仁科 信基(にしな のぶもと 天正2年(1574年) - 元和9年(1623年))は、安土桃山時代から江戸時代初期の人物。通称は勝五郎。武田氏当主武田信玄の子である仁科盛信の長男で母は武田信綱の娘とされ、信玄の孫。弟に仁科信貞、子に仁科盛忠。父の盛信の元にあったが、1582年の織田信長の甲州征伐が開始され、織田軍は仁科盛信の守備する高遠城に侵攻してくると、その直前に、信基は盛信の妹である松姫と信基の妹・督姫、武田勝頼の娘の貞姫と武田家臣小山田信茂の娘・香具姫と共に、後北条氏の勢力下にある武蔵国八王子へと落ち延びた。身体があまり健康では無く、甲斐武田氏滅亡後は、戦乱の時代が終わる1600年代に入るまで、八王子の心源院で過ごしている。武田遺臣の大久保長安の取り成しで、徳川家康と対面した時に仁科氏の存続と仁科盛信の家系を名乗ることを願い出て、3100石扶持の江戸幕府旗本に列し、子孫の代に加増されて4100石となる。
出典:wikipedia
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