北リアス線(きたリアスせん)は、岩手県宮古市の宮古駅と久慈市の久慈駅とを結ぶ三陸鉄道の鉄道路線である。沿線の三陸海岸は海岸段丘が続いており、沿線がリアス式海岸である南リアス線とは風景が対照的となっている。2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)で全線が不通となったが、同年3月中に宮古 - 小本(現在の岩泉小本)間・陸中野田 - 久慈間が、2012年4月には田野畑 - 陸中野田間が復旧し、2014年4月の小本 - 田野畑間の復旧を以て全線で運転を再開した。列車は基本的には宮古 - 久慈間を通して運転されている。このほか、朝に普代始発久慈行が1本、平日に限って夜間に久慈始発田野畑行の各駅停車が1本、田野畑始発久慈行の快速列車1本が設定されている。全列車、ワンマン運転である。震災前の運行形態は、宮古 - 久慈間を往復する各駅停車が中心で、山田線・三陸鉄道南リアス線を通って盛駅まで直通する列車が1日1往復設定されていた。季節によってはレトロ調車両やお座敷車両「さんりくしおかぜ」での運転もあった。震災前には「リアス・シーライナー」や「さんりくトレイン北山崎」などJR線に直通する臨時列車が設定されていたが、2012年には八戸線の全線復旧に伴い、キハ48形を改造したジョイフルトレイン「リゾートうみねこ」が北リアス線に乗り入れ、直通運転が復活した。2014年8月には、久慈 - 盛岡間に宮古経由で北リアス線とJR山田線を直通する臨時列車「さんりく北リアス」が運転される予定である。改正鉄道敷設法別表第6号に規定する予定線「岩手県久慈ヨリ小本ヲ経テ宮古ニ至ル鉄道」であり、宮古 - 田老間は1972年に国鉄宮古線(みやこせん)として、普代 - 久慈間は1975年に国鉄久慈線(くじせん)として開業した。しかし、国鉄再建法により既開業区間は第1次特定地方交通線に指定され、日本鉄道建設公団が建設中であった田老 - 普代間は工事が中断されたが、岩手県などが中心になって設立した第三セクター三陸鉄道が既開業区間も合わせて引き受けることになって工事を再開、1984年4月1日、宮古線・久慈線の三陸鉄道への転換と同時に開業し、同社の北リアス線として全通した。2011年の東北地方太平洋沖地震では、同時に発生した津波により、路線各所が大小の被害を受けた。中でも、島越駅付近では駅および近接する松前川橋梁・コイコロベ橋梁・ハイペ沢橋梁が流失し、陸中野田駅 - 野田玉川駅間では道床が流失している。しかしながら、三陸鉄道社長の決断により震災の5日後には一部区間で運転を開始、「震災復興列車」として3月末まで運賃無料で運行し、地元の足や復興への希望の象徴となった。ただし路盤が不安定になっていたため、運転再開当初は25km/h、4月11日からは45km/hの速度制限がかかり、信号系統も未復旧であったため代用閉塞である指導通信式を用いていた。路線の半分以上をトンネルとするなど明治三陸大津波での経験を踏まえたルート選定が幸いし、被害箇所は5箇所、延長にして5.8kmと局所的であった。そのため、復旧はルートの変更無く行われることとなった。2012年には前記の路盤流出により不通となっていた田野畑駅 - 陸中野田駅間が開通し、同時にCTCが復旧したため、指導通信式の使用も終了となり、陸中野田駅 - 野田玉川駅間を除く大半の区間で震災前と同じ90km/h運転が出来るようになった。残る小本駅 - 田野畑駅間は2014年4月6日に復旧、島越駅付近は流失した高架橋の代わりに築堤を整備した。三陸鉄道では2009年4月より、北リアス線の久慈、宮古、南リアス線の釜石、盛の4駅の命名権を募集しており、同年4月27日から1年間宮古駅に「アイフルホーム宮古」、同年6月1日から1年間久慈駅に「琥珀王国久慈」の愛称がついていた。
出典:wikipedia
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