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屋敷伸之

屋敷 伸之(やしき のぶゆき、1972年1月18日 - )は、将棋棋士。五十嵐豊一九段門下。棋士番号は189。北海道札幌市出身。棋聖のタイトルの獲得者。最年少タイトル(18歳)の記録保持者。奨励会入りは中学2年の頃であったにもかかわらず、史上最年少タイトルの記録を樹立する。1983年、小学6年生で第8回小学生将棋名人戦に出場し、3位。1985年、中学2年生のとき第10回中学生名人戦で優勝し、同年、奨励会に入会。1988年10月1日に四段昇段してプロ入り(第3回三段リーグを14勝4敗の2位で通過)。奨励会6級から四段昇段までが3年足らずで、入会時の年齢が違うとはいえ、羽生善治、谷川浩司、村山聖より速い(しかも、彼ら3名がプロ入りした頃は三段リーグ制度がなかった)。第3回三段リーグでは1位の小倉久史と屋敷が三段リーグ1期抜けを果たしたが、第1回を除くと三段リーグ初挑戦者によるワンツーフィニッシュは2013年3月に至るまでこの時が唯一であり、三段リーグ1期抜けも両者のほかには第12回(1992年度後期)で川上猛、第24回(1998年度後期)で松尾歩、第53回(2013年度前期)で三枚堂達也、第59回(2016年度前期)で藤井聡太が達成しただけである。第55期(1989年度後期)棋聖戦の予選・本戦トーナメント(1989年4月11日 - 11月27日)で高橋道雄や当時竜王の島朗を破るなどして一番下から連戦連勝し、中原誠棋聖への挑戦権を得る(タイトル挑戦の最年少記録)。中原との五番勝負(1989年12月12日 - 1990年2月2日)は、フルセットの2勝3敗で惜敗。しかし、第56期(1990年度前期)の棋聖戦でも、本戦トーナメント(1990年3月27日 - 5月28日)を勝ち上がり、中原に2期連続挑戦。五番勝負(1990年6月18日 - 8月1日)では2連敗の後に3連勝して奪取。18歳6か月で初タイトルを獲得(タイトル獲得の最年少記録)。前年に羽生善治が作ったばかりの史上最年少タイトル獲得(竜王、19歳)の記録を1年足らずで塗り替えた。また、プロデビューから1年10か月での初タイトル獲得も、歴代最速である。第57期(1990年度後期)の棋聖戦五番勝負(1990年12月11日 - 1991年1月25日)は、森下卓の挑戦を3-1で退けて防衛(タイトル防衛の最年少記録)。しかし、続く第58期(1991年度前期)棋聖戦五番勝負(1991年6月18日 - 7月31日)で、南芳一に2-3で敗れる(タイトル失冠の最年少記録)。中原棋聖との初のタイトル戦(第55期棋聖戦)を戦っていた頃、順位戦デビューとなる第48期(1989年度)C級2組順位戦で9勝1敗・1位の成績を収め、C級1組に昇級。いわゆる‘1期抜け’である。しかし、タイトル経験者でありながらC級1組からB級2組へなかなか上がれず、「将棋界の七不思議」の一つとまで言われた。C級1組1年目の1990年度(第49期)にすぐ昇級のチャンスをつかむが、8戦目で森下卓との1敗同士での対決で敗れ、昇級を逃す。この時期に行なわれていた棋聖戦五番勝負(前述)もこの顔合わせで、屋敷はタイトル初防衛を果たしたものの、「この時は痛み分けでしたが、長い目で見ると、この代償は大きかったようです」とのちに語っている。ようやく2003年度(第62期)にB級2組への昇級を決めたが、14年間という長いトンネルであった。その間の順位戦の成績を通算すると100勝40敗であり、次点を4回記録している。特に2001年度(第60期)における畠山鎮との昇級争いでは、両者の勝敗数が2期連続同じであったため、2期前の僅か星1つの差が効いてしまった。同時期に、第39期(1989年度)と第40期(1990年度)王将戦では初めて王将リーグ入りし、第40期では初残留。また、第3期(1990年度)竜王戦5組で準優勝し、2期連続昇級で4組に昇級。さらに、第13回「オールスター勝ち抜き戦」で10連勝(5連勝以上は棋戦優勝扱い。1991年1月29日 - 5月13日)するなどの活躍をした。第7期(1994年度)竜王戦で3組準優勝(2組へ初昇級)。本戦トーナメントでは2勝を挙げる。全棋士参加の大型棋戦・第14回(1995 - 1996年)全日本プロトーナメントで優勝。準決勝では羽生善治に勝ち、決勝五番勝負(1996年4月3日 - 5月1日)では藤井猛を3-0のストレートで下した。第46回(1996年度)NHK杯戦で村山聖・佐藤康光・島朗らに勝ち決勝進出。森内俊之に敗れて準優勝。第68期(1997年度)棋聖戦において三浦弘行棋聖に挑戦し、3勝1敗で奪取。3度目の棋聖位に就く(次期の防衛戦(第69期・1998年度)では郷田真隆の挑戦を受け、0勝3敗で失冠)。これでタイトル通算3期となる。当時七段の屋敷は、あとは八段昇段すれば自動的に九段の資格を得られることとなった。そして、2002年5月13日、勝数規定(七段昇段後190勝)により、八段に昇段。順位戦B級2組を経験しないまま八段に昇段したのは史上初であった。自動的に翌々年度の2004年4月1日に九段に昇段した。第10期(1997年度)竜王戦で2組優勝(1組初昇級)。本戦トーナメントでは挑戦者決定三番勝負に進出するが、真田圭一に敗れる。第11期(1998年度)竜王戦は、1組3位で本戦出場し、ベスト4。第35回(2001年度)早指し将棋選手権で準優勝。第62期(2003年度)順位戦C級1組において9勝1敗の成績で1位となり、14年間のトンネルを抜け、ついにB級2組に昇級。第17期(2004年度)竜王戦において1組3位で本戦出場し、ベスト4。第66期(2007年度)順位戦B級2組において7勝3敗の成績ながら2位となりB級1組へ昇級。王位戦において、第39期(1998年度)から第46期(2005年度)にかけて王位リーグ8期連続在籍を記録。王位リーグは紅白の各組でそれぞれ6人ずつで争われ、4人が陥落し2人が残留するというシステムである。その間、6度の残留(各組2位以内)、4回の挑戦者決定戦への出場(各組内での優勝)をしており、第42期(2001年度)王位戦では羽生善治王位に挑戦した(0勝4敗で敗退)。2009年7月10日、順位戦B級1組行方尚史八段戦で史上41人目となる通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。第69期(2010年度)順位戦B級1組において松尾歩と戦った最終局(2011年3月11日)は、勝った方がA級初昇級という同星直接対決(7勝4敗同士)となった。その対局の最中、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。東京・将棋会館から外に一同が避難し、18時に対局再開となった。余震が続く中での戦いの結果、屋敷が勝って8勝4敗とし、初のA級昇級を決める。初タイトルから20年でのA級入りとなった。ちなみに松尾は、3期前のB級2組順位戦最終局で、屋敷のB級1組昇級をアシストしている(屋敷は最終局で負けたが、ライバルの土佐浩司が松尾に負けた)。2013年8月、第3回電王戦に出場が決まる。第72期(2013年度)順位戦A組にて最終局に敗れ3勝6敗の成績で陥落するも、翌年の第73期(2014年度)順位戦B級1組にて、最終局を待たずしてA級への即復帰を果たす。2014年4月12日、第3回将棋電王戦第5局において、初代電王ponanzaと対局し、130手で敗れた。昇段規定は、"将棋の段級" および"新進棋士奨励会" を参照。竜王戦と順位戦のクラスは、"将棋棋士の在籍クラス" を参照。

出典:wikipedia

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