ブラウン大学(英語: Brown University)は、米国ロードアイランド州プロビデンス市に本部を置く、イギリス植民地時代(1764年)に設立された私立大学。アイビーリーグの一校である研究大学である。ブラウン大学は、7人のノーベル賞受賞者、57人のローズ奨学制度獲得者、5人の受賞者、8人の億万長者、10人のアメリカ国家科学賞受賞者を輩出している。ロードアイランド州の州都、プロヴィデンス東部の高台に約60ヘクタールのキャンパスを構える。大学周辺は「イーストサイド」、「カレッジヒル」と呼ばれ、高級住宅街とされる。他のアイヴィー・リーグ諸校のキャンパス同様、自然との融合を重視した設計で、「メイン・グリーン」と呼ばれる芝生公園を中心にキャンパスがデザインされている。前身の「カレッジ・オブ・ロードアイランド」が、イギリス植民地時代の1764年に国内11番目の大学として設立された。 1804年にニコラス・ブラウンからの寄付金により、現在地であるロードアイランド州プロヴィデンスに移転し、ブラウン大学と改称した。校訓は (ラテン語で「我々は神のもとに希望を持つ」という意味)。アイヴィー・リーグ八校の一つである。設立当初はバプティスト系の教育機関であった。しかし、同様に宗教系大学として設立されたアイヴィー・リーグ他校と違い、ブラウン大学は設立当初からバプティスト以外の宗教の信仰者も人種や性別に関わらず受け入れることで知られていた。従って、現在のリベラルな校風には歴史的背景がある。現在は、大学としては無宗教でありながら全宗教を受容するという姿勢を採っており、いくつかの宗教のために礼拝場所を提供(例えば、ローマ・カトリック・プロテスタント・仏教の学生団体にManning Chapelの使用を許可)しているなど、幅広い宗教を受容している。現在の学長は、前任者ルース・J・シモンズ( )と同じく女性であるクリスティーナ・パクソン()。寄付金総額は2007年2月現在23億ドル。2007年1月には、医学教育の更なる充実を支える為、一括寄付としては開学以来最高額である1億ドル(寄付当時の1ドル120円の為替レート計算で120億円)をウォーレン・アルパート基金から授与された。学生数は8,020人(学部生5,874人。大学院生2,146人)。教員数は628人。ブラウン大学の人気の理由には独自のカリキュラムや前衛的な研究、そして教授の質の良さがある。教授陣は世界的にトップクラスの研究者が占める。また、2002年にアイビー・リーグは勿論、主要総合大学として初めて黒人女性を大学総長として迎えたことからもわかる通り、進歩的な政治姿勢を大切にする大学である。従って、保守的なイメージが強い他のアイビー・リーグ諸校と対照的である。生徒は62カ国以上から来ており、国際色が強い。学生の満足度は全米1位である。他のアイビー・リーグ校にも合格していながら、あえてブラウン大学へと進学する学生も多い。著名人では、ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニアがハーバード大学、マシ・オカがハーバード大学とマサチューセッツ工科大学、エマ・ワトソンがイェール大学・コロンビア大学・ケンブリッジ大学、水沢ジュリアン・スィーヒがイェール大学にそれぞれ合格を果たしつつ、最終的にはブラウン大学を選んでいる。毎年受験倍率が10倍程度にも達する最難関大学の一つである。大学の公式情報によれば、2019年度の合格者の33%は高校の成績で首席か次席、96%がトップ10%以上(首席・次席含む)である(但し、学生が成績でランク付けされている高校のみ対象。それ以外の学校はほぼ同様の学力構成と見られている)。なお、受験者のうち、高校の首席でも5人に4人、次席でも7人に6人、それ以外のトップ10%でも10人に9人は合格できていない。また、トップ大学にはSAT (大学進学適性試験)・ACT (The American College Testing Program)を重視する大学とそうでない大学があるが、ブラウン大学は他のアイビー・リーグ校の一部と比べ、比較的後者に近いとされる(総合力を大学進学適正試験にも増して重視する)。実際、同大の場合、SATが満点でも5人に4人は合格できず、ACTが満点でも4人に3人は合格できていない。ブラウン大学は純粋な学問と研究の場を提供することを目標としている為、メディカル・スクールを除き、大学創設以来一貫してビジネス・スクールやロー・スクールあるいは教員養成大学院などの専門職大学院の設置を避け続けている(ただし、2010年からエグゼクティブ用のEMBAプログラムを開始した)。この方針は、ブラウン大学と他のアイビー・リーグ諸校とを明確に識別する対照的な特徴である。その為、戦後の日本において企業や官庁との提携を通じてその名を知られることになったコロンビア大学やハーバード大学と比較すると、ブラウン大学の日本での知名度は低い。日本との関係は意外に深く、慶應義塾大学の創設者である福澤諭吉は、ジョン万次郎の勧めでブラウン大学に於き西洋高等教育について学び、1868年慶應義塾設立に至ったとされている。諭吉に多大な影響を与えた経済学者は当時の学長フランシス・ウェーランド( )であり、福翁自伝(王政維新)には、戊辰戦争の砲声の中でも「(ウェーランドの)英書経済の講釈をしていました」と氏への言及がある。そのため、慶應義塾では、5月15日を「福澤先生ウェーランド経済書講述記念日」としている。1994年には、慶應義塾大学の鳥居泰彦塾長(当時)が名誉博士号を授与されている。その他、卒業生のアルバート・アーノルド・ベネットは、宣教師として日本に渡り、関東学院大学の前身となる横浜バプテスト神学校を設立した。また、前述の鳥居泰彦をはじめ、何名かの日本人が同大の名誉学位を得ている。U.S. News & World Reportによれば、ブラウン大学の(総合力でなく)学部教育レベルのランキングは2015年版では全米「3位」である。同誌の総合ランキング14位から乖離しているが、上述の理由(専門職大学院の設置を避け続けている等)から、企業等からの献金が他の主要大学に比べて非常に少なく、アイビー・リーグの中では経済基盤が最も脆弱であるため(施設の規模や教員数に影響している)、実際の学部教育ノランキングが高くても総合ランキングが伸び悩んでいる(総合ランキングは総合力のようなのであり、日本の大学ランキングのような学力や学力偏差値を直接反映していない。東京大学が偏差値でない総合ランキングで必ずしも1位でなく7位であったり、比較的偏差値の低いマンモス私立総合大学がランキングで上位に食い込むのと同様)。USAトゥデイの2015年版大学ランキングでは6位になっており、同じく名門であるスタンフォード大学(7位)やプリンストン大学(8位)等を抑えている。「College Factual」の2016年版ランキングでは7位であり、6位のプリンストン大学と8位のマサチューセッツ工科大学の間に位置している。フォーブスの2015年版大学ランキングでは8位になっており、10位のマサチューセッツ工科大学等を抑え、アイビー・リーグ校ではプリンストン大学、イェール大学、ハーバード大学につぐ4位である。LinkedInの「ソフトウェアディベロッパー (スタートアップ)」分野のトップ校」ランキングによれば全米3位である(1位のスタンフォード大学、2位のマサチューセッツ工科大学につぐ。4位のプリンストン大学、5位のカリフォルニア大学バークレー校の上)。なお、こういったランキングは、1学年の生徒数は1500人以下であり、しかも、米国は4年制の大学が二千数百校以上あることを考慮すべきである。また、ブラウン大学卒業生が志願した場合、全米ロー・スクールトップ3に合格できる確率は92%から95%に及び、ビジネス・スクールではその合格率が100%近くに達する。メディカル・スクールへの合格率は、全米で五本の指に入る。王族、政財界から芸能界まで著名人が数多く輩出している。連邦準備制度理事会理事の過半数がブラウン大学出身者だったこともある。2014年には、世界銀行総裁と連邦準備制度理事会議長という金融経済最高の両ポストを卒業生が占めることになった。リベラル系・民主党系の政治家が多いことでも知られているが、アイビーリーグの中では映画・メディア関係者が非常に多いことで知られている。下記は、日本でも比較的知られている一部のみ。卒業・退学年度順かつて教員や職員として在籍した人物のリスト。
出典:wikipedia
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