RO&D(アール・オー・ディー、"Roughly Obsess and Destroy")は、プロレスラーのユニットである。全日本プロレス、プロレスリング・ノアを中心に活動していた。KAIENTAI-DOJO所属のTAKAみちのくが率いる、外国人プロレスラーを中心としたユニット。その後はプロレスリング・ノアにおいて活動した。RO&Dの名前が決まる前までは、「吉田屋USA」さらに「RAGD(ラフ・アンド・グレイツ・デンジャラスクルー)」と名乗っていた。一時期は太陽ケアのチャンピオン・カーニバル優勝、三冠ヘビー級王座獲得など、全日本プロレスのすべてのタイトルを保持していたこともある有力なユニットであった。所属するプロレスラーは、TAKAみちのくと太陽ケアを除きほぼWWEに所属していた外国人選手であり、多くはTAKAみちのくがWWEに参戦していたときの人脈によるものである(太陽ケアだけは、デビュー時より全日本プロレス所属)。2003年10月に、TAKAみちのくが突如、強力外国人招聘を示唆。すでに参戦していたザ・グラジエーターとギガンテスとチームを結成した。その後、武藤敬司と嵐]が保持する世界タッグ王座にTAKAとギガンテス挑戦(当初はグラジエーターとギガンテスだったが、グラジエーターが負傷欠場したため変更)、惜敗した。さらに新外国人第一号としてディーロ・ブラウンとブキャナンが参戦し、世界タッグに挑戦、惜敗した。翌シリーズの世界最強タッグ決定リーグ戦にもTAKA、ギガンテス、ブラウン、ブキャナンに加え、さらにジャマールとジャスティン・クレディブルを送り込み、ジャマール&クレディブル組が準優勝を果たした。なお、シリーズ終了直後にギガンテスが急性心不全で急死した。結成当初は全日本正規軍の対抗勢力として、「最強で最悪」の軍団という触れ込みの元、武藤敬司やラブマシンズ、健介ファミリーなどと抗争を展開した。2004年初頭に全日本プロレス所属レスラーである太陽ケアの勧誘に成功し、さらに勢力を拡大した。さらには太陽ケア&ジャマール組が世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝し、また一時期三冠ヘビー級王座を除く全日本プロレスのすべてのベルトを独占していた。レスラー同士の結束は固く、世界最強タッグ決定リーグ戦で優勝した後、「この勝利をギガンテスに捧げる」と死した仲間にメッセージを送ったほどである。ところが2005年に同じようなヒール軍団のVOODOO-MURDERS(以下「VM」と表記)が出現。RO&Dは「最悪」のヒールというギミックを奪われてしまったが、結果として正規軍に勝るとも劣らないファンの支持を獲得。大会前のメンバー紹介から始まる前説(通称RO&Dタイムで前説終了後に必ずVMが割り込み同様にメンバー紹介と前説を行なうのが恒例)勝利後には観客とともに叫ぶ「R・O・D・ブイヤーーーーッ! 」の雄叫びが人気となる。2005年7月、代々木大会にはTAKAみちのくが“強力助っ人”として蝶野正洋を紹介。これはTAKAが新日本参戦時に所属していたC.T.Uと蝶野が当時共闘していたことから実現できたものであった。9月11日には、特別興行「RO&D祭り 〜BOOYA THE WORLD〜」をディファ有明にて開催する。しかし2006年初頭のシリーズに於いて太陽ケアとディーロ・ブラウンに仲間割れが生じ、同年3月まで確執が続いたものの和解。また新メンバーのマット・モーガンを迎えた(5月シリーズ開幕戦でのTAKAのマイクで戦力外とされた)。右手指複雑骨折で戦線離脱していたTAKAみちのくも5月に復帰。6月にはWWE時代にジャマールとタッグを組んでいたRO'ZがRO&D入りした。しかし、9月3日の札幌大会で突如RO'ZがVMに寝返り、RO&D脱退を表明した。2006年9月17日、VMと解散を賭け対決したが、ディーロとブキャナンが試合の途中でVMへ裏切り敗戦してしまう。試合後にTAKAとケアを救出しに来た武藤敬司とカズ・ハヤシに、解散せずに共闘してVMを倒すよう提案されるが、TAKAはすでに一度言ったことだからとRO&D解散を決定。3年間の歴史に幕を降ろした。最終所属レスラーであるTAKAとケアは、これ以降本隊と共闘していくこととなった。しかし、これまで敵対していた正規軍とのタッグもしっくり来ないため、しばらくRO&Dを封印。ケアは正規軍へ再合流、TAKAみちのくは全日本を一時離脱する(離脱後ペペ・みちのくが参戦)。2007年4月28日、プロレスリング・ノア武道館大会のGHCタッグ王座戦後、KAIENTAI-DOJOのTAKAみちのくとKAZMAが突如現れ、この2人にディーロ・ブラウンとブキャナン加えたメンバーでRO&D再結成することをマイクアピール。GHCタッグにディーロ・ブラウンとブキャナンを挑戦させる構えを見せた。これにより舞台を全日本からノアに移し約半年ぶりにRO&Dが復活した。ブキャナン達がRO&Dに戻ったいきさつはTAKA本人も「それは、それとして・・・」と流している。しかしGHCタッグ王座戦にて、王者秋山、力皇組からは勝利を得ることはできなかった。その後王者組のタイトル返上に伴い行われた新王座決定トーナメントにブラウンとブキャナンが出場し優勝、GHCタッグ王者となる。しかし七日後の初防衛戦にて丸藤正道&杉浦貴組に王座を奪われ、短期政権となってしまった。2008年6月、ディーロがWWEと再契約したため離脱、TAKAとKAZMAもノアへの参戦が減り、RO&Dとしての活動は事実上停止状態になった。2009年には、ディーロ・ブラウンがグローバル・タッグ・リーグ戦よりノアへの復帰とブキャナンとのタッグ再結成を表明した。その後、RO&Dの名称はブラウンとブキャナンのタッグチームの名称としてのみ使用されており、かつて行われていたマイク・パフォーマンス等は一切行われていない。2009年後半には、ブラウンが再び個人的事情を理由に参戦をしなくなり(ブキャナンは参戦継続)、以降は事実上RO&Dは解散状態となる。「」内は、TAKAみちのくのマイクによるメンバー紹介時の代表的な文言。※結成から解散まで上記5人での活動が一番長い。
出典:wikipedia
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