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稚内市

稚内市(わっかないし)は、日本の北海道宗谷地方にある市。旧宗谷郡および天塩郡の一部。最果ての宗谷岬や礼文島、利尻島へのフェリーの航路、最北の駅稚内駅がある、宗谷総合振興局所在地で宗谷管内の中核都市である。地名の「わっかない」は、アイヌ語で「冷たい飲み水の沢」を意味する「ヤム・ワッカ・ナイ」に由来する。市としては日本最北で、宗谷総合振興局の所在地である。松前藩が宗谷場所を開設した江戸時代初期以降、港湾として恵まれた地理条件を備え、良質な魚場に恵まれたため漁業の街として発展した。江戸時代中期頃からは国防上の北の要衝として重視されている。日露戦争後には樺太(現在のサハリン)航路を開設、大正時代には鉄道建設も行われ、旭川以北最大の都市となる。戦後、北洋漁業基地としてさらに発展するが、旧ソ連の排他的経済水域設定後は、基幹産業である漁業が衰退し人口減少が続いている。稚内市は、現在日本において最北に位置する市である。古くから日本本土の北の玄関口として知られる。北海道の市町村で唯一、日本海とオホーツク海に面している。稚内市の最北端は宗谷岬の北西に浮かぶ弁天島(北緯45度31分35秒、東経141度55分09秒)であり、現時点において『日本国が実効支配する国土の最北端』である 。宗谷岬からサハリンクリリオン岬(樺太西能登呂岬)まではおよそ43kmで、日本で最もロシアに近い。そのため、サハリン州、またはロシアと交流が深く、市内の交通標識や店舗の看板などにはロシア語の表記が散見される。稚内市の市街地は、ノシャップ岬の付け根部分(稚内港・宗谷湾沿い)に広がる。かつては、稚内駅を中心とした北部の中央地区を中心に発展したが、現在は南稚内駅付近や、国道40号沿いの郊外が発展している。ノシャップ岬と宗谷岬の中間地点には、声問という漁村がある。この辺りは、声問川が形成した扇状地であり、背後に大沼、さらに内陸には沼川地区がある。土地は平坦だが畑作には適さない気候のため、主に酪農が行われている。宗谷岬付近には、漁村の大岬がある。宗谷岬南部には宗谷丘陵が広がる。この宗谷丘陵は、度重なる大火と侵食により樹木を喪失し、独特の地形・風景をしている。年平均気温は7℃ほどしかなく寒冷で、強い風が吹くため、樹木が成長できず笹やぶとなっていた。現在は、土地の有効利用のため、主に牧草地となっている。日本海側には漁村の抜海村があり、抜海村の背後には勇知地区と呼ばれる酪農地帯がある。稚内市の年間の平均気温は7℃ほどである。紅葉が見られる期間は10月上旬頃から始まる数週間である。日本の最北に位置するが、過去最低気温は-19.4℃(1944年1月30日)。過去最高気温は31.3℃(1946年8月22日)だが、2000年8月1日の30.4℃を最後に真夏日は観測されていない。特別豪雪地帯に指定されている。サクラは5月中旬頃に開花する。標本木は稚内公園内にあるエゾヤマザクラ。極値稚内地方気象台観測稚内とはアイヌ語のヤムワッカナイ (yamwakkanay) からきており、「冷たい水の流れる沢」という意味である。稚内市市議会の定数は18人。(平成27年5月1日現在)排他的経済水域が指定されるまで北洋漁業基地として大変栄えており、缶詰、冷凍、干物・乾物などを生産する水産加工業も盛んであった。現在も、最盛期ほどではないものの、漁業(特にミズダコは有数の水揚げ量)、水産加工が主力産業である。市内には、名産の海産物を売る大型店が多数ある。しかし、漁業・水産加工にかつてのような勢いはなく、観光産業への転換が図られている。かつては、勇知地区ではジャガイモ栽培が盛んであった。昭和初期には、勇知地区で栽培されたジャガイモは味がよいと評判になり、東京、大阪方面でブランドいもとして取引された。しかし、もともと天候が畑作に向かないことから酪農への転換が進み、現在の稚内市の農業は酪農が中心である。勇知地区、声問地区では、大規模な酪農を営んでいるが、勇知地区では一部に「勇知いも」などの畑作をする者もいる。酪農家が生産した生乳は、明治(旧・明治乳業)稚内工場などに運ばれ、全脂粉乳、脱脂粉乳、ホエーパウダーなどの乳製品となる。稚内農業協同組合は、低温殺菌ノンホモ牛乳を商品化し、「稚内牛乳」として販売している。宗谷岬地区では、宗谷岬牧場が宗谷黒牛という肉牛を生産している。日本本土最北端を有する稚内市は、その地理的条件を生かし、観光業が盛んである。主な名所としては、最北端の宗谷岬、北海道遺産の宗谷丘陵、利尻礼文サロベツ国立公園、稚内公園などがある。稚内市内では、ホテル・旅館業が盛んである。市が冬季ツアー観光客の夕食に助成金を出すなどしていた1998年度 - 2002年度は離島ブームも手伝って80万人前後まで増大した。しかし、近年、知床が世界遺産に登録されたことや、旭川市の旭山動物園の人気の影響、さらに原油高騰、リーマンショック後の不景気などにより、距離が遠い稚内を敬遠してか観光客が激減し、2009年度は40万人台と最盛期の半分以下となってしまった。さらに追い討ちをかけるように、2013年度から搭乗率低迷から、関西国際空港便・中部国際空港便の運行が打ち切られることとなり、観光客がさらに減少するのではないかと懸念されている。稚内市は、かねてより第3セクター「稚内シーポートプラザ」を設立し、稚内全日空ホテルを建設運営するなど力を注いできた。しかし、稚内シーポートプラザは、観光客の減少や他の大型ビジネスホテルの進出などに伴い、経営状態が急速に悪化し、2010年1月に経営破たんし、2010年2月24日に旭川地裁から特別清算開始決定を受けた。その他の旅館でも多数の廃業が見られる。地理的条件や海産物といった旧来のソフトだけでなく観光客を呼び寄せ満足させるための新たなソフト開発が急務となっている。また台湾など外国人観光客誘致に活路を見出そうとする動きもある。サービス業は、ホテル・旅館業を除いて、人口規模に比して発達していない。稚内駅、南稚内駅周辺に寿司屋、居酒屋、スナックなどの飲食店街が存在するが、いわゆる歓楽街は存在しない。2008年度以降、企業、公官庁の支店・支所等の閉鎖や地元企業の相次ぐ廃業により、市内のサービス産業は衰退している。人口に比して大手チェーン店の進出も鈍く、セブン-イレブン、ローソン、ファミリーマートなどの大手コンビニや、イオン、イトーヨーカドーなどの大手スーパーが進出していない。他方で、経済活性化対策として市内の建設業者を中心とした再開発が行われている。2007年4月28日には宗谷地方初の複合商業施設である稚内副港市場がオープンした。また、2010年6月12日には映画館(ティ・ジョイ稚内)や商業施設が入るキタカラ KITAcolor(駅前再開発ビル)が開業された。稚内市は、旭川以北最大の都市であり、海上保安部、自衛隊、税務署、裁判所、区検察庁などの国の機関や宗谷総合振興局が置かれている。そのため、周辺自治体と比べると公務員の数が多く、官公庁が経済を支えている側面がある。稚内市には、3本の国道、14本の道道、重要港湾の稚内港、地方港湾の宗谷港のほか、抜海港などの多数の漁港、稚内空港など、多くの公共施設があり、公共事業が盛んであった。そのため、多くの建設業者が存在し、雇用を支えていた。しかし、バブル崩壊、小泉構造改革などの影響を受け、建設業の現状は厳しく、商業施設経営など経営の多角化を模索している。戦前は、宗谷本線と天北線の終点があり、樺太航路もあったことから、交通の要所として栄えた。戦後、鉄道は天北線の廃止などで衰退したが、現在でも宗谷本線稚内駅、南稚内駅などがあり、海路は、利尻・礼文航路がある。バスについては、宗谷管内の路線バスを運営する宗谷バスが本社を構えており、札幌への都市間高速バスがある。依然として、宗谷地方の交通の要所となっている。空路は、稚内空港があり、羽田空港、新千歳空港への直行便がある。稚内市では、一年を通して強い風が吹くことから、市内に74基の風車を建設 し風力発電を行っている。また、新エネルギー・産業技術総合開発機構の大規模太陽光発電(メガソーラー)の実証研究を行っている。これらの自然エネルギーによる発電によって、稚内市で消費する電力の8割をまかなっている。かつては、ソ連およびロシアからの活ガニ等の水産物の輸入も盛んだった。。しかし、近年は資源枯渇が問題となり、ロシア政府が輸出規制をしているため、2008年度以降、活ガニの輸入も激減している。たとえば、活カニの輸入高は、2004年には120億円を超えていたが、2008年には50億円にまで減少している。さらに2014年12月10日より、「水産物の密漁・密輸出対策に関する日露協定」が発効した影響で入港する船は僅少となり、2015年8月はついに活ガニの輸入額が0となった。関係する輸入業者等は壊滅状態となっている。稚内市には、18件の登録不動産業者が存在する。稚内北星学園大学に学生が入学する時期は、単身者向け賃貸物件の需要が高くなる。もともと持ち家率が高く、単身者向け住居が多い地域ではなかったことから供給が不足し、家賃水準は北海道のなかでもかなり高水準となっている。稚内市は、、単身者向け賃貸住宅の高額な賃料は若年層が定着せず他都市へ流出する要因とも言われている。ただし、近年の人口流失によって中心部の築年数の古い建物を中心に空家が多く出ており、全体的な相場は下落傾向である。2016年4月30日現在 35,476人(外国人登録者は除く)である。200海里規制以降の漁業減船や酪農廃業、国鉄分割民営化に伴う合理化、JR天北線の廃止、さらに不景気の影響で若年者の就職先がなく他都市へ流出している。特に生産年齢人口の流出が激しく、2012年10月〜2013年9月の1年間で734人減少(減少率3.2%)となっている(逆に高齢者は160人増加している。) 。人口規模の大きい旭川市や北見市より転出超過数が多く、2010年〜2013年の4年間で1,588人の転出超過で道北最大の転出超過数である。 2007年の市民意識調査では、予定している人も含めた転出希望者が29.9%にも達しており、危機的状況である。2008年は1年間だけで797人減少(減少率1.96%)し、減少数・減少率ともに過去最大となった。その後も一貫して人口の減少が続いている。直近の2014年は418人減少・2015年は634人減少・2016年は4ヶ月で390人減少しており、非常に深刻な状況である。2008年8月に4万人を割り込み、2000年~2014年までの15年間で7,931人(減少率18%)減少している。2002年には過疎地域の適用を受けている。入院施設を有する上記病院には2015年(平成27年)4月時点で呼吸器内科・神経内科・循環器外科・循環器内科・麻酔科・耳鼻咽喉科の常勤医がおらず、旭川市への緊急患者搬送が必要となる場合もある。かつては天北線が運行していたが、1989年に廃止されている。※ほかに稚内市内と恵北・増幌地区、更喜苫内地区を結ぶ乗合タクシーも運行。※その他に運転代行業が3社ある。(稚内市緑球場・稚内東スケートリンクは2014年度をもって休廃止されている)※ 球場・球技場・テニスコートは11月中旬〜4月末までは冬季閉鎖される。すべての施設が市営(公営)である。主な産業が漁業であることから、特産品は主に海産物であるが、牛肉などの農産物もある。

出典:wikipedia

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