賢所乗御車(かしこどころじょうぎょしゃ)は、日本国有鉄道の前身である鉄道院が、神鏡(八咫鏡)を輸送(移御)するために製造した鉄道車両(皇室用客車)である。略して「賢車」と称されることもあった。大正天皇の即位式(即位御大礼)の際に、東京の皇居と京都御所の間を、宮中三殿の賢所に祀られている神鏡を輸送するために製造された特殊用途の客車で、賢所奉安車(かしこどころほうあんしゃ)とも呼ばれる。「神」を輸送の対象とする鉄道車両は世界的にも類例がないと思われ、その意味でも極めて珍しい車両である。1912年(明治45年)7月30日の明治天皇の崩御を受け、皇位を継承した大正天皇の即位式が1915年11月10日に京都御所で行われることとなった。これは、当時の皇室典範に規定されていた「即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」に基づいたものである。そして、天皇の即位式では賢所において数回の儀式を執り行う必要があり、即位式を円滑に進めるためには、賢所の神鏡を東京から京都へ移送する必要が生じた。このために7号・8号・9号御料車とともに製作されたのが本車である。神鏡といえども「物」であり、即位式に臨む天皇と同じ御料車内に積載しての輸送でも構わないのではないかと考えられたが、後述のように賢所の神鏡は「皇室といえども極めて畏れ多きもの」であり、天皇であっても同じ室内はもちろん、同じ車両内に長時間あることすらはばかられるものであり、また天皇が崇拝する神器を御料車より格下の供奉車に積載することもできず、結局は御料車とは別に神鏡のみを積載し輸送するための専用車両として、本車を製造するに至った。鉄道院新橋工場が大井工場と改称してから初めて製造された皇室用客車である。他の鉄道車両と異なり、記号や番号、形式は一切付与されていない。「賢所乗御車」(もしくは「賢所奉安車」)が、この車両を特定する名称である。本車の製作にあたり、鉄道院の設計担当者を最も悩ませたのが、輸送対象である神鏡の寸法と重量であった。神鏡は皇室が最も崇敬する神器で、その御座所内では皇太子ですら立位での歩行を許されず膝行するほどのものであり、一般人は手を触れることはおろか、目にすることすら難しいものである。宮中の古い慣習に縛られ、空前絶後の神鏡の寸法計測にこぎ着けるまでには宮内省との幾度にもわたる粘り強い折衝が行なわれ、なんとか寸法測定が許可された。しかし重量までは量ることができず、明治の初めの東京奠都に際して賢所の神鏡が京都から東京に輸送されたときの「16人の若者が賢所の神鏡の乗御する御羽車を担いで東海道を上ったが、いずれも重さに汗をかいた」という記録を元に重量を(十分な余裕をもって)推定し、奉安室内部と輸送装置の設計を行なったという。側面片側に幅2,438mmの戸口があって観音開きの開き戸が設けられており、神鏡の乗降は、この扉を開けて行われる。扉を閉じ、施錠した後は、皇室の紋章である「菊花紋章」を外から合わせ目に取付けるようになっている。車内は、車体中央部に「賢所奉安室」、その前後に各3室の「掌典室」がある。賢所奉安室の奥には壁を隔てて幅385mmの側廊下があり、その側には戸口がないため、車両側面は左右でまったく異なっている。賢所奉安室の内装は、天井は格天井で室内は総ヒノキの白木神殿造りとなっており、金具にはすべて金メッキが施されている。奉安所となる場所は床面は30cmほど高くなっており、移御台を定位置に固定できるようになっている。掌典室の内装は、化粧板にナラやクヌギ、天井板にはカエデ、窓框にはチーク材を使用している。各室とも長椅子をレールと並行に配置しているが、奉安室の両隣の掌典室では長椅子に折り畳み式の肘掛を装備しており、調度品も奉安室と調和するように配慮されている。また、別の1室には便所と手水所(洗面台)を設けているが、手水容器・便器とともに黒漆塗りで、手水容器の内側は朱漆で仕上げ、白木の柄杓を備えている。ブレーキ装置は真空ブレーキを使用している。1915年(大正4年)の大正天皇の即位式のために製造され、1928年(昭和3年)の昭和天皇の即位式に際しても、内装などを更新のうえ使用された。従って、本車が実際に神鏡を乗せて走ったのは両天皇の即位式の際の往復、合計わずか4回だけである。なお、明治天皇は京都で即位してから東京に移ったため、大正天皇の即位式が神鏡を輸送する最初の例となった。また、皇室典範の当該規定は太平洋戦争後に廃止され、今上天皇の即位式は東京で行われたため、神鏡の輸送は不要となった。1959年(昭和34年)10月に廃車。廃車後は浅川分車庫に保管された。浅川分車庫の廃止に伴い処遇が検討されたが、1963年(昭和38年)6月に全て大井工場(現・JR東日本東京総合車両センター)内の御料車庫に移動することになり、1963年6月7日未明に御料車庫に収容された。1981年時点でも車内に入るとヒノキの芳香が満ちていたという。また、同時期の他の御料車は自動ブレーキに改造されているが、本車は真空ブレーキのまま保管されている。
出典:wikipedia
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