自由貿易(じゆうぼうえき、free trade)は、関税など国家の介入、干渉を排して生産者や商人が自由に行う貿易のこと。19世紀に重商主義に基づく保護貿易に対して、イギリスのアダム・スミス、デヴィッド・リカード、フランスのフランソワ・ケネーらによって唱えられた。現在はWTO(世界貿易機関)が、諸国間の取引のルールを定め、より自由貿易に近い状態が実現されるよう努めている。個々の市場で完全競争原理が働いた場合、生産者と消費者は、市場価格による生産・消費によって最大の利益を享受できる。このような完全競争原理を国際的に適用させようとするものが自由貿易の理論である。自由貿易の利益は、国際分業(比較優位への特化)によって図られるが、関税などの貿易障壁が高すぎると、貿易の利益は損なわれ利益ある国際分業が起きなくなる。このため、関税などを撤廃する事で、貿易取引を自由に行い経済的な利益を増大させる事が出来ると考えられている。自由貿易の利益は、一方からの所得移転ではなく、経済全体の所得増大によって実現されるため、貿易に関係する両国が利益を得る事が出来る。自由貿易を行っていけば、どの国においても必ず衰退する産業は出てくる。自由貿易では、産業構造調整が生じるが、その調整は簡単でもスムーズでもなく、様々な社会的軋轢を伴い、困難な過程があるのが常である。このとき特定の比較劣位の産業は厳しい競争にさらされ衰退する場合があるため、自由貿易への反対は根強い。なお、。例を挙げると日本が自由貿易を行なった場合、比較優位な工業へ資源が集中し、比較劣位な農業が衰退する。日本の農業は他国の農業と競争しているのではなく、国内の工業と競争しているのである。自由貿易に対する批判については、市場の失敗や底辺への競争、反グローバリゼーションも参照。"上記に対する保護貿易論者の主張については、保護貿易#保護主義の主張を参照。"現在は、歴史的に見ても世界規模で自由貿易が実現されている状態といえるが、自由貿易はさまざまな歴史を経てきている。19世紀前半、国際分業において工業分野で圧倒的優位を誇ったイギリスは、世界的な自由貿易体制確立に腐心していた。生み出す利益が自国をより優位にすると考えられたためである。もともと自由貿易は、産業資本家の要請を受けて展開された。19世紀初頭のイギリスでは穀物法や航海法によって国内市場を保護するとともに、貿易による利益が一部の特許会社に独占されていたが、これに対して産業資本家から批判の声が上がった。直接的な理由としては国内産小麦を保護することによって、パンの価格が高くなっている、というものであった。スミスやリカードら経済学者や、リチャード・コブデン、ジョン・ブライトなどのマンチェスター学派によって唱えられたこの主張は国内に広く支持され、国内市場を保護しないという方針は19世紀イギリスの基本政策となった。一方で貿易相手側の自由貿易、つまり相手国に市場を保護させないという点については、ドイツ関税同盟の例があるように徹底することは難しかった。非ヨーロッパ地域では清朝に対するアヘン戦争、アロー戦争のように、自由貿易を強制することも可能であったが、ドイツやアメリカに対して武力で自由貿易を強制することは不可能であった。これに対し、イギリス産業界からは保護関税の導入を求める声が上がったが、導入には至らず、イギリスは結局、ブロック経済まで一方的に自由貿易を展開することになる。イギリス以外の中核国では、イギリスに対抗し自国産業を育成するために保護関税が導入され、早くに自由貿易は衰退している。同じく19世紀前半、ドイツにおいては、自由貿易を行わず自国産業を保護すべきだとしてドイツ関税同盟が結ばれた。これは、同盟域内の関税障壁を撤廃し自国産業に優位性を与えるものであるが、域内においては自由貿易が実現されることになる。この自由貿易の利益は、後にドイツが経済的成功を収める基盤の一つになっている。1930年代、世界恐慌の猛威にさらされた自由貿易圏諸国(欧州、米国、日本など列強とその植民地)は、自国経済圏における需要が貿易によって漏出し、他国経済圏へ流れるのを防ぐため、関税などの貿易障壁を張り巡らした。これはブロック経済と呼ばれる。自由貿易の途絶により、各国の経済回復の足並みがずれて、経済的な不利益が多大に生じた。20世紀後半、西ヨーロッパでは、諸国同士が経済圏の拡大による利益と安全保障を求めて、貿易障壁撤廃を開始。周辺の英、仏、西独を巻き込んで自由貿易圏を拡大した。これが現在の欧州連合となった。アダム・スミス、デヴィッド・リカード、ジョン・スチュアート・ミルなどの古典派経済学者たちは、重商主義批判、自由貿易擁護に多くの労力を費やしており、そこから出てきた自由貿易論が、現代の経済学の市場論の基礎となっている。その自由貿易論の基礎に当たるものが、リカードによって確立されたの「比較優位」の考え方である。経済学者のチャールズ・キンドルバーガーは「自由貿易は利益となる」という経済学の命題を押し通す一方で、「自由貿易がその国によって利益となるかは状況に依存する」と指摘している。ジョン・メイナード・ケインズは、自由貿易は長期的に各国の利益を増進させ、国際的相互依存の高まりによって世界の平和に貢献するという学説に反論している。ケインズは、自由貿易の下での輸出の拡大・海外権益の確保が、帝国主義の動きを強め国家の対立を激化させているとしている。経済学者の西川潤は「19世紀以来、自由貿易は『強者の自由主義』として、先進国が発展途上国の門戸を開放させ、市場を抑える手段として用いられてきた」と指摘している。経済学者のジョセフ・E・スティグリッツはは「貿易自由化は、経済成長を促すかもしれないが、同時に失業を生み、短期的には貧困の拡大をもたらす」「金利高騰がともなう貿易自由化は、雇用破壊・失業創出につながるだけでなく、貧困層に犠牲を強いる」と指摘している。スティグリッツ「貿易自由化は、失業率を高めるだけという例が多かった。貿易自由化に強い反対が起きるのは、自由化を推進させる際に見られた欺瞞にある。欧米は自国が輸出する製品に関しては貿易の自由化を進めた一方で、発展途上国の競合する製品に関しては保護政策をとり続けた」と指摘している。経済学者の宇沢弘文は「自由貿易の命題は、新古典派経済理論の最も基本的な命題である。しかし社会的共通資本を全面的に否定した上で、現実には決して存在し得ない制度的、理論的諸条件を前提としている。生産手段の完全な私有制、生産要素の可塑性、生産活動の瞬時性、全ての人間的営為に関わる外部性の不存在などである。この非現実的、反社会的、非倫理的な理論命題が、世界の経済学の歴史を通じて何度も現われ、時には自然、社会、経済、文化という社会的共通資本を広範に亘って破壊し、壊滅的な帰結をもたらしてきた。ジョーン・ロビンソンが言ったように、自由貿易の命題は支配的な帝国にとって好都合な考え方である」と指摘している。中野剛志はイデオロギーは都合良く巧妙に操作されるとし、自由貿易が良いという理論をイデオロギーとして流布する帝国があり、それは19世紀であればイギリス、20世紀の戦後であればアメリカであったとしている。アメリカは保護主義的な政策で成長したにもかかわらず、戦後に圧倒的な影響力を持ったとたんに、自国の製品を世界で売る必要から、各国の関税が邪魔になり、自由貿易のイデオロギーを強力に推進するようになり、これは19世紀のイギリスの理屈も同じであるとしている。フリードリッヒ・リストは自由貿易はイギリスのナショナリズムだと見抜いていたとしている。また、同様の趣旨を福沢諭吉が『通俗国権論』や『時事小言』の中で言っており、ドグマにとらわれない「実学」を強調しているとしている。中野は貿易政策において「戦略」は必要であるが、重商主義は間違っているとしている。貿易する財の性質や市場の構造により、両国の力関係は異なるため、貿易により一方の国がモノを売ることで利益を稼ぎ、他方の国がそれを買うことで消費という恩恵にあずかることは、両国が常に同じような利益を得るということではないため、自由貿易は必ずしも互恵的ではないとしている。経済学者のポール・クルーグマンは「(アメリカでは)自由貿易は、政治的に粗雑な経済ナショナリズムに対抗するための重石として重要とされている」と指摘している。経済学者の中谷巌は「強大な国が弱小な国に貿易を強要することはありえる。例えば植民地時代、植民地は宗主国に不利な条件で取引を強要され、搾取された。しかし、これは自由貿易ではない。自由貿易はあくまで貿易に従事する人々の自律性がなければ成り立たない」と指摘している。経済学者のスティーヴン・ランズバーグは国際貿易ゲームは、という2つの貴重な教訓を与えてくれるとしている。またランズバーグは「販売することは苦痛を伴う必要な作業であり、購入することこそ価値がある」と指摘している。経済学者の原田泰は「自由な貿易が、総体として国家に利益を与えるのは自明である。しかし、自由な貿易がすべての人に利益をもたらす訳でもないことは事実である。自由貿易の恩恵が産業ごと、人間ごとに異なるのは事実である。また、国は人であり国土である。特定の人や産業の既得権益を守らなくても、国を守るのは当然である」と指摘している。中谷巌は「自由貿易が拡大していった背景には、貿易に参加した人々の生活が、貿易前の状態と比較して格段に豊かになったためである。貿易によって以前より生活水準が下がるのなら誰も貿易取引に応じないはずである」と指摘している。経済学者の高橋洋一は「経済学で貿易自由化の効用に反論することはできない。世界各国相互に利益があり、全体としてGDPは必ず増加する。全体に膨らんだパイを、痛みを補うために使えばいい」と指摘している。「GDPを増やすには、国内でモノ・サービスをつくることが大切である」という議論に対して、経済学者の岩田規久男は「そういった主張が正しいのなら、貿易・直接投資を一切排除した鎖国こそ最も豊かになれるということになる。戦後の日本が高度経済成長を経て、世界の富裕国となれたのは、自由な貿易があったからである。要するに『貿易の利益』『国際分業の利益』の原理が理解できていないということである」と指摘している。中谷巌は「選択の自由がなく1種類の製品しか選択できない生活は悲惨である。自由貿易は、同じ種類の製品の中から選択肢を拡大させてくれる」と指摘している。経済学者のミルトン・フリードマンは、日本の明治時代、関税自主権がなかったことで低関税となり自由貿易が促進されたが、そのことが日本の経済成長を発展させたと評価している。経済学者の若田部昌澄は「自由貿易と経済成長との相関については最も批判的な研究でも、マイナスを示したものは無い。自由貿易が利益をもたらすことの最大の歴史的証拠は日本であり、ペリー来航で鎖国を解いた日本には、GDP比で5-9%の利益があった」「開国という大転換の後に始まった交易で得られた利益は、当時の推計GDPの15%ほどに達したといわれている。これは関税自主権がなかった完全自由貿易で、世界的でもまれな実験であった。その結果、GDPを見る限りはプラスとなった」と指摘している。また「自由貿易のメリットがデフレーションのときには十分得られない」と指摘している。中谷巌は「自由貿易が各国間の分業を促した結果、国内の所得配分に悪影響を与えるということがある」と指摘している。中谷は「貿易自由化を促進させる上で大事なのは、自由化によって損失をこうむった人々に相応の所得補填をするといった政策を行うことである」と指摘している。スティグリッツは「たとえ真に自由・公正な貿易協定が導入されたとしても、すべての国が利益を享受することはないだろうし、利益を享受した国についても、すべての国民が利益を享受することはないだろう。たとえ貿易障壁が取り除かれても、すべての人が新たな機会を利用できるとは限らない。貿易自由化の理論が保証するのは、総体として国が恩恵を受けるという点だけである。理論は敗者の出現も予測している。原理上、勝者から敗者への補填が行われる可能性はゼロに近い。しかし、正しい施策・措置が公平に実施されれば、貿易の自由化は開発促進に寄与することができる」と指摘している。スティグリッツは「貿易はゼロサムゲームではなく、少なくともポジティヴサムゲームになれる潜在性を秘めている」と指摘している。比較優位は、全体で利益は向上するが、一部で仕事をあきらめるなどの犠牲を払う必要がある理論である。比較優位の考え方は、固定的に考えたり、押しつけたりすれば強者の理論になるが、当事者が得意な分野を発見し、次の段階に発展していこうとすれば有効な理論にもなる二面性を持っている。経済学者のレスター・サローは「貿易の自由化によって国民所得が向上するという理論は、失業を想定していない。国内市場を失えば大きな失業コストを背負う。失業コストを計上して分析すれば、国民所得が必ず向上するとは言い切れなくなる」と指摘している。中野剛志は、極端な自由貿易で自分たちの得意な産業に特化した場合、他の産業は諦めねばならず、その国にいる限り、職業選択の自由は行使できなくなるとしている。経済学者の伊藤修は「比較劣位の産業の縮小を押し戻すことは、無理な輸入制限か膨大な補助金が必要となるため不可能に近い」と指摘している。スティーヴン・ランズバーグは「1817年のリカードの国際貿易の基礎は、150年後もまったく揺らいでいない。リカードの貿易理論は、1)ある産業の生産者を外国からの競争から保護すると、他の産業の生産者が被害を受けることになる、2)ある産業の生産者を外国の競争から保護すると、必ず経済効率が低下すると予測していた」と指摘している。経済学者の野口旭は「比較優位とは、比較劣位と常に裏腹の関係にある。一国にとって『あらゆる産業が比較優位になる』ということは考えられない。構造調整が済むまで一時的な現象ではあっても、失業を増加させる。比較劣位化した産業の当事者にとっては耐え難いことであるが、貿易を行う限り、受け入れざるを得ない。貿易を閉ざした経済とは、発展の無い経済にほぼ等しいということも事実である」「一時的な失業の発生を恐れ貿易を閉ざすことは、労働の有効利用の機会そのものを放棄することになる。さまざまな産業構造の変化の要因を無視して、輸入の影響だけを問題視しても意味がない。失業には貿易制限などより財政政策・金融政策によるマクロ経済政策のほうがはるかに適切である」と指摘している。若田部昌澄は「もちろん自由貿易にはデメリットもあり、比較劣位にある職業・産業をあきらめなければならない。全体としてはプラスサムになるとしても、トレードの過程で勝者と敗者が出るのは避けられない。そこは、再配分・セーフティーネットで解決するしかない」と指摘している。みずほ総合研究所は「日本企業の海外生産が増加したとき、逆輸入増加による国内経済へのマイナス効果が懸念されることが多いが、実際には輸出が誘発されるプラス効果が先に大きく表れる。海外生産の増加=逆輸入増加・国内生産減少と考えるのは短絡的であり、片側だけに着目した議論である」と指摘している。ジョセフ・E・スティグリッツは「自由貿易によって雇用が喪失しても、金融・財政政策がうまく機能すれば、雇用創出が実現可能であるが、大抵の場合実現されない。稚拙な貿易自由化によって失業率が上昇してしまうと、自由化による恩恵は無くなってしまう」と指摘している。スティグリッツは「貿易の自由化を実行する際、万全の支援体制をとる必要がある。産業の構造転換がなされるとき、一度だけ支援すれば済むということではない」と指摘している。トマス・ロバート・マルサスは、平時には自由貿易は望ましいが世界的な凶作のような非常事態で穀物輸入を外国に依存するのはリスクがあるとしている。それに対しリカードは、穀物の輸入を制限すると国内で生産しなければならなくなり、比較劣位の場合、国内で耕作が進むと利潤率が下がってしまう。また凶作の場合、穀物の国際価格は上昇し、輸出国はむしろ余計に輸出しようと生産を増やそうとする。世界中が同時に不作になることは考えられず、世界各国から輸入するほうが不作時にリスクが分散できるとしている。人的物的資本移動の自由に伴い、細菌やウイルスまでも自由に国境を越えて移動するようになっており、そのリスクが国家間で双方向に伝わる。グローバル化された世界では一度伝染性疾患が発生すると、ペットやその他の動物の飛行機や船による輸出入を通して一気にそれらの疾患が蔓延してしまう。ジェフリー・サックスは、これら伝染性疾患や新興感染症はグローバリゼーションの新たな側面であり、人やモノの移動によってこの世界がいかに伝染性疾患に脆弱になっているかを示していると述べる新興感染症の発生は経済にも悪影響を与える。2000年代初期のSARSの感染拡大や2014年のエボラ出血熱の流行はその一例である。世界銀行は、ギニアの2014年度の経済成長率はエボラ流行の結果として4.5%から3.5%に落ち込むと予想した。またこれに伴いブリティッシュ・エアウェイズとエミレーツ航空は当該地域への便を見合わせている。エボラ対策として、オーストラリア政府は2014年8月中旬にWHOに対して100万ドルの資金援助した。そのWHOは、エボラの流行を過小評価していたとし、エボラ症例は2万人に達するだろうと声明を出した。エボラ出血熱流行への対応策として、WHOのリーダーシップのもとで、米国や欧州連合、東アジアの国々が初回時5000万ドルから1億ドル程度の基金を創設するべきとサックスは述べる。またドナー国は経済的小国への援助になるように速やかにGFATMへの支出を拡大し、貧しい国のスラムや小規模コミュニティーにおいても基礎的な医療システムを確立できるようにする。これはUHCとして知られるコンセプトである。サハラ以南や南アジアの国々においては、地域公衆衛生改善のための組織をつくり、疾患の病態や統計調査、診断と治療などに従事する者を養成する。年間50億ドル程度のコストで、新興感染症に精通した公衆衛生従事者を全てのアフリカの国のコミュニティーに配置することは可能である。経済大国は関連する基礎研究や国際疾病統計へ十分な投資するべきであり、人々の生命に関わる事態への投資を緊縮財政によって躊躇するのは無謀であるとサックスは述べる。2014年8月8日、WHOは、エボラ出血熱の感染が確認されているギニア、リベリア、ナイジェリア、シエラレオネ各国に非常事態を宣言するべきだと勧告する一方で、国際的な渡航・貿易は全面禁止にすべきではないとしている。2014年9月2日、国連食糧農業機関(FAO)の報告書によると、西アフリカでのエボラ出血熱の感染拡大によって貿易に支障が出ており、食料価格が上昇していることが明らかとなった。FAOは、感染拡大防止策として移動制限が課され隔離地域が設定されているため、食料の輸送・販売が抑制され、一部の農産物の「大幅」な値上がりにつながっているとしている。FAOのアフリカ地域代表であるブカール・ティジャニは「物品の売買・移動が厳しく制限されているため、数週間から数カ月以内に食料不足が深刻化すると予想される」と指摘している。無制限な資本移動の自由によって開発途上国における賃金格差が増大することが近年わかってきている。1993年から2008年までの間に、サハラ以南のアフリカの国々のジニ係数は9%増加した。この現象はリカードの比較優位説に欠陥があることを示唆するものであり、ノーベル賞学者エリック・マスキンらによる比較優位説修正の動きが始まっている。マスキンによる労働者マッチング法によれば、グローバル化によって中間財のアウトソース傾向が強まり、発展途上国の(とりわけ輸出企業の)熟練労働者は先進工業国の非熟練労働者と共同しやすくなり賃金が伸びていく。途上国の非熟練労働者は、グローバル化以前はその途上国内の熟練労働者と共に働いていたがグローバル化によってその共同作業者を失いがちになり、その結果生産性が低下し賃金が伸びない。実際にメキシコの輸出企業の労働者は非輸出企業に比べて60%高い賃金を得ている。インドネシアでは外資系企業の社員は国産企業の社員より70%高い賃金を得ている。大和総研は「自由貿易によって、後進国の所得水準は向上し、先進国から後進国への輸出の拡大という好循環が生まれている」と指摘している。経済学者の新井明は「例えば韓国と北朝鮮を比較した場合、輸出額・国民所得は格段の差がついている。韓国の人口が北朝鮮の2倍となったことを考えると格差は大きい。国を開き、比較優位を活かして変化させながら他国と貿易を進めれば、経済が発展する可能性を持つ」と指摘している。ジェフリー・サックスは「グローバリゼーションは、貧困問題の解決に役立ってきた」と指摘している。サックスは、富はゼロサムゲームのように誰かが大きな富を得たからといって貧しい者がより貧しくなるわけではなく、むしろグローバリゼーションが貧困解消の一助となっているとしている。サックスは著書『貧困の終焉』で「グローバリゼーションが、インドの極貧人口を2億人、中国では3億人減らした。多国籍企業に搾取されるどころか、急速な経済成長を遂げた」と指摘している。ジャーナリストのトーマス・フリードマンは著書『フラット化する世界』で、地球上に分散した人々が共同作業を始めインド・中国へ業務が委託され、個人・各地域が地球相手の競争力を得ている、あるいは貢献しているとしており、紛争回避にもつながっているとしている。若田部昌澄は「『グローバリゼーションが(国内における)格差を拡大した』という説にこれといった証拠があるわけではない。IMF(国際通貨基金)でもそう分析されている」と指摘し、格差が広がっているのは事実としながらも「要因は多岐に渡り、国によって事情が違うためこれが主な要因だと一つだけ示すことはできない」と指摘している。また若田部はポール・コリアーの著書『最底辺の10億人』を引用し「グローバリゼーションが進むほど経済成長は早くなるので、むしろ貧困は減る。本当に深刻なのは、グローバリゼーションからこぼれ落ちてしまった最貧国のほうである」と指摘している。経済学者の飯田泰之は「企業は国際的であり、為替レートによってどの国の人を雇用するかを決める」と指摘している。野口旭、田中秀臣は「日本の賃金が各国と比較して割高だとすれば、それは単に為替レートが実物経済の均衡・整合的な水準にまで調整されていないということに過ぎない」と指摘している。経済学者の円居総一は「貨幣という名目価値で、他国の通貨で表示した絶対価格で比較し、日本の物価は高い、国際的価格に収斂させなければならない、または高コスト体質を是正しなければならないという議論は意味がない。為替レートですべてが決まるため、日本のモノ・賃金が他国と比べて実質的に高いのか低いのかは解らないからである」と指摘している。経済学者の岩田規久男は「過度の円高は、日本の非正規雇用の比率を引き上げ、製造業を中心とした国外移転を促進し、国内雇用の需要の減少・失業率の上昇をもたらした」と指摘している。また岩田は「経済のグローバル化によって、安くて質の良いモノが輸入されることによって、未熟練労働者も利益を受けている」と指摘している。
出典:wikipedia
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