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阪急京都本線

京都本線(きょうとほんせん)は、大阪府大阪市淀川区の十三駅から京都府京都市下京区の河原町駅までを結ぶ阪急電鉄の鉄道路線。京都本線自体を指して、あるいはその支線を含めて通称京都線と呼ばれる。また、軌道法準拠で開業した神宝線(神戸本線・宝塚本線ほか)と区別する意味で、かつては鉄道線(てつどうせん)とも呼ばれた。一般的に、案内上「京都線」の名称は、京都本線と宝塚本線梅田駅 - 十三駅間を含めた、梅田駅から河原町駅を結ぶ運転系統の呼称として使われている。以下特記のない限り、運転系統としての京都線(梅田駅 - 河原町駅間)について記述する。京都と大阪でそれぞれ一番の繁華街である、四条河原町界隈と梅田界隈を両端に持ち、大阪府の北摂(三島)地域と京都府の乙訓地域を結び淀川右岸に沿うように直線コースで結んでいるのが特徴である。また、西院駅 - 河原町駅間は地下線であり、このうち西院駅 - 大宮駅間は1931年に開業した関西初の地下線となっている。京都本線の正式な起点は大阪側の十三駅であるが、京阪本線と同様に、大阪方面行が下り、京都方面行が上りとなっている。これに対し、神宝線はその逆で梅田方面が上りとなっている。運行上、京都線の列車は梅田駅を始発・終着としており、梅田駅 - 十三駅間は宝塚本線の複々線の東側2線に乗り入れる形となっている。この区間は休止となった北野線の復活という形で免許が申請されており、用地の問題からホームが設置できなかった中津駅には京都線の列車は停車しない。途中の淡路駅で自社の千里線と交差しており、両路線は頻繁に直通運転を行っている。直通列車は梅田駅 - 淡路駅 - 千里線方面と京都方面 - 淡路駅 - 千里線方面の2系統が存在し、後者は千里線を経て大阪市営地下鉄堺筋線にも直通している。ダイヤサイクルはパターン化されており、昼間は10分サイクル、ラッシュ時は20分サイクルで運転されている。千里線とは運用面で一体化されており、また歴史的経緯からも開業以来一体で運営されてきたものであるため、千里線の運用も本項に併せて記載する。車両は8両編成を基本に一部で7両編成や10両編成、土曜・休日などに運転される快速特急および行楽期に運転される直通特急は6両編成で運用されている。日中1時間あたりの運行本数は次のようになっている。なお、※印を付した梅田 - 十三間は、正式には宝塚本線の一部である。以下に各種別の詳細を示す。現行の停車駅は「駅一覧」を参照のこと。2011年5月のダイヤ改正から土休日に京都への観光客向けに設定された。梅田駅 - 河原町駅間に1日4往復運転され、途中停車駅は十三駅・淡路駅・桂駅・烏丸駅である。車両は6両編成で内装を京風にリニューアルした6300系「京とれいん」が使用される。「京とれいん」は6354Fの1編成しかなく、6300系の重要部もしくは全般検査時には別形式車で代走される(主に、2+6両編成の梅田寄り2両側を除いた3 - 8号車からなる7300系または8300系の6両編成)。6300系は115km/h非対応なので、停車駅は特急(後述)より少ないものの所要時間は特急よりわずかに長い。さらに、特急の発車2分後に設定されていることにより、終点まで先行の特急を追い抜くことがない。そのため、茨木市駅、高槻市駅、長岡天神駅を通過する際は先行の特急に追いつかないよう、徐行する。平日ダイヤでは京都本線の最上位の種別であり、乗車券のみで乗車可能である。基本的に平日の昼間から夕方の時間帯に、土曜・休日は概ね7 - 22時に運行される。10分間隔が基本だが、夜間などは15分ほどあく時間帯がある。日中の梅田駅 - 河原町駅間の所要時間は43 - 47分、最速は上下ともに土曜・休日の21時台に運転されている42分である。車両は8両編成で、原則として9300系で運転される。9300系は保有数11本と運用に必要な絶対数ぎりぎりのため、オールロングシート車も平日朝夕ラッシュと日中のダイヤ移行時間帯の一部の列車や代走で運用される。また、オールロングシート車でも最高速度の関係でワンハンドル車(1300系・8300系・7300系)に限定されている。以前は1両当たり座席数の多い2扉車両の6300系であったが、2008年(平成20年)から停車駅の増加に伴う混雑緩和のために3扉車両の9300系が投入され、2010年3月に9300系にすべて置き換わった。平日は終日、オールロングシート編成運用列車をのぞいて(9300系限定で)、梅田側から5両目(5号車)に「女性専用車両」が設定される。女性専用車両の詳細については阪急電鉄ホームページを参照のこと。通常は9300系が充当される平日の女性専用車両運用列車であっても、代走車両の場合は5号車が女性専用車両とはならない。従来は後述の通り十三駅・大宮駅・烏丸駅のみの停車で、京阪間ノンストップ運転を行っていたが、並行するJR線との対抗の意味合いもあり、1997年(平成9年)改正で高槻市駅が、2001年(平成13年)改正で茨木市駅・長岡天神駅・桂駅が停車駅に加えられた(その代わりに大宮駅が停車駅から外れた)。2007年(平成19年)改正では淡路駅にも停車するようになり、2001年以前の急行(現在の快速急行)と比べ大差のない停車駅(大宮駅・西院駅に停車しないだけ)になった。2010年(平成22年)改正では、相川 - 東向日間で、最高速度が従来の110km/hから115km/hに引き上げられた。もともと沿線人口が希薄であった当線では、戦前から京阪間直通客にターゲットを絞った列車が設定されていた。戦争中は一時中断されたが、戦後は当線が京阪から阪急に移ったため、阪急・京阪・国鉄の3社による激しい乗客獲得競争が行われていた。戦後1950年(昭和25年)に特急が復活した当時は天神橋発着で朝夕のみ運行であった。その後1956年(昭和31年)より大阪側のターミナルを天神橋から梅田に変更、梅田 - 阪急京都(現大宮駅)間にノンストップの特急を運転開始する(1961年(昭和36年)に十三駅停車)。1963年(昭和38年)には、念願だった大宮 - 河原町間が延伸開業し、京都都心部への乗り入れを果たす(特急の停車駅は十三駅・大宮駅・烏丸駅)。これを機に従来30分間隔であった運行を15分間隔へと増発し、従来クロスシート車中心であったのを、混雑に備えてロングシート車中心に切り替えた。しかし、乗車時間が比較的長い京阪間ではロングシート車が敬遠され、延長・増発により利便性は向上したものの乗車率は低迷するという迷走現象が発生する。この原因は車両面でのサービス低下であることが明らかであり、翌1964年(昭和39年)には2800系が製造された。同系列は阪急初の特急専用車で、当時の料金不要特急としては破格の車内設備を持ち乗客からも好評で、本線のサービスアップならびに乗客増に大きく貢献した。ちなみに1971年(昭和46年)時点の梅田 - 河原町間の所要時間は最速38分(十三 - 大宮間30分)で、現在に至るまでの最速記録である。登場当初5連であった2800系は順次増強され、昭和48年までに全編成が8連となった。また、阪急の看板列車として他形式に先駆けていち早く冷房改造を受け、1971年(昭和46年)から1973年(昭和48年)までのわずか2年で全編成が冷房化された。2800系の時代は短く、1975年(昭和50年)には後継となる6300系が登場、1979年(昭和54年)までに全編成が6300系に置き換わり、2800系は3扉改造の上一般車として使用されることになった。2800系の特急としての運用は、長いもので15年、短いものではわずか5年であった。この頃、国鉄では新快速や快速の増発、京阪では新テレビカー3000系の投入など各社がしのぎを削っており、早い車両の移り変わりにも、当時の京阪間の競争の激しさが伺える。その後1970年代後半には、京阪と競合する京阪間直通客をのぞくと、中間駅輸送はほぼ阪急の独壇場であった。さらに当時は名神高速道路も片側2車線しかなく天王山トンネル・梶原トンネル付近で慢性的に渋滞するなど道路事情も良くなかったこともあり、京阪間移動で阪急を利用する客も多かった。2800系同様料金不要特急として破格の設備を持つ6300系は、途中駅を無視した京阪間ノンストップの運行体系とともに文字通り阪急の看板列車であった。1987年(昭和62年)に国鉄が分割民営化されると、状況が一変する。国鉄より生まれ変わった西日本旅客鉄道(JR西日本)では、巨大な設備を生かして、増発・停車駅の増加・サービスの向上など積極的な改善に乗り出す。このため、1989年(平成元年)12月16日の改正では、従来15分間隔であった特急・急行のうち、平日日中に限り急行を10分間隔へ増発、その代わり特急を20分間隔へ減便し、中間駅の利便性を意識したダイヤへと変更した(ただし、休日は従来通りであった)。しかしJRの攻勢は続き、翌1990年(平成2年)3月10日には日中の新快速が高槻駅に停車するようになる。さらに、民営化以降運賃を据え置いた(消費税導入および税率増加による値上げはのぞく)JRに対し、阪急の運賃値上げにより運賃格差が縮小。一部区間においては、阪急よりJRのほうが安い区間も現れ、「高くて速いJR、安い阪急」の構図も崩れていった。車両面でも、新快速が221系に、京阪特急が8000系に逐次置き換えられる中で、1975年製の6300系以降特急車両の投入がなく、次第に陳腐化が顕著になっていった。1997年(平成9年)3月2日のダイヤ改正では、JRに対抗するため、京阪間ノンストップの看板を捨てすべての特急が高槻市駅に停車するようになるが、一週間後の8日にはすべての新快速も高槻駅へ停車するようになるなど、対JRの切り札とはならなかった。さらに1998年には、名神高速道路の片側4車線化・トンネル増設などの改良工事も行われて天王山付近の渋滞が緩和されるなど京阪間の道路事情も改善されたため、家族連れの行楽客など京阪間直通利用客のなかにはマイカーへの転移も見られるようになった。そこで2001年改正では停車駅を増加させる方針へと転換することになる。十三駅・高槻市駅・大宮駅・烏丸駅に停車していた2001年3月24日改正直前の運転形態は、平日日中は20分間隔、それ以外は15分間隔で、夜間には30分程度開くこともあった。平日日中の河原町行き、平日夜間の一部と休日の梅田行きは、桂駅で先行の急行を追い抜くダイヤであった。平日の梅田発21時30分以降は快速急行となり、前記に加えて桂駅にも停車した。所要時間は最速で39分、一方朝の梅田行きは最大48分を要していた。車両は6300系がほぼ限定的に使用されたが、運転サイクルの移行時間帯などは8連の一般車が代走することもあった。当時は5300系の一部に非表示幕車が残っており、これらが充当された場合には、京都線の伝統であった「特急2枚標識」を掲げ、かつての2800系を髣髴させる姿であった。平日の朝ラッシュ時と夕方以降に特急に代わって運行されている。京都市内で停車駅が若干増える代わりに千里線や堺筋線との乗り換え駅である淡路駅を通過する。最高速度は115km/h。基本的に全列車9300系が使用され、特急と同様、梅田方面から5両目に女性専用車両が設定されるが、9300系が故障または検査の場合は1300系・8300系・7300系で代走することがあり、その際は女性専用車両は設定されない。毎年7月の祇園祭の開催時は深夜時間帯に下り列車が増発されることがある。もともとは京都市内・大阪市内の数駅に停車し、その間はノンストップの特急に対し、途中の高槻市駅にも停車していただけであった。近年は特急同様に停車駅を増やす傾向がみられ、下位種別の快速急行との差が縮まりつつある。2010年のダイヤ改正により、茨木市駅に停車するようになり、快速急行との停車駅の差は淡路駅に停車しないだけになった。また、2001年3月のダイヤ改正以来、再び特急より下位種別となった。現行のものは2001年改正で設定された種別で、朝夕ラッシュと夜間の時間帯に運行される。この改正により、急行の停車駅が大幅に増え、従来の急行の停車駅を受け継いで設定された。1997年改正で設定された旧・快速急行とは連続性がない。最高速度は110km/h。特急や通勤特急の運転されない早朝・深夜は最速種別になるが、9300系であっても5号車の女性専用車両は設定されない。8両編成での運転が基本であるが、朝ラッシュ時の大阪方面行は10両編成で運転される列車もある(折り返しの京都方面行き列車は桂駅で大阪方2両〈A・B号車〉を切り離す)。10両編成列車はすべて8300系・7300系で運転される。もっとも1300系は、自動併結装置がないため、8両編成専用の1300系・5300系・3300系は10両運用には入れない。また、営業運転開始当初10両編成列車に運用されていた9300系(梅田寄り1号車のさらに梅田寄りに、A・B号車として7300系2両編成増結)も、現在は運用から外されている。この種別も設定当初より停車駅が増えているが、特急系統の停車駅増加に伴い全列車が終着駅まで先着できるようになり、(かつての急行より)速達性は向上している。深夜1本は河原町発高槻市行きで運転されている。2010年3月14日のダイヤ改正から定期列車として設定された。2013年12月21日改正時点では平日のみに下りは早朝に3本(このうち2本は長岡天神発梅田行き)・上りは夕ラッシュ時に7本運転される。停車駅は2007年から運転された臨時快速と同じで、現在の快速急行に南方駅・上新庄駅・南茨木駅を追加した形である。すべて8両編成で運行されている。下りのみは基本的に全列車とも9300系を使用するが、1300系・8300系・7300系で代走する場合もある。路線図や時刻表では青色、種別幕の色は青となっている。2013年12月20日までは準急と同じ緑となっており、高槻市駅 - 河原町駅間で誤乗が発生しやすいため、快速停車駅では誤乗防止を促す貼り紙が貼られていた。全区間で先着する。また快速の定期列車化により夕方ラッシュ時の京阪間先着列車が一番多くなっている(1時間あたり9本)。なお、8月に開催される京の七夕に合わせて、2012年より開催期間中の土曜日夕方に梅田発河原町行き、夜に河原町発梅田行きの1往復の臨時快速が、6300系「京とれいん」車両を使用して運行されている。2007年の急行廃止に伴い設定された種別で、ほぼ終日運行される。梅田駅 - 高槻市駅の区間で通過運転を行い、高槻市駅 - 河原町駅間は各駅に停車し、日中の後者の区間では普通の代替となっている。昼間の需要がやや少ないために7両編成、もしくは8両編成で運行されている。快速以上の優等種別列車との接続駅が上下で異なり、日中は桂駅と下りは茨木市駅、上りは高槻市駅で行われる。ラッシュ時は長岡天神駅でも行われる。1982年から2001年までも「準急」を名乗る列車が運転されていたが、これは現行のものと大きく異なり、梅田行きのみの設定で淡路駅を境に京都側で通過運転、大阪側で各駅停車(ただし中津駅は全列車通過)となるものであった(後節参照)。基本的には梅田駅 - 河原町駅間の運転だが、平日夜に梅田発高槻市行きが2本、平日深夜に梅田発桂行きが1本設定されている。大阪市営地下鉄堺筋線(天下茶屋駅 - 天神橋筋六丁目駅間)・阪急千里線(天神橋筋六丁目駅 - 淡路駅間)の直通列車として運転される。2007年3月17日改正で従来の堺筋急行・堺筋快速急行に代わって設定された。平日朝は河原町発天下茶屋行きが6本、平日夕方は天下茶屋発河原町行きが7本運転される。夕方の河原町行きは淡路で梅田発の各駅停車に、茨木市駅または高槻市駅で通勤特急に接続となる。2013年12月21日のダイヤ改正までは、夕方は高槻市行きだった。2011年5月14日からは土休日の昼間時間帯に天下茶屋駅 - 河原町駅間の列車が新たに設定されている。なお、「堺筋準急」は便宜上の呼び方であり、表示幕は「準急」と表示される。車両は阪急の3300系・5300系・7300系・8300系の8両編成が使用され、大阪市交の車両は使用されない。ただし、人身事故などの影響による大幅な運用変更が生じた場合には、2010年3月ダイヤ改正前の時期に夕方の茨木市行きとして大阪市交66系が急遽充当された例があるが、この時には行先表示幕が「準急」の表示に非対応だったため白地無表示を掲示して運行された。各駅に停車する種別で、終日運転される。ただし前述のとおり中津駅は京都本線側にホームがないため全列車通過する。運転系統は主に京都線内の梅田駅 - 高槻市駅・河原町駅間(昼間時間帯は高槻市駅発着で運転。高槻市駅 - 河原町駅間は準急が各駅に停車するため、準急が普通の役割を担う)と、千里線に乗り入れる梅田駅 - 淡路駅 - 北千里駅間、天下茶屋駅 - (大阪市営地下鉄堺筋線) - 天神橋筋六丁目駅 - 淡路駅 - 高槻市駅間で設定されている。原則、梅田駅 - 淡路駅間では北千里駅発着系統と高槻市駅(時間帯によってはそれ以東へ直通する列車も)発着系統を、淡路駅 - 高槻市駅間では梅田駅発着系統と堺筋線天下茶屋駅発着系統をそれぞれ、半数ずつ交互に運転している。淡路駅で梅田駅発着の列車と堺筋線直通列車と相互接続を図っており、乗車駅で直通列車に乗車できなくても、淡路駅での相互接続で目的の方向へ行けるように便宜が図られている。その他にも、朝・深夜を中心に梅田駅 - 正雀駅間の列車、朝・夕を中心に天下茶屋駅 - 正雀駅間・茨木市行きの列車が設定されている。また朝には相川発天下茶屋行きも設定されている。正雀駅・茨木市駅発着の列車の場合、堺筋線の直通列車は入出庫の関係上、大阪市交車で運用されることが多い。また平日の夕方には梅田駅 - 桂駅間の列車があり、天下茶屋発河原町行きの列車が夕方1本、土休日の朝に1本、夜に2本ある。この河原町行き列車は大阪市交の車両が高槻市駅 - 河原町駅間に乗り入れていないため、阪急車8両編成で運転される。梅田駅発着の列車は8両編成と7両編成が使われる。また天下茶屋駅発着の列車は9300系以外の8両編成と大阪市交の66系が使われる。なお、高槻市駅 - 長岡天神駅間を走行する列車に関しては2001年までは全列車が7両編成以下だった(これは大山崎駅・水無瀬駅・上牧駅が7両編成対応ホームであったため)。京都本線の普通は、1969年12月5日までは梅田駅発着の列車が設定されていた早朝・深夜を除き、十三駅発着と天神橋駅発着(天神橋駅発着の列車は淡路駅で梅田駅発着の千里線直通普通に接続)の列車が交互に運転されていたが、1969年12月6日改正から1973年11月22日までは京都本線の普通は天神橋駅発着を廃止(天神橋駅の発着の普通は同日より設定された高槻市駅発着の堺筋線直通普通に変更される)し、同じく早朝・深夜を除き、京都本線の普通は大阪側は十三駅発着(千里線直通普通の一部を含む)が基本となったが、それも梅田駅移転工事の完成した1973年11月23日改正でほぼ全列車が千里線直通普通と同様に梅田駅発着に延長となり、十三駅発着の普通は当時平日午後や土曜正午前後に運転されていた茨木市駅・淡路駅などを発着とする不定期の普通や、わずかに残った京都本線の定期普通など、ごく少数のみとなったが、それらも1976年9月22日までに廃止されたため(廃止直後に十三駅7号線を廃止)、現在は十三駅発着の列車は設定されていない。なお、千里線直通普通については、京都本線の普通とは逆に、梅田駅発着を原則としており、十三駅発着列車がごくわずかであった。過去には以下の列車種別が存在した。2001年(平成13年)3月24日から2007年(平成19年)3月16日までの、土曜・休日の朝(平日にも一部運転)および全日の夕方・夜間の時間帯に運行された。後述の旧・快速急行の停車駅を受け継ぎ、2001年3月23日までの当時の通勤特急の停車駅に桂駅を加えたもので、2007年3月17日のダイヤ改正で休止された(実質的には西院を停車駅に加え通勤特急に統合)。原則として6300系で運転され、平日は大阪寄り5両目が女性専用車両となっていた。なお、「快速特急」の種別名称は、2010年度より行楽時の嵐山線直通臨時列車の種別として復活した(後述)。その後、2011年より土休日運転の観光客向け特急の種別となっている(前述)。当時の特急の停車駅に対して、高槻市駅にも停車するようにしたもので、朝夕ラッシュ時に運転された。すべての特急が高槻市駅に停車するようになる1997年3月改正直前の運行形態は、約15分間隔で、梅田発20時以降は30分間隔だった。夕方の河原町発は設定されていなかった。1997年改正ですべての特急が高槻市駅に停車するようになり、通勤特急はいったん消滅した。しかし停車駅パターンが変更された2001年改正では、朝夕ラッシュについては以前のダイヤを踏襲して作成されていたことから、従来と同じ停車駅(十三駅・高槻市駅・大宮駅・烏丸駅)で再び設定され、朝のみに15分間隔で運転された。該当する時間帯には、特急は運転されなかった。以前より運行時間が縮小されているが、朝ラッシュの前後と夕方以降は快速特急(前記に加えて桂駅に停車)が運転されていた。車両はいずれも原則として6300系が使用された。2007年改正で朝夕ラッシュについても大幅な改正が行われ、現行のものへと移行した。1997年3月2日から2001年3月23日まで存在した。平日河原町行きのみの運転で、朝の1本と、夜間(梅田発21時30分以降)に設定された。なお、同時間帯は特急の運転がなかった。停車駅は、当時の特急の停車駅に桂駅を加えたもの(十三駅・高槻市駅・桂駅・大宮駅・烏丸駅)であった。原則として6300系で運転された。2001年改正で前述の旧・快速特急に改称された。2007年3月16日までの昼間と夕方の時間帯と平日深夜(上り1本のみ高槻市止まり。ただし梅田発高槻市行最終はその次の普通)に運行された。昼間時間帯は普通の運転のない高槻市駅 - 河原町駅間の各駅停車の代替となり、下りは桂駅と茨木市駅で、上りは高槻市駅と桂駅で特急と緩急接続していた。列車によっては7両編成で運転されることがあった。終戦直後から存在する種別であったが、2001年改正を境に大きく見直しが行われた。現在の快速急行と同じ停車駅であるが、終日に渡って運転されていたこと、当時は特急と停車駅数の差が大きかったため、途中で特急待避が行われていた点が異なる。最終時点では、平日日中は10分間隔、それ以外は朝夕を含めおおむね15分間隔で運転されていた。また、平日日中の河原町行き、休日の梅田行きはそれぞれ桂駅で後発の特急を待避した。所要時間は、待避のない最速列車で48分、一方朝の梅田行きは最大で57分を要していた。車両は8両編成で統一されていたが、平日朝6時41分 - 7時41分に河原町駅を発車する5本は10両で運転された。このうち3本は10両のまま桂駅から出庫回送、2本は増結用の2両編成を河原町駅まで回送し、1号線で増結作業が行われた。梅田駅からの折り返しはすべて桂駅で解放作業が行われていた。運用の都合で6300系が入ることもあり、定期運転で決まっているものには時刻表に2扉車を示すマークとして◆が付けられていた。ただし、当時の中間駅は2扉車の乗車目標は設置されておらず、3扉の乗車目標に並んでいた乗客が、電車到着後に扉のある位置までぞろぞろと移動する光景が見られた。ただし、この運用は主に早朝や夜間など乗客の少ない時間帯に限られていたため、大きな混乱はなかった。このほか、行楽シーズンに嵐梅急行(後述)が運転される際は、嵐梅急行に2+6連に分割できる8両編成が充当されることから、そのために不足する8両編成を補うため、余裕のある6300系が日中の急行として入ることが多かった。1979年3月5日改正まで長岡天神駅には平日朝夕のみ停車していたが、停車駅の相違による種別の区分は行われず、ともに「急行」を名乗った。ただし、同駅通過の急行は「大阪 急 京都」と書かれた種別板の背景色が白色だったのに対し、長岡天神駅に停車する急行は種別板内の「大阪」「京都」と書かれた行先部分の背景色が黄色になっていることで区別されていた。サッカーJリーグの試合が行われる日には南茨木駅や西京極駅に、向日町競輪が行われる日は東向日駅に、それぞれ臨時停車することもあった。2001年の改正で停車駅が大幅に見直され、旧・急行は快速急行に名称変更された。従来の旧・快速の停車駅を受け継ぐ形で設定された。平日・休日を問わず日中のみ(平日の梅田0時00分発高槻市行きが例外的に)設定され、10分間隔で運転された。梅田行きは桂駅・茨木市駅で、河原町行きは高槻市駅・桂駅で後発の特急を待避した。7・8両編成が充当され、基本的に6300系以外の全形式が使用されたことになる。なお、この急行の設定にあわせ、従来7両分の長さしかなかった大山崎駅・水無瀬駅では、ホームの延伸が行われている。2007年の改正で休止され、停車駅パターンは準急に引き継がれた。2001年3月24日から2007年3月16日の平日夕方ラッシュ時に、大阪市営地下鉄堺筋線・阪急千里線の直通列車として天下茶屋発河原町行3本のみの運転されていた。茨木市駅で後発の快速特急を待避した。なお、淡路駅から京都方面へは最速達列車であった。2007年3月17日のダイヤ改正で、淡路駅で快速急行河原町行に接続する観点から消滅し、その代替として堺筋準急が設定された。1979年3月5日から2007年3月16日の平日朝夕ラッシュ時に大阪市営地下鉄堺筋線・阪急千里線の直通列車として河原町駅 - 天下茶屋駅(1993年までは動物園前駅)間で運転されていた。2001年改正までは、朝の天下茶屋行き、夕方の河原町行き各3本ずつが運転された。天下茶屋行きは長岡天神駅で、河原町行きは茨木市駅で後発の特急(または通勤特急)を待避した。2001年改正以降は急行の停車駅パターンが変更され、河原町駅 - 高槻市駅間の各駅に停車するようになった。この改正では朝の高槻市始発も設定されたが、夕方の列車は快速急行へ種別変更され、急行としての設定はなくなった。朝の列車が残ったが、2007年3月17日のダイヤ改正で準急に変更された。3300系への冷房改造・電動式行先種別表示装置取付が完了し急行運用にも本格的に進出するまでの間は5300系8両編成で限定運用されていた。高槻市駅以東の各駅から梅田方面への速達化を図るため、1997年3月のダイヤ改正で新設された。平日昼間のみ20分間隔の運行であった。梅田行きは桂駅で特急、長岡天神駅で急行を待避し、河原町行きは長岡天神駅で急行・特急を連続待避した。当時、高槻市駅以西の急行停車駅以外にも南方駅と崇禅寺駅に停車する準急が運転されており、途中から各駅に停車するものの、この2駅を通過するという違いが生じるため、急行と準急の中間の種別を設定する必要が生じたことが設定の理由である。2001年3月23日のダイヤ改正で休止された(実質的には急行へ改称)。この快速が運転されていた時間帯は、高槻市駅 - 梅田駅間で先着の優等列車が1時間に12本運転(特急3本・急行6本・快速3本、他に普通が6本)されるという頻発運転が行われていたが、あまり宣伝されることはなく、またこのダイヤは土曜・休日に実施されることはなかった。なお、「快速」の種別名称は、2007年度より行楽時の臨時列車の種別として(後述)、また、2010年3月14日からは定期列車として復活した。1982年11月27日から2001年3月23日までの間に設定されていた。朝のみ、下り梅田行きのみで運転されていた。平日は茨木市駅始発で、1997年以降は土曜朝にも高槻市駅始発で運転された。なお、準急は2007年3月16日のダイヤ改正で急行に代わって復活したが、そちらでは復活に際し南茨木駅・上新庄駅が停車駅に加わったものの、逆に旧・準急停車駅だった崇禅寺駅は通過となった。淡路駅にてスタフの交換が行われていた。現在、主に春・秋の行楽シーズンには、京都本線において臨時列車が運行されている。2008年11月、阪急自身による嵐山誘客キャンペーンの一環として設定された臨時列車である。1970年の大阪万博時の通称エキスポ直通以来、約38年ぶりの神戸本線との直通列車となった。運転日は11月17日から21日までの5日間(すべて平日)で、1日1往復の運転であった。運用された車両は神戸本線所属の7000系7017Fの6両編成で、ヘッドマークは急行の運行標識板に似た赤丸に「臨時」の赤文字と黒文字で右に「嵐山」、左に「西宮北口」のマークで、側面にはステッカーが貼付された。種別幕は「臨時」、方向幕は白地の表示であった。車内の停車駅案内図も、この臨時列車のための専用の停車駅案内図が用意された。運転区間は西宮北口駅 - 十三駅 - 嵐山駅間で、神戸本線西宮北口駅 - 十三駅間と嵐山線内は各駅に停車し、京都本線内(十三駅 - 桂駅間)はノンストップ運転となった。往復共に十三駅での客扱いは神戸本線ホームで行い、また列車を方向転換させるために梅田駅6号線にも乗り入れたが運転停車とし、客扱いは行わなかった。嵐山駅到着後は夕方に折り返すまで、そのまま同駅に留置された。なお、この臨時列車については通勤特急ほかすべての列車が停車している高槻市駅は通過となっており、これ以降現在までこの手の臨時列車については高槻市駅は通過である。なお、営業列車の高槻市駅通過は1997年のダイヤ改正以来である。2009年春、嵐山誘客キャンペーンの一環として、神戸本線・宝塚本線・地下鉄堺筋線および、河原町駅 - 嵐山線嵐山駅間で臨時列車が運転された。前年度の運転が好評だったため2009年は運転区間を拡大して設定された。大阪市営地下鉄堺筋線と嵐山線を直通する臨時列車が初めて設定された。京都本線河原町方面と嵐山線を直通する列車は1965年頃に普通列車で運転されて以来となる。宝塚本線系統は1970年の大阪万博時の通称エキスポ直通以来、約39年ぶりの宝塚本線との直通列車となる。神戸本線・宝塚本線と直通する列車は2008年の運転と同様に、往復共に列車を方向転換させるために梅田駅にも客扱いなし(運転停車)で乗り入れた。神宝線から京都線に乗り入れた車両は、2008年11月と同じく、神戸線所属の7000系7017Fの6両編成が使用された。運転本数は神戸・宝塚方面からはそれぞれ1往復で、河原町発着は嵐山行き10本・河原町行き12本の運転であった。秋も同様に神戸本線・地下鉄堺筋線および、河原町駅 - 嵐山線嵐山駅間で臨時列車が運転された。今回は初めて土曜・休日にも臨時列車が設定された。春とは異なり宝塚本線経由の設定はないものの、代わりに今津線経由宝塚駅発着列車が設定された。この神戸本線・今津線からの列車は、方向転換はこれまでの梅田駅6号線ではなく、一時期使用を中止していた十三駅9号線(駅南側にある、神戸本線と宝塚本線の間の引き込み線)を使用して行なっていた。神宝線から京都線に乗り入れた車両は、同年春と同じく、神戸本線所属の7000系7017Fの6両編成のほか、7023Fの6両編成も使用された。一方、天下茶屋駅発着については、地下鉄堺筋線と京都本線が直通運転を開始して40周年となったことを記念して大阪市交通局の車両が使用され、66系第1編成「66601F」が6両に減車(8両編成のうち、3 - 4号車引き抜き)された上で、初めて嵐山駅に乗り入れた。2010年4月29日・5月1日 - 5日・8日・9日に梅田駅・河原町駅・高速神戸駅・宝塚駅(今津線経由)からそれぞれ嵐山駅までの直通列車が運転された。列車種別は梅田駅・河原町駅 - 嵐山駅間の列車は快速特急として、高速神戸駅・宝塚駅(今津線経由) - 嵐山駅間の列車は直通特急であった。神戸本線・宝塚本線との直通列車は、十三で方向転換するため、梅田駅には乗り入れない。また、神戸本線・京都本線の両ホームで客扱い(嵐山行は2号線→5号線、嵐山発は6号線→1号線の順)を行う。京都本線桂までの停車駅は以下の通り(桂駅から嵐山線内は各駅に停車)。宝塚本線からは梅田行特急日生エクスプレスを臨時列車として運転の上、十三で嵐山線直通列車と連絡させた。なお梅田駅 - 嵐山駅間の快速特急のうち1往復にすでに定期運用を撤退していた6300系6350Fを6両編成に減車して使用した。2010年秋においても、10月末から11月末の土曜・日曜・祝日において、前記と同様の直通列車と、平日の11月22、24、25、26日に前記の高速神戸からの直通特急を、1日1往復運転した。運行区間や停車駅・車両運用など運行内容は基本的には前記(2010年度)とほぼ同じあるが、梅田‐嵐山間の快速特急の一部列車には6300系車両(6354F×6両編成)の外観デザインや車内レイアウトを京風をモチーフに大幅にリニューアル改造を施した観光車両「京とれいん」編成を登用して、2011年5月14日の土休日ダイヤ改正実施まで暫定運行した。2011年5月14日に土休日ダイヤ改正が行われ、以下のような追加・変更が行われた。嵐山駅 - 河原町間の快速特急は、1運用で神戸線の車両を使用する。これは、天下茶屋 - 嵐山間の直通特急の使用車両が大阪市交66系から阪急車に振替られたため、車両に余裕がないためである。梅田駅 - 嵐山駅間の快速特急で運用されていた6300系京風観光車両「京とれいん」はこのダイヤ改正から梅田駅 - 河原町駅間での定期運用開始に伴い、直通列車の運用から外れた。2007年3月17日のダイヤ改正での定期運転種別再編に伴い、後述の「臨時特急」に代わって2007年11月より設定された臨時列車。春・秋の行楽時の限定の臨時列車ではあるが、「快速」の名称が復活するのは約6年半ぶりである。愛称は以前の臨時特急の「いい古都エクスプレス」が継承された。上り・下りともに午前(9時台 - 11時台)・午後(15時台 - 上り16時台/下り17時台)合わせて片道10数本を運転。梅田駅 - 高槻市駅間は通常の準急のダイヤで走り、高槻市駅 - 河原町駅間を臨時設定ダイヤ(停車駅は定期の通勤特急および快速急行と同様)で走る。快速が設定された分だけ高槻市駅 - 河原町駅間の準急(各駅停車)が減るため、梅田駅 - 高槻市駅間の普通が高槻市駅以東にも延長運転される。上り列車は通常の準急の場合高槻市で特急を待避するが、この快速は長岡天神駅での特急待避となる。下りは準急と同様に茨木市で特急を待避する。旧「いい古都エクスプレス」と異なり、高槻市でのスタフの交換は実施されなかった。これまでは旧「いい古都エクスプレス」のように春季に運転された実績はない。2007年度・2008年度はともに11月後半の3連休のみの運転であったが、2009年度は11月後半の3連休とその翌週末2日間合わせて5日間と運転日が拡大された。2010年3月14日のダイヤ改正で、ラッシュ時の定期種別として快速の運転が再開され、停車駅はこの臨時快速のものが踏襲された。その一方で、臨時快速の運転は前年度を以って事実上終了した。前述の臨時快速の前身として、かつて京都本線にて行楽シーズンに運転されていた臨時列車である。梅田駅 - 高槻市駅間は急行のダイヤで走り、高槻市駅 - 河原町駅間を臨時設定ダイヤで走る。通常の特急と同様に特急料金なしで利用することができる。2001年3月13日にそれまでの行楽期の臨時急行列車「嵯峨野エクスプレス」に代わる行楽期の臨時特急列車として新設されることが発表され、3月24日に春の「臨時特急」として運行を開始。また、同時に愛称の公募を行い、8月23日に愛称が「いい古都エクスプレス」に決定、11月11日から「いい古都エクスプレス」として運行を開始、臨時特急としては2007年3月17日のダイヤ改正まで運転されていた。通常の急行を格上げして運行していたために7両編成での運用も多かった。なお、臨時特急が設定された分だけ高槻市駅 - 河原町駅間の急行(各駅停車)が減るため、梅田駅 - 高槻市駅間の普通が高槻市駅 - 河原町駅(一部は桂駅)間で延長運転されていた。通常、上り急行は高槻市駅で特急を待避するが、この列車は待避せずにそのまま逃げ切り河原町駅まで先着するダイヤであった。逆に下りは茨木市駅で特急に抜かれるため、(臨時)特急が(定期)特急を待避する珍しいケースが見られた。新設当時は3月下旬 - 5月上旬と9月下旬 - 11月下旬の土曜・休日といったように比較的多くの日で運転されていたが、年々運転日が減少し、運転最終年となった2006年は4・5月上旬と11月下旬のみで、合わせて年10日以下となっていた。阪急では、臨時列車については駅の発車案内板では「臨時」の表示は原則として行わない(列車の方向幕には「臨時○○」と表示する)が、この「いい古都エクスプレス」では乗客が混乱しないようにあえて駅の発車標でも「臨時特急」と表示していた。また、この列車は上り・下りとも高槻市にてスタフの交換が行われていた。かつて京都本線梅田駅 - 嵐山線嵐山駅間に行楽シーズンの週末と祝日のみに運行していた臨時急行である。歴史は古く、1950年代初めには運転されていた。愛称は1992年秋の運転より付けられたものであり、このシーズンのみ「さがのエクスプレス」であったが、早くも翌1993年の春の運転からは「嵯峨野エクスプレス」に変更された。愛称が付けられる前は、起終点のそれぞれ1文字を取って「梅嵐(ばいらん)急行」あるいは単に「梅嵐」とも呼ばれた。2001年3月24日のダイヤ改正まで毎年春と秋に嵐山への観光客輸送のために運転されていた。なお、運転最終日は2000年11月26日であった。京都本線内は全区間臨時列車として、嵐山線内は一部列車が線内折り返し列車の代わりとして運転されていた。梅嵐急行の運行標識板は1960年代後半頃までは「大阪 臨急 嵐山」と文字だけのものであったが、1970年代に春はさくらを、秋はもみじを模したものに変更され、さらに1981年秋の運転からは「大阪」の部分を「梅田」に変更した。この運行標識板は1992年秋の運転で愛称が付けられた後も運転終了まで継続して使用されていたが、表示幕車には取り付けられなかった。また、愛称が付けられた1992年秋以降は愛称表示板も取り付けられるようになったが、これについては表示幕車にも前面貫通扉下部に掲示されていた(標識板使用車の場合は車掌台側に掲示)。この愛称表示板についても愛称表示開始から2度様式を変更している。1982年の秋は、桂駅改良工事の影響で、京都本線と嵐山線の直通運転が一時的に不可能となっていたため、梅田駅 - 嵐山駅間の直通急行は設定されず、代わりに梅田駅 - 桂駅間の臨時急行「梅桂(ばいけい)急行」が設定された。運行標識板はもみじを模したデザインではなく「桂 臨急 梅田」という、文字だけのシンプルなデザインのものが使用された。また、梅田駅工事の関係で1966年春の梅嵐急行は十三駅発着で運転され「十嵐(じゅうらん)急行」となったが、同年秋の運転より元の梅田駅発着に戻った。この時の運行標識板は当時の梅嵐急行同様のデザインであったが、「大阪」の部分を「十三」に変更していた。2001年春には、嵐山線の列車を桂駅 - 長岡天神駅間で延長し、長岡天神駅の同一ホームで特急と嵐山線を接続させるダイヤが設定された。これは、このシーズンより設定がなくなった梅嵐急行(梅田駅 - 嵐山駅の直通急行)を補完すると共に、桂駅で嵐山線 - 京都線の乗り換えには地下道または跨線橋を渡らなければならない、という不便を解消するためだった。20分間隔で運転され、夕方の桂駅→長岡天神駅のみ設定された。長岡天神駅到着後は桂駅まで回送された。車両は6両編成が使用された。実際には長岡天神駅まで乗車する乗客はごくわずかで、桂駅で乗り換えする乗客が大半であった。またこの延長運転のため、桂駅すぐ南側の川岡踏切が長時間開かずの踏切となること、すでに京都本線に6両編成の定期運用がなく、この列車のためだけに各種標識類(停車位置表示など)が必要となることから、以降は設定されていない。1987年の大晦日以降、大晦日の終夜運転が阪急全線で実施されているが、他線が普通列車のみの運転である中、当線は快速(2000年大晦日までは急行、2010年大晦日までは快速急行)と普通の2本立てで運転されている。運転本数も河原町発1 - 2時台において、20 - 30分間隔となっており増発されている。2011年以降は全列車終点まで先着となっている。なお終夜運転実施前は、大晦日の終電繰り下げと元日の始発繰り上げが行われていた。このほか、毎年1月1日始発から3日の間は特別ダイヤを組成しておらず、土曜・休日ダイヤで運転されている。過去に15分間隔で運転していた時期は特急・急行を増発した特別ダイヤを組成していた。1970年に千里丘陵で開催された日本万国博覧会の期間中は、観客輸送として臨時列車群が運行された。そのうち、運用上特記されるものを記す。梅田駅 - 千里線北千里駅間と大阪市営地下鉄堺筋線動物園前駅 - 千里線北千里駅間に設定されていた。後者には大阪市交通局の車両も充当されていた。なお、この列車が他事業者の路線ではあるが、地下鉄車両が日本で3番目に優等列車として運行した事例であった(最初の事例は都営地下鉄浅草線の京浜急行電鉄乗り入れ列車、2番目は当時の営団東西線での快速運転)。万国博会場から神戸線・宝塚線に直通した列車で、十三駅の引き上げ線で折り返した。運転区間は千里線万国博西口駅(万国博開催時に営業していた臨時駅) - 宝塚線宝塚駅間と万国博西口駅 - 神戸高速線高速神戸駅間であった。1950年から1968年まで京都駅 - 宝塚駅間を神戸線・今津線経由で直通する、通称「歌劇特急(かげき特急)」が運転されていた。1950年3月21日に不定期直通特急列車として運転を開始。運転開始当初は西宮北口駅構内に神戸方向から今津線に直通する連絡線が存在しており、列車は一旦平面交差を通過してから折り返して今津線に入線していた。しかし、同駅の大改造による宝塚線経由での運転や三複線工事による運休などを経て、神戸高速鉄道開通に伴う神戸線のダイヤ改正を目前に控えた1968年2月25日に廃止された。なお、この列車に関しては特定の愛称はなく、1954年頃から通称として『歌劇特急』や『歌劇号』と呼ばれるようになった。京都本線の乗務員は主に淡路駅や桂駅で交代する。なお、同線から千里線を経て大阪市営地下鉄堺筋線に直通する列車は天神橋筋六丁目駅で大阪市交通局の職員と交代する。京都本線の車両は、臨時列車をのぞいて基本的に8両編成および7両編成で構成されている。特急と通勤特急と快速は8両編成のみで運転される。快速急行は基本的に8両編成で運転されるが、平日朝の一部列車は梅田方に2両増結して10両編成で運転される。準急はダイヤによって7両のものと8両のものが存在している。普通は原則として7両編成で運転され、一部8両編成で運転されるが、堺筋線直通列車はすべて8両編成である。京都線のホームには7両の列車の停車しない部分には先端である旨と7両の列車のダイヤが示された看板が掲げられている。ちなみに、現在河原町駅の2号線に限り8両編成の列車が発着できない(有効長は7両編成)。なお、現行ダイヤでは同駅の2号線から発車する列車は平日6時24分発と8時18分発の普通梅田行の2本、土休日6時44分発の普通梅田行と快速特急4本(主に、6300系6354F6両編成使用)の計5本である。元々、京阪電気鉄道が設立した子会社の新京阪鉄道によって開業した路線であること(「歴史節」を参照)や、京都本線・千里線が地下鉄堺筋線と直通運転を行う関係で、京都線系統の路線で用いられる車両は、阪急の前身である箕面有馬電気軌道(箕軌)および阪神急行電鉄によって開業した神戸線・宝塚線系統(神宝線)で用いられる車両とは、現在でもその規格や電装品の製造会社(神宝線は東芝、京都線は東洋電機製造)などに差違が見られる。ただし、接地開閉器、継電器箱、クーラー(いずれも9300系以外)、列車無線、デジタル式速度計などは東芝製である。詳しくは「神宝線」の項目を参照のこと。編成の向きは、3複線区間となる梅田駅 - 十三駅間を基準に「前パンタグラフの先頭車は梅田寄り」となっているため、京都本線に限っては前パンタグラフの車両は「下り方面の先頭」となる。なお、京阪線では前パンタグラフの先頭車は出町柳・三条寄りで、京都本線とは逆向きである。京都本線で使用される車両は以下のとおり。各種別ごとの編成・使用車両については、「運行形態」章の各種別の節も参照。神宝線の車両と区別するために、京都線所属車両の番号の2桁目は3,4,8,9になっている。なお、2014年3月30日に、新型車両1300系が運転を開始した。また2300系は2015年3月20日を以て、定期運用を終了した。京都本線は、元々昭和初期に大阪 - 京都間を高速で結ぶ新線として、当時の京阪電気鉄道が設立した子会社の新京阪鉄道によって開業した。京阪電気鉄道は、大阪 - 京都間に現在京阪本線となっている路線を1910年には開業させていた。しかし、これはアメリカのインターアーバンに準ずる路面電車を発展させた形の都市間電車で、既にあった沿線の市街地を縫うように敷設されたため、曲線が多く、高速運転には向いていなかった。同様な路線として、阪神電気鉄道が1908年に開業させた阪神本線があり、どちらも「株式会社」をもじり「カーブ式会社」と皮肉られた。しかし、1920年に阪神急行電鉄(阪急)が阪神本線に並行して神戸線を敷設した。これは人口の少ない山添いルートを一直線に走り抜けるもので、高速運転が可能な線形だった。この結果、阪神と阪急の両社はこれ以降熾烈な乗客競争を繰り広げることになった。この様子を阪急の免許申請時から見ていた京阪電気鉄道では、自社の路線においてもそのような事態になることを避けるため、おりしも電気鉄道の敷設がブームであり、淀川の北側(西岸)の人口過疎地域に阪急神戸線と同じような高速運転可能な路線の敷設出願が各社から出されたのに対し、自社線の防衛に主眼を置いて出願を行った。また当時、国鉄の運営と私鉄の管轄を担っていた鉄道省も阪神間のような熾烈な競争になることを憂慮していた。結果として京阪に免許が与えられ、新線の建設に当たることとなった。当初は京阪本線森小路駅(現在の千林駅に相当)から支線を分岐させて、新京阪線上新庄駅予定地から南へ延長した路線に赤川で合流させ、城東線(後の大阪環状線)桜ノ宮駅・天満駅を経由して梅田まで延伸し、同地に総合ターミナル駅を作ろうという構想(天神橋駅開業後に京阪本線は野江駅分岐、新京阪線は天神橋駅からの延伸に計画変更し、1932年に断念、1942年に免許失効。京阪梅田線も参照)を打ち出したが、城東線の高架化が関東大震災復興工事優先投資の方針から遅れることになったため、梅田延伸に関して高架化に伴う跡地の利用を考えていた京阪では、この新線は当面は実現不可能と考えて、代替地を探すことにした。ちょうど新京阪線の計画がたった頃の1921年に、阪急神戸本線・宝塚本線の十三駅から分岐して千里山駅までを結ぶ北大阪電気鉄道(現在は淡路駅を境に、西は京都線、北は千里線)という私鉄路線が開業していた。京阪ではこの会社を買収して同社が持っていた淡路 - 天神橋(天六)間の免許を利用することを考えた。同社の路線は1923年に新京阪へすべて譲渡され、1925年に天神橋駅(現在の天神橋筋六丁目駅) - 淡路駅間が開業した。その後、京都側は地下線で開業させる予定であったが、昭和天皇の即位大典に間に合わせるため、急遽西院に仮のターミナル駅を設けることにし、1928年に天神橋駅 - 京都西院(現在の西院駅)間の全線が開業した。しかし、昭和金融恐慌・世界恐慌の影響で、この新京阪鉄道や阪和電気鉄道(現在のJR阪和線)・奈良電気鉄道(現在の近鉄京都線)などに多額の投資を行った京阪電気鉄道の経営が危うくなった。その上、新京阪鉄道の路線は京都側のターミナルが仮の京都西院駅で、大阪側の天神橋駅も同じように市街地の縁にあってどちらも利便性が悪かったことと、沿線の人口も前述のような理由で多くなかったことから、利用客が伸びずに同社はもっとひどい苦境に陥った。このため、新京阪鉄道は1930年に京阪電気鉄道に合併されて同社の新京阪線となり、経営を一本化した上で再建を図ることにした。そのため、京都側の地下線の完成も急がれることになった。その京都側ターミナルである大宮駅までの地下線による延伸は1931年に完成したが、これは大阪市営地下鉄開業の1933年よりも早く、関西では初の地下鉄道路線でもあった。なお、新京阪鉄道は西向日町駅(現在の西向日駅)から分岐して伏見・山科を経て滋賀県大津市の馬場に至る路線と、大宮駅からさらに京都市の地下を貫通する路線の免許も収得していた。このうち後者は戦後に河原町駅へ阪急によって路線延長がなされる際に活用された。さらに京阪では、その大津市馬場から鈴鹿山脈を越えて名古屋に至る名古屋急行電鉄の建設計画も持っていたが、恐慌のため立ち消えとなった。沿線の人口が少ないため(当時は高槻でさえ市制を敷いていなかった)、同線は京阪間の都市間輸送に注力するしかなく、天神橋駅 - 大宮駅間をノンストップ34分で結ぶ超特急などといった高速運転を行う列車を集中的に走らせることにした。その代わりに京阪本線では速達列車を設定せず急行や普通を増発することにして都市間輸送と沿線輸送を棲み分ける運用にした。その速さは同社の保有するP-6形電車による速達列車が当時の鉄道省線で最速の特急列車「つばめ」を抜いたと言う逸話が残るほどであった(新京阪鉄道P-6形電車も参照のこと)。また、1937年に国鉄東海道本線京都駅 - 吹田駅間の電化が完成(吹田駅 - 須磨駅間は1934年に完成)し、京阪間をノンストップの36分で結ぶ急行電車(急電)が走るようになると、京阪では両線ともに列車の本数を増やし、運賃の値下げまで行うなどして対抗した。さらに1934年からは、天神橋駅 - 大宮駅間運転の列車のほか、同列車と淡路駅で解結を行うことにして、阪急線と接続させるため十三駅を発着駅にする列車も設定した。戦時中の交通統制のため、京阪電気鉄道と阪神急行電鉄は1943年に合併して京阪神急行電鉄(現在の阪急電鉄)となり、新京阪線も同社の運営となった。戦後、京阪電気鉄道は1949年に再び分離発足することになるが、この際に新京阪線の電車は1945年から宝塚線へ乗り入れを行って梅田発着となっていたことなどを公式の理由として、同線と支線の千里山線(現在の千里線の淡路駅以北)・十三支線(現在の京都本線の淡路駅以西)・嵐山線は阪急の路線として存置することになった。当時の毎日新聞(1948年2月27日)によれば、この決定を行った当時、京阪神急行電鉄の役員会における旧阪神急行電鉄出身役員は9名、旧京阪電気鉄道出身役員は4名であったとされ、この優勢を利用して役員の多数決により阪急による新京阪線系統および未成の梅田線用地の強奪とも言うべき残留が決定されたとの見方が示されている。事の真相はともかく、この残留によって京阪電鉄→京阪神急行電鉄時代には京都 - 大阪間で定期券を持っていれば必要に応じ両線を自由に選択できた乗客にとっては、大きな利便性が失われる結果となった。この時、路線名が現在の京都本線となった。またこのような経緯から、京都本線系統の路線をのぞいた阪急各線をその頭一字を取って神宝線と総称し、お互いを区別することがある。路線名が京都本線に改称されてからも、京都本線の起点は長らく天神橋駅のままであったが、いわゆる三複線(宝塚本線の梅田 - 十三間複々線化工事)が完成したのを機に、天神橋駅 - 淡路駅間を千里山線に変更するとともに、京都本線は十三支線を編入し、十三駅が起点となった。上牧駅前後から大山崎駅にかけて一部高架区間があるが、これは並行する東海道新幹線の建設に併せて造られたもので、高架化工事中の1963年4月から12月までの間、先に完成していた同線の高架線路を借りて列車の運行を行っていたことがある(東海道新幹線#新幹線の線路を先に走った阪急電車を参照)。東海道本線とは当初から互いにスピード競争を行って乗客獲得競争を行っていたが、国鉄末期以降はスピードアップや新型車両の投入により、スピード競争では敗北し、さらにJR化後は新快速を高槻駅に停車させるなど、スピードを維持したまま停車駅を増やしたため、阪急京都線も途中駅にこまめに停車して集客する方法に方針転換する。まず1989年12月16日にすべての電車が15分間隔であったものを、特急を20分おきに減便し、急行を10分おきへと増便、1997年3月2日にはすべての特急が高槻市駅に停車するようになった。2001年3月24日のダイヤ改正では大幅な停車駅の見直しと種別の整理が行われた。特急を通勤特急に、快速急行を快速特急に、急行を快速急行に、快速を急行に改称の上で南茨木駅にも停車させ、特急は停車駅を快速特急よりも多く快速急行よりも少なくして、各優等列車の停車駅を従来のほぼ2倍にし、特急を事実上それまでの急行と同等の列車にした(この点については2007年の淡路駅の追加停車でその様相がさらに色濃くなった)。同時に準急と行楽期の「嵯峨野エクスプレス」を廃止し、行楽期の臨時特急を新設した。また河原町駅の2番ホームをのぞく線内全駅が8両編成対応となった。これにより高槻市から河原町までの区間において平日ダイヤの昼間は一部列車が減便(従来の特急は実質廃止)、休日ダイヤでも京阪間直通優等列車の総本数は減少(特急・急行で1時間当たり8本が特急6本に、25%減少)した。また、特急の所要時間も十三駅 - 大宮駅間ノンストップ時代の38分から5 - 6分延びて、下り44分、上り43分が標準的な所要時間となっており、これは同月23日以前の急行の所要時間と2 - 3分程度しか変わらない程スピードダウンしている。一方で、21世紀に入ってから駅間の長い区間に新駅の設置も進めており、洛西口駅、摂津市駅、西山天王山駅が開業している。2015年の平日のみの乗降客数は次の通り。京都本線各駅で堺筋線天下茶屋駅経由・南海空港線関西空港駅までの連絡乗車券が発売されており、年に2度発売されている「高野山1dayチケット」でも天下茶屋駅経由で南海高野線への乗車が認められている。さらに2011年5月14日からは、線内では河原町駅・桂駅・高槻市駅・茨木市駅・淡路駅に設置の各「ごあんないカウンター」ならびに烏丸駅にて、天下茶屋駅経由関西空港駅への乗車券よりもさらに割安な「関空アクセスきっぷ」も発売している。

出典:wikipedia

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