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一畑電車北松江線

北松江線(きたまつえせん)は、島根県出雲市の電鉄出雲市駅から島根県松江市の松江しんじ湖温泉駅に至る一畑電車の鉄道路線。路線名は、松江しんじ湖温泉駅がかつて北松江駅と称していたことによる。一畑薬師への参拝客の輸送を目的として建設された路線で、それまで陸路を辿るか、船で小境灘(現在の一畑口駅付近の地名)へ渡るしかなかった一畑薬師への参拝を大幅に改善した。戦前には一畑口駅から薬師のふもとにあった一畑駅まで線路が延び、名実共に一畑薬師への参拝路線となっていたが、この区間は太平洋戦争末期に不要不急路線として休止になり、レールは名古屋鉄道に供出された。この区間は戦後復活しなかったが、平地にもかかわらずスイッチバック式という一畑口駅の不自然な配線がその跡をよく留めている。現在では一畑口駅でバスに連絡して参拝客の足を確保している。松江方面への延伸を機に全線が電化されたが、電化に前後して導入されたデハ1形やデハニ50形はその後長きに渡って使用され、これに他社線から譲渡された車両が加わって多数の旧型車が見られた。しかし1993年の欠損補助制度が実質的に打ち切られるにあたり、一畑電気鉄道(現在の一畑電車)は近代化補助制度を活用して存続を図ることとなり、その結果として南海や京王の払い下げ車両が大量に入線し、旧型車の本格的な淘汰が始まった。1997年には北松江線の車両近代化が完了し、イベント用として最後まで残っていたデハニ50形52号・53号も2009年に運転を終了した。おおむね1時間あたり1 - 2本ほど運転されていて、大半の列車が大社線の列車に接続するようにダイヤが構成されている。平日朝の特急「スーパーライナー」のみ4両編成で車掌が乗務するが、その他の列車はすべてワンマン運転である。北松江線は、電気技師才賀藤吉が出雲今市駅(現・出雲市駅)と一畑薬師とを結ぶ軽便鉄道路線を計画したのが始まりで、当初は出雲今市駅と出雲大社とを結ぶ路線を計画していたものが、国鉄も同区間に路線(後の大社線)を敷設することを計画していたために目的地を変更したものである。1912年6月には才賀商会と一畑薬師が中心となって一畑軽便鉄道が設立された。ただし、才賀商会は程なくして倒産してしまっている。当初は762mm軌間の路線を予定していたが、院線(国鉄線)との連絡を考慮し、1,067mm軌間での建設に改められた。また用地買収を進める段階で平田市の市街地の南を通すか北を通すかで意見が分かれ、結局前者が採用された。こうして雲州平田駅までの部分開業を経て、1915年に一畑駅までの非電化路線が開業し、小境灘駅(現・一畑口駅)で松江行の汽船と連絡を図った。1923年には、小境灘駅から松江方面に分岐する路線と、川跡駅から大社方面に分岐する路線の新設が決議される。当初はこの延伸区間も非電化路線とする予定であったが、新規開業路線は電化された鉄道が主流となりつつあった当時の時勢を考慮して、全線の電化を決定。社名も一畑電気鉄道と改められた(現在一畑電気鉄道は一畑グループを総括する持株会社の名称となっている)。松江方面の開業に先駆けて1927年10月に既存路線が電化され、松江方面も難工事の末、翌年4月に開業、現在の北松江線の原型が形作られた。1944年には、前述の通り小境灘駅 - 一畑駅間が不要不急線として休止され、1960年に廃止された。1966年にはCTCが導入された。しかし、この前後から乗客は減少傾向を見せ始め、この年以降毎年赤字を繰り返すようになった。1972年には全線廃止の意向を明らかにしたが、地元の反対で今日まで営業努力が継続されている。全駅島根県に所在。一畑口駅 - 一畑駅

出典:wikipedia

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