歴代1位となる高勝率チーム対決(合計勝率.882)を制し、35連勝と記録を伸ばした。3月23日のマイアミ・ヒート戦、25日のメンフィス・グリズリーズ戦と、ホームでの連勝は続き、開幕からホーム37連勝となり、96年にシカゴ・ブルズが達成したNBA記録に並んだ。またこの時点でNBA通算勝利数2,000勝に到達した。右足大腿四頭筋打撲で、3試合を欠場していたレナードが復帰した31日のニューオーリンズ・ペリカンズ戦で勝利し、開幕ホーム38連勝のNBA記録となり、次戦のトロント・ラプターズで、39連勝と伸ばしたが、4月10日のゴールデンステート・ウォリアーズ戦に86-92で敗れ、遂に連勝記録はストップした。この時点で昨シーズンからのホーム連勝記録は48連勝であった。シーズンを跨いだホーム連勝記録は、2014-15シーズンから2015-16シーズンに続いたゴールデンステート・ウォリアーズの54連勝である。4月12日、最終ホームゲームとなったオクラホマシティ・サンダー戦でオーバータイムの末に勝利し、NBAシーズンホーム最多勝利記録であった1985-86シーズン、ボストン・セルティックスの40勝に並んだ。続く最終戦は、プレーオフに備え主力6名が休養する中、ダラス・マーベリックスに勝利し、フランチャイズ記録であった63勝を大きく上回る67勝15敗でレギュラーシーズンを締めくくった。NBA記録の73勝を挙げたゴールデンステート・ウォリアーズには及ばなかったものの、第2シードでプレーオフ進出を決め、19年連続のプレーオフ進出と17年連続のシーズン50勝以上を達成した。1stラウンドは、負傷者が続き主力のマーク・ガソル、マイク・コンリーを欠く第7シードのメンフィス・グリズリーズを圧倒しスイープした。カンファレンスセミファイナルは、ダラスを破り勝ち上がったオクラホマシティ・サンダーとの対戦となった。ここ5年で3度目の対決となったこのシリーズは、初戦はオルドリッジ、レナード、グリーンの活躍で124-92で圧勝したものの、第2戦最終版、オフィシャルのミスコールの不運に見舞われホームゲームを落とすと共に、終始、ダンカンを筆頭にディアウ、ウェストらフロントコート陣の不調が響き、スティーブン・アダムス、エネス・カンターのビッグマン2人への対応に苦しみ、第3戦はアウェイで辛勝し2勝1敗とリードするも、第4戦の接戦を落とすと、第5戦のホームゲームも91-95で連敗を喫し、結局、ケビン・デュラント、ラッセル・ウェストブルックのオールスターコンビの勢いを止めることは出来ず、第6戦は、前半で31-55、最終的に99-113で大敗し、2勝4敗でカンファレンスファイナルに進むことは出来なかった。!シーズン!チーム!GP!勝!敗!PTS!FGM!FGA!FG%!3PM!3PA!3P%!FTM!FTA!FT%!OREB!DREB!REB!AST!STL!BLK!TOV!PFティム・ダンカン、トニー・パーカー、マヌ・ジノビリのビッグスリーはもちろん、現在のロースターの内、多くがNBAでスパーズ以外のチームに在籍したことのないプレーヤーであり、一度チームに馴染むと離れ難くなる魅力を持っているかのように感じられるチームである。グレッグ・ポポビッチ、ダンカンの人柄によるところも大きいが、チーム運営方針にもフランチャイズを大切に扱う姿勢が感じられる。スパーズといえば、ジャージの色だけでなくプレーも兎に角、堅実地味でプロスポーツらしからぬとの声もあるが、安定度は群を抜いており、2015年現在、シーズン50勝以上の記録を16年続けている。ロックアウトのあった1998年も勝率では60勝以上に相当し、これを含めて、プレーオフに18年連続で進出している。10年以上継続したチームは他にロサンゼルス・レイカーズの12年、ダラス・マーベリックスの11年のみである。堅実な努力の重要性をメンバーに浸透させるためにポポビッチはジェイコブ・リースの以下の名言を引用している。ハンマーで岩を叩き割った図柄が優勝を勝ち取った証として、チャンピオンリングにレイアウトされている。スパーズのセットオフェンスの代表的なプレーに、ハンマー・セットがある。ストロングサイド(ボール保持側)のヘルプディフェンスを重視するチームに対し、ウィークサイドのコーナーに、シューター(ハンマー)をセットし、そこへパスを送り、3ポインターを決めるプレーの総称で、成功した際には、TV中継ではアナウンサーが“BANG!”とハンマーを叩いた擬音を発する場合がある。ティム・ダンカン、トニー・パーカー、マヌ・ジノビリは、2002年から2016年まで中心選手としてスパーズのビッグスリーを形成し、NBA史上でも最高の実績を残しているトリオである。また数あるビッグスリーの中でも、全員が異なる国籍であるのはスパーズ・ビッグスリーのみである。トリオのレギュラーシーズン勝利数は、2015年11月1日、TDガーデンでのボストン・セルティックス戦の勝利で、541勝となりNBA歴代1位となった。この時点で試合数は736試合で歴代1位で、勝率は73.5%とポポビッチ時代の勝率68%の中でも群を抜いている。歴代2位のトリオはボストン・セルティックスのラリー・バード、ケビン・マクヘイル、ロバート・パリッシュで、540勝(729試合)。NBAチャンピオン4回 トリオ通算プレーオフ試合数は、NBA歴代1位、プレーオフ勝利数も、歴代1位である。歴代2位はロサンゼルス・レイカーズの、マジック・ジョンソン、カリーム・アブドゥル=ジャバー、マイケル・クーパーで、157試合、110勝。個々の実績も秀でており、500試合以上出場の現役選手で、勝率7割以上はのみである。(4位はレブロン・ジェームスの.661)太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人1960年代 (プレイオフ進出:2回)1970年代 (プレイオフ進出:9回)1980年代 (プレイオフ進出:7回)1990年代 (プレイオフ進出:9回 ファイナル進出:1回 優勝:1回)2000年代 (プレイオフ進出:10回 ファイナル進出:3回 優勝:3回)2010年代 (プレイオフ進出:6回 ファイナル進出:2回 優勝:1回)2015–16 シーズン終了時点(レギュラーシーズン)/太字現役選手"名前*" ABA時代の記録を含む選手"(-)" 現在は他チームで現役選手3ポイントフィールドゴール数出場時間(分)リバウンドアシストスティールブロックサンアントニオ・スパーズのチーム記録
出典:wikipedia
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