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阪急宝塚本線

宝塚本線(たからづかほんせん)は、大阪府大阪市北区の梅田駅から兵庫県宝塚市の宝塚駅までを結ぶ阪急電鉄の鉄道路線。宝塚本線自体を指して、またはその支線である箕面線を含めて通称宝塚線と呼ばれる。沿線は市街地や住宅地が続いており、北摂(豊能地域・阪神北地域)から大阪への通勤・通学路線となっている。三国駅付近、曽根駅 - 豊中駅間、石橋駅 - 川西能勢口駅間、宝塚駅付近は高架化されている。梅田駅 - 宝塚駅間には普通のほか、ほぼ終日にわたって急行が運転されている。このほか、平日朝には通勤特急・準急、そして朝夕には梅田駅 - 能勢電鉄日生中央駅間を直通運転している特急「日生エクスプレス」が運転されている。また、お盆・年末で土曜・休日ダイヤにて運転する平日の朝ラッシュ時は上りのみ一部ダイヤを修正した上で急行を増発するなど、柔軟なダイヤ編成を行っている。ダイヤ面では、戦後の昭和20年代から長い間、昼間15分間隔(梅田駅 - 宝塚駅間の急行、梅田駅 - 宝塚駅間の普通、梅田駅 - 池田駅間の普通が各1本ずつ)のダイヤが続いた(当時は車庫が池田駅にあった)。平井車庫を建設し池田駅から車庫を移転したうえで、池田駅高架化工事中には当駅の折り返し線が使えなかったため、池田駅発着の普通を暫定的に雲雀丘花屋敷駅まで延長するなどの変化はあったが、基本的には30年以上にわたって、昼間はほぼ同じパターンのダイヤで運転されてきた。これは、並行する日本国有鉄道(国鉄)福知山線(当時)が、都市近郊輸送をほとんど考慮しないダイヤであり、神戸本線や京都本線のような競争に晒されることがなかったことも一因とされる。しかし1981年(昭和56年)、福知山線の尼崎駅 - 宝塚駅間が電化、さらに1986年(昭和61年)11月1日には福知山線の全線電化が完成し、この日のダイヤ改正より昼間20分間隔で電車が走り出すと、宝塚線も国鉄との競争に直面するようになった。このため1986年(昭和61年)12月には白紙ダイヤ改正が実施され、昼間10分間隔運転(梅田駅 - 宝塚駅間の急行、梅田駅 - 雲雀丘花屋敷駅間の普通と梅田駅 - 池田駅間の普通を交互に運転)として急行を大増発するとともに豊中駅に新規停車させるなど、福知山線を意識したダイヤとなった。その後は現在に至るまで、並行する福知山線(1988年に「JR宝塚線」の愛称が付く)を強く意識したダイヤを構築している。昼間の速達列車の10分間隔運転というスタイルは1986年(昭和61年)以来、基本的に変わりはないが、近年は輸送形態や社会情勢の変化などにより、後述の通り、速達系列車の内容を変更する改正を頻繁に行うようになっている。2006年10月28日に神戸線系統のダイヤ改正と同時に行われたダイヤ改正では快速急行の廃止(後述)に加え、が行われた。2015年3月21日には8年5か月ぶりのダイヤ改正として、川西能勢口駅を始発駅とする通勤特急の新設(実質通勤急行からの名称変更、女性専用車両を設定)に加え、などの、ラッシュ時間帯を中心とした改正が行われた。以下に種別ごとの詳細を示す。現行の停車駅は「駅一覧」を参照。宝塚本線最速達種別で、通常は平日ダイヤのみの設定。朝ラッシュ時に日生中央発梅田行きが、夕ラッシュ時に梅田発日生中央行きが、それぞれ7本ずつ運行される。なお、2009年春以降は、春・秋の行楽期の特定の土曜・日曜・祝日にも臨時列車として運転されている(基本は午前の日生中央発梅田行き2本のみ)。通常、4月下旬に開催(2015年は未開催)されるつるやオープンゴルフトーナメント決勝ラウンドの土曜・日曜日には上下で臨時運行される。車両は1000系1001F・1003F・1004F、8000系と6000系6005F・6006F・6011F・6012F・6024F、能勢電鉄6000系6002F8連の限定運用である(対応車両は列車無線アンテナが2本ついている。ただし6024Fはアンテナは1本のまま)。1997年11月改正で運転を開始した。開始当初は平日3往復のみであったが、能勢電鉄沿線の乗客が川西能勢口駅でJR福知山線(JR宝塚線)川西池田駅へ逸走するのを少しでも食い止める施策として、2003年8月改正から平日7往復になった。またこの改正より、池田駅が停車駅に加わっている。2015年3月改正で川西能勢口発の通勤特急が新設されたため、運行開始以来実施されていた川西能勢口駅での増結作業(8両→10両)は廃止され、能勢電鉄内停車駅からの所要時間が短縮された。2015年3月21日の宝塚本線ダイヤ改正で新設された種別。この改正以前の通勤急行から事実上の種別変更で、川西能勢口駅 - 梅田駅間の途中停車駅は池田駅・石橋駅・豊中駅・十三駅である。平日朝ラッシュ時に川西能勢口発梅田行きを5本(16分間隔)運転し、梅田発の設定はない。編成は10両編成で最後部(宝塚方)の車両には宝塚本線では初の女性専用車両を設定している。充当される車両は8両編成が6000系と7000系、2両編成が7000系と8000系に限定される。この種別に充当される編成の女性専用車両となる宝塚寄り先頭車の案内ステッカーには時間帯等の記載がなく、事実上の専任と言える。なお、2000年6月から2003年8月までにも通勤特急が設定されていた。この初代の通勤特急は宝塚発梅田行きが片道2本のみ運転されていて、途中の停車駅は雲雀丘花屋敷駅・川西能勢口駅・池田駅・石橋駅・十三駅であった。終日運行の代表的種別であり、日中に梅田駅 - 豊中駅間で通過運転を行う唯一の種別。基本的に梅田駅 - 宝塚駅間で運転されるが、平日深夜には梅田発雲雀丘花屋敷行きも1本設定されている。昼間時間帯については当時設定されていた特急・快速急行に置き換えられていたこともあるが、2006年10月28日のダイヤ改正から昼間の運転が復活している。宝塚線の優等列車としては最も古く、1932年10月に登場した。かつては十三駅 - 石橋駅間無停車で豊中駅と蛍池駅は通過していた(石橋駅 - 宝塚駅間は各駅停車)。1986年12月改正で、豊中駅に平日ラッシュ時の一部をのぞき急行が停車するようになり、1997年11月改正で豊中駅にすべての急行が、2003年8月改正で蛍池駅に急行が停車するようになった。なお、宝塚本線の急行で梅田駅 - 宝塚駅間を利用する場合、実際には梅田駅から神戸本線の特急に乗車し、西宮北口駅で今津線に乗り換える経路よりも多少時間がかかる。つまり、今津線経由で行く場合の方が宝塚駅に先着できる。ただし、後述の宝塚発今津線経由梅田行きの準急をのぞいて、西宮北口駅での乗り換えが伴うため、上り下りを含めた移動が強いられる。接続時間も含めると日中の場合の所要時間差は梅田駅→宝塚駅が1分差(宝塚本線経由33分、神戸本線・今津線経由32分)、宝塚駅→梅田駅が3分差(宝塚本線経由35分、今津線・神戸本線経由32分)と大差はなくなる。その原因としては次のようなことが挙げられる。ただし、今津線経由での乗車を奨励(促進)する案内は、誤乗車防止や混雑の分散によるためか、実際には行われていない。ちなみに、宝塚本線が混雑し全般的に利用が集中する平日朝ラッシュ時上りについては、宝塚駅から今津線・神戸本線経由で梅田行きの準急列車が別途運行されている(詳細は神戸本線を参照)。門戸厄神駅以北は各駅停車のために梅田駅 - 宝塚駅間の速達性は考慮されていないが、それでも西宮北口駅に停車しないこともあって、宝塚本線の急行より数分所要時間が短い。日中は、梅田駅 - 雲雀丘花屋敷駅間の普通列車と雲雀丘花屋敷駅で接続する以外追い越すことはなく、基本的には上下線共に先行逃げ切りで運転される。平日の朝ラッシュ時に宝塚発梅田行き、箕面線箕面駅 - 梅田駅間相互直通、および梅田発雲雀丘花屋敷行きを運転している。梅田行きのすべての列車が曽根駅で普通に連絡する。かつては現在の急行の停車駅と三国駅に停車し、基本的に箕面線直通列車を中心に運転されており、一部の列車が雲雀丘花屋敷駅まで運転されていた。1997年11月改正で、通勤準急運行開始と代わる形で一旦運行休止されたが、2000年6月改正で復活した。この改正では宝塚駅まで運転されるようになり、三国駅は通過となった(現在の急行の停車駅と同じ。当時の急行とは蛍池駅に停車するかしないかの違いであった)。そして2003年8月改正で、箕面線直通列車が廃止され、岡町駅・曽根駅・中津駅に停車するようになったが、2015年3月21日のダイヤ改正で通勤準急が準急に統合されたことに伴い、箕面行き準急が復活した。なお、宝塚駅からは朝に今津線・神戸本線経由の準急も運行されているが、梅田駅までの所要時間は川西能勢口駅経由より数分短い(今津線・神戸本線経由の準急については阪急今津線を参照)。各駅に停車する種別で、梅田駅 - 雲雀丘花屋敷駅間の運転が中心。その他早朝・深夜には梅田駅 - 宝塚駅間、平日夕方ラッシュには梅田駅 - 箕面線箕面駅間を運転する列車もあり、朝・夕ラッシュには梅田発の池田・豊中行きや、川西能勢口・豊中発の梅田行きもある。また深夜には宝塚発川西能勢口・池田行きも設定されている。平日の昼間と土曜・休日は1時間あたり6本の運転。平日のラッシュ時以外は後続の急行よりも終点まで先着する。かつては曽根駅 - 梅田駅間の区間列車もあった。なお前節の通り急行が豊中駅 - 宝塚駅間で各駅に停車するため、雲雀丘花屋敷駅 - 宝塚駅間は朝・深夜をのぞいて運転されない。JRが国鉄であった時代には、宝塚本線には定期運転の特急は設定されてこなかった。国鉄時代の福知山線は本数・運賃・車両の面で阪急に劣っていたため、同じ梅田駅(大阪駅) - 宝塚駅間を結んではいながら競合が成立するライバルとは言えず、同区間の輸送は阪急の独り勝ち状態が続いており(「福知山線の歴史」も参照)、定期運転の特急を敢えて設定する必要は無かったからである。1980年代半ばまでの宝塚本線は、日中は梅田駅 - 宝塚駅間の急行と普通、梅田駅 - 池田駅間(後に雲雀丘花屋敷駅まで延長)の普通がそれぞれ15分間隔で運転されていた程度であった。だが、1986年に福知山線が全線電化とともに本数が増発され、利便性が大幅に向上したことから、阪急側もこれに対抗するため1986年12月のダイヤ改正から日中の急行を10分間隔に変更、増発して対処した。しかし、福知山線はJRとなって以降、さらなる増発と快速列車の運転開始、新型車両の投入などで快適性が向上したため福知山線に対する利用者のイメージも大きく変わり、昼間特割きっぷの設定や阪急側の運賃値上げによる運賃格差の収斂もあり、阪急側は劣勢に立たされ続けた。このため、さらなる抜本的な対策を取る必要が生じた。そのため、1995年に初めて梅田駅 - 宝塚駅間で定期運転の特急が設定された(停車駅:十三・石橋・川西能勢口)。その後、1997年のダイヤ改正で雲雀丘花屋敷駅を停車駅に追加、2000年のダイヤ改正で停車駅を十三・豊中・石橋・池田・川西能勢口・山本としてデータイムにも設定して増発(実際は、特急と急行を20分間隔で交互に運転。ただ梅田駅 - 宝塚駅間と梅田駅 - 雲雀丘花屋敷駅間の普通を20分間隔で交互に運転することで梅田駅 - 宝塚駅間の日中は毎時9本に増発)し、梅田駅 - 宝塚駅間を下り最速で29分50秒(表定速度49.3km/h。上り最速30分30秒、表定速度48.2km/h)で結び、ラッシュ時には通勤特急が運転されるようになった(停車駅:雲雀丘花屋敷・川西能勢口・池田・石橋・十三※梅田行きのみの運転)。しかし、特急を設定したにもかかわらず線形の悪さによる影響から大したスピードアップを図ることはできなかった。当時JRの普通列車が大阪駅 - 宝塚駅間を29分で結んでいたのに対し、阪急は停車駅を3駅にまで絞っても梅田駅 - 宝塚駅間の所要時間は30分を切ることができず、所要時間の面で後塵を拝する状態が続いていた。さらには大阪モノレールとの接続による大阪国際空港(伊丹空港)へのアクセス改善の必要性も高まったため、2003年8月のダイヤ改正で特急の運行を休止し、蛍池駅と雲雀丘花屋敷駅を停車駅に加えた快速急行に格下げされた(以後、日生エクスプレスをのぞいて、特急は運転されていない)。特急の運行休止と併せて日中の急行も快速急行に格上げ・統合されたため、この時点で梅田駅 - 宝塚駅間の快速急行と普通の運転で、同区間の日中は毎時12本と、福知山線を凌ぐ本数となった。だが、その快速急行も豊中駅 - 山本駅が各駅停車であり速達効果も薄かったことから、2006年10月のダイヤ改正で運行休止となった。結果的に、11年を経て1995年以前の運転体系に戻ったことになる。これは宝塚本線にはカーブが多いうえに池田駅付近で北に迂回しており、梅田駅・十三駅 - 宝塚駅間を移動する際に宝塚本線のみを利用する場合と、神戸本線・今津(北)線を乗り継ぐ場合とで所要時間がそれほど変わらないことに起因するとされる。この区間では、上り・下りともに多くの時間帯で、先に発車する列車が先に終点に到着する状態となっており、特に平日の朝夕の時間帯に至っては、宝塚線の列車の遅れが慢性化していることもあり、神戸本線と今津(北)線を経由するほうが先に終点に到着できる場合が多い。2009年現在の標準的な日中ダイヤにおいては、梅田駅→宝塚駅間では1分、宝塚駅→梅田駅間は3分、神戸本線・今津(北)線経由のほうが、宝塚本線経由よりも所要時間が短い。2015年3月21日のダイヤ改正で平日朝ラッシュ時間帯に川西能勢口発梅田行きの通勤特急を新設し、最後部(宝塚方)の車両に女性専用車両を設定すると発表された。宝塚本線では、例年正月三が日(暦の関係で1月4日ないし5日までの年がある。2004年までは十日戎の時期の週末にも実施されていた)に限り特別ダイヤを編成し運行しているが、かつては「初詣特急」と名付けられた臨時特急(停車駅:十三・石橋・川西能勢口・中山(現在の中山観音)・清荒神)が運転されていた。この臨時特急は定期の急行の種別変更ではなく増発であり、10時台 - 15時台に20分間隔で運転された。また、併せて「初詣特急」と書かれた丸い特製ヘッドマークを掲げていた。ただ、後のダイヤ改正で臨時特急の増発はなくなり、快速急行を運転していた2006年までのダイヤでは特別ダイヤは編成せず、清荒神駅に快速急行を臨時停車させて対応していた。なお、現在の特別ダイヤでは、日中に限り10分間隔で梅田駅 - 宝塚駅間の急行と普通(普通列車は庄内駅で急行の通過待ちを行う)を交互に運転するダイヤとなっている。正月三が日以外でも、1990年代までは春・秋の行楽期の日曜・祝日にも臨時ダイヤが組まれており、午前と夕方のみ臨時特急(停車駅:十三・石橋・川西能勢口。一部は川西能勢口駅始発)が増発された(20分間隔で運転)。なお、後に春・秋の行楽期の土曜・休日に限り梅田行き臨時日生エクスプレスを増発していたが、2015年秋は運行を取り止めている。この他、臨時特急以外にも、1980年代初頭までは行楽期の日曜・祝日に箕面線直通の臨時準急も運転されていた。2016年の正月は、正月特別ダイヤの設定は無くなった。なお、2000年6月4日から2003年8月29日までの停車駅についても記載しておく。2003年のダイヤ改正で以下の列車種別に変更が加えられた。2006年のダイヤ改正で以下の列車種別が廃止された。2015年のダイヤ改正で以下の列車種別が廃止され、通勤特急の種別が12年ぶりに復活した。箕面線を含め、すべて平井車庫所属の車両である。阪急電鉄のルーツというべき路線である。JR福知山線の前身で、尼崎を起点とし福知山・舞鶴方面への鉄道路線を営業していた阪鶴鉄道の大阪直接乗り入れ計画を、同社国有化の際に引き継いだ箕面有馬電気軌道が1910年に梅田駅 - 宝塚駅間を開業させたのが始まりである。当初はその名の通り、宝塚からさらに西進し有馬温泉のある神戸北郊の有馬まで敷設する計画だったが、宿泊客の減少を恐れた有馬温泉の旅館業者から反対を受けたことや、宝塚 - 有馬は六甲山系の起伏のある地形であり、建設コストもかかることから1913年に断念している。開業当初、阪神本線や京阪本線のように2大都市間を結んでいるわけでも沿線に大きい都市があるわけでもないこの路線は、畑以外何も無いようなところを走ることから「ミミズ電車」と皮肉られて採算性に疑問の声も多かった。しかし、同社の専務(実質の会社代表で、後に社長となる)であった小林一三は路線が開業するやいなや沿線開発を積極的に推し進め、住宅地や遊楽施設をつくり上げて乗客獲得に成功する。これは、日本の私鉄経営モデルの模範となった。なお神戸本線が1920年に開業した後は、しばらく乗客数が低迷した同線のほうへ社の重点が置かれるようになり、同線の中古車が宝塚線に回されたりすることもあった。優等列車の運転も、神戸本線より2年遅れて実施されている。さらに梅田駅 - 十三駅間では宝塚本線と神戸本線の運賃が1942年まで異なっており(神戸本線のほうが数銭高く、基本的に同区間の移動では宝塚本線を使う必要があった)、同区間で満員の宝塚本線の電車をがら空きの神戸本線の電車が追い抜くこともあった。これは乗客から不評であったという。また、池田駅以西の利用客は長らく少なく、平井駅(後に山本駅へ統合して廃止)・山本駅・売布神社駅などといった駅のプラットホームは2両編成が停車する分の長さしかなく、3両編成の電車は通過していた。さらに2両編成の場合でも、車掌に対して降りる旨を伝えておかないと、通過することがあったという。1932年(昭和7年)より、宝塚本線にも急行が設定されるようになった(所要時間35分)。数年後にはわずかながら所要時間を短縮し、最新鋭の320形電車を投入するなどの積極策に出ている。これは、阪神の系列の阪神国道自動車(阪国バス、現在の阪神バス)が、大阪 - 宝塚間に直通バスを走らせたことに対抗するものであったとされる。宝塚本線にとって、競争らしい競争はこの後、国鉄福知山線の電化まではなかった(ただし、阪国バスには阪急も出資していた)。戦中には軍需輸送などで乗客数が急増し、5両編成の運転も開始された。しかし戦後にはさらに急増する沿線人口に輸送力の増強が追いつかず、250%を超える殺人的な混雑に悩まされることになった。乗客の不満は大きく、1956年2月2日には車両故障を端緒とした暴動が発生するまでに至った(庄内事件)。このため、戦前からある伊丹線の延伸計画や後述の新線計画などバイパス路線の建設構想がいくつか持ち上がった。しかし、これらが実現することはなく、カーブの改良と車両の大型化、長編成化で乗り切った。1982年(昭和57年)、阪急で最初の10両編成運転を行ったのも、宝塚線であった。国鉄福知山線が複線電化され、民営化して輸送力を大幅につけてからはライバルとしてしのぎを削ることになる。宝塚本線では、正月の初詣輸送で臨時に運転されるものをのぞいては、特急の設定がなかったが、1995年に十三駅・石橋駅・川西能勢口駅に停車する特急が梅田駅 - 宝塚駅間で運転開始された。平日ラッシュ時間帯に4本(朝・上り2本、夕・下り2本)設定された。1997年には、能勢電鉄に直通運転する特急「日生エクスプレス」が新設された。その代わり本線特急は平日2本(朝・上り2本)に減便されている。列車は8、10両編成で運転されている。2000年、三国駅・豊中駅付近の高架化が完成したことを機に行われたダイヤ改正では、最高速度も100km/hに引き上げられ、特急の運転時間帯が全日の昼間に拡大された。停車駅に豊中・池田・山本を追加し、20分間隔の運行となった。また、梅田駅 - 宝塚駅間で、十三駅・石橋駅 - 雲雀丘花屋敷駅間の全駅に停車する通勤特急を平日朝のラッシュ時間帯に上り2本運行開始した。2003年のダイヤ改正では本線特急と通勤特急が廃止され、急行を通勤急行に、準急を通勤準急に改称し、朝ラッシュ時のみの運転に変更された。十三駅・豊中駅 - 山本駅間の全駅に停車する快速急行、旧急行の通勤急行の停車駅に蛍池駅を追加した急行、中津・十三駅・曽根駅 - 宝塚駅間の全駅に停車する準急を、それぞれ梅田駅 - 宝塚駅間で運転開始した。2006年には快速急行の運転も中止され、平日昼間ダイヤおよび休日ダイヤは雲雀丘花屋敷駅までが普通と急行がそれぞれ10分間隔にしか運転されなくなった正月特別ダイヤと同じダイヤとなった。結果的には、1995年ダイヤ改正直前に近い運転体系となっている。2010年には宝塚線でも従来の連続速度照査式自動列車停止装置 (ATS) を改良したパターンATSを、2006年の神戸線、2009年の京都線に続いて使用を開始する予定である。しかし他線とは違い保安度向上が目的のため、ダイヤ改正や変更を行う計画は2015年3月までは無かった。終戦直後、十三駅 - 豊中駅間の輸送力増強のため、神戸本線神崎川駅 - 曽根駅間に新線を建設して宝塚線の急行線とすることが計画され、1948年4月19日に神崎川駅 - 曽根駅間4.0kmの軌道事業特許を取得した。しかし、1960年代に、千里山線(現在の千里線)を延伸して箕面線と連絡する方針に転換し、急行新線建設の計画は中止された。ただし、この新しい計画も千里山線(南千里駅)と箕面線(桜井駅)の連絡についても双方を最短距離で結びたい阪急と千里ニュータウン北部(現在の北千里駅)の交通不便を解消したい大阪府側との思惑が一致せず実現しなかった。1970年代に梅田と大阪国際空港とを結ぶ空港線が計画され、神崎川駅 - 曽根駅間の軌道特許をそれに生かすことも検討されたが、空港線の計画は中止された。同線の軌道特許は廃止されずに保持されたままであったが、2005年2月23日に阪急が工事施行認可申請を取り下げ、軌道特許が失効した。駅名は廃止時のもの。2015年の平日のみの乗降客数は次の通り。架線方式であるが、神戸本線や京都本線(十三駅 - 淡路駅間及び、西院駅 - 河原町駅間のぞく)はコンパウンドカテナリー架線なのに対し、宝塚本線はシンプルカテナリー架線になっている。これは高速運転が頻繁に行われている神戸本線や京都本線と違い、前述の通り宝塚本線は線形が悪く高速性が求められないため、コンパウンドカテナリー架線を設置する必要がないためである。一方で、軌道のレールはほとんどの区間でJRの新幹線や在来線の重要幹線と同じ60kgレールに交換されている。これも前述の通り、多くの区間で連続立体交差化(高架化)が行われる際に騒音低減に優れる60kgレールが採用されたためである。

出典:wikipedia

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