レオナルド=フィボナッチ(Leonardo Fibonacci、Leonardo Pisano 1170年頃 - 1250年頃)は、中世で最も才能があったと評価されるイタリアの数学者である。 本名はレオナルド・ダ・ピサ(ピサのレオナルド)という。フィボナッチは「ボナッチの息子」を意味する愛称だが、19世紀の数学史家リブリが誤って作った名前でもある。フィボナッチは、近代では主に次のような業績で知られている。レオナルドはイタリアのピサで生まれた。父親のグリエルモ(Guglielmo)はイタリア語で「単純」という意味のBonaccioというニックネームを持っていた。母親のアレッサンドラ(Alessandra)はレオナルドが9歳の時に亡くなっていた。レオナルドは、「Bonaccioの息子(filius Bonacci)」という意味のFibonacciという諡を贈られた。グリエルモは貿易商人の職を求めてムワッヒド朝(現・アルジェリア)のベジャイアに移住した。まだ少年だったレオナルドも父親を助けるために現地に赴き、そこでアラビア数字を学んだ。レオナルドはアラビア数字の体系がローマ数字よりも単純でより効率的なことに気づき、当時のアラブの数学者の下で学ぶため、エジプト、シリア、ギリシア等を旅行した。1200年頃には帰国し、32歳になった1202年に、彼は自身の学んだことを「算盤の書(Liber Abaci)」にまとめ、ヨーロッパで出版した。レオナルドは、科学と数学を好んだ神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世に気に入られ、しばしば宮殿に呼ばれた。1240年にはピサ共和国から表彰され、給料が贈られるようになった。死去した年ははっきりとはわかっていないが、1240年から1250年ごろにかけて、ピサ市の近くにて亡くなったと考えられている。19世紀には、ピサにフィボナッチの像が完成した。今日でも、世界遺産となっているピサのドゥオモ広場の西ギャラリーで見ることができる。1202年に出版された『算盤の書』の中で、フィボナッチは「インドの方法」(modus Indorum)としてアラビア数字を紹介した。この中では0から9の数字と位取り記数法が使われている。この本の中では位取り記数法の利点を、格子乗算とエジプト式除算を使い、簿記、単位の変換、利子の計算などへの応用を例にとって説明している。この本はヨーロッパの知識層へ広く受け入れられ、ヨーロッパ人の考え方そのものに大きな影響を及ぼした。この本の中ではまた、「ウサギの出生率に関する数学的解法」などの諸問題に対する解答も記している。この解答で使用された数列が後にフィボナッチ数列として知られるようになる数列である。この数列は、インドの数学者の間では6世紀頃から知られていたが、西洋に初めて紹介したのはフィボナッチの書いた算盤の書である。『算盤の書』は次の15章からなる。フィボナッチ数列では、3項目以降のそれぞれの数は手前の2つの項の数の和になっている。そのため数列は、0,1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,233...と続く。また、2つの連続する項の比を取ると、次第に黄金比(約1:1.618または約0.618:1)に近づいてくる。
出典:wikipedia
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