三隣亡(さんりんぼう)とは選日の1つである。三隣亡の由来は全く不明で、いつ頃から三隣亡の慣習が始まったかは判明していないが、江戸時代に入ってから確立されたとされる。実際、三隣亡は、江戸時代よりも前の古い暦注解説書には書かれておらず、江戸時代になってから見られるようになっている。江戸時代の本には「三輪宝」と書かれ、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていた。すなわち、現在とは正反対の吉日だったことになる。これがある年に暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え、それがそのまま「屋立てあし」「蔵立てあし」と伝わってしまったのではないかとされているが、真偽は不明である。後に、「三輪宝」が凶日では都合が悪いということで同音の「三隣亡」に書き改められた経緯がある。三隣亡は少し前までは建築関係者の大凶日とされ、棟上げや土起こしなど建築に関することは一切忌むべき日とされた。その字面から、この日に建築事を行うと三軒隣まで亡ぼすとされたためである。現在でも、棟上げなど建築に関することの凶日とされ、建築関係の行為は避けられることが少なくない。「高い所へ登るとけがをする」と書いている暦もある。三隣亡の日取りは二十四節気を元にした節切りによる節月と特定の日の十二支の組み合わせから求めることができ、各節月における該当する日の十二支は以下の通りである。太陽暦が採用されている現在でも、年毎に日取りの条件は変わっていない。なお、二十四節気のうち、太陽黄経が30の倍数であるもの(春分・穀雨など)を中気、そうでないもの(清明・立夏など)を節気といい、節気から次の節気の前日までの間を1か月とする月の区切り方を節切り、その月を節月という。また、節月は現在でも使われている旧暦の月とは異なる。具体的には以下の節月における1月とは、1月節気の立春の日から2月節気の啓蟄の前日までを指している。例えば、2010年2月6日(丁亥)は旧暦で12月23日になるが節月では1月に当たり、さらに日の十二支における「亥の日」に該当するので三隣亡ということになる。新潟県や群馬県の一部では三隣亡の日に土産物を貰った者は没落し、贈った方は成金になるという言い伝えがあるので、三隣亡の日に贈り物を贈ることは避けるのが風習となっている。このことは、板橋作美の論文『群馬県南西部におけるオサキモチ信仰とサンリンボー信仰の社会的意味』に詳しい。この他に、庄内地方には「寅年・午年・亥年は一年中三隣亡」というものがある。
出典:wikipedia
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