呂三十三型潜水艦(ろさんじゅうさんがたせんすいかん)は、大日本帝国海軍の潜水艦の艦級。海中6型(かいちゅうろくがた)とも。同型艦2隻。1942年と1943年にそれぞれ戦没。ワシントン軍縮条約締結以後の日本潜水艦は、主に一等(伊号)潜水艦の海大型、巡潜型が建造され、二等(呂号)潜水艦は暫く建造されなかった。ロンドン軍縮会議で潜水艦の保有も排水量で制限が設けられたため、大型潜水艦1隻を建造するより中型潜水艦を2隻建造する方が有利であるという考えで建造された。また戦時急造艦のプロトタイプとしての試作の目的もあった。本型の寸法は今までの海中型とほぼ同じ大きさである。主機には新たに艦本式21号ディーゼル(元はヴィッカース式ディーゼル)を搭載した。出力が3,000馬力まで向上したため水上速力も19ノット弱まで向上した。また航続距離も12ノットで8,000海里とこちらも増大した。操縦性、凌波性もよく、居住性も改善されているため乗員の評判は良かったという。1931年(昭和6年)度のマル1計画で2隻が建造され、1935年(昭和10年)と翌々年に1隻ずつ竣工した。太平洋戦争開戦時には第4潜水戦隊第21潜水隊に所属し、マレー、ジャワ方面での通商破壊戦に従事。1942年(昭和17年)5月にはポートモレスビー作戦を支援。その後もソロモン・ニューギニア方面で活動した。呂33は商船1隻を撃沈するも8月に戦没。呂34も翌年4月に戦没した。
出典:wikipedia
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