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弓矢

弓矢(ゆみや)とは、弓と矢からなる武具。狩猟具、軍事上での武器、祈祷や神事のために使われる。また、武芸のためや、近年にはスポーツ・娯楽などのレクリエーション用途にも用いられる道具である。矢は矢入れと総称される矢筒・箙(えびら)といわれる細長い軽量の籠や筒などに収納し携帯する。湾曲する細長い素材(もしくは湾曲しない素材)の両端に弦を張って作られた弓を両腕で弓と弦をそれぞれ前後に引き離し保持しながら、弦に矢をかける。矢とともに弦を手で強く引いてから離すと、その弾性から得られた反発力で矢が飛翔し、遠方の的や標的を射抜く物をさす。日本語においては、幸(さち)と言い箭霊(さち)とも表記し、幸福と同義語であり、弓矢とは「きゅうし」とも読み弓箭(ゆみや・きゅうし・きゅうせん)とも表記する。弓矢は、武具や武器、武道や武術、戦い(軍事)や戦(いくさ)そのものを意味する。特に戦に限っては「いくさ」の語源が弓で矢を放ち合うことを表す「射交わす矢(いくわすさ)」が、「いくさ(射交矢)」に変化したといわれる。また的は古くは「いくは」と読み、弓矢そのものであり、「射交わ」が語源となっている。日本の弓を和弓といい、それ以外のものを洋弓という。弓矢は狩猟の道具としては非常に一般的なもので、一万年以上前から使われてきた。オーストラリアのアボリジニを除き、世界中で狩りはもちろんのこと、時には漁りにも使われ、競技や戦いの場で普及してきた。そのため世界各地の文化文明や神々や宗教と繋がり、美術や彫刻、歴史的な物語や故事などにもよく登場する普遍的な物でもある。間接的には一部の火起し器の起源であり、またはハープ(竪琴)の起源であり、世界各地にある弦楽器の発祥とも関連がある場合が多いと考えられている。弓の基本的形状は、円弧を描くだけの湾曲形と、M字を描く屈曲形のリカーブボウに分けられる。また弓丈により、長弓・短弓()といい、日本では弓、古くは大弓(おおゆみ)と、半弓(特殊な状況下の武具)や小弓(祭礼や遊興での玩具)という名称で分類し、欧米ではロングボウとそれ以外に分類している。この分類は大まかであり、また日本と欧米の分類方法やその意味が、必ずしも一致するものではない。素材の構成において丸木弓・単弓(無垢の木から作られたもの)と複合弓・積層弓(幾つかの部材をつなぎ合わせて作られたもの)とに区別している。コンポジットボウ(複合弓)には、一部滑車を備えたものとしてコンパウンドボウ(化合弓)というものもある。また弓幹(ゆがら)が板状で断面形状が長方形をなすものをフラットボウと呼称し、それ以外と区別している。フラットボウに含まれる弓は、海洋系東南アジアの人々が使う弓と日本の和弓と日本より北東のアムール川周辺地域の先住民の積層弓とさらに東の北米大陸の先住民が使用する積層弓およびケーブル・バックド・ボウ(緊張力を付加した弓)などが挙げられる。弓矢から派生したものとして吹き矢・ダーツ(日本では投げ矢という)・洋弓銃(機械弓の一種)・大型の機械弓などがある。現在では大型の機械弓は消滅し、弓矢(和弓・洋弓など)・吹き矢・ダーツ・洋弓銃はスポーツとして楽しまれている。そのうち洋弓銃は軍隊や警察の武器や兵器として採用する国もある。また弓矢と吹き矢は、世界各地で現在も生活の糧を得るため狩猟で使われている。弓矢の構造や効果(飛翔性)は、力学や放物線(微分・積分)という概念がない頃から世界各地おいて、それらについて試行錯誤されてきた道具であり、初期の機械工学の発展の要因(機械弓、投石機)である。日本においては、基本的には弓・矢ともに様々な種類の「竹」を主材とし、その物性(物質の性質)において使い分けており、日本初の炭素繊維で出来た道具といえる。また様々な竹と木材を張り合わせた積層弓は、日本の軽工業に欠かせない、膠(にかわ)の発展にも寄与し「鮸(にべ)」と言う特殊な接着剤も生み出した。この鮸や膠による積層弓は、現在の積層木製建築構造材である集成材や集積材と基本的には同じである。ケーブル・バックド・ボウの構造も、現在の建設技術としての様々な緊張梁(テンション・ビーム)と基本原理は同じである。放心・止心・無心・残心・丹心・錬心 など禅宗の概念を神道や道教などと渾然一体となし、日本独自の「心根」にした代表的な武芸であり、また「しあわせ」という心の感情は、狩り(かり)や漁り(いさり)から生まれ、幸(弓矢や幸心のこと)と言い、「弓矢の神事」や「射的行ため」から派生して「射幸心」という心の概念を表す語になった。放つ心・止める心・無の心・残す心・丹ずる心・錬る心について詳しくは弓道または弓術を参照。的屋(まとや)が営む矢場や楊弓場が遊女と懸け物(景品交換式遊技場、温泉場や宿場の射的場やスマートボールなど)との密接な関わりから、風営法の設立の主な要因となった。詳しくは本稿の「公家と庶民の遊興」または的屋を参照。弓矢の発達は、力学や物性(物質の性質)や機械工学に寄与してきた。その変遷や必要性において重要な要因は、弓の素材の選定やその組み合わせであり、具体的には「弓の長さと断面積の比率に対しての弾性率・弾性限界」や「最小限の引く力と最大限の飛距離」など、条件の妥協点を見出すことにあり、その他には「地上や馬上から矢を射る」という条件の差や、「機械化と連射性能」などである。矢についても同様、「速く弓につがえやすい構造」や「飛ばしやすさ」などが重視されて来た。例として、漢字の「短」という字は「弓につがえやすい短い矢」が原義であり、そこから汎用的に「短い」という意味になった。これらの諸条件の前提として、軽く持ち運びしやすいことが狩りや戦いにおいても重要である(ただし大型の機械弓は軽量で携帯が可能という条件を無視した弓矢といえる)。外部要因としては銃の発明もその歴史において大きく影響した。条件の選択で、弓矢の形状・構造、性能・特性が決まる。そして、その選択と方向性や発展は、日本と日本以外では大きく違っていった。弓の始まりは、世界中どこでも押並べて変わらず、湾曲形の単弓(丸木弓)であり、短い弓であった。具体的には単一素材で弾性のある木材等を使用した弓で、湾曲させただけの丈も短い物であった。このことは弓矢の初期の利用が、狩りや時には漁り(いさり)中心であり、狩りにおいては、視界が開けているか、いないかによって、求められる飛距離は違ったが、ほとんどの地域で狩りは男性の仕事であったので、腕力で十分補うことが出来た。また常に地域間で戦いがあった訳ではなく、切迫した命の危険がないことと日々の糧が十分得られれば、弓矢を改良する必要がなかったからである。世界各地に残る原始宗教において弓矢や吹き矢は狩りの道具であるとともに首長(chief)などが兼任する、祈祷師(シャーマン)の祈祷や占い、呪術などの道具でもある。これは鏃に毒薬を塗ることが要因であると考えられており、薬草の調合や知識が主にシャーマンの役割であることがどの地域でも共通している。また世界各地の多神教文明において弓矢は霊力や呪詛が宿る道具として考えられており、ギリシャ文明やヒンドゥー教や日本の神道などの神話に記述されている。しかし文明が発達し人口も徐々に増え、国家や領土という社会構造が出来るにつれ、世界中で大規模な争いが起きるようになってゆく。ここで戦いを有利に進めるために、考えられた戦術の一つが遠戦であり、弓矢は戦場において重要な役割を持つようになる。弓矢隊や弓兵・弓歩兵を生み出し、戦術も多様に広がった。そして戦いに馬を利用し、馬上から弓を引き、矢を射ること(騎馬弓兵という)から、短い弓のまま改良されていった(特に騎馬民族の使用する弓を短弓という)。ただし日本以外でも、丈のある弓が使用された例があるが、ほとんどが単弓で硬く重いため、馬上から用いることはなく、腕力のある特別に訓練された弓歩兵が、その弓を使用した。また飛距離においても、日本の弓矢を凌ぐ物はあったが、特殊なものであり汎用性はなかった。一方、日本の和弓は、特殊な膠(にかわ)を開発し、接着剤として用いて竹と木材を繋ぎ合わせ、積層状の合成素材で作られた複合弓(積層弓でもある)が進歩していった。軽く飛距離があり、女性でも引くことが出来る丈の長い弓のことで長弓といった。また軽く弾性もあり飛距離もあることと、矢を番える高さも丈の中間ではなく、下方に出来るよう改良していったので、馬上でも使用出来る様になり、長弓自体が世界的にも珍しいにも拘らず、馬上での長弓の使用という日本独自の方法を確立していったのである。そして竹材も熱を加えることなどで、同じ竹でも物性の違う材料を生み出し、構造も複雑になっていった。日本以外でも複合素材で作られる様になっていったが、丈が短いことと素材選択やその改良や接合方法やその方向性は、日本とは全く違っていた。このことは日本と近隣諸国との戦争(元寇)などで実証済みで、日本が飛距離でまさっていた。ヨーロッパや中華文明圏では、機械弓や大型機械弓も発明され、破壊力や飛距離のあるものも作られ、矢だけではなく砲弾などが使用された。堅牢な石の組積造でできた城の城攻めにおいては多大な効果を発揮したといわれ、世界各地の国家覇権による軍事史においては、様々な軍事兵法として用いられその効果は兵法書や絵画などで伝承される。ただし、機械弓は重さや連射性に問題があるため、通常の陸上戦や海上戦では使用が難しかった。日本にも機械弓の技術が大陸から伝わっていたが、和弓の利便性から積極的に採用する必要はなく、また火縄銃の伝来によりその活躍はなかった。そして銃の発明により、一部の機械弓を除いて戦いの場から弓矢は消えていった。またそれは日本でも同じであるが、平安時代から神事としての側面や、江戸時代には弓術や弓道、祭礼や文化になり消え去ることはなかった。現代の世界各地ではスポーツや心身鍛錬として、洋弓によるアーチェリー競技や、和弓の弓道がよく行われている。日本においても変わらず祭事や儀式として弓矢を用いることも多く、疾走する馬上から矢を射る流鏑馬(やぶさめ)や通し矢、正月の破魔矢などがその姿をほとんど変えることなく見ることが出来る。そして世界各地には自然と共生をはかり、慎ましやかに暮らしている狩猟民族が、今日も日々の糧を弓矢で得ている。"日本の弓矢の歴史について詳しくは、和弓、弓術、弓道を参照。"古くには弓矢(釣竿と釣針も同様)は、狩りが収穫をもたらすことから、「サチ(幸)」といい「サ」は箭(矢)の古い読みで矢や釣針を意味し、「チ」は霊と表記し霊威を示す。弓矢は幸福を表すと同時に霊力を持つ狩猟具であった。霊威から祈祷や占いの呪術としての道具の意味合いも持っていた。日本独特といわれる「道具にも神や命が宿る」という宗教観(針供養・道具塚)をあらわす根源的なものである。そして社会構造の変化と共に「いくさ」そのものを指し、延いては「武」そのものに転化するとともに、宗教(神道・仏教・民間信仰)や「道」という概念と渾然一体となって武芸の残心という所作や神事としての縁起などの価値観や心。もしくは占いや神事と遊興が結びついて、年始の弓矢祭りや縁日の射的になり、「晴れと穢れ」や射幸心(射倖心)といった価値観や心の一端を形成し、日本の文化を担っている。日本の弓矢は正式には和弓または単に弓といい、古くは大弓(おおゆみ)ともいった{中国の大弓(たいきゅう)とは意味も構造も違う}。世界的な弓矢の種類においては長弓(ちょうきゅう)に分類される。本来は弓、矢ともに竹を主材としている丈(弓丈)の長い弓で矢をつがえる位置が弦の中心より下方にあり、馬上使用ができる長弓で日本においてのみ見られる特殊な弓矢である。このことは『魏志倭人伝』に記述されており、古い時代からすでに現在に伝わる姿が完成されていたことがわかる。戦になどに使われる武具として、天井がある屋内や狭い場所や携帯に便利という理由から、鯨の髭や植物の蔓で補強した丈の短い和弓や、大陸からの渡来人によって短弓を基に考案された籠弓・李満弓や、箱などに携帯した小さな弓を半弓と呼んだ。また戦や狩りに因らない弓矢もあり、小弓(こゆみ)といった。楊弓(ようきゅう)とも呼ばれ丈の短い弓であるが、ユーラーシア全般に見られた短弓とは、形状は違い弓は円弧を描くだけである。この楊弓は「座った状態」で行う、正式な弓術であった。平安時代に公家が遊興として使い、その後、江戸時代には庶民の娯楽として使用された。同じ平安時代には雀小弓(すずめこゆみ)といって子供の玩具としての弓矢があり、雀という名称は小さいことや子供を示すことだといわれる。その他には、梓弓(あずさゆみ)といわれる梓の木で作られた弓があり、神職が神事や祈祷で使用する弓を指し、祭礼用の丸木弓の小弓や、御弓始めの神事などでは実際に射るものは大弓もあり、大きさや形状は様々である。梓弓のなかで梓巫女が呪術の道具として使用するものは小さな葛で持ち歩いたので小弓であった。葦の矢・桃の弓 や蓬の矢・桑の弓など、それぞれが対となった弓矢があるが、祓いのための神事で使われたものである。詳しくは、祓い清めを表す言葉を参照。日本では洋弓銃(クロスボウ)や投石機(カタパルト)などは普及しなかったが、弓を使わず矢を飛ばす方法がある。また下記については世界各地で類似するものがある。神事や修練や非殺傷用として使用された矢"日本の弓矢の歴史については和弓を参照。"弓(ゆみ)矢(や)"弓の構造の詳細は「和弓」を参照。" "矢の構造の詳細は「矢」を参照。"楊弓(ようきゅう)小弓の一つ。一般的には「矢筒」ともいい、先史時代の遺跡から出土する埴輪に矢筒が象られている。弓矢が日本の歴史の中で公家や武家にとって重要であったことから、矢入れも様々に変化し、儀礼用や戦いのためのものなど細分化した。とくに戦いにおいては、弓矢の改良に負けず劣らず改良され、弓矢を支える武具としての、陰の立役者ともいえるだろう。記述は古い時代のものから順を追って表記する。矢筒は矢筈を、それ以外の矢入れは鏃を手にして引き抜き、弓につがえる。古くは的は弓矢を意味する。的には、色(柄)では星的、霞的、色的の3種類。大きさでは射礼、近的競技で用いる金的(三寸)八寸的、通常の一尺二寸。遠的競技で用いる100センチメートルの3種類ある。金的は主に射礼で用いる。通常は三寸(直径約9センチメートル)ほかにも扇なども射礼で使われる。星的は八寸、尺二寸ともに中心を白地直径1/3の黒色同円のものを使う。霞的は中心から、中白(半径3.6センチメートル)一の黒(幅3.6センチメートル)二の白(3.0センチメートル)二の黒(1.5センチメートル)三の白(3.0センチメートル)三の黒(3.3センチメートル)と分かれている。星的は主に練習のときに使われる。色的は中心から10センチメートルずつ5つに区切られている。中心から金、赤、青、黒、白と色分けされている。得点制の場合は中心から10、9、7、5、3点となっている。主に実業団、遠的(得点制)の場合使われる。近的競技の規則では木枠または適当な材料で作られた的枠に上記の絵を描いた的紙を貼ったものとし深さは10センチメートル以上とするとなっている。「武芸のための的場」や「的屋が営む的場」から生まれた語として以下のようなものがある。武家文化に対し、公家文化は花鳥風月と喩えられる雅や遊び、いわゆる趣味や芸術である。江戸時代に住民が豊かになったことから、余暇を楽しむゆとりができ、このことにより様々な公家文化が、普及し文化や風俗習慣になり、弓矢やそれに類する射的が隆盛を極め、形を変えながら日本の祭り文化やお座敷遊びに根ざしている。主に神道や古神道に関わるものだが、技術向上の修練であるもの、祓いとしての呪術的な側面が強いもの、弓矢を射る行為などを模式的に踊りとしての神楽にしたもの、弓矢そのものに呪詛の意味合いがあるものの4種に大別できる。神事だが武術の向上を目的とした競技でもある。"詳しくは、騎射三物、犬追物、笠懸、流鏑馬、通し矢および弓術、弓道を参照。"実際に弓矢を射る行為が神事となっている祭り。弓矢を射ることを模式的に喩えた舞踊り。弓・矢それぞれが霊力を宿し、意味をなす神事(蟇目の儀と鳴弦の儀は相対をなす)。江戸時代、経済の発展により一般にも武芸は広まったが、明治維新からの武芸復興により更に門戸が開かれるようになった。"弓術については弓術を参照。" "弓道については弓道を参照。"日本では埴輪に象られているが、ヨーロッパで発見された古代人類の通称アイスマンといわれる人も、矢筒を携帯していた。弓矢もオーストラリアのアボリジニを除き、世界中で普遍的なものでもあるが、矢入れも同様だと考えられる。日本では木製や紐や編み籠などでできているが、ヨーロッパなど畜産や狩猟が盛んな地域では革をよく用いている。馬にベルトを用いて括りつけたり、腰や背に紐を通し背負ったりして矢を収納し携帯した。矧いだ矢羽が取れないように雨天時を考え、蓋が付いている種類もある。ヒンドゥー教と同様に密教・仏教にも弓矢を持つ神々がいるが、起源はヒンドゥー教にあるか、またはヒンドゥー教の神と習合させた神である。ギリシャ神話の弓矢を持つ神々とヒンドゥー教の弓矢を持つ神々は幾つかの共通点がある。日本においては弓矢の神ではなく「弓矢神」という一つの単語になっていて、応神天皇(八幡神)のことでもある。応神天皇を祀っている八幡神社の数は、稲荷神社に次いで全国第2位で広く信仰されてきた。また弓矢や運命や確率に関わり幸運を願う時には「八幡」という語が使われてきた歴史があり、八幡は祈願と弓矢の意味が一体となす語として、射幸心という語の語源ともなった事由である。これらのことからも古くから弓矢が信仰の対象となってきたことが窺える。また八幡神は八幡大菩薩としても夙(つと)に知られ、「南無八幡」と言う慣用句からも窺い知ることができる。しかし明治政府によって神仏分離され、八幡大菩薩は消滅したが庶民は八幡大菩薩も変らず信仰し、射幸心に係わる物事において、現在でも八幡大菩薩を用いて表現されることは多い。さまざまな文化において、手を触れずに、遠隔の敵ないし獲物を仕留めることのできる弓矢は、ギリシャ神話や日本で「遠矢・遠矢射」といわれる力として特別視され、「エロスの弓矢」や「天之返矢」ように呪術的な意味が与えられた。さらには見えない魔物や魔を祓う、武器や楽器のように使用するものとして、「鳴弦」や現代に伝わる「破魔矢・破魔弓」などがあり、これらは神話・伝説などに登場する、弓矢の呪力の象徴とも言える。また日本においては、原始宗教のアニミズムが色濃く残っており、弓矢は吉凶を占う道具としての側面も持っている。中華文明圏において「強」「弱」という漢字に弓の字が使われているのは、それが武力の象徴であり、呪術用に特化して飾り物となった(弱の字は弓に飾りがついた姿を現している)武力を「弱」と捉えたことに注目できる。日本でも、このような弓の呪術性は、鳴弦という語に示され、平安時代に、宮中で夜間に襲来する悪霊を避けるために、武士たちによって、弓の弦をはじいて音を響かせる儀礼が行われていた。こうした用法から、世界各地で弓は弦楽器の起源の1つとなったと考えられ、儀式に用いる弓矢ではなく、本来の弓を楽器として用いる場合もあり、代表的な物としてハープは楽器ではあるが、弓を起源としその形態を色濃く残すものでもある。現在でも玄関や屋根に魔除けやお祓いや結界として、弓矢を飾る地方や人々をみることができるが、古くは『山城国風土記』逸文に流れてきた「丹塗りの矢」で玉依姫が身ごもり賀茂別雷神が生まれたという話があり、賀茂神社の起源説話にもなっている。丹塗りとは赤い色のことだが呪術的な意味を持っていたことが指摘される。望まれて抜擢されるという意味の「白羽の矢が立つ」とは、元は「神や物の怪の生け贄となる娘の選択の明示として、その娘の家の屋根に矢が立つ(刺さる)」という、日本各地で伝承される話から来ており、本来は良い意味ではなく、心霊現象としての弓矢を現している。 広く庶民に知られる話としては『平家物語』の鵺退治がある。話の内容は「帝(みかど)が病魔に侵されていたが、源義家が三度、弓の弦をはじいて鳴らすと悪霊は退散し帝は元に戻った。しかし病魔の元凶は死んではおらず帝を脅かし続けた。悪霊の討伐として抜擢された源三位入道頼政(源頼政)は、元凶である鵺(ぬえ)という妖怪・もののけを強弓、弓張月で退治した」というものだが、記述から弓矢には、楽器として悪霊を祓う力と武器として魔物を退治する力があると、信じられていたことが窺える。"天之返矢(返し矢)については矢の項目『古事記』を参照。"本来は、古くから神事に纏わる弓矢の語でもあるが、さまざまな、古文や句などで使われており、俳句の季語と同じように、間接的な比喩として穢れ・邪気・魔・厄などを、祓い清めることを表している語でもある。弓矢・弓箭"弓に纏わる語は弓の「弓に纏わる言葉」を参照。"矢に纏わる語は矢の「矢に纏わる言葉」を参照。"上記の項目「神々と弓矢」以外の神ではないギリシャ神話における、弓矢と星座の両方に関係するものを記述する。弓が単一素材か複合素材で構成されていることによる種別。競技・遊び弓矢の普及の要因となった戦術。弓の名手とその物語弓矢の位置を占めるもの

出典:wikipedia

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