ピアノ協奏曲(ピアノきょうそうきょく)は、ピアノを独奏楽器とする協奏曲。バロック期を通じて、協奏曲は非常に重要なジャンルであった。そのため、当時の鍵盤楽器の代表格であったチェンバロのための協奏曲も多く作曲されることとなる。特にJ.S.バッハのものは有名である。これらのチェンバロ協奏曲は現在ではしばしばチェンバロでなくピアノで演奏されることがある。バロック期においてはまだハンマー式の鍵盤楽器(ピアノ)は発展途上にあり、独奏楽器としての使用には必ずしも耐えうるものではなかったが、やがて18世紀になるとかなり質のよいピアノが作られるようになり、作曲家達はこの楽器のための協奏曲も作曲するようになった。これはちょうど古典派の時代と一致し、主としてW.A.モーツァルトらの手によって、ピアノ協奏曲はさまざまな方面からそのあらゆる可能性が追求されることとなった。モーツァルトは27のピアノ協奏曲を作曲し、それを自分自身で演奏した。またこの時代の鍵盤楽器の名手達も自作自演用に多くのピアノ協奏曲を作曲している。その代表格として挙げられるのがベートーヴェンであり、全部で5曲のピアノ協奏曲を作曲している。とくに4番、5番は非常に優れている。また、それ以降の時代にも、ショパン、シューマン、リスト、ブラームス、ラフマニノフ、プロコフィエフといった大ピアニストが重要な作品を作曲している。そのほか、ややマイナーな部類に属するが、フンメルやフィールドらの作品も比較的知られている。ピアノの名手に限らず、いろいろな作曲家がこのジャンルにおいて作品を残している。そのなかでよく知られているものとしては、グリーグ、チャイコフスキーらの作品が有名である。また、演奏機会は少ないものの、メンデルスゾーンも極めて優れた作品を残している。これらの作品は現在は不朽の名作として扱われているが、19世紀においてはこのような作品は価値が低く見られていた。ロマン派のピアノ協奏曲は、とても退屈で、二流の陳列品だと批判された。しかしこれら作品は、ピアニスト達が作曲してヨーロッパやアメリカ各地で自ら演奏して歩いた「一時的な演奏効果」をねらったような作品とは異なり、音楽の「内容」を豊かに含んでいたため、とくに形式面において、「正統的な」作曲家達によって継承されていった。ピアノ協奏曲は20世紀においても重要なジャンルであり、21世紀になってからも作られている。20世紀以降のピアノ協奏曲としては、バルトーク、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィチ、バーバー、ティペット、ルトスワフスキ、リゲティ、ラウタヴァーラ、グラスらの作品が知られている。ピアニストから委嘱されることによってピアノ協奏曲が作曲されることもある。とくに有名なのがピアニストのウィトゲンシュタインの例である。ウィトゲンシュタインは第一次世界大戦で右手を失い、ピアニストとしての生命が途絶えそうになる危機が訪れたが、このときウィトゲンシュタインは知りうる限りの作曲家に声をかけ、左手のみで演奏できるピアノ曲の作曲を委嘱した。この委嘱により、ラヴェル、プロコフィエフ、コルンゴルト、リヒャルト・シュトラウス、フランツ・シュミット、ブリテン、ヒンデミットが左手のためのピアノ協奏曲を作曲した。またこれ以後も何人かの作曲家はこのスタイルによるピアノ協奏曲の作曲を試みるようになり、やがて「左手のためのピアノ協奏曲」はピアノ協奏曲のひとつのジャンルとして確立されるに至った。20世紀後半は必ずしも両者が協奏関係にあることを重視しないため「ピアノ協奏曲」とは明記せず、「ピアノとオーケストラのための作品」と断り書きを入れられることも増加した。この種の作品ではピアノがカデンツァを披露することが省略されたりする。複数の奏者による鍵盤楽器のための協奏曲としては、バロック時代にバッハによる2・3・4台のチェンバロのために書いた一連の協奏曲の例があるが、古典時代になるとモーツァルトらにより2台や3台のピアノによる協奏曲が作曲され、ロマン派の時代にはメンデルスゾーンらが作曲を試みた。カール・チェルニーは、4手連弾のための協奏曲を作曲しており、現在も演奏の機会がある。20世紀には、ヴォーン=ウィリアムズ、プーランク、ブリスなどが2台用の協奏曲を作曲している。古典的な19世紀のピアノ協奏曲は、協奏曲の形式にのっとって、3つの楽章から構成される。モーツァルトやベートーヴェンは、この形式にのっとって作曲している。一方、リストの循環形式のように、さまざまな形式の追求もなされている。(生年順)
出典:wikipedia
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