長居陸上競技場(ながいりくじょうきょうぎじょう)は、大阪府大阪市東住吉区の長居公園内にある陸上競技場。球技場としても使用される。施設は大阪市が所有し、指定管理者として長居公園スポーツみどり振興グループ(一般財団法人大阪スポーツみどり財団、美津濃株式会社、三菱電機ビルテクノサービス株式会社)が運営管理を行っている。2014年からはネーミングライツの導入により、ヤンマースタジアム長居(ヤンマースタジアムながい)という名称が使用されている。長居陸上競技場と長居第2陸上競技場について、大阪市は収入確保の観点から、2013年11月から2014年1月にかけて施設命名権のスポンサーを各種法人・団体に対して公募を行い、ヤンマーホールディングス株式会社とそれを締結・売却することを明らかにした。ヤンマーHD(株)が提示した契約料は年間1億円の5年契約である。その後、施設の命名に関する大阪市とヤンマーの折衝が合意に至り、長居陸上競技場については『ヤンマースタジアム長居』、長居第2陸上競技場については『ヤンマーフィールド長居』の名称をそれぞれ付与し、2014年3月1日より5年間使用することが2014年2月20日、大阪市より正式発表された。なお、命名権採用後は上記の名称を使うが、クリーンスタジアム規定が適用される国際サッカー連盟及びアジアサッカー連盟主催の国際試合・大会(FIFAクラブワールドカップ2015、AFCチャンピオンズリーグなど)では正式名称「大阪市長居陸上競技場」もしくは「大阪長居スタジアム」を使用する。C大阪は1994年より当スタジアムをホームスタジアムとしている。C大阪のホームゲーム開催数はセレッソ大阪#年度別・スタジアム別のホームゲーム試合数に記載の通りである。ただし1996年7月までなみはや国体に向けた全面改修工事のために使用できず、1994年から1996年7月まで第2陸上競技場を使用した。その後の2002年3月から同年7月まではFIFAワールドカップ開催に伴う芝生管理上の関係上で、2006年10月から2007年9月(2007年6月の一部試合では使用)まで世界陸上選手権開催に伴う改修工事で使用できずに第2陸上競技場を使用した。また2007年8月は第2陸上競技場も世界陸上の練習会場とされたため使用できず、地方遠征を行っている。2010年からキンチョウスタジアム(金鳥スタ)がホームスタジアムに追加されたため、この両スタジアムでホームゲームを開催している。。長居スは200 - 300万円程度の使用料であるのに対し、金鳥スタは50 - 100万円程度であると、日本代表がチャリティー試合を行った際に明らかになっている(このチャリティー試合の際には使用料は免除されている)。また日本でサッカー(球技)専用スタジアム文化が浸透していることや長居スの2009年当時の1試合平均入場者が15000人程度で、5万人収容のスタンドが満席になることが少ないことを挙げていた。しかし、2013年は1試合平均18819人(長居ス・金鳥スタ17試合合計)を集めたことや、2014年度年間パスポートも完売になったことを受け、より多くの観客動員が見込めるとして、2014年度はリーグ戦・ACLの過半数を長居スで行う方針となった。なおJリーグクラブライセンス制度(2014年度)では、トイレの規定「1000人当たりで洋便器5台、男性用小便器8台以上を持つ」ことをB等級として求めているが、それが不足しており、JリーグよりJ1ライセンス取得と同時に制裁・指導(書類による改善案の提出)を受けている。2008年の10月に開催されたベガルタ仙台戦から、バックスタンドの陸上トラック上に仮設スタンドを設け大相撲の「砂かぶり席」に似た「芝かぶり席」を用意することになった。。これ以降も年数回の試合で芝かぶり席を設けている。。Jリーグクラブではサンフレッチェ広島F.C、京都サンガF.C.、モンテディオ山形などでも同様の席を設けている。C大阪が金鳥スタに移転してからは芝かぶり席が正式な席種として販売されることになった。上述の通り、当地の前身は大阪市営中央競輪場(通称:大阪中央競輪場)である。現在の長居公園の地に、1948年、大阪府及び大阪市などの府下市町村が「大阪府都市競馬組合」を結成し、大阪競馬場(通称:長居競馬場)を開設したが、大阪市は、、1950年3月23日、1周500m、収容人員55000人(内、観客席25000人)の競輪場を、同競馬場の隣に竣工した。また、後楽園競輪場とともに、12車立てのレース(通常は9車立て)も実施した。ちなみに、大阪市は現在の長居公園に1951年11月、大阪競馬場を利用して、市営の長居オートレース場も開設したが、、大阪で開催される特別競輪は当競輪場で開催されることになり、全国争覇競輪(現在の日本選手権競輪)を3回、オールスター争覇競輪(現在のオールスター競輪)を2回開催した。1955年1月10日に、農林大臣河野一郎が提案した、「競馬開催を土日祝日開催に限る」という提案を受けて、通産大臣の石橋湛山が「競輪・オートレースについても同調する」と表明したのを契機に、近畿地区の競輪場でも、土日に限って開催可能かを協議していたところ、2月22日に大阪府知事赤間文三が、同年4月1日以降の大阪府営競馬・競輪の廃止を突如表明した。これは、平日開催によって年間1億2千万円の黒字を挙げていた競輪と、若干の赤字を出していた競馬が、土日開催に限られる事で売上が半減する可能性があるとの試算に基づいたものとされ、大阪市や周辺都市は軒並み反対したものの、結局同年に豊中競輪場が廃止された。さらに、1959年に赤字続きだった大阪競馬場が廃止され、当競輪場も廃止して跡地を公園として整備したいという市側の意向を受け、1962年3月の開設記念大会を最後に廃止された。
出典:wikipedia
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