藤原 高遠(ふじわら の たかとお)は、平安時代中期の公卿・歌人。参議・藤原斉敏の子。中古三十六歌仙の一人。応和4年(964年)従五位下に叙爵。康保4年(967年)侍従に任ぜられた後、右兵衛佐・右近衛少将と武官を歴任する。円融朝に入ると、安和3年(970年)従五位上、天延2年(974年)正五位下、天延4年(976年)従四位下と俄に昇進し、天元4年(981年)には皇太子・師貞親王の春宮権亮に任ぜられる。永観2年(984年)師貞親王の即位(花山天皇)に伴い春宮権亮を務めた功労により正四位下に叙せられ、花山朝では右馬頭・内蔵頭を歴任した。一条朝では、永延元年(987年)右兵衛督に任ぜられると、永祚2年(990年)には一条天皇の円融寺行幸に際して天皇の笛の師を務めた功労により従三位に叙せられ公卿に列す。のち、兵部卿・左兵衛督と武官を歴任する。寛弘元年(1004年)大宰大弐に任ぜられ九州に下り、翌寛弘2年(1005年)には任国へ下向した労により正三位に叙せられる。寛弘6年(1009年)筑前守・藤原文信に訴えられ、大宰大弐の職を停められて帰洛。長和2年(1013年)5月16日薨去。享年65。一条天皇の笛の師であり、三位に叙せられたのは笛の妙曲によるものだった。康保3年(966年)閏8月の三条左大臣頼忠前栽合に出詠。『拾遺和歌集』(1首)以下の勅撰和歌集に27首が入集。家集に『大弐高遠集』がある。注記のないものは『中古歌仙三十六人伝』による。
出典:wikipedia
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