スーパー宗谷(スーパーそうや)とは、北海道旅客鉄道(JR北海道)が札幌駅 - 稚内駅間を函館本線・宗谷本線経由で運行している特急列車である。本項目では、同一経路で運行されている「サロベツ」とともに、宗谷本線・天北線で運行されていた優等列車の沿革についても記述する。1960年(昭和35年)7月1日に準急「宗谷」(そうや)として札幌駅 - 稚内駅間で運転開始し、札幌駅 - 旭川駅間では「オホーツク」を併結していた。1961年(昭和36年)10月1日には急行列車となり、室蘭本線・千歳線を経由して函館駅発着で運行されるようになったが、1981年10月1日には札幌駅発着に戻された。1964年10月1日から単独運転を開始し、1989年5月1日の天北線廃止に伴い、札幌駅 - 浜頓別駅 - 稚内駅間で運行されていた「天北」(てんぽく)を経路変更を行ったうえで「宗谷」に編入した。1992年7月1日からは昼間の1往復を別愛称の「サロベツ」に変更した。その後、JR北海道と北海道、名寄市などが出資する第三セクター・北海道高速鉄道開発が主体となり、宗谷本線のうち旭川駅 - 名寄駅間の高速化改良事業(路盤強化、新型車両の投入など)が実施され、2000年3月11日より「宗谷」に新型車両261系気動車を投入して、特急「スーパー宗谷」として運行されるようになり、同時に「礼文」を編入した。また「サロベツ」も特急に格上げされた。「スーパー宗谷」・「サロベツ」の走行距離は396.2kmに及び、これは日本で運行されている気動車特急で一番長いものである。「宗谷」は北見国宗谷郡や稚内市にある宗谷岬・宗谷支庁および宗谷本線に、「サロベツ」は豊富町と幌延町の海岸線沿いに広がる湿原、サロベツ原野にちなんだ命名である。2015年4月1日現在、「スーパー宗谷」は午前と午後に1往復ずつ計2往復が運転され、所要時間は平均5時間4分である。「サロベツ」は1日1往復が運転され、所要時間は上りが5時間23分、下りが5時間41分である。 「スーパー宗谷」・「サロベツ」両列車ともに、車内販売は行われていない。前述の旭川駅 - 名寄駅間高速化事業に伴い、札幌駅 - 名寄駅間の最高運転速度は130km/hに引き上げられた。特に「スーパー宗谷」に使用される261系気動車は車体傾斜装置や高出力のディーゼルエンジンなどを搭載し新型電車並みの走行性能を有する車両であることから、札幌駅 - 稚内駅間の所要時間は旧「宗谷」時代から約1時間もの大幅な短縮が図られた。特に函館本線内の札幌駅 - 旭川駅間では、789系電車・785系電車を使用する「スーパーカムイ」ともほぼ同等の所要時間で走行する。2013年10月31日までの「スーパー宗谷」の札幌駅 - 稚内駅間の所要時間は4時間56分 - 4時間59分(4時間台)であった。札幌駅 - 岩見沢駅 - (美唄駅) - (砂川駅) - 滝川駅 - 深川駅 - 旭川駅 - 和寒駅 - 士別駅 - 名寄駅 - 美深駅 - 音威子府駅 - 天塩中川駅 - 幌延駅 - 豊富駅 - 南稚内駅 - 稚内駅苗穂運転所に所属する車両が使用されている。なお、全列車が禁煙車(喫煙ルームなし)である。:2016年以降は3号車にキハ183形0(200)番台(非貫通型先頭車)の充当が所定となった。1958年(昭和33年)10月1日、札幌駅 - 稚内駅間の夜行準急として運行を開始し、1966年(昭和41年)3月5日に急行列車となった。1968年(昭和43年)10月1日には「礼文」を統合して2往復となるが、1970年(昭和45年)10月1日に再度分離した。1982年(昭和57年)11月15日からは14系客車(座席車)が投入され、1983年(昭和58年)4月25日から寝台車も14系に置き換えられた。列車名は、稚内市の西方の日本海に浮かぶ利尻島が由来となっている。1961年(昭和36年)10月1日、札幌駅 - 稚内駅間を函館本線・宗谷本線・天北線経由で運行する急行列車として運行を開始。1989年(平成元年)5月1日の天北線廃止に伴い、経路変更を行ったうえで「宗谷」に編入され、「天北」の列車名は廃止された。列車名は経由路線である天北線にちなんだもので、沿線地域の旧国名「天塩国」と「北見国」が由来となっている。1961年(昭和36年)10月1日に旭川駅 - 稚内駅間を宗谷本線経由で運行する準急列車として運行を開始し、1966年(昭和41年)3月5日に急行列車となった。1968年(昭和43年)10月1日に急行「利尻」と統合されて一旦愛称が消滅するが、1970年(昭和45年)10月1日に再分離されて復活した。1986年(昭和61年)12月7日にはキハ54形気動車が投入されたが、2000年(平成12年)3月11日に特急「スーパー宗谷」に編入されて廃止された。なお、運行開始から廃止に至るまで一貫して非冷房搭載車で運行されたため、「礼文」は日本の定期急行列車としては史上最後の非冷房列車となった。列車名は稚内沖合に浮かぶ礼文島が由来となっている。1965年(昭和40年)10月1日に札幌駅 - 名寄駅間の急行列車として運行を開始した。以後、一部列車が小樽駅発着で運行されるなどして存続したが、1984年(昭和59年)2月1日に廃止された。列車名は名寄市に由来する。なお、「なよろ」の列車名は1990年(平成2年)9月1日から旭川駅 - 名寄駅間の快速列車として現在も使用されている(なよろ (列車)を参照)。宗谷本線では、樺太が日本の統治下だった時代に、東京方面との速達のために函館駅と稚内駅を結ぶ急行列車が運行されていた。全国的に急行列車が希少であった時代の1本である。しかし、太平洋戦争後に樺太が日本の施政を離れたため、戦後、優等列車の運行が再開されるまでには13年を要した。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。