高砂市(たかさごし)は、兵庫県の播磨南東部に位置する市。加古川に接した工業都市。漁業や採石業も盛んであり、これらは古い歴史を持つ。市内南部を中心に神社が多く、播州の秋祭りと総称される祭礼が知られる(後述)。東播磨県民局の管内。市域の大部分は加古川の河口部西側に形成された沖積平野である。北西部には「播磨アルプス」と呼称される山々がそびえるほか、凝灰岩質の岩山が点在している。南は播磨灘に面している。瀬戸内海式気候により、年間を通して比較的温暖である反面、降水量は少なく、農地やその跡地ではため池が多く見られる。曽根町の山麓に縄文時代の貝塚遺跡・日笠山貝塚がある。『播磨国風土記』にある説話の舞台・「南毘都麻島(なびつまのしま)」を現在の高砂近辺と比定する研究がある。市内各所で多くの古墳が確認されており、市内の山から切り出されたものと考えられる石棺も出土している。同質の凝灰岩製石棺は畿内各地に流通したとみられ、奈良県の見瀬丸山古墳や大阪府の墓山古墳でも出土している。「たかさご」とは、砂が河口で堆積して盛り上がった状態を表す古語「たか-いさご」が転訛した、地形を示す一般名詞であった。「高砂」が加古川近辺の寄港地を示す地名として確認できる最古の文献は827年(天長4年)ごろに編纂された『経国集』13巻における、淡海福良満(おうみ の ふくらまろ)による、「夕次高砂浦 時風暴且寒」――ゆうべ(=夜)に次(やど)る高砂の浦 時つ風暴(あら)く且つ寒しではじまる、「夕宿播州高砂(ゆうべにばんしゅうたかさごにやどる)」という題の律詩である。少なくとも平安時代までには「高砂泊」と呼ばれる漁業や物流の拠点がこの地域に成立したと考えられている。ただし、この「高砂泊」は現在の高砂町にあたる地域とは異なり、加古川をはさんだ対岸の、現在の加古川市尾上町にあった。鎌倉時代には塩田による塩の生産が始まる(これより以前、現在の荒井町にあたる地域で行基による製塩指導が行われたという伝説がある)。室町時代より梶原氏が代々城主をつとめた高砂城は、戦国時代の三木合戦の際に別所氏側の兵糧供給拠点となったが、羽柴秀吉によって落城させられた(高砂城の戦い)。姫路藩成立後、加古川流域の開発事業として現在の高砂町にあたる地域への港の移設と区画造成が開始された。その後江戸時代を通じて、高砂は加古川の舟運をベースにした物資の集散地として、またここに御用蔵を設けた藩の拠点都市として繁栄することとなる。水が豊富であり、かつ海岸が埋め立てに適した遠浅の地形であったことから、維新後、工場の立地が相次いだ。第二次世界大戦のころまでは軍需産業が盛んだった。戦後においては市制施行直後の1955年(昭和30年)、市の「工場誘致条例」が施行され、軍需工場の払い下げ地に重化学工業および食品製造業分野の工場が多く進出した。海岸は1961年(昭和36年)から1974年(昭和49年)にかけて、県の事業によって計約280万平方メートルにわたって埋め立てられ、播磨臨海工業地帯の中核のひとつとして財政的発展をとげるに至った。松(クロマツ)は日本の海岸、とりわけ砂地に多く自生する。また先史時代より、各地で防波・防潮のために植林・造林が行われてきた形跡がある。松林と砂浜との取り合わせは美観とされ、万葉集のころには「たかさご」は「まつ(松、待つ)」「をのへ(おのえ。山の頂上の意)」という語を修飾する枕詞として定着するに至った。紀貫之は『古今和歌集仮名序』で和歌に織り込まれるテーマを多く列挙して、感興と癒しの効能を説いており、そのひとつとして「相生の松」が登場する。「古(いにしへ)の世々のみかど…(中略)…高砂・住江の松も相生(あひおひ)のやうにおぼえ…(中略)…歌をいひてぞなぐさめける」畿内では松や海をモチーフとした伝承が古くから広く知られていたと考えられている。世阿弥はこの伝承に取材し、能『高砂』を作った。阿蘇の神官・友成が、上京途上に高砂の浦で出会った尉と姥(じょう-と-うば または じょう-と-んば=老夫婦)に、高砂と海を隔てた住吉(すみのえ)に生えた「相生(相老い)の松」の伝説を聞き、尉と姥が「われわれこそ、その松の精である」と明かし、姿を消すという筋である。「高砂や。この浦舟に帆を上げて……」という一節がよく知られ、現在では日本式の結婚披露の場などで謡われることが多い。ウィキクォートの項も参照。現在では工業用地の造成などにより、市内の松林と砂浜の多くが失われたが、海浜公園の整備など、往時の景観をしのぶ努力が払われている。おおよその地域区分は以下の通り(小・中学校区やごみ収集などの単位は必ずしもこれに準じない)。高砂地区高等学校ごみ処理施設検察庁・裁判所は市内になく、検察事務は加古川市の加古川区検察庁、裁判は加古川市の加古川簡易裁判所の管轄である。郵便高砂郵便局(北浜町を除く全域)および姫路南郵便局(北浜町のみ)が集配を担当している。郵便番号はそれぞれの局の項目を参照。このほか、市内に所在する集配業務を行わない郵便局は以下の通り。自動車登録姫路市の神戸運輸監理部姫路自動車検査登録事務所の管内であり、ナンバープレートの表記は「姫路」である。電話市外局番は全域079。単位料金区域(MA)は北浜町(姫路MA)とそれ以外の地域(加古川MA)で分割されている。放送市内に放送局・中継局はなく、テレビとFMラジオの電波は、ほとんどの世帯が姫路市の姫路テレビ・FM中継局の受信圏内である。また、加古川市のケーブルテレビ局・BAN-BANテレビのサービスエリア内、コミュニティFM局・BAN-BANラジオの受信圏内である。国内海外兵庫県議会において、市内全域で定数1の高砂市選挙区をなす。兵庫県選挙区、比例近畿ブロック、兵庫県第10区を参照。平成22年国勢調査によれば、産業別就業者のうち第三次産業従事者の割合が60.4%を占める。第二次産業従事者はそれに次ぐ36.6%で、うち27.9%が製造業従事者である。漁業農業採石業製造業エネルギー事業銀行・金融機関中心となる駅は、宝殿駅および高砂駅。市役所の最寄り駅は伊保駅である。JR三ノ宮駅へは宝殿駅から普通列車に乗り、隣の加古川駅で新快速に乗り換えて最速34分。阪神三宮駅へは高砂駅から直通特急で最速43分。山陽新幹線の駅は市内になく、姫路駅か西明石駅を利用するのが妥当である。大正3年(1914年)から昭和59年(1984年)にかけては、加古川駅から高砂町に至る国鉄高砂線が運行されていた。宝殿駅・高砂駅から神姫バスの路線が加西市方面などへ運行されているほか、同社の運行による高砂市コミュニティバス(通称じょうとんバス)が市内を走る。発着地や系統についてはそれぞれの当該項目を参照。旅客船の運行はない。臨海工業地域の各工場に業務用の岸壁がある(東播磨港の伊保地区、荒井地区、高砂地区)ほか、ヨットハーバーが点在する。多くの神社でヤッサ(太鼓台)の練り出しが行われる。
出典:wikipedia
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