水木 一郎(みずき いちろう、本名:早川 俊夫(はやかわ としお)、1948年1月7日 - )は、日本の男性歌手、作詞家、作曲家、声優、俳優、ナレーターである。東京都世田谷区出身。身長170cm。血液型はO型。イエローバード所属。アニメソング界の帝王と呼ばれるほか、アニキ(ANIKI)の愛称でも親しまれているが、「アニキ」とはNHKおかあさんといっしょ2代目うたのおにいさんをしていたことに由来する。自分の持ち歌を「ANIKING」ヴァージョンとして再録音することもある。また、「松本茂之」「山本一郎」「早川としお」「たつきよういちろう」「ミズキング」名義でも歌唱している。世田谷学園高等学校卒業。現在は神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮の近くに在住。実家がレコード店を経営していたため音楽環境には恵まれ、幼少期からジャズなどを聴いていた。特にアメリカの音楽には強い影響を受けていたという。だが本人は当初「どうせ日本人なんだから落語でもやるか」ということで落語家を目指し、学生時代には「落語会」を開いていた。ACB会館(当時新宿区歌舞伎町に存在した総合娯楽遊興施設。1960年代半ばから1970年代初頭の人気絶頂期にはジャズ喫茶のニューACBやゴーゴークラブなどを備えていた)で催されたコンクールでの優勝が本格デビューのきっかけとなる。その後、作曲家和田香苗の門下生となり、1968年に歌謡歌手として『君にささげる僕の歌』でレコードデビューするものの、売り上げが芳しくなかったことやマネージャーとの不仲も災いして一時歌手を退く。『徹子の部屋』に最初の出演をした際語ったところによると、同じレコード会社(日本コロムビア)の先輩歌手で万城目正門下(『万城目正歌謡音楽院』出身)の九条万里子と結婚することになったため、新人の水木が身を引いたという。その後、生活のためナイトクラブやキャバレーで歌い始める。1971年、堀江美都子の担当だった日本コロムビア・木村ディレクターの勧めでアニメ『原始少年リュウ』のオープニングテーマ『原始少年リュウが行く』を歌唱。以降、活動の中心をアニメソングへと移していく。水木は「最初の歌がつまらない歌だったら、以後アニメソングを歌うつもりはなかった」と述懐している。以降、『超人バロム・1』『変身忍者 嵐』『アストロガンガー』『マジンガーZ』(1972年)、『バビル2世』『ロボット刑事』(1973年)、『仮面ライダーX』『グレートマジンガー』『がんばれ!!ロボコン』(1974年)、『仮面ライダーストロンガー』『宇宙の騎士テッカマン』『鋼鉄ジーグ』『アクマイザー3』(1975年)、『超電磁ロボ コン・バトラーV』(1976年)など、アニメ・特撮作品の主題歌・挿入歌を数多く歌い、アニメソング歌手としての評価を確立。1970年代から1980年代にかけて、男性アニメシンガーとしてアニメや実写を問わず、ささきいさお(佐々木功)や子門真人・堀江美都子らと共に、ほとんどの主題歌・挿入歌を歌っていたといっても良いほどに人気が高かった(ただしささき・子門・堀江・水木の内、唯一水木のみミリオンセラーは出していない)。アニメソング歌手に転向してからの最初の4年間で、約150曲の子供向け番組のテーマ曲を発表し、そのレコード売上は平均約10万枚、累計約600万枚に達した。1973年発売の『マジンガーZ』の主題歌レコードは70万枚の大ヒット。1978年発売の『宇宙海賊キャプテンハーロック』主題歌レコードは当時アニメソングとしては驚異的な初回プレス15万枚。同曲では、アニメソングとしては異例の68人のシンフォニー編成をバックに吹き込んだ。これらの逸話から、「アニメソングの女王」こと堀江美都子と並び「アニメソングの帝王」と呼ばれるようになる。当時、アニメだけでなく、自身の歌手としての原点でもあるアメリカンポップスも披露した。後にそれを知った平尾昌晃からラジオ番組に呼ばれ、オールディーズを歌ったこともある。また、アニメ関係の仕事とは違うものの、1976年4月〜1979年3月にはNHKの子供番組『おかあさんといっしょ』でうたのおにいさん(2代目)を務めたこともある。1982年、自らが吹き込んだ主題歌レコードのトータルセールスが700万枚以上という記録を樹立し、『ギネスブック』に掲載された。1983年1月、前年リリースの「ロマンティックアゲイン」(コミック『エロイカより愛をこめて』イメージソング)でコロムビア「ゴールデンディスク賞」「ゴールデンLPテープ賞」を受賞。1986年4月〜1987年3月放送の特撮ヒーロー番組『時空戦士スピルバン』の主題歌を歌うとともに、主人公の父親「ベン博士」役で本編に出演。小堺一機、関根勤のラジオ番組『コサキン無理矢理100%』を発端として「雄叫び」系アニメソングが注目を浴び、初のベストアルバム『OTAKEBI参上! 吠える男 水木一郎ベスト』を1989年6月にリリース。「雄叫び」ブームはさらに広まることとなり1990年5月には『水木一郎OTAKEBI2』をリリース、このアルバムでは懐かしのアニメ・特撮主題歌だけでなく、新曲であるアニソン17曲メドレー「懐かしくってヒーロー〜I'll Never Forget You!〜」を収録、同年11月にはシングルカットもされている。1990年9月1日から1992年8月21日にかけて『水木一郎大全集』Vol.1〜5を発売するなど、数々の作品集を発表。以降、1992年に24曲メドレー「懐かしくってヒーローPartII〜We'll Be Together Forever!〜」、1994年に青春ドラマ主題歌メドレー「SEISHUN FOR YOU〜青春の詩〜」をリリース。アニメタルなどによって、1960年代後半から1980年代を中心とした往年のアニメソング(アニソン)が再注目され始めたことも追い風となり、1990年代に入ってから(正確な表現ではないものの)「21世紀にかつてのアニソンを歌い継ぐ」といったスローガンのもと、中核となって、堀江美都子、影山ヒロノブ、ささきいさおなどと共に、コンサートを開催し続け、かつてのロボットアニメやSFアニメの主題歌を中心に歌っている。さらなる飛躍のために1997年3月末日をもって日本コロムビアとの専属契約を解き、フリーとなる。まだ、フリー宣言後初のアルバム『スーパーロボット大戦ボーカルコレクション』(ファーストスマイルエンタテインメント)がオリコン23位を記録。同年8月には、アニメソングを21世紀に残すべく、水木を筆頭に日本のアニメソング界を担ってきたシンガーたちが赤坂BLITZに集結。一大ムーブメントを巻き起こした「スーパーロボット魂」ライブの幕開けとなった。以後、進化し続ける同ライブを牽引、アニメジェネレーションにおけるカリスマ的存在感を示す。1998年4月、文化放送のラジオ番組『ラジオ・スーパーロボット魂』放送開始。パーソナリティを務める。翌年、歌手生活30周年記念のベスト盤CD『兄尊』をリリース。タイトルは、「アニメソング」の略称「アニソン」と水木の愛称「アニキ(兄貴)」をかけたもの。同年3月18日放送のアニソン番組『快進撃TVうたえモン』では『人造人間キカイダー』が紹介された際にキカイダーの主題歌ではなく『ハカイダー』のテーマが流れ、紹介と同時に水木本人がハカイダーのテーマを熱唱した。同年8月30日から31日にかけて、『うたえモン』の企画として山梨県の河口湖ステラシアターにおいて「24時間1000曲ライブ」を敢行。終盤の生放送での変わらぬ声の響きに「本当に24時間歌い続けたのか」という電話が番組あてに殺到するという逸話を生んだ。しかし、その3日後の9月3日〜9月4日に出演するはずだったイベント『松本零士〜幻想軌道1999〜』で「キャプテンハーロック」を歌う予定だったが、ライブで声が枯れてしまったということで生出演出来ずに映像のみ出演という形になったことからこの24時間ライブがとても過酷だった事が窺える。2000年7月17日に影山ヒロノブ・遠藤正明・さかもとえいぞう・松本梨香と共に、アニソンユニット・JAM Projectを結成。2002年8月からは、自身の多忙なスケジュールにより参加が難しくなったことから「非常勤」を宣言している。2001年2月2日には「香港キャラクターショーケース2001」にてライブを実施。香港のファンからも絶大な「アニキコール」を受け、会場が一体となって日本語で大合唱する光景を目の当たりにする。ファッション誌、芸能誌などジャンルを問わず多くの媒体で記事が組まれ、現地での関心の深さを知ることとなる。同年10月にはテレビ朝日の番組『トゥナイト2』に出演。「我らがアニキ 水木一郎の魂!!」と題した大特集で、通常の2倍の視聴率をマークする。同月開始のNHKの少年ドラマ『料理少年Kタロー』では主題歌「熱くるしいぜ」を担当し、ゲスト出演時には劇中でも歌唱。同曲は、アニソンデビュー30周年記念アルバム『アニキ自身』と同時発売された。2002年3月にはテレビ朝日の番組『徹子の部屋』に2度目の出演。同月に水木バージョンで新録した中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!」が開幕よりナゴヤドームで流れる。同年6月にはナゴヤドームにて始球式を行い、スタンドの観客とともに「燃えドラ!」を大合唱。選手の名前を歌詞に織り込んだ「燃えよドラゴンズ!2002」は雄叫び入りでリリース。2003年3月には世界的カリスマDJ・のオファーを受け、「ぼくらのマジンガーZ(Black Version)」を新録。この曲を収録したビクターエンタテインメントからのアルバム『Cruising Attitude』が日本先行発売となる。2006年12月27日放送『笑っていいとも!年忘れ特大号』のものまね歌合戦で「デビルマンのうた」の替え歌を水木が番組用に新録し、さまぁ〜ずによる安倍晋三首相(三村マサカズ)とライス国務長官(大竹一樹)の真似で使用された。また、12月31日に放映された『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の罰ゲームスペシャル「笑ってはいけない警察24時」では、ガソリンスタンド店員の役で登場。事あるごとに「ゼーット!!」と絶叫し、出演者の爆笑を誘っていた。これを受けて2007年、2008年の同企画にも同様のキャラクターの役柄で出演した。また同番組の「芸能人を間近で観察できるナイトサファリパーク」という設定の企画で、ひたすら「ゼーット!!」と叫び続ける芸能人「アニキ」として出演したこともある。2007年には、初めて『みんなのうた』の楽曲とスーパー戦隊シリーズ(『獣拳戦隊ゲキレンジャー』)のED曲を歌った。また前年オリジナル特撮ビデオ『超忍者隊イナズマ!』の主題歌を担当(オリジナルサウンドトラックは7月18日発売)し、続編『超忍者隊イナズマ!!SPARK』でも「水木昇龍斎」役で出演して「超忍者隊イナズマ! お江戸MIX」を歌唱した。2010年、プロデューサー・塚田英明からのオファーを受けて『仮面ライダーW』23・24話へ顔出し出演し、久々に仮面ライダーシリーズに関わることとなった。また6月には中国にて行われている上海万博のジャパンウィークにて、中国でもよく知られているアニメソングを歌唱した。2011年7月6日、全国納豆協同組合連合会の公認ソング「ヒーローは Never ねば Give Up!」を発売。同日発売のももいろクローバーZのシングル「Z伝説 〜終わりなき革命〜」にも特別参加し、同9月2日開催の東映まんがまつりDVD発売記念イベントで共演した。7月10日、イオン石巻ショッピングセンターで開催された、東日本大震災復興支援イベント「がんばれ東北! Never ねば Give Up!!」で超神ネイガーと共演し、「ヒーローは Never ねば Give Up!」を歌った。8月24日、セルフカヴァー曲を中心に構成したアルバム「THE HERO 〜Mr.アニソン〜」を発売。タイトルは、福島第一原子力発電所事故などの後処理・修理・復興で働いている現実世界の「ヒーロー」たちにインスパイアされたという。8月27日、Animelo Summer Live 2011 -rainbow-にサプライズゲストとして参加。9月21日、『おかあさんといっしょ』などで歌った童謡を集めたアルバム「水木一郎 キッズ ソング・ベスト!」を発売。現在は歌手活動を続ける一方、「水木一郎ヴォーカルスクール」を主宰し、後進の育成に力を注いでいる。卒業生として貴日ワタリをはじめとする「ザ☆カインズ」メンバー、平山佳代子をはじめとする「アップルパイ」メンバー、『海賊戦隊ゴーカイジャー』主題歌の松原剛志、菊池志穂、小西寛子などがいる。教え子の松原剛志が「海賊戦隊ゴーカイジャー」の主題歌を歌うのが決まった際、水木は「やったな!」と喜んだという(水木自身も挿入歌の歌唱で参加している。)。ここでは1000曲を越える持ち歌の中から、特に代表的な楽曲、また比較的近年発表された楽曲を紹介する。ほか多数ほか、特番へのゲスト出演など多数ほか、TBSラジオ・文化放送・ニッポン放送など各局番組に出演CMソングに関しては前述の項目を参照。その他、以下に挙げるような多彩な活動を展開している。
出典:wikipedia
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