笠岡市(かさおかし)は、岡山県南西部に位置する市。瀬戸内海沿岸にある港町と、大小31の島々からなる笠岡諸島を含む井笠地方の中核都市である。市域は旧備中国に含まれ、中世には源平合戦にも参加した陶山氏が本拠を置いた。また村上水軍の支配地で、現在のほとんどの市域は江戸時代初期は備後福山藩領、江戸時代中・後期は幕府代官所が置かれた幕府直轄地であった。現在は広島県福山市に隣接し、生活圏としては福山都市圏の一部である。市の南部は瀬戸内海に面し、笠岡湾が入り込んでいる。沿岸部はカブトガニ繁殖地として国の天然記念物に指定されており、生息地の保全などを通して保護に力を入れている。また、神島(こうのしま)より南に笠岡諸島があり、六島は岡山県最南端である。市域には丘陵地が多く平坦な土地が少ないため、平地を確保するために古くは江戸時代より備後福山藩によって吉浜地区など大規模な干拓が行われる。戦後、市の南東部(富岡湾干拓)や南西部(笠岡湾干拓)も行われ、特に笠岡湾干拓地は国営事業で笠岡諸島の一番本土寄りであった神島までの笠岡湾を大規模に干拓し、1966年に始まり1989年に完成した。笠岡十名山は笠岡十名山探求会(現・笠岡十名山のぼろう会)が1999年(平成11年)に標高、山の歴史、山頂からの眺望、登山道の有無等を基準として選定した山である。名称には「十名山」と冠するが、実際には14つの山が選ばれている。笠岡市の人口減少は毎年、、国内における消滅可能性都市に選ばれている。その為、人口減少への歯止めとなる対応策が急がれ、働く世代向けの企業誘致や若い世代の定住促進を目標に進めている。笠岡は天然の良質な港町を持ち、中世より中国地方山間部への街道も整い、(特に現在の庄原市東城町・高梁市川上町・成羽町)との物流で大いに栄えた。戦国時代には陶山氏や村上水軍の所領となった。1963年(昭和38年)ごろ笠岡市に編入されていた城見村の旧茂平村(1889年他2村と共に城見村設立)が笠岡市(岡山県)より分離、福山市(広島県)との越県合併を模索した騒動。旧茂平村地区は、当時より、地理的(地区が隣接する)、社会的(多くの住民の親戚等が福山市に居住および福山市出身の住民が多い)により福山市との結びつきが特に強い地域であった。そのため、以前より幾度かの合併案はあった。また当時は笠岡湾干拓地の完成前であり、当地区から陸路で笠岡市中心部へアクセスするためには内陸部を経由する大回りルートを取る必要があった。1961年日本鋼管(現:JFEスチール)の世界最大規模の新工場が茂平村地区、広島県深安郡深安町、福山市沖へ進出することが決定。それに伴い1962年深安郡深安町が福山市と合併、茂平村地区が福山市と隣接するようになる。当時、福山市は経済面、人口面の規模が拡大、松永市との合併による大規模な市の誕生も見込まれていた。更に1963年岡山県和気郡日生町福浦が強い住民運動の末兵庫県赤穂市と合併、編入。このような状況に刺激をうけた住民が1962年ごろより大規模な合併運動を開始。当時広島県議会議員中川弘(のち福山市長に就任)賛同のもと、福山市議会議員数人の賛同も得た。また、城見村内で旧茂平村地区とと同じ境遇の旧用之江村地区も福山市との合併に賛同し共同で運動を始めた。そして1963年旧茂平村地区、旧用之江村地区合名で福山市に合併嘆願書を提出した。福山市に合併嘆願書が提出されると、岡山県議会、笠岡市議会からの反対運動が起こる。また、翌年(1964年)岡山県知事に地元出身の加藤武徳が就任すると、知事も合併運動に反対し、騒動は終結する。上水道は倉敷市を流れる高梁川から導水・浄化し、市内に配水している。2015年3月末時点における市内の下水道普及率は56.2パーセント、そのうち接続率は87.8パーセントとなっている。笠岡運動公園岡山県西部総合運動公園その他施設南西部の茂平(もびら)地区に産業団地があり、工業・流通関係企業集積が進む。またその南側埋め立て地にはJFEスチール西日本製鉄所福山地区の工場が立地する。市内の島嶼部で最大の面積をもつ北木島では採石が盛んであった。産出された石は靖国神社や大阪城で使われた。また、真鍋島では花卉の栽培が盛んで、かつては除虫菊が主要栽培品目となっていた。市域の大半が丘陵地にあるため、比較的出力の小さい中継局が多数設置されている。ここでは、受信可能世帯数が最も多い笠岡中継局(塚の丸山山頂、各局とも垂直偏波)のチャンネルを記した。※一部の地域で受信可能笠岡市は西に隣接する広島県福山市を中心とする備後都市圏に含まれ、都市雇用圏の定義では福山市の10%通勤圏にあたるなど深い交流関係を持つ。両市は消防救急(消防車、救急車の相互出動など)や図書館(笠岡市立図書館と福山市図書館との間の相互貸し出し協定)などで連携している。また、笠岡市茂平地区は福山市立野々浜小学校の通学区域に含まれており、同地区の児童は越県通学している。なお、上記以外に笠岡市と井原市、矢掛町、福山市神辺町とを結ぶ井笠鉄道の私鉄路線が1913年(大正2年)から1971年(昭和46年)まで存在した。笠岡諸島を、笠岡港(三洋汽船乗り場)から客船・高速船で結んでいる。※ 上記以外にも、国道2号沿いには有名飲食店や電気・衣料品店、自動車販売店など、新規出店を含め多く出店している。また、笠岡駅前周辺は旅館や居酒屋・スナック等が集中している。
出典:wikipedia
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