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ホープ (企業)

株式会社ホープ("Hope Co., Ltd." )は、遊戯施設向けアミューズメントマシン(エレメカ)の製造販売を中心に営業している日本の企業である。太平洋戦争後、自動車開発・生産を目的に「ホープ商会」として設立された。1954年(昭和29年)1月にはホープ商会から「ホープ自動車」に改称したが、自動車業界撤退後の1974年(昭和49年)4月に現名称のホープへ再改称された。1950年代中期に「ホープスター」ブランドの軽オート三輪を開発して、それまで着目されていなかった軽三輪トラックの市場を拓き、また日本初の軽四輪駆動車を開発したことでも知られる。日本の軽自動車市場にユニークなニッチジャンルを開拓したパイオニア的企業であった。自動車事業が不振となった1960年代中期以降、遊園地向けの遊具開発に業態転換して成功、現在では日本国内のみならず国外への遊具輸出も行っている。ホープ創業者の小野定良(1921年(大正10年) - 2001年(平成13年))は、香川県三豊郡上高瀬村(現:三豊市)に生まれ、長じて上京、先に東京へ出ていた兄の経営する小型自動車販売修理店で自動車修理業に従事する傍ら、1937年(昭和12年)に東洋商業学校(現・東洋高等学校)を卒業した。小野は10代の頃から技術開発に対する探求心が強く、当時普及しつつあったオート三輪にも触れて、関心を抱いていた。18歳の頃には早くも当時の内務省の委託で、のち戦後の混乱期に「輪タク(自転車タクシー)」として普及する旅客用三輪自転車の原型となった「厚生車」を試作し、才能の片鱗を見せている。その後の小野は、既にオート三輪業界の大手メーカーとなっていたマツダで1年間修理技術を学んだ後、陸軍に招集され、輜重兵学校(陸軍自動車部隊)や機甲整備学校の教官助手となった。終戦後東京に戻った小野は、技能を生かして引き続き自動車修理業に勤しんだが、若い頃から構想していた小型三輪トラックの製作を思い立ち、これを試作するため1951年(昭和26年)に上野で個人商店「ホープ商会」を開業した。小野は、当時オート三輪の大型化が進行していたために空隙となっていた軽量級トランスポーターの需要を、1949年(昭和24年)に制定されたばかりの軽自動車規格で実現しようとしたのである。開発進行の傍ら、1952年(昭和27年)4月にはホープ商会を株式会社に改組し、12月には長年の構想に基づいた三輪トラックを発売した。愛称は社名に基づく「希望の星」としての期待を込め「ホープスター」とした。ホープスターのスタイリングは戦前の小型オート三輪に類似するオープンタイプであるがより軽快で、オプションで前面風防・屋根幌も装備できた。小さいが、同時代にやはり軽自動車規格に着目したいくつかの企業で開発された華奢な軽オート三輪と違い、当初はバーハンドルを用いていたが(『360cc軽自動車のすべて』三栄書房 21頁参照)、上級オート三輪同様にチャンネルフレームやシャフトドライブを用いた本格的設計を採っており、当時のユーザーによる容赦ない酷使に耐えられたことが、ホープスターの最たる長所であった。零細メーカーのホープが当初から完成度の高い製品を開発できた背景には、既存メーカー製三輪・四輪トラック用の市販補修パーツを巧みに多用していた実情がある。このテクニックは、当時日本各地の群小零細企業で自動二輪車がアッセンブリー生産されていたことと相通ずるものであった。ホープスターの心臓となる空冷単気筒・サイドバルブ360ccエンジンは、戦前のイギリス製オートバイ・サンビームのエンジンを参考に小野定良の手で設計され、取引先の機械メーカーである富士産業に委託して製作されたものである。だが具体的にその実情を列挙すれば、ピストンは「くろがね」750cc2気筒用、コンロッドやベアリング類はマツダなどの流用など、ブロック及びヘッド本体以外のパーツの多くが既存他社製品であった。そしてトランスミッション以降の駆動系統はダットサン用のパーツをそのまま利用していたのである。既存メーカー車両のパーツはすでに市販車で十分な実績を積んで信頼できる品質であり、パーツ供給面でも、純正補修部品や社外互換部品を、修理業者向けの業販ルートから容易に入手できた。これは修理工場上がりの零細メーカーであるホープにとって都合が良く、またユーザーの立場からは品質やメンテナンス対策を保障する要素となって、新参メーカー製品の信頼性を高めることになった。もっとも長期的視点では、エンジン生産などを外部に依存するアッセンブリーメーカーとしての体質を脱することができず、主要部品の自社生産能力を欠いた基礎体力の弱さが、市場での敗退を招いたとも言える。ホープスターはその本格的設計で市場において成功し、1950年代中期のホープ自動車は生産体制を急激に拡張することになる。収益は工場拡張や技術者の採用などの好循環を生み、技術的にもユニークなスプリット・シングル方式の「単気筒ダブルピストン式2ストロークエンジン」の新規開発など、意欲的試みがなされた。日本では他例の無い方式で、機械メーカー・十条精機に移籍したトーハツ出身の技術者の提案でホープスター用パワーユニットとして開発されたものである。大小並列の2ピストン間におけるシリンダ内壁の熱問題が危惧されたが、実用上問題はなく、高出力化に成功を収めた。この頃が経営のピークで、小野定良は当時、自動車業界人の中でも長者番付上位に名を連ねる存在となったほどであった。だがホープが開拓した「軽オート三輪」というニッチ市場は、1955年(昭和30年)頃から四輪トラックに圧迫され始めていた小型オート三輪メーカー各社も着目するところとなる。1957年(昭和32年)、業界大手のオート三輪メーカーであるダイハツが、当初から全てを専用設計とした軽オート三輪「ミゼット」を発売し、テレビコマーシャルを駆使して全国的な市場展開に乗り出した。その他のオート三輪メーカーも、当初から四輪軽トラックを投入したくろがね以外、続々と軽オート三輪を開発、市場投入した。既存メーカー各社は、整備された販売網と、小型オート三輪市場縮小に伴って余剰化した生産設備を抱えており、小型オート三輪生産のノウハウによって軽三輪を開発するのも容易であった。1957年から1959年(昭和34年)にかけて一気に巻き起こったこの「軽三輪ブーム」攻勢に、価格競争力や販売網の脆弱な新興企業のホープは対抗しきれず、急速に市場を奪われた。ホープでは1960年(昭和35年)以降の軽四輪トラック市場の拡大にも対応し、同年、前輪独立懸架装備のボンネットタイプ軽四輪トラック・バンの「ユニカーNT」を開発して市場投入したが、直後、意外な方面から更なるダメージを受けることになる。実績のある自社設計エンジンは十条精機への委託生産であり、シャーシに対する供給能力が不足したため、1961年(昭和36年)の3輪モデル「ST」、4輪モデル「OT」では、これに代えて「ガスデン」ブランドの名門エンジンメーカーとして知られていた富士自動車の開発・製造による、水平シリンダ式の空冷直列2気筒・ロータリーバルブ式2ストローク新型エンジンを導入した。このエンジンは本来、富士自動車自体が同年に試作しながら社内事情で市販化に頓挫していた1ボックス貨物車「ガスデンミニバン・M36」用に開発されていたものであった。新エンジンの採用で在来型よりもキャビン内を拡大することができたが、肝心のガスデンエンジンは新開発で市販実績のないエンジンであった。「コンパクトで高性能」という触れ込みであったが、ホープスターに搭載して市販すると、ロータリーバルブが1万km走行程度で磨耗し、クランクシャフトは強度不足による焼け付きを起こすなど、欠陥品であることを露呈した。ホープはこのエンジンを搭載したモデルのクレーム対策に追われ、経営への悪影響となった。1962年(昭和37年)にはキャブオーバータイプ4輪トラックの「OV」を送り出し、軽キャブオーバー車流行を追ったが、自社既存軽4輪のパーツを流用した急造製品なのは否めなかった。資本力の乏しさから大手他社の飛躍的進歩に対する追随は困難で、エンジン問題にも追い打ちをかけられ、元々大手に比べて一桁少なかった自動車生産の縮小が進み、1965年(昭和40年)を最後に自動車業界からほぼ撤退した。小野定良は半生を賭けた自動車生産事業からの撤退に際し、自ら工場従業員の再就職対策に奔走し、数百名の従業員ほぼすべてを路頭に迷わせることなく、人員整理を完遂したという。また提携ディーラーについても、三菱・愛知機械工業との新規代理店提携を斡旋し、後顧の憂いのない措置を講じて責を果たした。これに先立ち、小野は自動車事業での不振を見越し、高度成長期のレジャーブームの伸長と軌を一にした「遊園地向け遊具の生産」という新たなニッチ産業に着目、新事業として着手していた。競合企業が少なく、しかも需要が広がりつつあった遊具生産ビジネスは時流に乗って大きな成功を収め、ホープは日本の遊具業界での主要メーカーとなった。なお小野定良は、自動車分野での再起を目して、ユニークな軽四輪駆動車(ホープスター・ON型4WD)の開発を試みたが、量産に至らず、その基本設計は廉価な代償で鈴木自動車工業 (現・スズキ)に譲渡されて、後のスズキ・ジムニーへと発展することになる。業態転換後は、主に遊園地向け遊具やキッズ向けメダルゲームを主に製造している。中央ホープ自動車東都ホープ自動車

出典:wikipedia

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