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竿燈

竿燈(かんとう)は、毎年8月3日 - 6日に秋田県秋田市で行われる祭り。祭りの正式名称は「秋田竿燈まつり」。竿燈全体を稲穂に、連なる提灯を米俵に見立て、額・腰・肩などにのせ、豊作を祈る。重要無形民俗文化財に指定されており、青森のねぶた祭り、仙台の七夕まつりと並んで東北三大祭りの1つとされる。また、二本松提灯祭り(福島県)、尾張津島天王祭(愛知県)と並び、日本三大提灯祭りにもなっている。2000年までは8月4日 - 7日の日程で開催されていたが、東北地方の他の祭と日程が重なりやすかったため、2001年から1日前倒しして現在に至っている。笹や合歓木に願い事を書いた短冊を下げ、それを手に練り歩き川へ流して真夏の邪気や睡魔を払う「眠り流し」が原型とされている。眠り流し自体は江戸時代以前より行なわれており、宝暦年間には現在の原型があったとされ、五穀豊穣や無病息災、技芸上達を願って、旧暦7月7日にあわせて行われる七夕行事とともに、旧暦7月15日のお盆を迎え入れるために一連の行事として現在の形になったとも言われている。「眠り流し」という言葉が訛り、秋田市では「ねぶり流し」と呼んでいる。竿燈は、外町(町人町)に住む職人や商人によって始められ、お盆に門前に立てる高灯籠を持ち歩けるようにしたのが竿燈の始まりとされている。次第に灯篭も数十個と下げるようになり、力を競うようになっていった。蝋燭や提灯が町民にも普及したことや、力よりも技を競うようになったことで現在の形になったとされている。いつから現在のような形態になったのかは定かではないが数々の資料から背景を探ることができる。寛政元年に書かれた「雪の降る道」には、現在の竿燈に近い姿の絵が描かれている。文化11年に書かれた「秋田風俗問状答」には平手で竿燈を持ち上げている絵が描かれている。慶応3年に書かれた「出羽の道わけ」には頭に乗せて演技する姿が描かれている。竿燈の語源は景徳傳燈録の百尺竿頭須進歩からヒントを得て、大久保鐵作によって名付けられたとされている。また、昔は作り灯篭、ネブリナガシ、七夕とも呼ばれていた。 「ドッコイショー ドッコイショ ドッコイショッショ ドッコイショ オエタサー オエタサ 根ッコツイタ オエタサ ドッコイドッコイドッコイショ」という掛け声を耳にする。重い物を持つ「ドッコイショ」の他に、稲が田にしっかりと根付き、生長していることを意味し豊作の願いが込められている。竿燈が、手、額、肩、腰に乗り、ピタッと静止した様子が稲がしっかり根付いている様子を思わせることからこの掛け声になった。また、夜竿燈終了の際に、竿燈締めが行われ、「ヨォー ドッコイショー ドッコイショ ドッコイショッショ ドッコイショ」の掛け声を手を叩きながら観客と共に会場が一つになり行われる。戦後から、竿燈や囃子の技術を保存させるために竿燈妙技会を毎年開催している。 保戸野鉄砲町は団体規定演技において2度の4連覇をしている。個人戦では、同町内から4年連続チャンピオンを輩出している。また平成23年には、「自由演技」「個人戦」「囃子方」において、秋田県立大学が優勝し三冠を成し遂げた。現在、祭りに参加している町内・保戸野鉄砲町 ・新川向南町 ・上亀之丁 ・上米町一丁目 ・上米町二丁目 ・下米町一丁目 ・下米町二丁目 ・川反五丁目 ・本町五丁目 ・本町六丁目 ・豊島町 ・柳町 ・八日町 ・下肴町 ・寺町二区 ・寺町四区 ・鉄砲町 ・上鍛冶町 ・下鍛冶町 ・四十間堀町 ・城町 ・室町 ・馬口労町 ・向馬口労町 ・西馬口労町 ・川口 ・川尻本町 ・毘沙門町 ・南通り ・登町 ・共和町 ・川口境 ・牛島 ・茨島 ・新屋 ・勝平 ・駅東 ・泉一ノ坪過去に参加していた町内・上通町 ・中通町 ・大工町 ・新大工町 ・上肴町 ・下亀之丁 ・茶町梅之丁 ・田中町 ・横町 ・船大工町 ・十人衆町 ・四十間堀川反 ・鍛冶町川反 ・新城町 ・誓願寺門前町 ・酒田町 ・上川口 ・中川口 ・下川口 ・川口新町 ・川口新町中丁 ・本渡町 ・川口上裏町 ・川尻新川町 ・入川橋通り ・東根小屋町 ・楢山南部 ・旭橋通り ・山王三丁目 ・松ヶ丘竿燈大通りまで竿燈妙技会会場まで

出典:wikipedia

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