『復活の日』(ふっかつのひ)は、小松左京が1964年に書き下ろしで発表した日本のSF小説である。また、同作を原作に、(旧)角川春樹事務所とTBSの製作により、1980年6月に東宝系で公開されたSF映画である。英題は“"Virus"”。小松にとっては『日本アパッチ族』に次ぐ長編第2作であり、バイオテクノロジーによる破滅テーマの本格SFとしては日本ではこれが嚆矢になった。執筆当時の香港かぜの流行、東昇の『ウイルス』、カミュの『ペスト』『戒厳令』、南極には風邪がないと記された岩波新書の『南極越冬記』、また冷戦時代の緊張下で同じく人類滅亡を扱ったネビル・シュートの『渚にて』を下敷きとしている。本作で地震について調べたことが、代表作『日本沈没』にも繋がったという。そして、福島正実の企画による早川書房の初の日本人SF作家による長編シリーズ「日本SFシリーズ」の第1巻となった。SF作家の堀晃は、日本のSFのレベルを引き上げたと高く評価した。評論家の石川喬司は、細菌兵器による終末テーマのSFの代表的な作品の一つとして扱っている。題名は当初は考えておらず、掲載するに当たって急遽思いついたのだという。生物兵器に使うため弱毒化する過程で出来た、猛毒の新型ウイルス MM-88がスパイによって持ち出される。スパイの乗った航空機は吹雪のため前方視界不良に陥り、岩山に激突し墜落した。やがて春が訪れ気温が上昇すると「MM-88」は増殖を始め、全世界に蔓延した。夏には人類を含む脊椎動物の殆どが絶滅し、僅かに生き残ったのは極寒(北半球とは季節が正反対で真冬)の南極大陸に滞在していた各国の観測隊員約1万人と、海中を航行していて感染を免れた「ネーレイド」号のマクラウド艦長たちと「T-232」号のゾルヴィッチ艦長たち原子力潜水艦乗組員だけであった。アメリカ合衆国の最後の大統領リチャードソンは「その聖域を離れてはいけない、外部の人間を入れてはならない、一致協力して生き延びる努力をして欲しい」と各国の南極基地に伝えて息絶えた。絶望の中から再建の道を模索して「南極連邦委員会」を結成した彼らだったが、日本隊の地質学者・吉住がワシントンへの巨大地震の襲来を予測する。この地震による被害を「敵国」の核攻撃と誤認する米の「ARS(自動報復装置)」によってソ連本土に核ミサイルが撃ち込まれ、更には、これを受けてソ連の「ARS」も作動し南極も含めた全世界に核弾頭付き ICBM が降り注ぐ危険が判明する。狂信的な反共派軍人ガーランド統合参謀本部議長とランキン大佐による「フェニックス計画」と細菌兵器「RU-300」こそが世界に蔓延した「MM-88」の正体だった。バークレイ上院議員はその事実を突き止め、彼らを告発しようとして精神に異常をきたしたとされて監禁されたマイヤー博士を救出し大統領の前で真相を明らかにした。ウイルスにより世界が滅びてもガーランドの暴走は止まらず、反共主義の反動政治家だった前大統領シルヴァーランドと共に造り上げたホワイトハウスの大統領危機管理センターにある切り替えスイッチにより作動するシステムを後任のリチャードソン大統領は廃棄しようとしたが、ガーランド以下、軍内部の反共勢力の強硬な反対により果たせず、全面軍縮を実現させてからARSを無用の長物と化してしまおうと目論んでいた矢先に世界は「MM-88」によって滅亡したが、その「MM-88」の蔓延をソ連の生物兵器による攻撃であると頑なに信じ込んだガーランドは死の直前に「ARSシステム」のスイッチを入れ起動させていたのだった。ホワイトハウスに詳しいカーター少佐と彼の助手を志願した吉住はホワイトハウス・イーストウイング内危機管理センターのスイッチをオフにするべく、再び死の世界に赴く。「ネーレイド」号の協力を得て海中からワシントンに上陸し核ミサイル発射の阻止に全力を尽くす2人だったが、地震により厳重な扉を破壊しようと使った爆弾の爆発でカーターは死亡し、吉住もスイッチオフに失敗して核ミサイルの自動発射によるシステム同士の攻撃で世界は2度目の死を迎えた。数年後、南米南端のチリに移り集落を構えた南極基地の人々は食料が乏しくなったことでウイルス感染の危険を覚悟で北上するか餓死するかの決断を迫られていたが、ある日、服がボロボロになり髪や髭がボサボサになった男が現れる。それは任務に失敗しながらも南極を目指して南米縦断を敢行した吉住だった。死を賭した任務に赴いた吉住の帰還に彼を愛するマリトと人々は歓呼で迎えるのだった。角川春樹事務所とTBSが共同製作し、東宝が配給した1980年の日本映画。南極ロケを実施して総製作費は25億円とも32億円ともいわれたSF大作映画である。本来は1980年の正月映画として封切り予定だったが、製作の遅れから公開に間に合わなくなった。そのため『戦国自衛隊』が正月作品として取って代わり、本作は半年遅れで公開された。1970年代、角川春樹が社長に就任した角川書店では角川文庫を古典中心からエンターテインメントに路線変更を図り、特に日本のSF小説に力を入れていた。本作も早川書房から刊行されていたものを、1975年に角川文庫から再刊した。また当時、角川は映画製作事業も開始しており、いわゆる角川映画の一作として白羽の矢が立った。角川春樹は社長に就任するとすぐ小松に文庫化を依頼し、映画化の際には小松に「これを映画化するために会社を継いだ」と語ったという。角川春樹は自著でも、映画製作を行うようになったのは『復活の日』がきっかけと述べている。1976年に『犬神家の一族』で角川映画を始めるにあたり、『復活の日』は『いつかギラギラする日』とともに当初から映画化候補でもあった。壮大なスケールの原作の映像化にふさわしく、当初14億円から15億円の予定だった製作費は、南極ロケの実施により18億円になり、最終的には25億円に達した。ヤクザ映画を多く撮ってきたからミスマッチという周囲の猛反対の声をおして、角川春樹が深作欣二を監督に起用。撮影監督は東宝専属だった木村大作。小松左京の『日本沈没』を監督した森谷司郎も『復活の日』をやりたがっていたが、「監督は深作欣二か。大作と合うよ」と、『動乱』『漂流』で起用予定だった木村を送り出した。その他、深作監督の下、日活と東宝と東映からなる日本人スタッフとカナダ人の混成チームで、外国人俳優も多数参加した。撮影には1年以上をかけ、日本国外のロケに費やした日数は200日を数えた。南極やマチュ・ピチュでロケが行なわれた。35mmムービーカメラで南極大陸を撮影したのはこの映画が世界初である。南極ロケについては40日をかけて、それだけで6億円の予算がかかった。当初は、日本の北海道ロケで済まそうという話もあったが、木村大作はそれなら降りると主張し、深作欣二のこだわりもあって、南極ロケが実施された。小松でさえ、映画化の話を聞いたときはアラスカかグリーンランドでロケをするのだろうと思っていたという。南極ロケでは座礁事故を起こし、共同通信の記者が乗り込んでいたことから一般ニュースとして日本で報道され、それのみならず『ニューヨーク・タイムズ』の1面でも報じられた。チリ海軍とカナダ海軍の協力で本物の潜水艦(シンプソン・)を撮影で使用するなど、話題には事欠かなかった。世界各地の様子を知るために、昭和基地のアマチュア無線で情報収集をする様子が描かれている。国内公開では配給収入が24億円とヒットしたものの、製作費が巨額だったため、宣伝費等を勘案すると赤字であったとされる。本作がきっかけとなって、角川映画は1970年代の大作志向から、1980年代は薬師丸ひろ子ら角川春樹事務所の所属俳優が主演するアイドル路線のプログラムピクチャーに転換した。角川と共同製作したTBSは、1980年4月から放送した連続テレビドラマ『港町純情シネマ』の第10回「復活の日」(1980年6月27日放送)で、西田敏行演じる映写技師が本作の場面を流すタイアップを行なった。放送日は映画公開前日だった。これまでに『日本沈没』『エスパイ』などが映画化されている小松であるが、本作を非常に気に入っており、自作の映画化作品で一番好きだという。ただし、『さよならジュピター』企画当時にSF大会で行われた野田昌宏との対談で「(撮影の)木村大作さんの絵はものすごくいいんだけど…」などと、かなり否定的(特に深作の演出に対して)なコメントもしている。映画評論家の白井佳夫は、1980年の日本映画のワーストテンとして本作を選出。深作ファンだった井筒和幸は作品の出来に落胆し、押井守も「小松左京は『日本沈没』を除けば映画化に恵まれなかった」との感想を述べている。2011年3月16日と3月20日にV☆パラダイスで放送予定していたが、直前に起こった東日本大震災への考慮で放送中止となった。2012年に「角川ブルーレイ・コレクション」の一作品としてブルーレイディスク化。なお、1965年に映画化企画があがっているが、合作でないと日本では無理との東宝の判断で英訳され、20世紀フォックスへ渡されている。その後、当時フォックスに出入りしていたマイケル・クライトンが4年後の1969年に類似テーマの『アンドロメダ病原体』を出版。ベストセラーとなり、映画化もされ小松を驚嘆させた。国際市場を意識して、外国人俳優を起用して海外ロケを行い、当初は監督と脚本に外国人スタッフを打診した。アメリカ人スタッフによる編集で海外版を制作したものの、海外セールスは好調とはいかなかったとされる。オリジナルと異なる点は主に以下の通り。新井リュウジによる児童向けのリメイク作品として、『復活の日 人類滅亡の危機との闘い』が2009年にポプラ社から出版された(ISBN 978-4-591-11137-6)。時代を2009年以降の21世紀初頭に移しており、それに伴うものや児童向けを理由とする改変がされているが、大筋では原作のストーリーそのままである。新井は「児童向けの翻訳」であるとうたっている。主な変更点は次の通りである。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。