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stampfactory大百科事典

氷(冰、こおり)とは、固体の状態にある水のこと。なお、天文学では宇宙空間に存在する一酸化炭素や二酸化炭素、メタンなど水以外の低分子物質の固体をも氷(誤解を避けるためには「○○の氷」)と呼ぶこともある。また惑星科学では、天王星や海王星の内部に存在する高温高密度の水やアンモニアの液体のことを氷と呼ぶ事がある。さらに日常語でも、固体の二酸化炭素をドライアイスと呼ぶ。しかしこの記事では、水の固体を扱う。氷には河川や湖水の冬季に氷結した物を切り出して保存・利用する「天然氷」と機械によって製造される「人造氷」とがあり、長らく人類は天然氷のみを利用してきたが、19世紀、科学技術の発達により人造氷が現れると衛生面・コストの点で天然氷の利用は主流ではなくなった。我々は打ち水をすれば気温が下がることを知っているが、これは水が気化する際に熱を奪う(気化熱)ことによって起こる。機械による製氷も気化熱による冷却と同様の原理が利用される。1748年、手回し式の減圧装置を用いることによるジエチルエーテルの気化熱を利用した製氷をスコットランドのウィリアム・カレンが行ったのが人造氷のはじまりとされる1834年には、エーテルを利用したコンプレッサー式製氷機の特許がアメリカのジェイコブ・パーキンスによって取られている日本では、明治以降に外国人居留地で小規模な製氷が行われるようになり、1883年(明治16年)東京製氷株式会社が設立されている(当初の製氷能力は、一日当たり6t)。近世以前、人為的に冷却効果を得る技術が登場するまでは、氷自身が唯一の冷却材であったため、冬季に、または寒冷地にて得られた天然氷を、なるべく融かさないように運搬し、保管する努力が様々に講じられた。保管方法としては、地下や洞窟の奥などに空間を作り、なるべく大量の氷を置いて冷却効果を得ようとするものが多く、日本ではこれを氷室(ひむろ)などと呼んだ。断熱効果を得るため、オガクズなども用いられた。昨今では、冬に降った大量の氷雪を保管しておいて夏期の冷房に利用しようとする試みや、気温が低く電力需要も少ない(そのため電力料金も安くなる)夜間に製氷しておき、昼間の冷房に役立てようとするサービスなどが普及しつつある。日本において、冬を除いて冷たい飲み物が飲めるようになるのは、明治になってからになる。中川嘉兵衛という実業家が、明治4年、函館で初めて天然氷の採氷事業に成功したときにはじまる。嘉兵衛はまず、富士山の山麓に500坪の採氷池を掘り、そこから約2000個の天然氷を得ることに成功する。しかしこの氷は、江尻港(静岡市)までの8里(約31キロ)は馬で、その後は帆船を借りて一般貨物の2倍の運賃で横浜まで運んだものの、横浜到着時にはすべて溶けて水になってしまっていた。この後2年間休業したのち、諏訪湖、日光、釜山、青森からと、毎年場所を変えて氷を採り、横浜へと運搬したがいずれも失敗に終わった。しかし、嘉兵衛はあきらめることなく、函館に渡り、6回目の採氷に挑戦した。この年は温暖であったため、僅かな氷しか採れず、250トンの氷を横浜に輸送することが出来たものの、採算は取れなかった。しかしこれに手ごたえを感じ、明治2年、函館の五稜郭の外濠を借り受け、亀田川の水を引き入れて7回目の採氷を行った。この7度目の挑戦にしてやっと事業が成功。明治5(1872)年の『新聞雑誌』には、「製氷界の恩人――中川嘉兵衛」の見出しで、と述べられ、その事業が称賛されている。これまで簡単に手に入れられなかった夏場の氷が、安く手に入るようになり、人々が夏場に冷たいものにふれる始まりになった。また明治7(1874)年の『東京日日新聞』においても、函館の天然氷採取が取り上げられ、功績が称賛されている。製氷事業は病人の熱さましとして、また暑い夏の飲食用として、人々に歓迎された。1980年代から1990年代にかけて飲食店で業務用の自動製氷機が普及したため食用氷純氷を扱う業者は販売不振に陥っていた。しかし、2013年にコンビニエンスストアのひき立てコーヒーが登場したことによって再び食用氷の需要が上昇している。近年のかき氷ブームによる需要でふわふわ感が楽しめる氷として、またウイスキーをオンザロックで飲む際に用いられる高品質でほとんど無味無臭の氷として製氷工場で作られた純氷が求められるようになってきた。

出典:wikipedia

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