LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

越後線

越後線(えちごせん)は、新潟県柏崎市の柏崎駅と新潟県新潟市中央区の新潟駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。柏崎から西山丘陵を越えて弥彦山脈東麓沿いに越後平野を通り新潟とを結ぶ路線である。普通列車のみが運行されている。全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「新潟近郊区間」に含まれており、吉田駅 - 新潟駅間の全駅および柏崎駅がIC乗車カード「Suica」の新潟エリアに含まれている。吉田駅 - 新潟駅間は新潟都市圏近郊の通勤路線となっている。内野西が丘駅 - 新潟駅間は宅地化された丘陵地帯等を走っており、住宅地が途切れることがない。柏崎駅 - 吉田駅間の一部区間の架線には、JRの路線としては数少ない低コストの直接吊架式が採用されており、最高速度が85km/hに制限されている。これは電化された1984年当時の国鉄が慢性的赤字のためコストダウンを強いられたからである。なお、吉田駅で越後線と接続する弥彦線も直接吊架式による電化である。内野駅 - 信濃川分水路橋梁間は新潟市西区坂井輪地区中部の砂丘地の南麓中腹部分を経由しており、地盤が軟弱になっている箇所が点在する。そのため1964年の新潟地震や1998年の8.4水害などの大規模自然災害の際には路盤の一部が流出した。全線が新潟支社の管轄である。ラインカラーは緑色である。定期列車は、各駅に停車する普通列車のみである。新潟駅発着の列車を中心に運行されているが、吉田駅で運行系統が分離されており、柏崎駅 - 吉田駅間と吉田駅 - 新潟駅間の南北2区間に大別される。一部に新潟駅 - 柏崎駅間を直通運転する列車、新潟駅から信越本線新津方面や白新線豊栄方面と直通運転する列車、 柏崎方面から弥彦線東三条方面と直通運転する列車などがある。吉田駅以南の全区間を運行する列車の本数は1日9往復で、出雲崎駅 - 吉田駅間の区間運行(うち1往復は土曜・休日および学休日は寺泊駅発着)を含めても合計11往復である。朝夕の通勤・通学需要に特化したダイヤが組まれており、昼間の運行間隔は最大で下り約3時間、上り約4時間開いている。吉田駅 - 内野駅間は昼間おおむね60分間隔、内野駅 - 新潟駅間は20分間隔のパターンダイヤが編成されており、燕・新潟両市近郊の通勤・通学の足として利用されている。1日あたりの運行本数は2015年3月14日現在、吉田駅 - 内野駅間が24.5往復、内野駅 - 新潟駅間が52往復である。また、関屋駅 - 新潟駅間(平日・土曜日のみ)、越後曽根駅 - 新潟駅間および巻駅 - 新潟駅間の区間列車がそれぞれ1往復ずつ設定されている。定期列車は普通列車のみであるが、沿線でイベントなどが行われる際に臨時の快速列車が運行されることがある。一例として、弥彦駅 - 吉田駅 - 新潟駅間では彌彦神社への二年参りおよび初詣に合わせた臨時快速「きらきら行く年・きらきら来る年」と「初詣NO.DO.KA」が、分水駅 - 吉田駅 - 東三条駅 - 新潟駅間では分水桜まつり開催期間の平日に臨時快速「分水夜桜」が運行されている。 これらのほか、分水桜まつりの開催期間には分水駅 - 吉田駅間、ぎおん柏崎まつり・海の大花火大会の開催日には柏崎駅 - 西山駅・吉田駅間、新潟まつり・花火大会の開催日には吉田駅・内野駅 - 新潟駅間で普通列車が増発されるのをはじめ、弥彦神社菊まつりの開催期間には新潟方面始発・吉田駅止まりの上り普通列車1本を弥彦駅へ延長運転するなどしている。かつては急行列車などの優等列車、快速列車が全線を通して運行されていた。1968年から1982年11月までは青海駅・糸魚川駅 - 新潟駅間を越後線経由で走破する急行「ひめかわ」が運行されていた(1982年秋の改正で線内のみ運転の愛称無しの快速に格下げし、電化時に廃止)ほか、1991年3月から1993年12月には長野駅 - 新潟駅間の快速「やひこ」および、新潟駅 - 内野駅間で快速運転をする普通列車が運行されていた。特に「やひこ」は停車駅を絞り、信越本線経由の特急に匹敵する所要時間で運転されていた。しかし「やひこ」廃止以降、定期列車は普通列車だけの運行となった。以下に示す車両はいずれも新潟車両センター所属の電車である。吉田駅 - 新潟駅間のE129系・E127系を使用する2両編成の列車では一部を除きワンマン運転が実施されている。北吉田駅、岩室駅、越後赤塚駅、内野西が丘駅では先頭車両の一番前のドアのみが出口となるが、内野駅 - 新潟駅間は全駅が有人駅のため全てのドアから乗降できる。なお電化以前はキハ35系などの気動車やDD51形ディーゼル機関車牽引による50系客車の列車などが運行されていた。これらの一部は電化後も関屋駅・白山駅 - 新潟駅間で朝の通勤時間帯に運行されていたが、のちに全列車が電車化された。信越本線が柏崎から内陸部に入り、長岡、三条を経由することとなったため、柏崎から日本海沿岸を経由して新潟に至る鉄道が計画された。これが越後線の前身である越後鉄道(えちごてつどう)である。越後鉄道は1912年から翌年にかけて全通した。しかし、越後鉄道は資金不足のため信濃川に架橋することができず、新潟側のターミナルは信越本線新潟駅とは信濃川を隔てた対岸の白山に置かれた。越後鉄道は経営難に苦しみ、政治工作によって度々国有化を要請したが容易に実現しなかった。1927年1月、水戸鉄道(のちの水郡線)・陸奥鉄道(のちの五能線)・苫小牧軽便鉄道・日高拓殖鉄道(のちの日高本線)の4私鉄に加えて越後鉄道の買収案が突如浮上、相前後して白山 - 新発田間の新線案(のちの白新線)も提示された。紛糾の末に国会議決を経て5社の国有化が決定、越後鉄道は同年10月に国有化された。五私鉄の国有化は当初から政治的意図が指摘されたが、特に越後鉄道については強い政治介入がささやかれており、のち1929年に「越後鉄道疑獄」として表面化、元文部大臣小橋一太が収賄容疑で起訴される事態となった。1943年に新潟(旧) - 関屋間の貨物線(信越本線支線)が敷設され、両線が信濃川を渡って接続された。同線は1951年6月に旅客営業を開始し、同年12月にはこの貨物線上に白山駅を移転して関屋 - 白山(旧)間を廃止、同貨物支線を越後線に編入して、柏崎 - 新潟間が越後線となった。また、同年4月には、上沼垂から沼垂を経由せずに直接白山へ抜けるルートが形成(上沼垂 - 万代(貨)間の信越本線貨物支線を一部活用)され、関屋 - 万代(貨)間に営業キロが設定されている。1956年には、新潟駅が上沼垂 - 関屋間の貨物支線上(万代(貨)への分岐点)に移転し、それとともに越後線も終点を新潟駅に変更した。かつては非電化のローカル路線だったが、新潟大学が新潟市西部の五十嵐地区への移転を開始し始めた1970年代以降、沿線が宅地化し始めると次第に通勤・通学路線へと変貌し、1984年4月には弥彦線(弥彦 - 東三条間)と共に全線電化を果たした。2007年7月16日に発生した新潟県中越沖地震では、柏崎駅の0番線に停車中の列車が脱線したほか、路盤が液状化現象などにより湾曲したり、線路際にある住宅が倒壊するなど被害が生じたため柏崎 - 吉田間で運休したが、8月10日から臨時ダイヤで運行を再開した(8月26日までは朝夕の通勤・通学時間帯のみ列車を運行し、かつ一部区間で徐行運行を行う暫定ダイヤで、昼間は代行バスを運行。通常運行再開は8月27日から)。両端の柏崎駅・新潟駅で信越本線と接続しているため、信越本線が事故や災害などで不通になった際の迂回ルートとしても活用されたことがあり、特急列車などが越後線経由で迂回運行されたり、代替の臨時列車が運行されたりした。例として、信越本線が柏崎市内の脱線事故で不通になった際に寝台特急「日本海」が越後線に迂回したケースがある。2004年の新潟県中越地震の際には上越新幹線(越後湯沢駅以北)や上越線(水上駅以北)、信越本線(柏崎駅以北)などが運行不能となったため、長野駅 - 新潟駅間の臨時快速列車が越後線経由で運行された。しかし、近年は列車運行管理システムプログラムの都合上や前述した一部区間の簡易電化方式のため、信越本線と比較して高速での電車運行に支障が出るなどの理由で迂回運行はほとんど行なわれていない。前述のとおり電化を果たしたものの、南側の柏崎 - 吉田間は閑散線区となっており、運行本数も次第に減少している。この区間の1日当たりの平均通過人員は1988年度は1,861人あったものの、2013年度には945人と半減している。柏崎 - 礼拝間には越後線とほぼ並行する形で長岡駅方面とを結ぶ越後交通の路線バスがおおむね1 - 2時間間隔で運行されているものの、西山以北には並行・競合する公共交通機関は存在しない。ただし出雲崎駅・小島谷駅・寺泊駅・分水駅の4駅からは長岡駅方面、さらに分水駅からは長岡方面に加え、燕駅・燕三条駅経由で東三条駅方面に至る同社の路線バスが運行されている。吉田以南の区間の利用者が減少傾向にある要因としては、沿線地域のうち特に柏崎市西山町と出雲崎町、長岡市和島地域を中心に少子高齢化が進行し通勤通学の需要が減少していることに加え、並行する国道116号がバイパス化されるなど各所の道路改良が著しいこと、元来柏崎 - 新潟間は山側を経由する信越本線がメインルートであること、信越本線にほぼ並行する北陸自動車道経由の高速バスが運行されていること、バス・タクシーなど他の公共交通との接続等を含め沿線各駅の交通結節機能が脆弱であること、沿線各地の観光地や史跡を訪れる際は越後線を利用するよりも自家用車の方が便利なことなどが挙げられる。近年、吉田以南の沿線では住宅地開発も進捗しているものの、前述の通りダイヤ編成が不便なこともあり、沿線住民の日常の足は自家用車に偏重している。一方、北側の吉田 - 新潟間は1960年代後半から住宅地開発が各所で進捗している上、沿線には公共施設や医療機関、高等学校、大学が多く所在し、燕・新潟両市近郊の通勤・通学の足として利用されている。この区間の1日当たりの平均通過人員は1988年度が14,549人、2013年度が14,493人でほぼ横這いである。後述する2012年春のダイヤ改正以前は、吉田 - 内野間の運行間隔は60分となっていた。吉田以北の沿線2自治体のうち、新潟市は2007年4月1日から政令指定都市へ移行したのに伴い、越後線沿線の西川、巻、岩室の各地区は西蒲区の区域となり、巻駅近くに区役所が置かれた。同市内のJR線は市内8行政区のうち南区をのぞく7行政区を経由している。西蒲区をのぞく6行政区については、新潟駅から区役所等(北区・中央区・江南区・秋葉区・西区=各区役所、東区=東区役所石山出張所)所在駅までの運行間隔が昼間20分間隔となっているのに対し、西蒲区域全域を含む内野以西の区間は、ダイヤ改正以前は先述のように昼間60分間隔となっていた。また交換設備が設けられていない駅が多いため列車の増発に限界があり、後述する強風による遅延・運休が頻発するなど設備上の問題点も山積している上、越後線に並行する国道116号も交通量の増加によって渋滞や速度低下が慢性化しつつある。このため燕市・新潟市と沿線各地区の住民組織、沿線に所在する大学・専門学校各校などはJR東日本新潟支社に対し、交換設備の増設など設備面の改善と、吉田 - 内野間の運行間隔を他区間同様20分間隔に短縮するなど運行体制の改善を求めている。特に新潟市は、公共交通の振興を目指して2008年春に策定した短中期計画「にいがた交通戦略プラン」において「越後線の利便性向上」を重点プロジェクトの一つとして挙げており、運行頻度向上や各駅の利用環境改善、交通結節機能の強化などを課題としている。また2010年12月には西蒲・西両区の自治協議会が吉田 - 内野間の列車増発を求め、要望書と共に合計約4万1千人分の署名を市に提出したのを受け、市は2011年1月、JR東日本新潟支社に署名簿を提出し列車増発などを要望。これに対しJR東日本新潟支社側は「前向きに検討したい」と回答した。こうした経緯を経て2012年3月17日のJRグループのダイヤ改正に合わせ、越後線のデータイムの利便性向上を目的とした社会実験が、JR東日本新潟支社と両市の共同により3年間にわたって実施されることになり、データイムの内野 - 新潟間の列車を計3往復延伸してダイヤを等間隔化し、10 - 15時台の吉田 - 内野間を40分間隔で運行するダイヤが編成された。なお、延伸している3往復の吉田 - 内野間は通年運行の臨時列車の扱いとなっていた。新潟市は沿線3駅にパークアンドライド用の駐車場を確保したほか、新潟交通グループの協力を得て、岩室駅と巻駅、越後曽根駅、越後赤塚駅を発着する路線バス・コミュニティバスの増発や、吉田駅を発着して岩室温泉などに至る西蒲区バスの試験運行を実施するなど、列車増発に付帯する社会実験を併せて実施した。ただし吉田駅以南方面の列車や弥彦線との接続に関しては、弥彦線が東三条駅で信越本線の普通列車(長岡 - 新潟間、昼間60分間隔)との接続を優先するダイヤを編成している関係から、吉田駅で各方面間との乗り継ぎ時間が延伸した時間帯が生じた。この社会実験では吉田 - 内野間の1日あたりの平均利用者数を、2011年比で350人増加させることを目標値としていたが、同年9月に速報値として公表された、3月から6月までの4か月間の1日平均利用者数は8,620人で、前年同期比で20人の微増という数値にとどまった。さらに2013年11月8日に公表された、前年8月から7月までの1年間の1日平均利用者数は8,400人で、沿線の高等学校の募集定員削減や通学者の減少などの影響から、実験前の同期比から60人をも下回る結果となった。両市では延伸3往復の定期運行化について可否が判断される2014年秋までに目標値をクリアすることを目指して、沿線市民に対し越後線の利用を促すなどしたが大きな変化はなく、2014年12月、JR東日本新潟支社は目標とした利用者の増加に至らなかったとして、2015年3月14日のダイヤ改正で社会実験前の運行本数に減便し、再び昼間60分間隔とすると発表した。新潟駅周辺の在来線3路線の高架化を行う「新潟駅連続立体交差事業」が、2021年度の立体交差化完了を目標に事業が進められており、このうち越後線では高架化と併せて信濃川橋梁東詰 - 新潟駅間の複線化と、同橋梁西詰側に位置する白山駅の改修(半地下化・自由通路新設・ホーム1面1線の増設)などが行われる。このうち後者の白山駅のホーム増設は2013年夏に竣工し、同年9月1日から供用を開始している。白山 - 新潟間では、車窓から工事の様子をみることができる。白山駅から新潟駅へ向かう間では、信濃川橋梁通過後すぐに2014年11月29日の線路切替時に設置された分岐器があり、新潟方面へ向かって右手側に分岐する。これは将来の複線化へ向けての準備であり、左手側は線路が途切れており、この後線路が敷設される。また、高架化工事の進捗にともない、この区間は一部仮線へ切り替えられていることから、開業以来の線路位置とは異なっている。なお、施工進捗に伴い2012年3月と11月のダイヤ改正では、新潟駅構内でホームの移設等が行われる関係から信越本線の新津駅方面と白新線の新発田駅方面へ直通する列車の本数が減便された。前節の通り橋梁東詰までは複線化工事が進められているものの、既に架橋から70年を経過している橋梁部の架け替えや複線化などについての具体的な計画は無く、JR東日本新潟支社も「現段階で架け替えの必要はなく、複線化の予定もない」との見解を示している。この白山 - 新潟間は営業キロ上の駅間距離が3.1kmとやや長くなっており、1980年代から沿線住民や新潟県立新潟南高等学校の通学者、新潟県の社会福祉施設「新潟ユニゾンプラザ」の利用者などから新駅の設置要望が出されている。しかし要望する地点は信濃川橋梁の南詰側に位置し、築堤やカーブなどの構造物が存在する。また周辺は東港線と新潟県道1号新潟小須戸三条線の2本の幹線道路が交差する地点で、駅舎用地の確保も課題となる。こうした立地上の問題などもあり、JR東日本新潟支社は消極的な見解を示している。新潟の平野部を走行することや、鉄橋が川の河口に近いなど地形的な原因から強風の影響を受けやすいというネックがある。特に大河津分水路に信濃川分水橋梁が架かる寺泊駅 - 分水駅間、水田が広がる越後赤塚駅 - 内野駅間、関屋分水路橋梁が架かる青山駅 - 関屋駅間、信濃川橋梁が架かる白山駅 - 新潟駅間の4区間は横風の影響を受けやすいため、徐行運転による遅延や運休になるケースがしばしばある。特に2005年のJR羽越本線脱線事故発生以降は運行基準がより厳格化され、風速規制値が引き下げられたこともあって、とりわけ冬場には遅延・運休が増加していた。そこでJR東日本新潟支社では2012年11月20日から特に運休が頻発していた越後赤塚 - 内野間の運転中止の規制値を風速25m/sから30m/sに、徐行運行の規制値を風速20m/sから25m/sに、それぞれ引き上げる措置をとった。この規制値は羽越本線事故以前と同じ数値で、JR東日本が2011年12月から導入した「車両が風から受ける力をより適正に評価し運転規制を行う手法」の一環で、風速計の増設によって観測体制を強化し、安全性を確保したことによるもので、同区間においては風速計が従来1基だけだったものを2基増設し、計3基体制とした。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。