(アップル ツー)は、アップルが1977年に発表したパーソナルコンピュータ(ないしホームコンピュータ ())。当時の分類としてはマイクロコンピュータ)である。「Apple ][」と表記されることもあるが、これは実機の筐体蓋の金属プレートのロゴの形状を模したもの。世界で初めて、個人向けに完成品として大量生産・大量販売された、パーソナルコンピュータ(の直接の先祖と言えるコンピュータ)である。Apple Iの成功でそのようなコンピュータの潜在的な市場が存在することを確信したスティーブ・ジョブズらにより、専門の技術者ではない一般的な愛好家などでも使えるコンピュータとして製造された(アップルはApple IIを、他の当時のマイクロコンピュータと差別化すべく、ホームコンピュータ () として宣伝した)。名前こそApple Iの後継という形態だが、完全な完成品として出荷されたApple IIとは異なり、Apple Iは(当時の他のキットとは異なり、プリント基板上の部品こそ完全に実装されてはいたものの)購入者が組立てる必要があり、基本的には別種の商品ジャンルのものとされている。コンピュータの愛好家に受け入れられ、また多数のアプリケーションソフトウェアが開発されたため、よりホームユーザに支持されるようになり、教育現場などでも用いられ、米国ではホームコンピュータ()というジャンルは受け入れられ定着したものとなった。Apple IIの大成功は、フロッピーディスクドライブである (1978年7月発売)が極めて早い段階で非常に安価に提供された事がその要因の一つであり、普及におけるキラーアプリケーションとなった表計算ソフト「VisiCalc」(ビジカルク、1979年10月発売)もディスクベースで発売された。米国ではサラリーマンであっても確定申告が必須なため、会計事務所だけではなく一般のユーザにも受け入れられた。1980年頃の出荷ベースのおよそ7割が、この確定申告のためのVisiCalcが目的であったと言われている。販売台数は 1978年に7,600台、1979年に35,100台、1980年に78,100台、1981年には約18万、1982年に約30万台と毎年倍々に増加し、パーソナルコンピュータの普及に貢献すると共にアップルの礎を築いた。生産は1993年まで続き、総計500万台が生産された。 と同様、スティーブ・ウォズニアックがソフト・ハード共に、ほぼ独力で開発した。それまでのやIMSAIと異なり、キーボード、CPU、メモリ、画像出力装置、音声出力装置、外部記憶装置とのインタフェース、プログラム用言語などを単一のパッケージとして内蔵した「最初のオールインワンタイプのコンピュータ製品」であった。誰でも買ってきて電源スイッチを入れさえすればコンピュータとして使え、機械語等コンピュータ言語の知識も必要なかった。現在のパーソナルコンピュータの要素が初めて単一のパッケージとして集約された原型の一つと言って良いだろう。本体はキーボードと一体化した形状で、後にパーソナルコンピュータの標準的な形態となったキーボードと本体が分離しているセパレートタイプ(当時はデタッチャブルタイプと呼ばれた)ではない。この形状はオリベッティのポータブルタイプライターをイメージしたという。それまでの個人向けコンピュータでは、テレタイプ端末やビデオターミナルなどを使用してキャラクタ(文字)入出力を行うものが普通であり、標準的な構成でグラフィック表現力を持つ製品はほとんど存在しなかった。これらの環境でグラフィックを利用するには、高価なフレームバッファを別途に購入し、後付けで機能を追加できるケースもあったが、フレームバッファの製品が異なると互換性が無く、絶対数も乏しかったため、利用するには自分でプログラムコードを書くことを要求された。標準でグラフィック表示が可能な の登場は、当時のテレビゲームファンを惹き付け、また、ゲームI/Oという2つのA/Dコンバータを備えた入力端子が一系統、標準で実装されており、これを利用してゲームパドルやジョイスティックを簡単に接続できたこともあって、多くのゲームが 上で開発された(ゲームパドルと というブロック崩しゲームが標準添付品だった)。後にスタンダードモデルと呼ばれる初期型モデルはCPUは6502でクロックは1MHz、ROMは8キロバイト、インタプリタである (6K とも言われ、数値は整数型のみ扱える)、モニタプログラム、アセンブラ、16ビットCPUエミュレータ が内蔵され、 以外のモニタ部分のソースコードは公開されていた。マイクロソフト製の (10K とも言われ、数値は浮動小数点型も扱える)を搭載し、電源投入時にモニタプログラムではなくインタプリタが起動する、さらに日本向けにカタカナ表示を可能としたも発売された。後継機種のが登場しても、しばらくは3機種とも併売されていた。画像表示は次の3つのモードがある。グラフィックモードは、現在のグラフィック表示ボードのようにピクセルやバイト単位のプレーン、RGB順などに独立して実装されてはおらず、ビデオメモリの1ビットが画面上の1ピクセルに対応する。基本的には1ピクセル=1ビットの情報量しか持たないが、ビデオメモリ1バイト中の7ビットをピクセルとして使用し、最上位ビットは色セットの指定に使われた。色指定は、最上位ビットと画面上の隣り合ったピクセルのオン・オフの組み合わせで行なう。隣り合ったビットを同時にオンにすると白、同時にOFFにすると黒となり、どちらかだけをオンにするとビットの位置に応じた特定の色が表示される。また、ビデオメモリの実装アドレスは連続しておらず、1ラスタごとに先頭アドレスは二進数の桁上がりで切りの良いアドレスに配置され、飛び石状に配置されている。これは、CRTCの実装を容易なものとした際の副作用である(手抜きとも言える)が、二進数で演算を行うCPUがビデオメモリ上の参照アドレスを演算する際にも(二進数で)切りの良い数字で桁合わせが可能となる(桁合わせの際に、数ステートの命令を省略できうる)というメリットを生じた。●オン○オフ低解像度グラフィック、高解像度グラフィックにおいては、画面の下4行のみをテキストモードとして表示することもできた(その分、グラフィックの表示領域は狭くなる)。このモードを効果的に活用して一世を風靡したのが、『ミステリーハウス』を嚆矢とするグラフィックアドベンチャーゲームである。本体後方にエッジ・コネクタを備えた8個のスロットが設けられており、そこに拡張カードを挿入することにより、様々な周辺機器と接続することができた。フロッピーディスク用やプリンタ用など、各種の拡張インタフェースカードがアップルから発売された。各スロットには専用のI/O空間とプログラム領域が割り当てられており、カードを挿すことでカード上に持っているデバイスドライバがアドオンされ、即使用可能となる作りになっていた。8つある拡張スロットは0番と7番が特殊な仕様になっており、スロット0番は内蔵のROMエリアと切り替えができ、内蔵のインタプリタと切り替えて別の言語を使用したり、RAMに置き換えて64KBのメモリエリアを全てRAMにする場合に使用された。スロット7番はカラーリファレンスと同期信号が出力されており、標準のNTSCビデオ出力ではなくPALやRGBで映像信号を取り出す際に使用された。スロット1 - 6番は特別な仕様の違いはないが、本体起動時にオートスタートROMがスロット7から降順でFDDのコントローラカードを探しにいく仕様のため、最初のFDDコントローラカードは(7番をリザーブして)スロット6番に挿すのが半固定となっていた。また厳密な決まりではないが1番スロットはパラレルI/F、2番スロットはシリアルI/F、3番スロットはコンソール出力に使うのが暗黙のルールになっており、Apple IIeではメモリを増設してPR#3と入力することで80桁表示に切り替えることができた。に続いて他社から発売されたパーソナルコンピュータの一部には、このような拡張インタフェースを持たないものや、内部をユーザには公開していないものもあったが、では回路図が公開されていたため、ユーザが拡張インタフェースカードを自作することが可能で、様々な拡張インタフェースカードが作られた。サードパーティーからも多種のカードが販売された。中には本体のCPUをバイパスし、拡張カード上の他のCPU(Z80や6809、8088やMC68008)を動作させるものなどもあった。他の機械装置と手軽に接続できるこの拡張性の高さと柔軟性が、 にさらに多くのホビイストをひきつけた。以下は、のカタログに記載されているオプション群である。表記はカタログ記載に準じた。ユーザに支持されたは、、、などの後継機種を生み出すにいたったが、アップルは必ずしもこれを好ましく思わず、後にビジネス向けに開発されるに尽力するようになるが、は失敗し、3億ドルの損失が出たと言われる。といえば、本体とキーボードが一体化した姿が代表的であるが、は本体とキーボードが分離しており、また見た目も シリーズよりはシリーズに似ている。以降ののキーボードには、アップルマークが表示されたアップルキーという修飾キーがある。また、マッキントッシュ用のキーボードにはコマンドキーという修飾キーがある。このコマンドキーは「」「」のような文字表示はなく、アップルマークと四葉のクローバー似のコマンドマークが並んでいる珍しい表示になっている(初代の はアップルマークが無くコマンドマークのみ)。このようになった理由は、以下のようなものである。マッキントッシュの第2世代に位置づけられる「」および「」では、キーボードが (ADB) で接続できるよう仕様変更された。これに先立ち、におけるキーボードの接続にもADBが採用されていたため、マッキントッシュとで共通のキーボードが利用できるようになった。そこで、使用時にはアップルキー、マッキントッシュ使用時にはコマンドキーとして両ユーザが判別できるよう、2つのマークが併記されることになったのである。この当時、マッキントッシュではキーボードが本体に付属しておらず、別途16,000円ほどのを購入する必要があったが、マッキントッシュユーザの間ではに付属するキーボードの評判が高く、中古のキーボードを買い求める人が少なくなかった。中古市場においては、用キーボードが欠品する現象も発生した。後にが登場した際、専用のキーボードはという廉価な製品に置き換えられたが、この時もキーボードにこだわりを持つユーザ層は、前モデルのや付属キーボードを探し歩くこととなった。マッキントッシュユーザの間では、コマンドキーのことを「アップルキー」と呼ぶことも多い。しかし、アップルキーとはあくまでの修飾キーの名称であり、マッキントッシュの修飾キーを指す名称ではない。なお、2つのマークを並べる表示は、近年のマッキントッシュシリーズのキーボードにも伝統的に継続されていた。しかし、2007年8月に販売開始されたにおいて、ついにアップルマークの表示が廃止されることになった。コマンドマークと「」の併記となった変更は、からの経緯を知る一部の古参ユーザの間で物議をかもした。は多数の互換機(クローン)も出現したが、大半は知的財産権的に問題があり消滅した。しかし当時もクリーンルーム設計で問題を回避したのような機種もあった。同機は日本の秋葉原でも見られた。
出典:wikipedia
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