九州大学は、1949年(昭和24年)に旧制九州大学等を包括して設置された国立大学である。1867年(慶応3年)に設立された賛生館を起源とする九州帝国大学を直接の母体としている。九州帝国大学の初代総長は東京帝国大学の総長と明治専門学校の初代総裁を務めた山川健次郎である。2003年(平成15年)に九州芸術工科大学を吸収、2004年(平成16年)に国立大学法人による設置へと移行した。九州大学には特に建学の精神は定められていないが、「九州大学教育憲章」、「九州大学学術憲章」が存在する。九州大学では1970年代、大学院への要請が多様化してきたことに対応するため、「学際大学院」構想を進め、1979年(昭和54年)4月に総合理工学研究科(現:総合理工学研究院)を設置している。1991年(平成3年)、キャンパスの統合移転計画が決定すると、1998年(平成10年)に「改革の大綱案」を定め、優秀な研究者の養成と研究レベルの向上を目的とする大学院重点化を行い、2000年(平成12年)に学府・研究院制度を導入した。この制度は研究機関としての大学院組織を「研究院」、教育機関としての大学院組織を「学府」に分離するもので、必要に応じて簡易に組織改編ができるようになり、研究院には教員が、学府には大学院生が、学部には学部生が所属し、教員が学府や学部に出向する形で教育を行う。なお、基本的に研究院長が学府長・学部長を兼務する。2006年(平成18年)3月現在、この制度が全学的に導入されているのは九州大学だけであるが、部分的にはいくつかの大学で導入されている。1867年(慶応3年)、当時福岡を統治していた福岡藩は賛生館という医学教育を行う藩校を天神に設立した。1872年(明治5年)に学制が施行されるといったん廃校となったものの附属病院はその間も継続した。同病院は1874年(明治7年)に修猷館の附属診療所となり、1879年(明治12年)には福岡県立福岡医学校の附属病院へ改組された。福岡県立福岡医学校が廃校となった後は福岡県立福岡病院として存続することになる(1896年(明治29年)6月22日、現在の病院地区である福岡県筑紫郡千代村に移転)。1886年(明治19年)に帝国大学令が公布されると九州に帝国大学を設置する機運が高まり、1900年(明治33年)1月29日の第14帝国議会において「九州東北帝国大学設置建議案」が可決された。建議案の可決後も古くから医学の盛んだった長崎県や第五高等学校が設置されていた熊本県との間で誘致の綱引きが行われていたが、結局は賛生館の流れを汲む福岡県立福岡病院を母体に1903年(明治36年)京都帝国大学の分科大学として福岡医科大学が設置された(帝国大学の医科大学(医学部)としては3番目の設置)。その後は資金難により九州帝国大学の設置は進まなかったが、古河財閥から1906年(明治39年)に「福岡工科大学、仙台理科大学、札幌農科大学」の建物建設へ寄付の申し出があり、設置の動きが高まることとなる。古河財閥の寄付金約100万円のうち6割ほどが九州帝国大学工科大学校舎建設の資金として当てられ、さらに福岡県の寄付金によって1911年(明治44年)1月1日に九州帝国大学が設立された。九州帝国大学の初代総長は東京帝国大学の総長と明治専門学校の初代総裁を務めた山川健次郎である。残りの4割は札幌農学校の東北帝国大学農科大学昇格(1907年(明治40年)9月)と東北帝大理科大学新設(1911年(明治44年)1月1日)のために用いられている。こうした経緯から九州大学では創立年を賛生館の設立した1867年(慶応3年)、大学設置年を九州帝国大学として独立設置された1911年(明治44年)としている。1947年(昭和22年)に帝国大学令が国立総合大学令に改められると九州大学と改称した。1949年(昭和24年)には福岡地区に所在していた旧制九州大学、九州大学附属医学専門部、福岡高等学校、久留米工業専門学校を包括して新制九州大学が設置された。旧福岡高等学校の施設と教員は九州大学第一分校(1955年(昭和30年)第二分校と統合し九州大学分校、1963年(昭和38年)より教養部)に引き継がれ、旧久留米工業専門学校は第二分校(1955年(昭和30年)第一分校との統合により廃止)が設置され、旧陸軍歩兵第48連隊兵舎跡に第三分校(1951年(昭和26年)廃止)が置かれた。2003年(平成15年)には国立大学法人化を視野に入れ、法律第29号により九州芸術工科大学を吸収。2004年(平成16年)には国立大学法人法の規定により、国による直接設置から国立大学法人による設置へと移行した。九州大学は2011年(平成23年)に創立100周年を迎えた。九州大学創立百周年記念事業として九州大学基金を創設し、以下のことを行っている。九州大学の学士課程には21世紀プログラムというコースがある。専門性の高いゼネラリストの育成を掲げて2000年(平成12年)に設置された。各学部から1名から数名の入学定員を割り当てられ、AO入試によって学生が選抜される。また、他学部の1・2年次生の21世紀プログラムへの転籍制度もある。21世紀プログラムに入学した学生は学籍の管理上どこかの学部に所属してはいるものの、自身がどの学部に所属しているかは知らされず、21世紀プログラムの学生として扱われ学籍番号も固有のものが与えられる。必修科目が少なく、一部の科目を除いて全学部のほぼ全ての授業を受講することができる。このコースを選択した学生は大学で学ぶ内容を自主的に方向づけ決めなければならないように教育課程が設定されている。この教育プログラムは、2003年(平成15年)度の文部科学省「特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)」に採択された。前述のように、九州大学では大学院組織が研究部/教育部(九州大学での名称は研究院/学府)に分けられている。研究院には教員が所属し、大学院生は学府に所属する。ノーベル賞級の高い業績を挙げた退職後の研究者と、優れた若手研究者を支援するための学内組織。2009年(平成21年)10月設立。九州大学出身でノーベル賞候補に上げられている新海征治(応用化学)、笹月健彦(遺伝学)両名誉教授には、希望に応じて研究室や研究員などが与えられる。特別准教授には23人が就任している。教育組織としての組織研究組織としての組織21世紀COEプログラムとして、9件のプロジェクトが採択された。グローバルCOEプログラムとして、5件のプロジェクトが採択されている。文部科学省は2010年(平成22年)7月14日、科学技術分野で世界最高水準の研究機関を目指す「世界トップレベル研究拠点」に、九州大学を新たに選定した。 毎年14億円を10-15年にわたって集中的に投資して世界に通用する研究拠点に育てることを目的としている。入学式と卒業式は伊都地区にある椎木講堂で行われている。2013年度入学式までは福岡国際センターで行われていた。学園祭は2009年(平成21年)現在、「九大祭」と「芸工祭」がある。「九大祭」は、毎年11月下旬に伊都地区で行われるイベントで、旧九大の流れを汲んでいる。2008年(平成20年)までは六本松地区で開催されていたが、2009年(平成21年)より開催地区が伊都地区に変更された。芸工祭は九大祭と同時期に大橋地区で開催されるイベントで、旧芸工大の流れを汲んでいる。かつては箱崎地区で5月11日の本学記念日を中心に九大祭を、六本松地区で11月に教養部学園祭が行われていたが、1967年(昭和42年)に統合され、現在の形になった。体育系の全学公認サークルを統括する学生組織の体育総部体育総務委員会が存在する。九州大学の同窓会には、13の部局別同窓会とその他地区別に組織されている同窓会があり、九州大学同窓会連合会がそれを束ねている。1999年(平成11年)に設立され、地区別同窓会の設立を支援するなどの活動をしている。旧帝国大学の出身者および学長、教授、助教授経験者で構成される団体として社団法人学士会があり、九州大学関係者も多数入会している。詳細は、学士会を参照。九州大学ではそれぞれの校地をキャンパスではなく地区と呼んでいるため、この節の表記も地区としてある。伊都(いと)地区は、キャンパス移転計画(後述)に伴い2005年(平成17年)10月1日から開設した新キャンパス。学生寄宿舎として、ドミトリーI、ドミトリーIIが設置されている。また、伊都新キャンパス情報発信拠点Big Orange(ビッグオレンジ)が設けられている。総面積約275ha。総面積約42.6ha地区内は理系キャンパスと文系キャンパスに分かれている。福岡空港16番滑走路に着陸する直前の飛行機が真上を通過する。理系キャンパスには旧大学本部や旧法文学部棟など倉田謙の手になる大正時代に建てられた古い建物がいくつか残っている。九州大学の赤本の表紙にある建物はこのキャンパスにある旧工学部本館でやはり倉田の設計で1930年(昭和5年)に竣工した。なおこの地区の学生寮としては男子寮の松原寮、女子寮の貝塚寮がある。2019年(平成31年)度移転完了予定だが、旧工学部本館、旧本部第一庁舎、正門門衛所、正門については保存される計画となっている。馬出(まいだし)地区は、病院地区・堅粕地区ともよばれる。京都帝国大学福岡医科大学の母体となった福岡県立病院の跡地である。九州大学内では最も歴史が古い地区である。病院については九州大学病院を参照。2009年(平成21年)9月新病院棟が完成した。総工費1千億円、着工より11年かけて建設された。福岡県立筑紫丘高等学校の用地・建物を転用した旧福岡学芸大学(現福岡教育大学)福岡分校の跡地。かつての九州芸術工科大学で、芸術工学を学ぶ場所となっている。また、建築物のデザインは他の地区とは様相が大きく異なっている。大橋、筑紫地区男子学生を対象とした学生寄宿舎として井尻寮が設置されている。教育の場としてよりは研究機関としての色合いが濃い。かつて筑紫地区への全面移転が計画されていたが地元の反対により断念、現在の形となった。都市近郊にもかかわらず、雪深い日もある。総面積約6.5ha旧制福岡高等学校の跡地。教養部が解体されたのちも全学教育科目(一般教養教育)の大部分はこの地区で行われていた。多くの科目は言語文化研究院、比較社会文化研究院所属の教員によって実施されている。六本松時代には、将来の専攻に関連する講義を受けるために、各学部の専門キャンパス(箱崎・馬出・大橋・伊都)に行く曜日があった。また、単位履修の関係で1日に六本松と専門キャンパスの両方に行く日があった。なお2009年(平成21年)3月に閉鎖された田島寮はこの地区(樋井川対岸の城南区田島)にあり初年度の学生の便宜を図っていた。全学教育科目、比較社会文化学府/研究院は2009年(平成21年)4月に、数理学研究院・数理学府は2009年(平成21年)(平成21年)10月に伊都地区へ移転。2009年(平成21年)(平成21年)9月29日六本松キャンパスの閉校式が行われ、88年の歴史に幕を下ろした。跡地は2010年(平成22年)3月に独立行政法人都市再生機構 (UR) に売却された。2010年(平成22年)12月から解体作業に着手しており2011年(平成23年)9月中旬までに完了する予定。九州大学はキャンパスの狭隘さ・老朽化に加え、箱崎キャンパスは福岡空港に近いうえ滑走路延長線上に位置するために航空機が発する騒音公害にさらされており、移転が計画されてきた。1970年代には筑紫キャンパス(春日市、大野城市)への全面移転が計画されたが、実現しなかった。その後新たに計画が策定され、2005年(平成17年)度後期からおよそ10年間をかけて、箱崎、六本松キャンパスの設備・組織を福岡市西区の元岡地区に移動することが決定したが、その後の計画の修正により移転完了は2019年(平成31年)とされた。福岡市西区、糸島市にまたがる里山に新キャンパス(伊都キャンパス)を建設し、そこに九州大学を移転する計画。2005年(平成17年)10月から3回にわけて移転し、最終的な移転完了は2019年(平成31年)を予定している。当初は大学病院の移転も検討されたが、病院が現在より交通の不便な土地に移ることは利用者の利便性を損なうという観点から、馬出地区(病院および医学部・歯学部・薬学部)は移転しない。また、旧九州芸術工科大学である芸術工学部も移転の対象からは外れており、現在の大橋キャンパスにとどまる。九州大学は、移転の理由として、次のような内容を広報している。3期の計画からなっている。まず2005年(平成17年)度 - 2007年(平成19年)度に工学系キャンパスを移転させる。併せて理系図書館と食堂・寄宿舎の整備も行う。続いて2008年(平成20年)度 - 2011年(平成23年)度は残りの用地取得と整備を行う。その次の2012年(平成24年)度から2019年(平成31年)度にかけて順次建物を移転する予定となっている。馬出地区(医系)・筑紫地区(総合理工学府)・大橋地区(芸術工学部)の移転計画は無く、各地区での教育が続くことになる。2005年(平成17年)10月1日よりまず工学部機械航空工学科・物質科学工学科とその関連大学院を対象に開講した。しかし完成していない部分も多く、同学科が利用する棟においても室内工事等は同日以降も続けられていた。2005年(平成17年)12月7日、水素ステーションの試運転中に酸素パイプ破裂事故が起こった。2006年(平成18年)度後期より、電気情報工学科、地球環境工学科、エネルギー科学科が移転し、建築学科を除く工学部の移転が完了した。この第2期開講時にも、今回開講分の施設は一部未完成だった。学生寮は2006年(平成18年)秋から1棟が供用されている。図書館・食堂・自販機・売店(大学生協とローソンの計2店舗)・書店(紀伊国屋書店)・ATM等が利用可能である。なお、開校後の正式キャンパス名は「伊都地区」であるが、計画段階で使われていた「元岡地区」の呼称も浸透している。「伊都」というのは、キャンパスが立地する糸島半島にあったとされる伊都国に因んで前原市などがしばしば用いている愛称であり、住所表記上の地名ではない。1968年(昭和43年)6月2日22時45分頃、米軍板付基地第313航空師団第15戦術偵察飛行隊所属のRF-4Cファントム偵察機が当時箱崎キャンパスに建設中の大型計算機施設の建物に墜落。以後、学生運動が活発化し、墜落機残骸撤去に約7ヶ月を要した。2010年(平成22年)春、2012年(平成24年)度の理学部数学科の後期試験において、定員9名の内、5名を女性枠とする予定であったが、法の下の平等の観点から問題があるとの批判があり、2011年(平成23年)5月19日に、導入の取りやめを決定。広報誌として『九大広報』(KYUSHU UNIVERSITY CAMPUS MAGAZINE)(九州大学広報専門委員会編集発行)がある。
出典:wikipedia
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