福岡県の北東部、行橋市の南西側に位置し筑豊地方と隣接する町である。町域は南北に広く北側は北九州市と隣接し、南側は中津市と隣接して大分県との県境を成している。旧犀川町南部は谷や山地が多く、冬場は積雪しやすいため野峠周辺にはスキー場もある。行橋市に隣接する地域や旧豊津・勝山町域は京都平野の田園地帯であり、今川や祓川が流れる。また北部はカルスト台地の平尾台となっている。地理的にも交通の要所であり、福岡〜行橋を結ぶ国道201号が東西に延びる。筑豊地方との分水嶺である仲哀峠を新仲哀トンネル(1,365m)が貫き、毎日多くの自動車が行き交う。近年は国道10号バイパス(椎田道路)が整備された事により北九州〜大分へのアクセスが格段に容易となった。みやこ町は歴史的に重要な遺跡や遺物などが数多く発見されている。豊前国の国府跡や国分寺跡も豊津地区で発見されており、豊前国の中心地だったとされている。現在、国府跡地は豊前国府跡公園として整備されている。1866年、長州藩の第二次長州征伐により攻撃を受けた小倉藩が小倉城に火を放ち、城から撤退。のち小倉藩は藩庁を現在の旧豊津町に新設した。豊津陣屋。1871年の廃藩置県で豊津県の県庁が置かれたが、同年内に小倉県に編入され、のちに小倉県が福岡県に編入されたため福岡県内に組み入れられた。1876年に起こった秋月の乱において戦場となった。このとき戦死した士族の墓は現在、「秋月党戦士の墓」として残っている。当初2003年から行橋市と築上郡椎田町・築城町(現在は築上町)を含む6市町で法定合併協議会を設けて協議してきたが、2003年11月、旧築城町の離脱で破談となり、旧椎田町・旧築城町を除く4市町で合併勉強会を発足させるが議員定数で意見が対立したため合併勉強会は解散した。その後、京都郡3町で合併協議会を設け、新役場の位置などで協議が紛糾した事もあったが、3町での合併に至った。経済・文化面等で行橋市との結び付きが強い町で、行橋市の経済圏、生活圏に属する。市外局番は「0930」で行橋市・築上町と同一。また 北九州市への通勤・通学圏内で、2000年国勢調査では旧豊津町、犀川町、勝山町ともに北九州都市圏の10%通勤圏に属す。なお、町域が歪な形をしており、豊津地区中心部と勝山地区中心部を行き来する場合、行橋市を経由するルートが最短となる。犀川地区中心部から勝山地区中心部に行き来する最短ルートは峠道となっている。旧豊津町のみ「みやこ町」に続き大字を表示し、それ以外の2町は合併前の町名に合わせ大字の前に「犀川」「勝山」を冠している。豊津地区、犀川地区などに小規模商業地が点在する程度で商業の集積は少ない。国道201号や福岡県道58号椎田勝山線の沿道にコンビニエンスストア、飲食店、スーパーマーケットが点在する。町内を走る平成筑豊鉄道(旧田川線)は、かつては筑豊炭田からの石炭の輸送を担っていた。現在は、筑豊炭田は全て閉山してしまったため、輸送量は大幅に減少している。しかし、歴史的に重要な建造物が未だに残っており、赤村境の第二石坂トンネルは九州最古の鉄道トンネルである。第二石坂トンネルは1999年に国の登録有形文化財に登録されている。JR日豊本線では旧勝山・犀川町からは行橋駅(行橋市)、旧豊津町からは新田原駅(行橋市)または築城駅(築上町)が最寄りである。また、平成筑豊鉄道豊津駅は隣接する行橋市矢留に位置する。かつては現在の町域の各地に西鉄バスが運行されていたが、2000年代にすべて廃止され、以下の各事業者・路線で代替されている。町内には国道10号、国道496号、国道201号などの主要国道が延びており、国道10号経由で北九州市・行橋市・大分方面、国道201号経由で田川市・福岡市方面、国道496号経由で日田市方面へのアクセスが容易である。町内にある東九州自動車道 みやこ豊津インターチェンジは2014年12月13日に開通した。開通前は東九州自動車道 行橋インターチェンジ、大分自動車道 日田インターチェンジなどが最寄りICであった。最寄り空港は北九州空港(北九州市・苅田町沖)。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。