旭川電気軌道(あさひかわでんききどう)は、北海道旭川市を中心に路線バス、貸切バスを運行しているバス会社。かつては軌道事業を主軸とし、東川線(旭川四条 - 東川間)および東旭川線(旭川追分 - 東旭川間)を運行していたが、1973年1月1日に廃止された(最終運行日は前日)。2016年4月17日現在2012年(平成24年)11月1日より、独自のIC乗車カードである「Asaca CARD(アサカカード)」を導入している。1991年(平成3年)4月1日には日本初のクレジットカードを使用するバスカードシステムを導入したが、2012年3月に終了している。システムは旭川電気軌道、株式会社コンピューター・ビジネス、日立製作所が共同開発し、日専連旭川発行のクレジットカード所持者および指定人に対して専用の「シャトルカード」を発行するほか、同社発行のクレジットカードそのままでの利用も可能であった。普通運賃の支払いに加え、回数乗車券登録や定期乗車券登録も可能であった。66 旭岳線いで湯号、77 旭川空港線は利用できなかった。貸切バス車両は2010年(平成22年)9月現在で15台登録されており、事業は旭川運輸支局管内での発着が認められている。三菱ふそうトラック・バス、日野自動車、UDトラックス(旧:日産ディーゼル)、いすゞ自動車の4社の車両を購入している。古くから全長11m級の長尺車が多い。1963年(昭和38年)から1978年(昭和53年)までは全長12m・前輪2軸・定員110名という長大車である三菱ふそうMR430型(呉羽車体)が在籍していたが、これは日本では他に名古屋鉄道バス・国鉄バスにしか導入されていなかった希少な車両で、呉羽車体で導入したのは同社だけである。1987年(昭和62年)から北海道内の路線バスでは初めて新車で冷房車の導入を開始、1990年代に入ると、神奈川中央交通より100台以上の中古路線車を導入した。これにより同社の保有する車両の7割が冷房車となり、北海道内の乗合事業者随一の冷房化率となった(現在は保有する車両全てが冷房車)。また、1997年(平成9年)3月には三菱エアロスターノーステップを10台導入したが、これは日本製ノンステップバスの最初期の導入であり、当初からまとまった台数を導入した上、しかも日本の積雪地では初めての導入ということで、バス雑誌では話題となった。以後も積極的にノンステップバスの導入を進めており、2011年(平成23年)3月31日現在では全路線バス車両175台のうちノンステップバスは81台、導入比率は道内では最高となる46.29 %となっている。1999年(平成11年)10月には東京空港交通よりつくば万博のシャトルバスでも使用されたボルボ製連節バスを3台購入し、需要の伸びる冬期間を中心に2004年(平成16年)まで学生対策路線に運用していた。1968年(昭和43年)に旭川市にスーパーマーケットを開店したのが始まりである>。子会社として運営した後、1997年(平成9年)に運営していた子会社の「(初代)旭友ストアー」と合併して直営事業化した。2008年(平成20年)3月期には18店舗で売上高約115億円となって赤字転落したため、2008年(平成20年)に「(2代目)旭友ストアー」を設立して再び子会社化し、店舗網の再編を進めて14店舗に縮小したものの、2010年(平成22年)3月期も約1.2億円の経常赤字に陥ることが見込まれたことから、当社を清算して2010年(平成22年)にスーパーマーケット事業から撤退することになった。2008年(平成20年)2月にスーパーマーケット「旭友ストアー函館エフロード店」の開店準備工事の監督業務の担当者として採用した一級建築士の正社員に対して、8ヵ月で閉店・撤退に至ったのは「改修担当者が金をかけ過ぎたのが失敗の理由」として「業務指示に対する違反」や「組織統制を乱した」などを理由に解雇通知を行い、同年08年12月以降の給与や賞与支払いを行わなかった。そのため、解雇通知をされた社員が弁護士を立てない本人訴訟の形で「労働契約上の権利を有すること」や「08年12月以降の給与や賞与支払い」などを求める訴訟を起し、2013年(平成25年)に最高裁判所で当社の全面的な敗訴が確定した。
出典:wikipedia
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