越生線(おごせせん)は、埼玉県坂戸市の坂戸駅と入間郡越生町の越生駅を結ぶ、東武鉄道の鉄道路線である。駅ナンバリングの路線記号はTJ 。越生線の前身は越生鉄道で、1927年(昭和2年)9月22日に埼玉県入間郡坂戸町から入間郡越生町に至る全長7マイル(11.2km)に3フィート6インチ(1067mm)軌間の地方鉄道免許を受け、1928年(昭和3年)9月28日に創立総会を開き、本社を東京府東京市本所区の東武鉄道本社内に置き、初代取締役社長は東武鉄道専務取締役の吉野伝冶が就任し、資本金35万円で設立させた。設立に当たっては、越生鉄道沿線の町村が越生鉄道の株式の引き受けに協力した。1932年(昭和7年)2月17日に坂戸町 - 高麗川東岸まで5kmが開通し貨物営業が開始された。開業当初は東武鉄道から機関車と貨車を借り入れ、月平均2,500tの砂利を輸送した。その後、国鉄八高線が越生まで延長されると、越生鉄道においても急遽延伸工事を行い、1934年(昭和9年)12月16日に森戸 - 越生間(5.9km)が開通し、旅客運輸営業を開始した。開業に当たっては気動車(ガソリンカー)2両を購入し、坂戸町 - 越生間1日9往復の旅客運輸営業に就いた。当初月間平均5千人であった輸送人員も大幅に増え、1935年(昭和10年)12月さらに気動車(ガソリンカー)1両を購入し、1936年(昭和11年)2月より増強した車両の運転を開始して1日14回に増加し、所要時間も坂戸町 - 越生間は30分かかっていたところを24分に短縮した。輸送人員は開業5年後の1940年(昭和15年)には月間1万5千人に達した。交通統制に関する政府方針に沿って東武鉄道に合併することとなり、1943年(昭和18年)4月25日に定時株主総会を開き越生鉄道の買収を取締役会に一任、越生・東武鉄道両社長間で鉄道運輸事業及び所属財産27万1,751円でもって譲渡され、同年6月10日に監督官庁認可、7月1日にすべての買収手続き完了、即日東武鉄道越生線として鉄道運輸営業を継承した。定期・臨時列車合わせて坂戸駅 - 越生駅間を運行する普通列車のみが運行される。おおむね平日朝ラッシュ時は10分間隔、平日帰宅ラッシュ時と土休日朝時間帯は12分間隔、平日の日中と土休日の午前中以降は15分間隔での運転である。上下列車の交換は主に一本松駅と武州長瀬駅で行われるが、ラッシュ時は川角駅と東毛呂駅でも行われる。平日朝をのぞき坂戸駅で東上本線の急行または快速と接続している。全線でワンマン運転を実施している。1970年代までは東上線観光急行列車「くろやま」「かまきた」が、また朝夕は川越市駅まで乗り入れていた普通列車があったが、2013年現在定期列車の直通はない。臨時列車では、1996年 - 2003年に観梅列車「越生観梅号」として池袋駅発で運行された実績がある。毎年2 - 3月の梅の季節に運転されていた臨時列車である。運行当初は池袋駅 - 越生駅間無停車(坂戸運転停車)とし、池袋駅乗車時については越生梅林へのクーポンと無料の乗車整理券を要した。設定当初より下り越生行のみで、上りは運行されなかった。前面の表示は「臨時・越生」、側面は「臨時」で運行された。また、ヘッドマーク取り付け用のサボ受けが取り付けられた。現在この臨時列車は運転していないが、代替として梅の季節に区間運転列車がヘッドマークを装着して運転していた。しかし今はヘッドマークの装着も行われていない。ワンマン運転専用の4両編成が使用される。運用は東上本線のワンマン運転区間(寄居駅 - 小川町駅間)と共用。
出典:wikipedia
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