味噌(みそ、英:miso)は、大豆や米、麦等の穀物に、塩と麹を加えて発酵させて作る、日本の発酵食品である。日本の伝統的な食品の一つである。miso として日本国外にも知られている。食品学、人類学的には、日本の味噌は醤油と同じく、醤(ひしお/ジャン)のうち穀醤(こくしょう)に分類される。一般的に販売される味噌は日本独自のものである。しかし大豆や、その他の穀物や豆を原料としたペースト状の発酵調味料である穀醤は、東アジア、東南アジアの各地に存在し、類似性からそれを含める場合もある。例えば中国の豆板醤、韓国のコチュジャンは、日本ではしばしば唐辛子味噌などと呼ぶ。穀物の違いや麹の違いで種類が豊富である。主な原料は大豆である。穀物に黄麹菌などの麹菌を繁殖させた麹や塩を混ぜ合わせ、発酵させることによって大豆のタンパク質を消化しやすく分解し、旨みの元であるアミノ酸を多量に遊離する。穀物由来の麹が増えるとデンプンが糖に変わって甘味が増し、大豆が増えるとアミノ酸による旨味が増す。温暖多湿という日本の国土条件の中、職人技により製造する。現代的な食品の衛生基準との間で伝統を守りづらくなっている。原料により豆味噌、米味噌、麦味噌など、地域、種類により赤味噌、白味噌、合わせ味噌(調合味噌)などと区別する。古くから日本の食生活における主な蛋白源である。また副食の素材が豊富になった今日では調味料とみなす事がある。江戸時代中盤以前は「おかず」的な扱いをしていた。現在でも「おかずみそ」・「ねぎみそ」・「ピーナッツみそ(みそピー)」・金山寺味噌・豚味噌(アンダンスー)・魚味噌・朴葉味噌など、多数のおかずとして食用にする味噌加工品が存在している。日本料理に欠かせないものの一つとなっている。海外旅行中に、味噌汁を飲みたくなる人がいるなど、日本人の味として親しまれている。スローフードや日本食ブームにより、味噌の良さが改めて見直されている。長年の経験では、味噌は食品として万能であることが江戸時代の本朝食鑑に記載されており、その健康増進効果から味噌汁は「医者殺し」と当時から言われていた。20世紀後半からは、健康効果の研究がおこなわれている。味噌の製法の概略は、#手作り味噌の作り方を参照のこと。実際の栄養価は、原料ダイズの生育環境、品種、発酵に参加する菌株、副原料の添加量など多くの要素によって変動するため参考値である。味噌には以下のような成分が含まれる。味噌の起源には二つの説がある。古代中国の醤を根源とし、遣唐使により中国を経て伝来したとされる説。日本の味噌の原型は歴史が古く、弥生時代からとする説。日本においては縄文時代から製塩が行われ、醤などの塩蔵食品が作られていたと見られる。縄文時代後期から弥生時代にかけて遺跡から穀物を塩蔵していた形跡が見つかっている。古墳時代からは麹発酵の技術を加えたものとなった。現在の味噌の起源に連なる最初は、奈良時代である。当時の文献に「未醤」(みさう・みしょう:まだ豆の粒が残っている醤の意味)と呼ばれた食品の記録がある。また「末醤」とも書かれ、「大宝令」(大宝元年(701年))の「大膳職」条では「末醤」と記される。他に味醤、美蘇の字もすでに見える。藤原京(700年前後)の遺跡からは、馬寮(官馬の飼養などを担当する役所)から食品担当官司に醤と末醤を請求したものとして、表は「謹啓今忽有用処故醤」、裏には「及末醤欲給恐々謹請 馬寮」と書かれた木簡が発掘されている。この未醤、あるいは末醤が、やがて味醤、味曽、味噌と変化したものであることは、「倭名類聚抄」(934年頃)や「塵袋」(1264~1287年頃)という辞書に書かれている。この当時の味噌は、調味料というよりは豆やその他の穀物を塩漬保存した保存食であり、つまんで食べられた。徒然草において、北条時頼と北条宣時が、台所に残っていた味噌だけを肴として酒を酌み交わしたという逸話があるが、そういう時代背景がある。大豆を原料とした調味料としては、当時は塩辛納豆が主に使われた。室町時代になると、各地で味噌が発達した。戦国時代には主に糠が原料とされたが、兵糧(陣中食)として重宝され、加工品の芋がら縄も含め、兵士の貴重な栄養源になっていた。その名残は、朴葉味噌などとしても伝わっている。各地の戦国武将にも味噌作りは大事な経済政策の1つとして見られるようになった。現在のように調味料として認識されるようになったのは、江戸時代になってからであり、味噌は各地の風土・気候を反映されていて、熟成方法などが異なり全国に多様な味噌をもたらした。明治時代の一般的な味噌の醸造期間は1-3年程度であった。明治時代の国語辞典である言海は味噌の分類として以下の三種をあげる。その記述では、当時の赤味噌と白味噌は材料の豆や麹が異なったという。蒸すか茹でるかした大豆を潰して団子にし、藁で包んで味噌玉として軒下などに吊るし、カビが生えるなどして熟成したものを塩水と合わせて仕込む玉味噌は、現代でも地方各地に残っている。また、味噌玉を作って味噌を仕込む方法は朝鮮半島のテンジャンにおいても見られる。明治時代末期に日本陸軍糧秣廠に勤めていた河村五郎(日出味噌創業者)が、麹の働きを温度管理で調節する味噌速醸法を考案。醸造時間は数ヶ月に短縮することが可能となった。当時、東京で主流となっていた仙台味噌の醸造法とともに全国に普及した。明治時代末まで味噌の原料豆を砕く道具は臼と杵であり、完全な破砕ができなかったため、出荷された味噌には豆の粒や欠片がそのまま残っており、使用の前にすり鉢で粒を潰し「みそこし」で漉してから使った。やがて味噌製造が機械化すると味噌を出荷前に機械で漉し、家庭でいちいち擂ったり漉したりの手間が省ける「漉し味噌」「擂り味噌」が販売されるようになった。現在のような滑らかなペースト状の味噌が販売されるようになったのはみそ漉し機械の導入以降であるが、味噌をすり鉢でする習慣は戦後も残っていた。漉し味噌は食味で劣るとの議論もあり、現在でも漉していない「粒味噌」が販売されており、鹿児島県の奄美料理のように粒味噌のまま使っている地域もある。大正15年「最新醤油味噌醸造法」栂野明二郎 著 醸造評論社 (1926年)を発行している。本書は、国立国会図書館のデジタルライブラリで閲覧可能である。当時の醤油味噌の製造方法がわかる。第二次世界大戦中には、配給味噌の基準製法となったことも後押しとなっている。また、温度に着目した醸造法が各地で試された結果、大戦中の1944年(昭和19年)に中田栄造(マルマン (味噌製造)創業者)が醸造中の温度管理の適正化を進めた中田式速醸法を開発。醸造時間は20日とすることも可能となった。中田の信州味噌の醸造法とともに戦後、全国に普及した。昭和30年代後半までは、農村では多くの農家が味噌を家庭で作っており、昭和40年代の高度成長期とともに自家製味噌は減っていた。とはいうものの、仕込み味噌とよばれる味噌を買い、発酵と熟成は家庭で行うということがその後20年は続いた。1970年代(昭和40年代)までは食料品店(酒屋、三河屋)などで醤油や味噌が樽から量り売りされていたが、流通の変化などで量り売りは姿を消し、袋やプラスチック容器などのパッケージに入ったものに変わっている。従来は袋詰めの際、添加物としてソルビン酸カリウムが使用されたが、現在は酒精(エチルアルコール)を2~3%添加する。これにより、耐塩性酵母を殺菌し、発酵で出る二酸化炭素による膨張を防ぐことができる。なお、調整処理されていないものは生味噌と呼ばれ、耐塩性酵母が引き続き活動している。昭和54年度後期(1979年)より国家資格である技能検定制度で、みそ製造技能士1級、2級試験がはじまった。みそ製造の技能の伝承を確実にしている。1級は7年以上の実務経験、または2級合格後2年以上の実務経験、2級は実務経験2年以上。科目は学科試験は、みそ製造法、微生物および酵素、化学一般、電気、関係法規、安全衛生で、実技試験がある。今日では北海道音威子府村から沖縄県与那国町まで、日本の全ての地域に製造業者が存在する。それほど高度な技術や多額な資本投下無しに製造できることが推測できる。同じ穀醤の中でも特定地域に集中している醤油製造との違いでもある。多くの製造業者があり、他の食品と同じように商品の多機能化と差別化が進んでいる。単に素材の違いだけでなく、出汁入りのものやカルシウムなどを添加したものを販売している。「つけてみそかけてみそ」など食卓に置いておくみそも普及している。2000年以降は、みその出荷量は単調減少で、2015年には2000年比2割近い落ち込みである。2000年以降デパートでのみその出荷は4分の1以下になっている。平成21年8月みそソムリエ制度ができ、みその普及の基盤ができてきたが消費の減少に歯止めがかかっていない。しかし近年はパソコンなど情報端末の普及に比例してインターネット上における人気サイト クックパッドなどにも手作りみそ、みそだれ、みそ餡などのみそ加工品からみそ料理まで幅広く掲載されており、みそ料理の情報はネット上に豊富にあがっている。現在、「味噌」は"Miso"、味噌汁は"Miso Soup"として、日本国外の人にも日本のものとして親しまれている。味噌はJASでは「みそ」と表記され、主材料によって次のように分類される。また、その製造法に起因する色の違いによって、赤味噌・白味噌・淡色味噌のようにも分類される。大豆や麹のたんぱく質と糖分によるメイラード反応により味噌は着色する。強く蒸した大豆を多く使い、長期間、高温で熟成させると色が濃くなり赤味噌になる。一方、茹でて糖分やタンパク質を流し出した大豆を、精白した米や着色の進まない系統の麹を多くあわせ、短期間熟成させると白味噌になる。白味噌は熟成期間が短いので色が白く材料の麦などの粒子が残るものもある。熟成期間の長い赤味噌は保存のために塩分濃度が高い傾向にあるが、高温で超短期間に熟成を終える赤味噌である江戸甘味噌は塩分濃度が低く甘い。この中間として信州味噌を代表とする淡色味噌があり、全国的に普及している。一般に赤味噌は塩分濃度が高く塩辛く、熟成期間が長いのでコクがある。白味噌は塩分濃度が低く麹の糖分により甘い。赤味噌は、東北地域(米)・中京地域(豆)を中心に作られている。豆は糖分が少なくアミノ酸の材料である蛋白質が多く含まれているので、豆からは主に赤味噌が造られている。中京地域の一部では、黒い八丁味噌も含め赤味噌と呼び、その味噌汁を赤だしとよぶ。全国的に見て、一般的な味噌は米味噌であり、豆味噌(赤)は、中京地域のみで造られている。米味噌の色は、黄色や黄色を帯びた白色、赤色など多様。米味噌は淡色の場合、一般に煮大豆を用いるが、赤みのかなり濃い米味噌は蒸し大豆を用いる。また、米麹が多く使用される味噌ほど熟成期間が短く済む傾向もある。米の白味噌では信州味噌・西京味噌が代表的で、米の赤味噌では津軽味噌、仙台味噌などが代表的である。西京味噌は甘みが強く、仙台味噌は辛みが強い。津軽味噌はコクがあり、信州味噌はあっさりとした口当たりを特徴とするなど様々な特徴がある。米味噌の多く消費される地域は、東日本全域と、北陸地方、近畿地方である。なお、日本の都道府県の中で1世帯あたり味噌消費量の第1位は長野県であり、またその生産量においても長野県が群を抜いており、おやきなど地域での名産品もある。麦味噌は生産量の11%ほどを占め、九州、中国地方西部、四国西部では主に麦の白味噌が造られている。北関東では、大麦を使った赤味噌が造られている。豆の赤味噌は蒸し大豆(或は煮大豆)と豆麹を用い、米の赤味噌よりも熟成期間が長いので、その色は米の赤味噌よりもさらに赤みが強く黒味を帯びた濃い赤茶色である。米味噌や麦味噌に比べて甘味が少なく、渋味がありうまみが強いのが、大きな特徴である。豆味噌を主として消費するのは中京圏の愛知県全域、岐阜県美濃地方の中南部・西部、三重県北東部に限られる。豆味噌では、八丁味噌が代表的である。なお、近年ではこの他に雑穀のアワ、ヒエ、キビを使った味噌が一部の自然食品店などで販売されている。日本各地で味噌は作られているが、各地方で材料・風味・色にそれぞれ特徴があり、地方色の強い食材でもある。大豆と米を発酵・熟成させたもの。北海道から本州、四国など広い地域で造られている。大豆と大麦又ははだか麦を発酵・熟成させたもの。九州地方で主に造られている。麦みその出荷は2007年以降、豆味噌を下回っている。大豆のみを発酵・熟成させたもの。東海地方で主に造られている。大豆と玄米とソテツの実(方言で、なり)のデンプンを発酵・熟成させたもの。南西諸島特産。上記の各みそを混合したもの。または、その他の調味料を加えた合わせみそ。大豆、米、麦と塩漬けしたウリ、ナス、ショウガなどの野菜等を混ぜて、短時間発酵させたもの。近年は、味噌を家庭で仕立てることは珍しくなったが、かつては多くの家庭で自作されていた。味噌は比較的自作が容易で、誰でもそれなりの出来栄えものが作れる。中世には、自分の作品や腕前を自分で自慢する「手前みそ」という表現が生まれた。家庭での手作り味噌の作り方の一例を以下に示す。麹酸(コウジ酸/Kojic acid)は、平成7年の食品衛生法改正に伴う既存添加物として使用が認められている食品添加物である。この麹酸は味噌やしょう油等の製造に用いられる麹菌(Aspergillus属等)が生成する、抗菌作用を持ち原料の腐敗を防ぐ効果がある重要な物質である。ところが、その麹酸に肝臓癌などを誘発する危険性が指摘されるに至り、味噌や醤油の発がん性が問題になった。しかし、動物試験での濃度(1~3%混餌投与)に比して食品中の濃度はごく微量でしかない。その後、化粧品メーカーがコウジ酸の安全性を確認する追加試験を実施し、コウジ酸の化粧品としての使用は安全性上なんら問題がないことを証明した。味噌については、古くから摂取され続けてきた食物であり、食品中の濃度はごく微量でしかないことから麹酸の毒性は問題にならないとされている。コウジカビ(麹黴)は、アスペルギルス ( "Aspergillus" ) 属に分類されるごく普通の不完全菌の一群である。このうち、ニホンコウジカビ("Aspergillus oryzae"、アスペルギルス・オリゼー)など、一部のものが麹菌として味噌や醤油、日本酒を作るために用いられてきた。発酵食品の製造に利用される一方で、コウジカビの仲間にはヒトに感染して病気を起こすものや、食品に生えたときにマイコトキシン(カビ毒)を産生するものがあり、医学上も重要視されているカビである。熱帯から亜熱帯地域にかけて生息するアスペルギルス・フラバス (") などのカビによりアフラトキシンが生成され、紫外線の照射により強い蛍光を発する。1960年にイギリスで七面鳥が大量死した際の分析中にアフラトキシンが発見された。なお、1960年代に麹菌の"A. oryzae"(ニホンコウジカビ)や"A. sojae"(ショウユコウジカビ)でアフラトキシン生成が疑われたが、アフラトキシンを生成する機能は失われている事が判明している。大豆は、タンパク質やカルシウムを多く含むため、栄養源として重要である。大豆の可食部乾燥重量100g中で、417kcal、水分12.5g、タンパク質35.3g、脂質19.0g、炭水化物28.2gの栄養価がある。さらに、大豆に含まれるゲニステイン()、ダイゼイン()、グリシテイン() などのイソフラボンは、大豆イソフラボンと総称され、弱い女性ホルモン作用を示すことから骨粗鬆症や更年期障害の軽減が期待できる。これらの作用から、大豆製品の中には特定保健用食品に指定されている物もある。骨粗鬆症予防効果、更年期障害の緩和に加えて、抗動脈硬化作用の可能性もある。また、乳がんや前立腺がん等の予防にも効果があることが、疫学的な調査で明らかになってきており、特にイソフラボン配糖体のゲニステインという物質に、腫瘍の血管新生を抑える効果があり、それにより腫瘍の増殖を抑制することがわかってきた。その他の大豆の健康への効果は、ダイズ#健康への影響を参照のこと。分類学的には植物性乳酸菌と動物性乳酸菌を区分は出来ない。植物性乳酸菌とは植物質の物を発酵させる能力に優れた乳酸菌の種類である。また、動物性乳酸菌とは、動物質の物を植物質の物を発酵させる能力に優れた乳酸菌の種類である。発酵によって作られる脂肪酸エチル(カルボン酸エチルエステル)類が、ガンを引き起こす変異原の力を抑制するという説がある。味噌汁を飲む回数が多い人は、胃がん死亡率が低くなるという調査結果がある(1981年がん学会)。動物実験では、肺癌、胃癌、乳癌、肝臓癌、大腸癌の抑制効果が認められ、味噌の熟成度が高いほど効果が高かった。味噌に含まれるイソフラボンが癌増殖を抑制し、アポトーシスを誘発するのではないか、さらに、味噌の熟成によりイソフラボンが配糖体からアグリコン型に変化しさらに癌を抑制する効果が高まるのではないか、あるいは、熟成が進行している元気な味噌には癌予防を含めた生理活性物質が産生されるのではないか、と言われている。血圧低下の効果もあると言われている。また、味噌の熟成に伴うメイラード反応によって生成する褐色色素のメラノイジンは、in vitroでは抗酸化作用、活性酸素消去活性、ヘテロ環アミノ化合物(発癌物質)に対する脱変異原活性などを有するとされている。味噌は優れた抗酸化能力を有し、味噌のラジカル捕捉能力はその大半をメラノイジンが担っており、味噌の色調が濃いほどその能力が高まっているとされている。長崎の被曝医師の秋月辰一郎は、自身、患者、職員に原爆症が発症しなかった原因は「玄米と味噌汁」によるものだ、と述べている。秋月の体験記である『長崎原爆記』は『Nagasaki 1945』と翻訳され、この話は広く欧米社会にも伝わっている。1986年のチェルノブイリ原発事故の際には、西ヨーロッパ諸国では「味噌は放射能障害に効果がある」という説が広まって味噌製造元に注文が殺到し、輸出量が通常時の数倍増になったと報告されている。味噌と放射能防御能力の関係を調べるために、伊藤明弘教授(1999年当時。広島大学放射線医科学研究所教授)は、マウスを使った動物実験を行った結果、味噌には、放射線から体を守る働きがあると主張した。動物実験では、十分に熟成した味噌ほど放射線防御作用が高いとしている。マルコメと東京工科大学応用生物学部美科学研究室(前田憲寿教授)との共同研究により、味噌には肌の保湿やきめを改善する効果のあることが発見された。これは、味噌の抽出物が、角層でセラミドを合成する酵素を活性化させることが原因という。塩分摂取量と胃癌の発生率には正の相関があることがわかっている。ただし味噌の塩分による胃がん発生率上昇のリスクは同量の食塩よりも低い。また、通常高血圧を引き起こす塩分だが、味噌は血圧をほぼ上げない可能性が動物実験から示唆されている。味噌の大豆タンパクが血圧下降に作用していると思われる。。
出典:wikipedia
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