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参宮線

参宮線(さんぐうせん)は、三重県多気郡多気町の多気駅から鳥羽市の鳥羽駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)である。「参宮線」とあるように、伊勢神宮への参詣路線として建設された路線である。1893年(明治26年)から1911年(明治44年)にかけて開業した。現在の参宮線は紀勢本線の多気駅から分岐しているが、もともと亀山駅 - 鳥羽駅間が参宮線とされ、紀勢本線が全通した1959年に参宮線は多気駅 - 鳥羽駅間に変更された。伊勢神宮参詣の重要路線として幹線並の扱いを受けていたが、1970年に近畿日本鉄道(近鉄)の鳥羽線が開業すると乗客は大きく減少し、一時は存廃問題にまで発展した。収支は現在でも厳しく、『週刊東洋経済』の臨時増刊に掲載された記事で評論家が2008年度の営業係数として推定した値は、全国のJR線中でワースト2の422.1(100円の収入を得るために422.1円の費用がかかる)とされている(ワースト1は同じ三重県内の名松線で、534.4)。ただし鉄道会社による公式の営業係数は公表されていない。また、2008年度の輸送密度は1655、2010年度は1639であり、国鉄改革の際に廃止された特定地方交通線の輸送密度と同水準である。 全線が東海鉄道事業本部の管轄となっている。ICカード乗車券TOICAの対象エリアには含まれていない。おおむね1時間あたり1 - 2本程度(一部時間帯は3本)の運行である。快速「みえ」が伊勢鉄道線経由で名古屋駅 - 伊勢市駅・鳥羽駅間に1時間あたり1本程度(一部時間帯の上りは2本)運行されている。「みえ」は朝の上りおよび夕方の伊勢市駅 - 鳥羽駅間と夜間の多気駅 → 伊勢市駅間では各駅に停車する。そのほかの普通列車は朝と夕方を除く大半の列車が紀勢本線に直通して亀山駅 - 松阪駅 - 伊勢市駅 - 鳥羽駅間で運転されており、1時間あたり1本程度の運行になっている。快速「みえ」と朝夕の一部の列車を除いてワンマン運転を行っている(列車番号の末尾が「C」の列車がワンマン列車)。なお、過去に正月限定で名古屋駅 - 鳥羽駅間において運行された臨時特急「ワイドビュー伊勢初詣」号が当路線を走行したことがある。全線が非電化のため、すべての列車が名古屋車両区と美濃太田車両区所属の気動車で運転されている。2016年3月26日のダイヤ改正以後はすべてキハ25形・キハ75形に統一され、キハ11形およびキハ40・48形は運転を終了し、これらの車両は、伊勢市駅に併設されている伊勢車両区に配置されていたが、同区は2016年3月限りで廃止(名古屋車両区へ統合)された。関西鉄道によって、1891年(明治24年)に開業した亀山駅 - 津駅間を延長して、参宮鉄道によって、1893年(明治26年)に津駅 - 相可駅(現在の多気駅) - 宮川駅間が開業し、1897年(明治30年)に宮川駅 - 山田駅(現在の伊勢市駅)間が開業した。1907年(明治40年)に関西鉄道・参宮鉄道ともに国有化され、1911年(明治44年)に山田駅 - 鳥羽駅間が開業し全通した。伊勢神宮への参詣路線として戦前は幹線同等に扱われ、一部区間が複線化され東京や大阪、宇野などからの直通参詣列車が運転されていた。しかし、1938年(昭和13年)に関西急行電鉄(現在の近鉄)が関急名古屋乗り入れを果たし、名古屋方面からの参詣客を奪われることになった。さらに第二次世界大戦下に不要不急線とされ、1944年(昭和19年)資材供出のため一線撤去し、単線化された。また、参宮線の一部であった亀山駅 - 多気駅間は1959年(昭和34年)の紀勢本線全通時に同線に編入された。戦後も暫く東京・名古屋・京都・大阪方面から直通列車が運転され、かつ、当時は近鉄大阪線・山田線が標準軌であるのに対し、近鉄名古屋線が狭軌であり、近鉄京都線も奈良電気鉄道と別会社の保有路線であったことから、近鉄経由で名古屋・京都から伊勢へ向かうには伊勢中川駅や大和八木駅での乗り換えが必須であったため、名古屋方面からは亀山での方向転換があるものの、直通でそれらの地域から伊勢へ向かえる参宮線は競争力を保っていた。さらに近鉄鳥羽線が未開通で、伊勢 - 二見間こそ路面電車である三重交通神都線と競合したものの、伊勢 - 鳥羽間の鉄道往来は参宮線が独占していた。また、1965年の計画では、戦前の複線区間の復活と、1線のみの五十鈴ヶ丘駅・松下駅の行き違い施設の設置、鳥羽駅の改良と積極策を立てていた。しかし、並行する近鉄が名古屋線の標準軌への改軌や奈良電気鉄道の買収で伊勢中川駅や大和八木駅での乗り換えを解消し、さらに近鉄鳥羽線が開通して志摩線賢島駅まで特急列車を直通させると、完全なローカル線に転落した。そして、日本国有鉄道の赤字が深刻化すると、複線区間の復活などの積極策は放棄されることになった。逆に、1968年9月には伊勢市駅 - 鳥羽駅間が、近鉄鳥羽線開通前にもかかわらず赤字83線の一つに挙げられ、廃線を勧告された。この時は廃止は見送られたが、同年10月の改正で名古屋からの急行「いすず」が、1972年3月には東京からの急行「紀伊」の鳥羽編成が、1986年11月の改正で京都からの急行「志摩」が廃止されて東京・名古屋・京都方面との直通列車は全廃された。また、1981年からの特定地方交通線選定でも、一度は第3次特定地方交通線の選定対象に挙げられた。しかし、1986年4月8日に例外規定の一つである「ピーク時の乗客が一方向1時間1,000人を超す」に該当するとして、選定は見送られ、そのままJRに引き継がれた。国鉄分割民営化後、近鉄には運転本数や車両の快適さなどで大きく水をあけられているが、JR東海は再び積極姿勢に転じ、1988年に「ホームライナーみえ」、1989年に「伊勢路」を設定し、臨時ながら名古屋直通が復活。さらに1991年からは前年に名古屋駅 - 松阪駅間に新設された快速「みえ」を参宮線内まで延長。「みえ」はその後、車両も転換クロスシートを備えたキハ75形に置き換えられた。近鉄にはなお大差があるとはいえ、「みえ」は1時間に1本の本数を確保し対抗している(「近鉄並行路線における優等列車」の項目も参照)。1993年から1994年にかけて、鳥羽駅 - 紀伊勝浦駅間に特急「鳥羽・勝浦」を運転した。臨時列車ながら参宮線初の特急列車であった。2007年5月26日、沿線の有力者である伊勢商工会議所会頭の濱田益嗣(赤福会長)が、自動車での観光客誘致に「参宮線が大きな阻害要因」になると主張、2013年の第62回神宮式年遷宮で予想される交通渋滞の緩和のためとして、参宮線の廃止と伊勢市駅構内にある車両基地(伊勢車両区)の用地の駐車場への転用を提案した。その後、2007年10月に赤福の消費期限及び製造日、原材料表示偽装事件が発覚し、濱田益嗣も商工会議所会頭および赤福会長を辞任したことから廃止の話は立ち消えとなった。2013年の式年遷宮に際して、JR東海は名古屋駅と伊勢市駅を結ぶ臨時急行「いせ」の運行や快速「みえ」の増発を行った。なお、伊勢車両区は2016年3月限りで廃止されている。2011年3月12日のダイヤ改正では、式年遷宮よる参拝客増加で快速「みえ」号を2両(多客時などは4両)から常時4両(最多客期で6両)に増結し、サービス向上を図ったが、2014年12月1日から一部列車が2両に減車されている。線内の有人駅は多気駅・伊勢市駅・鳥羽駅のみ、直営駅は多気駅と伊勢市駅のみで、鳥羽駅は東海交通事業による業務委託駅となっている(二見浦駅の簡易委託は2011年3月31日、田丸駅の業務委託は2012年9月30日をもってそれぞれ終了)。自動改札機は伊勢市駅にのみ設置されている。

出典:wikipedia

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