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のと鉄道七尾線

七尾線(ななおせん)は、石川県七尾市の七尾駅と石川県鳳珠郡穴水町の穴水駅を結ぶ、のと鉄道が運営する鉄道路線である。当路線は、1991年の七尾線津幡駅 - 和倉温泉駅間の電化に際して、西日本旅客鉄道(JR西日本)が石川県に和倉温泉以北の路線を引き受けることを要求したために、能登線の運営を行っていたのと鉄道がその営業を引き継いだものである。転換にあたり、この路線が転換時に交付金等の支援が受けられる特定地方交通線ではなかったため、JR西日本から路線を買い上げるよりも借用が妥当と判断された。そのため、線路等の施設はJR西日本がそのまま所有し、七尾駅 - 和倉温泉駅間 (5.1km) はJR西日本との共用区間となっている。当初、七尾駅 - 輪島駅間が移管されたが、2001年に乗客減少の著しい穴水駅 - 輪島駅間が廃止された。さらに2005年には能登線が廃止されたことにより、当路線はのと鉄道唯一の営業路線となった。なお、七尾線は能登線と一体的に運行されていたにもかかわらず存続となったが、これは七尾線の輸送密度が能登線を上回っていたことのほかに、全線を廃止にした場合職員の雇用先の確保が難しいこと、北陸新幹線の開業による並行在来線の第三セクター転換に備えて県関連組織に鉄道運営のノウハウを確保することなどもその理由として挙げられている。のと鉄道の列車はすべて七尾駅発着で、夜間に区間列車が七尾駅 - 能登中島駅間に1往復運転されるほかは、すべて七尾駅 - 穴水駅間の列車となっている。普通列車のみの運転で、おおむね1時間に1本程度の運行になっている。JR西日本との共用区間である七尾駅 - 和倉温泉駅間には「能登かがり火」・「サンダーバード」などのJRの特急列車が運行されているが、JRの普通列車は運行されておらず七尾駅で乗り換えとなる。JRの特急が走行するため、七尾駅 - 和倉温泉駅間のみ電化されているが、のと鉄道の列車はすべてディーゼルカーによる運行となっている。列車はNT200単行(1両編成)が基本で、朝夕には2両編成も運転されている。以前は朝夕に3両編成や4両編成の運転もあった。2016年3月26日現在、穴水駅の始発は6時15分、七尾駅の最終は22時である。2015年4月29日から観光列車として「のと里山里海号」が運行されている。土休日は「のと里山里海号」を全席指定・予約制のゆったりコースとして運行し、その場合は同じ時刻の普通列車が運休する。水曜日以外の平日は「のと里山里海号」を全席自由・予約不要(ただし乗車整理券が必要)のカジュアルコースとして普通列車に連結して運行し、地域の足を確保している。運行開始当初ゆったりコースが下り3本・上り2本、カジュアルコースが3往復設定されていたが、2016年3月26日のダイヤ改正でダイヤが共通化され両コースとも下り3本・上り2本となっている。なお「のと里山里海号」利用にはゆったり・カジュアルコースともに追加料金が必要だが、折り返し「のと里山里海1号」となる送り込み列車の穴水発七尾行き126Dについては追加料金なしで座席が利用できる。穴水駅から輪島・能登線珠洲方面への路線を有していた頃には、普通列車は七尾駅 - 輪島駅間と七尾駅 - 穴水駅間に能登線への直通を加えた3系統に分かれていた。さらに、北陸本線金沢駅から直通する急行「能登路」や、自社のパノラマ気動車NT800形を使用した急行「のと恋路号」が運転されており、JR同様急行料金が設定されていた(23キロまで100円、60キロまで310円、95キロまで520円)。しかし、輪島方面の急行は穴水 - 輪島間廃止に先立って2001年3月3日のダイヤ改正で廃止され、残る珠洲方面の急行についても、「能登路」は1年後の2002年3月23日のダイヤ改正で、「のと恋路号」はさらにその半年後の2002年10月21日に廃止された。現在はJRとのと鉄道とを直通する定期列車はないが、急行廃止後も両社間を直通運転する臨時列車が運転された実績がある。※転換後の使用車両かつては穴水から輪島まで路線が延びていた。のと鉄道七尾線の一部で、輪島線と称する区間である。廃止2年前の1998年には能登三井駅の交換設備が廃され、輪島 - 穴水間が1つの閉塞区間となって廃線を迎えた。この区間の廃止が取り沙汰されるようになったのは、七尾線一部区間の引き受け後、のと鉄道が多額の赤字を計上しており、その大半を七尾線の赤字が占めていたためである。この区間の赤字の要因の一つは乗客減であり、背景としてはモータリゼーションの加速が挙げられる。七尾線の穴水以北は簡易線の規格で建設されたために線形が悪く、鉄道がスピードアップできない一方、鉄道に沿って能登有料道路を始めとする道路網が開通し、自動車は圧倒的に有利な状況にあった。例えば、金沢 - 輪島間には当時からJR七尾線・のと鉄道七尾線に平行して高速バス「奥能登特急」(現・輪島特急)が運転されていたが、このバスの所要が2時間で運賃が2000円であるのに対して、JR・のと鉄道経由では所要2時間50分で運賃2400円、急行「能登路」を利用しても所要2時間20分を要した。また、七尾線の運行に関わる支出には、前述の経緯により、JR西日本に対する約1億3400万円にも上る線路・設備使用料が含まれており、これが経営を圧迫したとも考えられている。このように厳しい経営が予想される中、能登空港開港に伴う交通再編が想定されたこともあって2000年3月に廃線が決定、2001年に廃止された。これは国鉄民営化後に第三セクターに移管された路線が廃止された初めての事例となった。廃止後、能登中央バスが代替バスの運転を開始し、運営主体が北鉄奥能登バスに変わって現在に至る。廃線跡は全区間、レール・枕木、鉄橋が撤去され、トンネルは鉄板で塞がれている。跡地の一部は、石川県道1号七尾輪島線(輪島道路)の道路用地や、住宅、駐車場などに利用されている。七尾線自体は地元有志により設立された「七尾鉄道」を前身とするが、のと鉄道に転換された区間に限って言えば、すべて国有化後に国鉄(鉄道省)の手によって建設・開業された区間である。のと鉄道七尾線の原型となる七尾以北の路線が着工されたのは、津幡 - 七尾間の開業から26年経った1924年夏のことで、1935年に輪島まで全通となった。七尾線一部区間ののと鉄道への転換が議論されるようになったのは、七尾線の電化に関する議論が本格化した1987年からで、1989年には七尾 - 輪島間ののと鉄道への運営方式の変更が運輸省に申請され、1991年には早くも転換された。特定地方交通線以外の路線が第三セクターに転換された初めての事例である。全駅石川県に所在。会社記事を参照。

出典:wikipedia

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