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上道郡

上道郡(じょうとうぐん)は、岡山県(備前国)にあった郡。1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。かつて備前国の中心地として栄えた地域である。西は旭川、東は吉井川まで至る郡域を持っていた。後に東部を上東郡(じょうとうぐん)として割譲した。備前国内神名帳に上東郡の記載があり、このころにはすでに上東郡は割譲されていた。また、江戸時代に池田藩が1638年(寛永15年)作成の『備前国九郡地図(寛永古図)』には上東郡が記載されており、明治期には上東郡はすでに存在していなかったので、江戸時代前期から明治維新までの間に再び上道郡に併合されたが、詳細時期は不明である。上東郡併合後、「かみつみち」「じょうとう」の2種類の呼び方をされていたが、郡区町村編制法施行時に「じょうとう」の読み方に統一された。和名抄には宇治郷、幡多郷、上道郷、財田郷、可知郷、居都郷、日下郷、那紀郷、豆田郷の9郷が記載されている。郡衙の位置は不明で、上道郷や古都郷などの説もある。古くは旭川は現在の岡山市北区玉柏・中区祇園あたりで複数に分岐しており、派川の一つが上道郡内の操山北部の平野部を蛇行しながら南西に流れ、現在の東区中川町あたりが河口となっていた。また、現在の本流の流れも今より東寄りを蛇行しながら流れていたが、宇喜多秀家が岡山城築城の際に流路を変更した。これにより旭川本流の西岸で御野郡であった現在の中区竹田・東川原・西河原などの地区が東岸へと変わった。前述の『備前国九郡地図』では、東岸であっても御野郡として記載されているが、明治期までには上道郡へ移管されている。備前国府は時代によって変遷しているとの説もあるが、備前国の国府が郡内にあったときがあるとされる。ひとつは、岡山市中区高島地域で、同地の国府市場地区に備前国庁跡と推定される遺跡がある。もうひとつ別の時代に、岡山市平島・沼・寺山・瀬戸内市長船町福岡付近にあった(当時は上東郡の所属)とされる。この地域は上道郡・磐梨郡・和気郡・邑久郡・上東郡の境界線が集まっている地域である。江戸時代前期から始まった大干拓により南部に広大な新田(上南新田)が作られ、郡域が広がった。新田では水田の他、イグサや綿花が多く栽培された。郡制廃止後の地方事務所は富山村(岡山市中区海吉周辺)に設置された。

出典:wikipedia

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