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五能線

五能線(ごのうせん)は、秋田県能代市の東能代駅と青森県南津軽郡田舎館村の川部駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。全線秋田支社の管轄である。各年度の平均通過人員(人/日)は以下の通り運転系統は途中の深浦駅を境におおむね区分されるが、深浦駅をまたいで運転される列車が一部ある。一部の臨時列車をのぞいて深浦駅で列車番号が変更される。東能代側では、東能代駅 - 能代駅間の区間列車が多く、運転本数はこの区間の運転列車の3分の2を占める。これは奥羽本線から能代市の中心部にある能代駅を接続する役割があり、1、2時間あたり1本程度運転されている。また、東能代駅 - 岩館駅間の区間列車も設定されている。岩館駅 - 北金ケ沢駅間については海沿いを走るため、吹雪・強風・高波による運休が年に何回かある。臨時快速列車をのぞけば岩館駅 - 鰺ケ沢駅間で4 - 7時間ほど運転されない時間帯がある。川部側では、全列車が奥羽本線に乗り入れ弘前駅まで直通する。深浦駅 - 弘前駅間の列車のほか、鰺ケ沢駅 - 弘前駅間の区間列車が半数を占めており、1 - 2時間に1本程度運転されている。なお、朝の下り弘前行き1本は、五所川原発で運転される。一部列車(東能代駅 - 能代駅間の区間列車は全列車)においてワンマン運転が行われている。日本海の海岸沿いを走るというロケーションを活かし、土曜休日を中心に観光列車が運転されている。1990年から50系客車を使用した「ノスタルジックビュートレイン」が運転を開始したが、冬季運転の困難などにより1997年にキハ40系気動車による快速「リゾートしらかみ」に置き換えられた。運転区間は、秋田駅 - 東能代駅 - (五能線) - 弘前駅・青森駅間である。2003年と2006年にはそれぞれ編成が増備されて1日3往復の運転(冬期は最大2往復。通常は土曜・日曜日のみの1往復)となり、五能線の顔となっている。青池編成・くまげら編成・橅(ブナ)編成の3編成があり、このうち青池編成と橅(ブナ)編成にはハイブリッド気動車HB-E300系が、くまげら編成にはキハ40系が使用されている。「リゾートしらかみ」は、乗車券のほかに指定席券が必要となる。奥羽本線での停車駅は川部駅・弘前駅・青森駅で東北新幹線全線開業後に新青森駅も追加された。東能代駅 - 岩館駅 - 深浦駅 - 鯵ヶ沢駅間は海沿い、鯵ヶ沢駅 - 木造駅 - 五所川原駅間は田園地帯、五所川原駅 - 板柳駅 - 川部駅間はりんご果樹園と、区間によって異なる沿線の風景が見られる路線である。1970年代までは陸奥鶴田駅・板柳駅・藤崎駅ではりんご移出用貨車による貨物輸送が盛んに行われており、これらの駅には積込み用の引き込み線が設置されていた。五能線から貨物列車が廃止された現在では、その線路用地のほとんどが宅地などに転用されており、その繁栄を偲ぶことは難しい。1960年代から1980年代頃までは、岩館駅から奥羽本線への乗り入れ列車や奥羽本線碇ケ関駅や大鰐駅(当時)から五能線に乗り入れる列車があり、1960年代には能代駅発東能代経由横手駅行きや、福島駅発東能代経由能代駅行き列車、能代駅から東能代経由で白新線・新潟駅まで直通する列車も存在した。さらに、川部駅を始発・終着駅とする(弘前駅まで乗り入れない)列車や木造駅発着・沢目駅発着の列車もあった。また国鉄黒石線が弘南鉄道に移管されるまでは、同線の黒石へ乗り入れる列車もあったほか、1980年代ころまでは五所川原発着の列車も本数があった。1980年代の一時期には鰺ケ沢発下り列車(現在の初発に相当)および当時の上り最終列車が、奥羽本線大館駅発着となっていた。深浦駅 - 青森駅間には快速「深浦」が運転されていた(五能線内は各駅に停車。運行終了時点で下り青森行きは深浦駅 - 弘前駅間の普通列車に鰺ケ沢駅から連結、上り深浦行きは単独運転)が、2014年3月15日のダイヤ改正で廃止された。この快速の前身にあたる1980年代前半頃まで運転された「深浦」などの急行列車や八戸線直通列車については「弘前駅 - 青森駅間の快速列車沿革」を参照のこと。国鉄時代、夏期の臨時列車として、弘前駅 - 深浦駅間に臨時普通列車「かっぱ」、十二湖駅 - 秋田駅間には急行「十二湖」がそれぞれ運行されていた。現在は、キハ40・48形(秋田車両センター所属)とHB-E300系の3形式で運行されているが、かつてはキハ58系も主に快速「深浦」(かつての急行「深浦」)を中心に運用されていた。また、1980年代まではキハ22形が、それ以前ではキハ11形100番台が運用されていた。客車列車が運転されていた当時は混合列車の運用が存在したことから、五能線管理所所属の60系客車には冬期の暖房対策として床下にウェバスト式暖房装置が取り付けられていた。最後まで残ったオハユニ61 107が碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。なお、普通列車用の車両は2020年度に新型電気式気動車が導入される予定。キハ40系を置き換える。五能線の歴史は、1908年に開業した能代(現在の東能代) - 能代町(現在の能代)間に始まる。米代川の存在などの地理的事情により能代の市街地を外れる形となってしまった奥羽線に接続するための支線であり、後に能代線(のしろせん)と命名された。一方、青森県側においても、1918年、私鉄の陸奥鉄道(むつてつどう)が奥羽本線に連絡する鉄道を川部 - 五所川原間に開業した。日本海沿岸を巡って能代と五所川原を結ぶ鉄道は、旧鉄道敷設法による予定線にあげられ、能代側は能代線の延長として、五所川原側は陸奥鉄道の延長の形で五所川原線(ごしょがわらせん)として建設が進められ、1924年から順次延長されていった。昭和大恐慌の影響で、建設が一時スローダウンしたものの、1936年の陸奥岩崎駅 - 深浦駅間を最後に全通し、五能線と改称された。1927年には、陸奥鉄道が買収・国有化されており、機織駅(現在の東能代駅) - 深浦駅 - 川部駅間が国有鉄道によって運営されることとなった。便宜上、多数の列車が直通する奥羽本線川部駅 - 弘前駅間も合わせて記載。

出典:wikipedia

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