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塩狩峠

塩狩峠(しおかりとうげ)とは、北海道上川郡比布町(旧石狩国)と上川郡和寒町(旧天塩国)の境にある峠。天塩川水系と石狩川水系の分水界である。1898年(明治31年)、国道40号の前身となる仮定県道天塩線が開通。当初は悪路であったが、1973年(昭和48年)に改良改修。1991年(平成3年)には現ルートが完成し、勾配やカーブが緩やかな峠になった。鉄道は、1899年(明治32年)に宗谷本線の前身となる北海道官設鉄道天塩線(蘭留 -和寒間)が県道と並行して開通した。高速道路は、2000年(平成12年)に道央自動車道(旭川鷹栖 - 和寒間)が開通。峠付近は大規模な切通しになっている。1909年(明治42年)2月28日、塩狩峠に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかける事故がおこった。その車両に乗り合わせていた鉄道院(国鉄の前身)職員の長野政雄(ながの まさお)が、暴走する客車の前に身を挺して暴走を食い止めた。下敷きとなった長野は殉職したが、これにより乗客の命が救われた。三浦綾子の小説『塩狩峠』はこの事故の顛末を主題としたものである。類似した事故が、1947年(昭和22年)9月1日に長崎県旧時津村(現・西彼杵郡時津町)の打坂峠で起こっている。峠頂上付近の塩狩駅近くには長野政雄の顕彰碑が建立され、三浦の旧宅を復元した塩狩峠記念館がある。また、約1,600本のエゾヤマ桜(オオヤマザクラ)があり、桜の名所となっている。2013年(平成25年)に塩狩ヒュッテユースホステルが開館した。

出典:wikipedia

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