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高徳線

高徳線(こうとくせん)は、香川県高松市の高松駅から徳島県徳島市の徳島駅に至る四国旅客鉄道(JR四国)の鉄道路線(幹線)である。日本国有鉄道(国鉄)時代、佐古駅 - 徳島駅間は徳島本線にも属する重複区間であったが、運賃を高徳本線(幹線)として計算していたこともあり、民営化時に徳島本線を佃駅 - 佐古駅間として重複区間は解消された。また、民営化後の1988年にJR四国は線路名称を改正し、高徳本線を高徳線に改称した。高徳線は香川県の東側沿岸を通り高松市と徳島市を結ぶ都市間連絡路線である。高松駅 - 栗林駅間はU字型の線形になっている。また、佐古駅 - 徳島駅間は線路が2本並行しているが、各線路を方向別に列車が走るのではなく、路線別に高徳線・徳島線の各上下列車が使用する単線並列区間となっている。ただし、前述の経緯から徳島線の列車が走る線路も高徳線に所属している。当路線は、予讃線・土讃線と並び四国内県庁所在地間を結ぶ路線の一つであり、非電化ながら四国内では予讃線高松駅 - 松山駅間とともに特急列車が最高速度130km/hの営業運転を行っている路線区間の一つでもある。電化については、JR四国は2006年に国土交通省交通政策審議会・交通体系分科会の地域公共交通部会に提出した資料で、長期的に望まれる投資の一つに高徳線の直流電化を挙げている。当路線は非電化区間の中でも列車密度が高く、高松市内に小断面のトンネルが存在するものの全体ではトンネル区間が少ないため、電化による経済的メリットが大きいことが見込まれる。しかし、1987年(昭和62年)3月から1993年(平成5年)3月にかけて予讃線を中心に直流電化が進められた中で、最も経営基盤の弱いJR四国が地上設備の面で交流電化と比較して非効率な直流電化に取り組んだ以上、その後の設備投資には慎重である。全区間に特急「うずしお」が運転されており、2往復は岡山駅まで直通する。普通列車は全区間を通して運転される列車があるほか、高松駅 - オレンジタウン駅・三本松駅・引田駅間および引田駅・板野駅 - 徳島駅間の区間運転列車がある。おおむね1時間あたり1 - 2本程度の運行であるが、板野駅 - 引田駅間の県境区間は列車密度が低く、3時間以上運行されない時間帯がある。徳島地区では鳴門線・牟岐線との直通列車があり、かつては高松駅 - 牟岐線牟岐駅間を通して運転する列車も存在した(2013年3月16日のダイヤ改正で阿南行きに短縮)。また、2010年3月13日のダイヤ改正では下り・上りとも高松・徳島発最終列車(徳島発は鳴門線直通をのぞく)の運行区間・時刻が見直され、高松発の下りは従来の引田からオレンジタウンに、徳島発の上りは高松から板野にそれぞれ行き先が変更された。2006年6月1日 - 11月30日の平日(阿波踊り期間中をのぞく)には、徳島 - (池谷) - 鳴門間に、上りのみの快速列車「鳴門きんときライナー」が1500形を使用して運転された。ただし、途中駅には止まらないので高徳線内での利用は不可。ライナー扱いで、乗車には乗車券のほかに整理券が必要だった。平均通過人員(輸送密度)は以下の通り。予讃線高松 - 伊予市間の電化完了以後、四国内のみの輸送では、特急にN2000系(高松運転所配置で大半が初期型と共通運用)、普通列車に徳島運転所配置で1000形・1200形や1500形といった新型車両が高知や松山を差しおいて最優先で導入されてきた路線でもある。なお、1200形は全線で運用されるが、1000形は板野 - 徳島間のみで運用されている。特急列車にはN2000系(阿波踊りの時期には増結車で2000系も使用することがある)のほかにも性能で劣るキハ185系が一部に充てられているが、運転停車や途中の停車駅の多さ、およそ74kmしかない走行距離のため、最速達列車1往復を含む岡山発着の2往復をのぞいては両系列のどちらが充てられているかは時刻表を見ただけでは判別しにくいが、現在は「うずしお7号・8号・29号・32号」がキハ185系で運転されている。普通列車は1000形・1200形、1500形のほかに国鉄時代製造のキハ40形、キハ47形で運行されている。2008年3月15日のダイヤ改正の前日までは高松 - 引田間でキハ58系・キハ65形の2両編成の普通列車も運行されていた。また、過去には突発的にキハ185系(高松運転所配置の特急仕様車)が運用されたこともあった。高徳線は高松側から順次延伸され、1935年に全通したが、このうち板野 - 池谷 - 吉成間は、阿波電気軌道が開業させた路線を国有化し編入したものである。阿波電気軌道は徳島と鳴門を結ぶ目的で、古川 - 中原 - 吉成 - 池谷 - 撫養(後のゑびす前)間を1916年に開業させたが、吉野川への架橋ができず中原から徳島市街の富田橋(後に新町橋)まで渡船(吉野川連絡船)で連絡していた。1923年には池谷 - 阿波大寺(現在の板野) - 鍛冶屋原間を開業させた。なお、阿波電気軌道と名乗ってはいたが全路線が非電化で、電化できず後に阿波鉄道と改称している。定期の客車列車(寝台特急「瀬戸」をのぞく)の営業運行は、四国のJR線の中では当路線が最後であった。下り(高松駅→徳島駅)方向に記述する。吉成駅 - 中原駅 - 古川駅廃止区間のものをのぞく。

出典:wikipedia

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